第百四話 それは恋に似ている
「『ラグナロック』が負けたというのは、本当なのか?」
「本当ですよ~。でも、輝明くん達、『クライン・ラビリンス』は、そのチームと並んでダブル優勝したみたいなんですよね~」
繁華街の居酒屋の個室で、プロゲーマーとしての仕事を終えた彼女達は飲み明かしていた。
カシスオレンジを飲み干した女性が、とろんとした目で上機嫌に笑っている。
絹のような髪には透明感があり、楽しそうな表情にはあどけなさが残っていた。
そんな彼女を見て、向かい側の席に座っていた男性が呆れたようにため息をついた。
「『クライン・ラビリンス』とともに、ダブル優勝したのは『ラ・ピュセル』か。初めて聞くチームだな」
「ですよね~」
既に酔いが回っている女性の潤んだ声に、男性が苦笑いする。
「それにしても、由良は相変わらず、輝明くん押しだな。俺としては、あの『ラグナロック』を破った『ラ・ピュセル』も侮れないと思うけどな」
「えへへ……。私、諦めていませんから~。輝明くんを引き入れること~」
男性の指摘に、グラスを傾けた女性ーー由良文月はきょとんとしてから幸せそうにはにかんだ。
「それにしても、境井くんは真面目ですね~。『エキシビションマッチ戦』に出場するプロゲーマー同士で、今回の公式トーナメント大会の情報を共有したいなんて~」
「プロゲーマーとして、いずれ対戦することになるかもしれない相手のことは、全て頭に入れておきたいからな」
『エキシビションマッチ戦』に出場するプロゲーマーの一人ーー境井孝治は、同じくプロゲーマーとして出場する文月に視線を向けるとはっきりと言った。
やがて、新たな客が訪れたことで賑わいを見せる店内。
そのタイミングで、文月は勇気を振り絞るように大きな声で言い募った。
「あ、あのっ、境井くん。やっぱり、輝明くんはプロゲーマーになったら、私達の所属するゲーム会社に入った方がいいと思うんです!輝明くんの実力は、折り紙付きですもん!」
「た、確かにな」
何とかしてくれと言いたげに、文月は救いを求めるように孝治を見る。
その瞬間の文月の表情は、息を呑むくらい真剣だった。
「で、境井くん。どうしたら、輝明くんは入ってくれると思いますか?」
「……はい?」
予想もしていなかった衝撃的な疑問に、孝治は絶句する。
文月が発したその言葉は、孝治にとって到底受け入れがたきものであった。
「いやいや、そんなの個人の理由だろう」
「お願いします~。境井くん、人助けと思って協力してほしいのですよ~」
「だから、な」
あまりの言葉に顔を押さえていた孝治は、隣の席から聞こえてきたつぶやきには即座に突っ込まざるをえなかった。
「……ここ、全て境井さんのおごりでしたよね」
「夕薙、おまえは少し遠慮してくれないか」
あっという間にジンジャーエールを飲み干し、頼んでいた料理を一人で平らげてしまった茶髪の男性。
同じく『エキシビションマッチ戦』に出場するプロゲーマーである男性ーー神無月夕薙の無慈悲な発言を聞いて、孝治はすでに残り少ない気力がぐんぐん目減りしていくのを感じていた。
「あかり、ここはこうなってだな」
「う、うん」
あかりは自分の部屋で、春斗に教わりながら教科書をめくっていた。
春斗が質問した教科書に記載されている問題の答えを、ノートに書き込んでいくものの、答えが解らないものも幾つかある。
「あかり、この問題はどうだ?」
「えっと……」
春斗が出してきた問題を前にして、あかりは答えが解らず、ペンが止まる。
そんなあかりを見て、春斗が勇気づけるように言った。
「あかり、ゆっくりでいいからな」
「うん。お兄ちゃん、ありがとう」
あかりは、春斗に問われた問題の答えを何とか書き終えるとペンを置いた。
そして、大きく深呼吸する。
「私が宮迫さんにーーもう一人の私になったら、今度は私がお兄ちゃんに勉強を教えるね」
