第一話 魔術を使えるという少年には近づいてはいけない
「マインド・クロス」の番外編のサイドストーリーです。
『チェイン・リンケージ』。
今や知らぬ人がいないのではというほど有名なオンラインバトルゲームだ。
典型的な対戦格闘ゲームに過ぎなかったチェイン・リンケージが、社会現象になるまでヒットしたのは二つの特徴的で斬新な宣伝とシステムによる。
一つは本作が有名なゲーム会社同士のタッグでの合同開発だったということだ。また、斬新なテレビCMと相まって今や空前絶後の大ヒットゲームとなっている。
そしてもう一つが、従来の格闘ゲームとは一線を画す独特なシステムだった。最先端のモーションランキングシステムに、プレイヤーは仲間とともに爽快感抜群の連携技を繰り出せることで臨場感溢れるバトルを楽しむことができる。
そんなオンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の大会は、個人戦とチーム戦、二つの形式に分類されていた。
「う、う~ん」
立派な寝癖がついた髪をかき上げながら、海のように明るく輝く瞳をした少女が一つあくびをする。
「今日はここまでだな…‥…‥」
「そうか」
「…‥…‥ああ。もう少し、頑張ってみるけど、ランキング入り、無理そうだったらごめんな」
隣に座っている少年の言葉にそう答えると、しばらく少女はテレビに映るゲーム画面にしか目に入っていないかのように抱きしめんばかりの勢いでコントローラーを操作していたのだが、だんだん、うーん、と眠たそうに目をこすり始めてしまう。
眠気を振り払うようにふるふると首を振ったものの効果はなかったらしく、結局、少女は隣に座っていた少年ーー彼女の兄である雅山春斗にぽすんと寄りかかって目を閉じてしまった。
そのうち、先程より幼い顔をさらした少女がすやすやと寝息を立て始める。
肩口に感じるそのぬくもりに、春斗はほっと安心したように優しげに目を細めて少女を見遣る。
「あかり…‥…‥」
「ーーっ」
寄りかかってくるあかりの華奢な体を、春斗はそっと自身のもとに抱き寄せようとした。
だが、春斗はあかりを抱き寄せることはできなかった。
その前に、不意に目を覚ましたあかりがあろうことか春斗を両手で突き飛ばしたきたからだ。
「い、いてぇ!」
「…‥…‥お兄ちゃん。何しているの」
一瞬で顔を真っ赤にしたあかりは、鋭い眼差しで春斗を睨みつける。
先程まで仲睦ましげに話していたとは思えない予想外の妹の反応に、春斗は特に気に止めた様子もなく、むしろまたか、と不本意そうにため息をつく。
あかりはきょろきょろと周囲を見渡し、自分の置かれている状況に気づくと、呆然とした表情で目を丸くした。
「な、何で私、また、お兄ちゃんの部屋にいるの」
狼狽する妹の様子に、春斗は額に手を当ててため息をつくと朗らかにこう言った。
「はあ…‥…‥。いい加減慣れろよな」
「…‥…‥慣れないもの」
曖昧に言葉を並べる春斗に、あかりは訝しげな眼差しを向ける。
怒り心頭の妹をよそに、春斗はテレビのゲーム画面を見遣って言った。
「ほら、あかり。おまえの第一目標だったランキング入りを果たしているぞ」
「…‥…‥ランキング入り」
テレビをじっと凝視していたあかりの声が震えた。期待に満ちた表情で、あかりはなりふりかまっていられなくなったように上半身を乗り出す。
そんな彼女に、春斗はてらいもなく告げた。
「頑張れば、ランキング上位も夢じゃないな。そうすれば、念願のオンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第三回公式トーナメント大会のチーム戦にも出場できるかもな」
「あはっ、出場できるんだ」
あかりは笑顔だった。
恐れるものなど何もなかった。
この方法を使えば、自分は生き続けられて何よりゲームの大会に出ることができるかもしれない。
それを証明するための準備をするために、あかりは春斗に対して力強く頷いてみせた。
季節が巡った中学一年の終わり。
それは、彼女が中学二年生になる目前の出来事だった。
雅山あかり。
最近、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』を始めたばかりの初心者であの時、確かに死んだはずの妹が、早くもランキング入りにまで昇りつめた理由。
それはどこまでもまっすぐだった妹の想いに準ずるところがあるのだが、同時に俺と両親ーーそしてある人物が画策した愚かな願いが含まれているのも諌めない。
春斗が中学校を入学した時、既に妹の体は他の子とは違っていた。
亜急性硬化性全脳炎。
それがもたらしたのは、慢性的な身体の不具合と学習障害。
「…‥…‥ん、お兄ちゃん、お兄ちゃん」
病室で直接名前を呼ばれて、雅山春斗は突っ伏していた机から勢いよく顔を上げた。
真っ白なベットに横たわるあかりは、酷い顔色だった。
真っ白で、でも無機質ではない、残酷なほどに穏やかな空気が流れる病室には、春斗とあかり、そして両親しかいない。
春斗は泣きはらしたうつろな目をこすると、微睡みを邪魔してきた妹ーー雅山あかりをゆっくりと見上げた。
「…‥…‥どうした、あかり」
「あ、あのね」
その問いに、あかりはベットのシーツをぎゅっと握りしめたまま、恥ずかしそうにそうつぶやくと顔を俯かせる。
