第百三話 想い出は廻る
「輝明、姉さん、悪い」
「遅い!」
輝明達がいる屋上に姿を見せた途端、芝居かかった仕草でそう言ってのけた当夜を、輝明は冷たい目で睨み付けた。
「実はーー」
「…‥…‥ずっと待っていた。これ以上ないくらいに」
先んじて言い訳を封殺するとんでもない姉ーー花菜の言葉に、当夜の背中を嫌な汗が流れていく。
「輝明、姉さん、悪い」
「その、遅くなってごめん」
当夜に相次いで、カケルも粛々と頭を下げる。
「これから、『エキシビションマッチ戦』について話し合うんだよな」
当夜が促すと、花菜の表情に明確な硬さがよぎった。
「……由良文月、倒すべき相手」
「倒すべき相手?」
思いもよらない花菜の言葉に、カケルは不思議そうに首を傾げる。
「姉さんは相変わらず、由良文月には嫌悪感を抱いているんだな」
「当たり前。輝明を、自分が所属するゲーム会社のプロゲーマーに引き入れようとしてきた最悪な相手」
当夜のつぶやきを、花菜が耳聡く拾い上げた。
「スカウトーー勧誘してきただろう」
「同じことだから」
当夜の指摘に、花菜は心底不満そうに言う。
由良文月は、プロゲーマーの中でもトップクラスの実力者だ。
だが、カケルは『エキシビションマッチ戦』を観戦したことがないため、どんなバトルをする人なのかは分からなかった。
首を一度、横に振ると、カケルは不思議そうに聞いた。
「輝明達は、由良文月さんと対戦したことがあるんだよな?」
「ああ。まともに戦ってはいけない相手だったな」
輝明自身はそれで説明責任を果たしたと言わんばかりの表情をしていたが、カケルも花菜も当夜も視線をそらしていなかった。
三人のリアクションに、輝明はため息をついて付け加える。
「由良文月は、布施尚之と同じように地形効果を変動させる固有スキルを使う。僕の固有スキルとは、相性の悪い相手だ」
「ようするに、俺達が勝つには、由良文月の地形効果を変動させるあの固有スキルに対処する必要があるんだよな」
ざっくりと言った当夜に、輝明は少し逡巡してから頷いた。
「他のプロゲーマー達も侮れない実力の持ち主だ。だが、僕達が『エキシビションマッチ戦』を制覇するためには、由良文月を含めて、プロゲーマー達に勝つ必要がある」
吹っ切れたような言葉とともに、輝明はまっすぐにカケル達を見つめる。
「由良文月、そしてプロゲーマー達。僕達のチームに勝ったことを後悔させてやる」
『チェイン・リンケージ』のモーションランキングシステム内で、二位のプレイヤーであり、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第一回公式トーナメント大会のチーム戦、優勝チームのリーダーでもある輝明。
かって最強の名をほしいままにしていた輝明は、『エキシビションマッチ戦』で垣間見たプロゲーマー達のその凄まじい速度と機敏さを前にしても、特段気にも止めなかった。
しかし、その後の『エキシビションマッチ戦』の大将戦での敗退、そして、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第ニ回、第三回公式トーナメント大会のチーム戦で『ラグナロック』に二度も敗北したことで、輝明は本格的にチーム戦への移行を決めた。
『輝明くん、まだまだですね~。でもでも、かなり強いです。良かったら、私達の所属するゲーム会社でプロゲーマーになりませんか?』
屈辱的な言葉とともに告げられた勧誘の誘い。
『クライン・ラビリンス』に勝った由良文月達、プロゲーマーを全力で叩き潰すことだけを考える。
だが、そこで輝明の脳裏に、春斗達、『ラ・ピュセル』と対戦した時のことがよぎった。
どれだけ一方的に負けようとも、決して諦めなかったチーム。
例え、実力は劣っても、立ち向かっていく不変の強さ。
だが、それでもプロゲーマー達に勝つことは困難だろう。
「輝明はプロゲーマーになったら、由良文月さんが所属するゲーム会社に入るのか?」
カケルの疑問は、輝明からすれば愚問だった。
「どうして入ると思った?」
「……前に、引き入れられそうになっていたから」
「うるさい!」
苛立ちの混じった輝明の声にも、花菜は淡々と表情一つ変えずに続ける。
「でも、絶対に阻止してみせる」