「ああ。お手柔らかに頼むな」
教科書をぎゅっと握りしめて嬉しそうに頷くあかりに、春斗は少し照れくさそうに頬を撫でた。
「それにしても、あかりに勉強を教えたり、教わったりするなんて変な感じだな。まあ、確かに宮迫さんはすごいけれどな」
「うん、すごいよね」
春斗の言葉に、あかりはつぼみが綻ぶようにぱあっと顔を輝かせる。
「私、宮迫さんと一緒なら、今度のテストも頑張りたいって思うの」
「そ、そうなのか」
わくわくと誇らしげにそう告げられた意味深なあかりの言葉に、春斗の反応はワンテンポどころか、かなり遅れた。
得心したように頷きながら、あかりは言った。
「あはっ。だって、私が宮迫さんの時は、中学生の時のお兄ちゃんよりお勉強できるって、お母さんが教えてくれたもの。私も、宮迫さんみたいになれるように頑張りたい」
勉強ができるという単語を耳にした瞬間、春斗は戸惑っていた表情を収め、両拳を突き出すと激昂したように叫んだ。
「ーーっ、分かっているよ!」
「テストは想像していたより難しかったけれど、私、いつかみんなと同じくらい、お勉強ができるように頑張りたいの」
そう告げるあかりの瞳はどこまでも澄んでおり、真剣な色を宿していた。
そのことが、春斗を安堵させる。
あかりは少しずつ、前に進んでいる。
授業にはついていけていないみたいだけど、友達や先生と一緒に楽しく学べているんだろうな。
どこまでもまっすぐな眼差しを向けてくる妹の姿を見て、春斗はほっと安堵する。
「ああ、俺も協力するな」
内心の喜びを隠しつつ、春斗は微かに笑みを浮かべた。
「ねえ、お兄ちゃん。この問題はどうやって解いたらいいのかな?」
「どれどれ……っ!?」
あかりから示された問題を見た瞬間、春斗の表情がぎこちなく固まる。
やがて、春斗は少し言いにくそうに軽く肩をすくめてみせた。
「その、あかり、ごめんな。この問題は、俺にも分からないな」
「そうなんだ」
ぽつりとつぶやかれたあかりの言葉は、確認するような響きを帯びていた。
春斗は困ったように眉を寄せてから言う。
「後で、宮迫さんに教えてもらってくるな」
「うん。私、お兄ちゃんに教えるね」
「あかりの質問に、あかりが答える。やっぱり、変な感じがするな」
あかりの不可思議な言葉に、春斗は思わず唖然として首を傾げた。
あかりは嬉しそうに頷くと、さらに先を続ける。
「そうだね。今はお兄ちゃんが私の先生だけど、私が宮迫さんにーーもう一人の私になったら、今度は私がお兄ちゃんの先生だもの!」
「何か、先生になったり、生徒になったりと大変だな」
あかりが飛びつくような勢いで両拳を突き上げて熱弁すると、春斗は呆れたような声で笑う。
テストが終わったら、『エキシビションマッチ戦』に向けて、いろいろと対策を練っていかないといけない。
だけど、今だけは、あかりの先生であかりの生徒でありたいと春斗は願った。
俺とあかりと優香と今生、そして宮迫さん。
俺達、五人のチーム、『ラ・ピュセル』は、玄達、『ラグナロック』に勝ったことで、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の公式サイト上、それ以外でもかなり注目されているチームになってきている。
もう、優香と一緒に初めてチームを結成した、あの頃のような気持ちのままではいられないのかもしれない。
だけど、同時に俺は思う。
また、新たな明日が始まる。
大切な妹の笑顔は、そんなことを予感させた。
どこまでも夢をまっすぐに追いかけている妹は、一途に俺を支えてくれる従姉妹の少女は、自分らしく駆け抜ける憧れの少女は、チームのみんなに勇気をくれる天真爛漫な少女は、今も確かに『ラ・ピュセル』というチームで繋がっているのだからーー。




