第百十一話 光射す世界に
「う、う~ん」
玄と大輝と別れた後、春斗達は今回の件をあかりにーー琴音に確かめるため、急いで家に帰っていた。
だが、その帰路の途中で、立派な寝癖がついた髪をかき上げながら、車椅子を動かしていたあかりが一つあくびをする。
「お兄ちゃん、優香さん。そろそろ、宮迫さんに変わるみたい……」
「そうか」
「そうですか」
隣に立っている春斗達にそう答えると、あかりは一目がない場所に移動するために車椅子を動かし、くるりと半回転してみせた。だがすぐに、うーん、と眠たそうに目をこすり始めてしまう。
眠気を振り払うようにふるふると首を振ったものの効果はなかったらしく、結局、あかりは車椅子にぽすんと寄りかかって目を閉じてしまった。
そのうち、先程より少し大人びた表情をさらしたあかりが、すやすやと寝息を立て始める。
その様子を見て、春斗はほっと安心したように優しげに目を細めてあかりを見遣る。
「あかり……」
「ーーっ」
横向きに寄りかかっているため、車椅子から落ちそうになっているあかりの華奢な体を、春斗はそっと元の姿勢に戻そうとした。
だが、春斗はあかりを元の姿勢に戻すことはできなかった。
その前に、不意に目を覚ましたあかりがあわてふためいたように両手を左右の肘かけに伸ばして、車椅子から落ちそうになるのを自ら、食い止めたからだ。
「あかり、大丈夫か?」
「……春斗」
春斗に声をかけられたことにより、あかりはーー琴音はあかりに憑依したことを察したようだった。
あかりはきょろきょろと周囲を見渡し、自分の置かれている状況に気づくと、呆然とした表情で目を丸くした。
「今日は確か、『エキシビションマッチ戦』についての話し合いだったんだよな」
驚きの表情を浮かべるあかりの様子に、春斗は額に手を当ててため息をつくと朗らかにこう言った。
「ああ。今日は『エキシビションマッチ戦』の話し合いをした後、いろいろとあって、ショッピングモールに行っていたんだ」
「そうなんだな」
春斗がざっくりと付け加えるように言うと、あかりはきょとんとした顔で目を瞬かせる。
優香はラビラビのグッズが入った袋を掲げると、誇らしげに笑みを浮かべてみせた。
「宮迫さん、聞いて下さい。今日、ショッピングモールのイベント会場で、ラビラビさんの握手会が行われていました」
「ラビラビの握手会があったんだな」
いつもどおりの彼女のーー琴音の反応に、春斗はほっと安心したように、優しげに目を細めてあかりを見遣る。
「あの、宮迫さん、少しいいかな?」
「うん?」
一旦、言葉を途切ると横に流れ始めた話の手綱をとって、春斗が鋭く目を細めて告げた。
「今日、玄と大輝から、宮迫さん達のことを聞いたんだ。瀬生綾花さんが、四人分生きているということを」
核心を突く春斗の言葉に、あかりは思わず目を見開く。
あかりのその反応に、春斗は改めて、玄達が告げた言葉が真実なのだと実感する。
春斗は真剣な表情のまま、さらに言い募った。
「宮迫さんの本当の名前は、『上岡進くん』でいいんだよな?」
「……ああ」
春斗の重ねての問いかけに、あかりは観念したようにため息を吐いた。
「…‥…‥別の場所で、話しても大丈夫か?」
「なら、家に帰ってから話そう」
「そうですね」
春斗と優香がそう答えると、春斗達はそのまま、踵を返し、足早に春斗の家へと向かうため、人込みの中を歩いていく。
家にたどり着くと、春斗は思い詰めたような表情で深くため息をついた。
ーー四人分生きているか。
あの時、宮迫さんが告げた言葉は、俺達の想像を越えた意味を持っていたな。
「……ただいま」
「こんにちは」
「ーーっ」
春斗と優香が玄関のドアを開けて何気ない口調でそう告げると、あかりは緊張したように膝元に置いている交換ノートをぎゅっと抱きしめる。