それとなく、視線をそらした花菜は、まるで照れているかのように俯いた。
「まあ、ともかく」
当夜はカケルの方へ視線だけ向けて、世間話でもするような口調で言った。
「俺達にできることは、『エキシビションマッチ戦』まで、いろいろと対策を練っていくことだけだ」
「由良文月だけではなく、他のプロゲーマー達もかなり手強い相手だから」
当夜の言葉に頷くと、花菜は前回の『エキシビションマッチ戦』の時のことを思い出す。
「そう、だよな」
どこか寂しそうに笑って、カケルは言う。
「気になるのなら、布施尚之にオンライン対戦を申し込めばいい。布施尚之は、由良文月と同じように、地形効果を変動させる固有スキルを使う厄介な相手だからな」
「な、なるほどな」
「…‥…‥オンライン対戦」
「ーーっ」
輝明の思いもよらない誘いに、当夜と花菜は不意を打たれたように目を瞬く。
そして、思い詰めた表情を浮かべていたカケルが、輝明の言葉に弾かれたように顔を上げる。
『チェイン・リンケージ』のモーションランキングシステム内で、上位のプレイヤーには、数多くの対戦の申し込みがある。
だが、上位のプレイヤーばかりに対戦の申し込みが集中しないように、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』のランキング上位のプレイヤーには、任意に対戦の申し込み自体を制限することができた。
任意的にロックをかけることによって、上位のプレイヤーの負担を減らせることができる。
そして、玄達のように、自分から対戦の申し込みをすることができるので、例え、上位のプレイヤーになっても、今までのようにスピーディーなプレイを楽しむことができた。
「布施尚之さんとのオンライン対戦か」
輝明の提案に、カケルは何かを決意するようにつぶやいたのだった。
取材陣達のインタビューを終えた後、春斗の母親とともに車椅子に乗ったあかりを連れて、自分の家に戻った春斗は思い詰めたような表情で深くため息をついた。
ーー『エキシビションマッチ戦』か。
いろいろと対策を練る必要がありそうだな。
あかりに見せてもらったパンフレットには、『エキシビションマッチ戦』で対戦することになるプロゲーマー達の特徴が記載されていた。
詳しい内容は載っていなかったが、それでも今まで未知だったプロゲーマー達の情報を知ることが出来たことは、春斗達にとって充分な収穫だった。
優香は今日、久しぶりに家族全員が揃うため、自分の家に戻っている。
「…‥…‥はあ~、ただいま」
「ただいま」
春斗が玄関のドアを開けて何気ない口調でそう告げると、あかりは嬉しそうに膝元に置いている琴音との交換ノートをぎゅっと抱きしめる。
おぼつかない仕草で靴を脱ぎ、玄関に足を踏み出した春斗は真っ先に疑問に思っていたことを口にした。
「あかり、母さん。最近、中学校の方は大丈夫なのか?」
「…‥…‥え、ええ」
ぎこちなくそう応じる春斗の母親の様子に目を瞬き、少しだけ首を傾げながら、春斗は先を続ける。
「あかりの中学校も、もうすぐテストだよな。俺もテストが近いから、良かったら一緒に勉強しないか?」
「それがね、春斗。あかりの時と宮迫さんーーもう一人のあかりの時で、成績にかなり差があるみたいなの」
春斗があくまでも真剣な眼差しで聞くと、春斗の母親は少し言いづらそうに顎に手を当てると、とつとつとそう語る。
「あかり、勉強のことで悩んでいるのか?」
「ええ。宮迫さんにーーもう一人のあかりと先生と優希くんにいろいろと教えてもらったみたいなんだけど、それでもよく分からなかったみたいなの」
やや驚いたように声をかけた春斗に、母親は少し逡巡してから答えた。
「春斗。あかりに勉強を教えてあげてほしいの。変わりに、春斗は宮迫さんにーーもう一人のあかりからしっかり教わりなさい」
「何だか変な感じだな」
口調こそ、重たかったものの、どこか晴れやかな表情を浮かべて言う母親の言葉に、春斗はいささか複雑な表情を浮かべる。
「あかり、春斗のことをお願いね」
「うん。お兄ちゃんに一生懸命、お勉強を教えるね」
「……何でそうなるんだ」
盛り上がる談義に花を咲かせる二人を前にして、春斗はこれから行われる勉強会で起こる出来事の一環をふと思い浮かべてしまい、今更ながらにため息を吐いたのだった。