しかし、このままでは話が先に進まないと思ったのだろう。
あかりは顔を上げると、意を決して話し始めた。
「お父さんから話を聞いたんだけど、私、ある男の子の魔術でゲームの大会の準優勝者だった人になれるかもしれないんだ」
「ゲームの大会?」
春斗が涙声で噛み殺しながら訊くと、あかりは信じられないと言わんばかりに両手を広げて目を見開いた。
「すごいの。この方法を使えば、私、死なないで生きられるかもしれない」
もうすぐ死んでしまう。
確信を持ってその結末を受け入れているあかりの静かな声が、受け入れがたい事実を突きつけてくる。
そこでようやく、春斗はあかりをーー妹を失おうとしている現実を目の当たりにしたのかもしれない。
子供のように無邪気に笑いかけるあかりに、春斗は露骨に眉をひそめる。
「死なせない」
「ーーえっ?」
「あかりが死なない方法があるなら、俺はいくらでも協力する」
「…‥…‥ありがとう、お兄ちゃん」
必死に言い繕う春斗を見て、あかりは嬉しそうにはにかむように微笑んでそっと俯いてみせた。
あかりの容態が急変し、帰らぬ人になったのは、その翌日の夕方のことだった。
白いベットに横たわり、まるで眠り続けているようなあかりの横に立つと、春斗は呼び出してきたこの病院の脳神経外科の医師である父親の方へと振り向いた。
ベットに泣き崩れる母親に対して、父親は何故か、穏やかな表情であかりを見つめている。
意外な父親の反応に、春斗は訝しげに眉をひそめた。
「彼から連絡があった。今から、あかりを生き返させてくれるそうだ」
「あかりを生き返させる?」
「ああ」
「そんなこと、本当にできるのか」
問いにもならないような春斗のつぶやきに、父親は視線をそらして言う。
「…‥…‥あかりが言っていただろう。ある男の子が使う魔術で、あかりは甦ることができるらしい」
「…‥…‥」
突拍子がない。
目を見開く春斗に、父親は当然のことのように続ける。
「彼が言うには、消えつつあるあかりの心とは別に、『分魂の儀式』を用いてある特別な少女の心の一部を憑依させる必要があるという」
「少女?」
「オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第一回公式トーナメント大会の準優勝の宮迫琴音という少女だ。何でも一度、『憑依の儀式』と呼ばれる魔術を使った者達の心でないと、『分魂の儀式』は成功しないそうでーー」
「ちょ、ちょっと待て」
父親の熱を帯びた声に、春斗は思わず、右手を突き出す。
春斗は真剣な表情で父親に訊いた。
「魔術であかりを甦させるってそんな非科学的なこと、父さん、本気で信じているのか?」
「ああ」
父親にそう告げられても、春斗はあまりの滑稽無稽さに正気を疑いたくなった。
頭を悩ませ、春斗はベット脇の椅子に腰かける。
「本当の話なのか?」
「すべて事実だ」
間一髪入れずに即答した父親は、真顔で春斗を見つめてくる。
「頭が痛くなってくる…‥…‥」
あまりにも突拍子がない話に、春斗が思わず頭を抱えた、その時。
「うーん」
不意に横から聞こえてきた言葉。
聞き覚えのあるその声に、春斗は思わず、目を見開く。
ーーあり得ない。
あり得るわけがない。
だって、あかりはもう死んだはずなのだからーー。
見知らぬ少年のーー明らかに胡散臭い魔術で、人が甦るなんてあり得るわけがない。
春斗は目の前の父親を見遣ってから、一息に振り返る。
「何処だ、ここ?」
そこには、あかりに見える少女が、あかりがしないような仕草で頭を押さえ、困り果てたようにため息をついていた。
なんだ、なんだ。
何なんだ。
これはーー。
「あかり!」
「ーーっ」
混乱しきった春斗を置いてきぼりにして、母親は嬉しそうにあかりを抱きしめている。
きょろきょろと周囲を見渡し、いまだに状況が分かっていないあかりに対して、春斗は立ち上がり、ふと手を伸ばしそうになった。
その袖をつまんで、自分の方へと引き寄せたくなった。
だけど、代わりに春斗の口からこぼれ落ちたのは、たった一つの言葉だった。
一度、口にしてしまえば取り返しのつかない、たった一つの言葉。
「本当に、あかり…‥…‥なのか?」
「…‥…‥あかりって、誰だ?」
春斗の言葉に、あかりはきょとんとした顔で不思議そうにこちらを振り返った。
迷う暇も考える必要もない。
それならば、導き出される答えはもう一つしかないからだ。
春斗は謎の義務感に急かされるように言葉を続ける。
「ーーなら、あんたはオンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第一回公式トーナメント大会の準優勝だった宮迫琴音か?」
「うーん、まあ、そうかな」
「ーーっ」
あかりがてらいもなくそう告げると、春斗は糸が切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちる。
喜べばいいのか、悲しめばいいのか、それさえも分からなかった。
「マジか」
春斗は改めて、あかりを見ながら頭を抱えた。
雅山あかり。
もうどこにもいない少女の名前。
眩しく輝く夢を、未来を掴みとるはずだった大切な妹の名前。
だが、それはもう叶わぬ未来。
終わった物語が再び、紡がれることはない。
だけど、俺は知っている。
妹が死んだその日から、俺と妹の物語は本当の意味で始まりを迎えたのだということをーー。