「春斗、あかり、優香」
母親の出迎えとともに、おぼつかない仕草で靴を脱ぎ、玄関に足を踏み出した春斗は真っ先に伝えなくてはならないことを口にした。
「なあ、母さん。後で、もう一人のあかりのーー宮迫さんについて話しておきたいことがあるんだ」
「……え、ええ」
春斗があくまでも真剣な眼差しで言うと、春斗の母親は事情を察したようにぎこちなくそう応じる。
春斗の母親と他愛ない会話を交わした後、春斗達は今回の件を琴音に確認するために、春斗の部屋に上がった。
「父さんと母さんには、後で俺達から事情を説明するな」
「……ああ。ありがとうな、春斗、天羽」
吹っ切れたような言葉とともに、あかりはまっすぐに春斗と優香を見つめる。
「俺はーーいや綾花は四人分、生きている」
「ーーっ」
聞いた瞬間、思わず心臓が跳ねるのを春斗は感じた。知らず知らずのうちに、拳を強く握りしめてしまう。
それは先程、玄達から聞いた言葉と同じだったからだ。
「俺はその中の一人、上岡進だ。宮迫琴音という名前は、偽名になる。春斗、優香、それにあかり、嘘をついてしまってごめんな」
「……あの、宮迫さん」
「うん?」
困惑したように首を傾げてみせるあかりに、春斗はほのかに頬を赤くし、ごまかすように早口で言った。
「あっ、いや、その、このまま、宮迫さんと呼んでもいいかな?」
「ああ」
問いかけるような声でそう言った春斗に、あかりは軽く頷いてみせる。
「あの、宮迫さん。お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「ああ」
優香はあかりに向き直ると、厳かな口調で続けた。
「瀬生綾花さんは、あかりさん、宮迫さん、そして麻白さんの四人分を生きているのですよね?どうして、そのような現象が起こったのでしょうか?」
「……上手く言えないんだけど、こーーいや、魔術を使う少年が引き起こした騒動が原因なんだ」
なんだ、それは、そう続けようとした春斗の目の前で、
「分かりました。では、宮迫さん。せめて、お話できることだけをお聞かせ頂くことはできませんでしょうか?」
優香は淡々と頷いてみせる。
宮迫さんのことを知りたいーー。
優香の率直な答えに、春斗は思わず、熱くなりかけた思いを押さえて長く息を吐く。
優香の重ねての問いかけに、あかりは覚悟を決めたようにベットのシーツの上に置いた手を握りしめる。
「まず、魔術を使う少年が使った『憑依の儀式』という魔術によって、綾花は俺と心を融合させられたんだ。それが、全ての始まりだったんだよな」
「全ての始まり……」
さすがに、予測不能な突拍子もない言葉だったのだろう。
あかりの発した言葉に、春斗と優香は固まり、言葉を上手く発せない。
完全に理解を越えた内容を補うように、あかりが辛辣そうに言う。
「あかりを生き返させた魔術は、『分魂の儀式』と呼ばれる魔術だ」
「『分魂の儀式』。父さんと玄達が言っていたとおりだな」
「はい」
どこか確かめるようなあかりの物言いに、春斗と優香は戸惑いながらも頷いてみせた。
「『分魂の儀式』と呼ばれる魔術は、俺の魂の一部をあかりに憑依させる魔術だ。魔術を使う少年がこの魔術を使ったことで、あかりは生き返ったんだ」
「あかりは、宮迫さんが度々、憑依していないと死んでしまうんだよな。難儀な魔術だな」
「そうですね」
困ったようにそう付け足した春斗に対して、優香は胸のつかえが取れたように訥々と語る。
あかりはゲーム機がある方向に振り向くと、一呼吸置いてから言った。
「玄達から既に聞いたのかもしれないけれど、麻白は一度、死んでから魔術で生き返っている」
「麻白は一度、死んでいるのか」
「やっぱり、玄さんのお父様は、麻白さんの死をなかったことにされていたんですね」
驚きをそのまま口にする春斗と優香に、あかりが躊躇うように続ける。
「麻白を生き返させたのは、魔術を使う少年の魔術の力だけじゃないんだ。麻白の父さんが使った『魔術の知識』という力によって、麻白は生き返ったんだ」
「麻白を生き返させたのは、魔術を使う少年と玄のおじさんなのか!」
「玄さんのお父様は、不思議な力を持っているのですね」
予想もしていなかった言葉に、春斗と優香は愕然とした。
「不思議な力か……」
笑ったような、泣いたような。
あらゆる感情の混ざった声が、あかりの口からこぼれ落ちる。
「麻白の父さんから言われたんだ。ずっと、会えなくてもいい。誰かに迷惑をかけることになっても、麻白がーー家族が笑っていたあの時を取り戻したい。例え、それが俺達の存在を、犠牲にする手段だったとしても」
「……麻白を生き返させることで、宮迫さん達の存在を犠牲にする」
「……そんな」
春斗と優香は、あかりから信じられないようなその事実を聞かされて驚愕する。
震える春斗と優香の言葉に、両拳をぎゅっと握りしめたあかりは何も言えずに俯いてしまう。
「……そ、それって、宮迫さんが麻白として生きていく代わりに、宮迫さん達の存在そのものが抹消されてしまう可能性があるっていうことか!」
「宮迫さんが、ずっと悩んでいたことはそのことだったんですね」
「……ああ」
あまりにも衝撃的な事実を突きつけられて、春斗と優香は二の句を告げなくなってしまっていた。
あかりは顔を俯かせると、辛そうな顔をして言った。
「……ごめん、春斗、天羽。驚かせて……。だけど、今、俺達全員が生きていられる道を探しているんだ。麻白の父さん達に、麻白だけではなく、俺達の存在を認めてもらえる道を」
「…‥…‥宮迫さん」
「宮迫さん、話して下さり、ありがとうございます」
切羽詰まったようなあかりの態度に感じるものがあったのだろう。
春斗と優香は真実を見たような気がして、互いに穏やかな表情を浮かべると、あかりの肩に手を置いた。
「宮迫さん。玄達から事情を聞いた後、あかりと優香と一緒に話し合ったことがあるんだ」
「話し合ったこと?」
思い詰めた表情をして言うあかりに、春斗が意を決したようにあかりの手をつかんで言った。
「宮迫さん達にどんな事情があっても、俺達はできる限り、あかりのーーそして、宮迫さん達のそばにいて支えていこうって」
「ーーっ」
春斗の強い言葉に、あかりが断ち切れそうな声でつぶやく。
そんなあかりに、春斗は屈託なく笑うと意味ありげに続けた。
「だから、もう無理はしないでいいからな」
「私達がこれからもずっと、あかりさんのーー宮迫さん達のそばにいます」
「ーーっ」
目を見開くあかりに、春斗と優香は当然のように続ける。
「俺達はどんなことがあっても、あかりのーー宮迫さん達の味方だ」
「話せないことでしたら、話せる箇所だけでも話して下さい」
「俺はーー」
そう言葉をこぼすと、あかりは滲んだ涙を必死に堪える。堪えた涙は限界を越えそうになっていた。
それでも、あかりは目元を拭い、前を見つめながら言葉を続けた。
「いや、俺達は、こうして、春斗達に会えてよかった」
「俺達も、あかりに憑依したのが、宮迫さんで本当に良かった」
胸に滲みるように安堵の表情を浮かべる春斗をよそに、あかりは俯いていた顔を上げると物憂げな表情を収め、楽しそうに小さな笑い声を漏らした。
「ありがとうな、春斗、天羽」
「ああ。宮迫さん、これからもよろしくな」
「宮迫さん、これからもよろしくお願いします」
あかりの花咲くようなその笑みに、顔を見合わせた春斗と優香は吹っ切れた表情を浮かべたのだった。




