プロローグ 2
部屋に差し込む日の光が、まだ眠たい俺のまぶたを刺激する。
もう朝なのか……。
身体中が痛い痛いと悲鳴をあげている。
まあ、仕方ないよな……、
俺は今、ソファで寝ているんだから。
こきこきと凝り固まっている首を鳴らすと、全身を揉みほぐすように腕を回したり、大きくのびをしたりする。未だに眠たい脳からの最後の抵抗なのか、大きなあくびをすると、ソファから立ち上がり、水でも飲むためにキッチンへと向かった。
ここは俺が生活しているマンションの一室。
星光学園には寮がある。一学生が生活するにはマンションなんかよりも寮の方が圧倒的に安いのだが、寮の規則や集団生活が嫌いというか苦手な俺は、学校を卒業後も使える部屋を探し、1人で住むには少し、いやかなり広いが、いい物件を見つけてしまった。
CAの開発者であった俺の親父が特許やらなにやらで残したそこそこの財産があった俺は、どうせ長く住むならばいっそのこと買ってしまおうという発想に至ったというわけだ。
おかげで財産はかなり減ってしまったが、僚友という余計なしがらみもない、念願の一人暮らしに満足していた。
満足していたはずなんだが……、
「おはようございます、シン君」
いきなり転がりこんできたこの突撃娘、神野真姫那のおかげで俺の一人暮らしという平穏は、彼女のタックルで、どこか遠くに突き飛ばされてしまったらしい。
お気に入りらしいチェックのパジャマを着たマキナは、艶のかかった黒髪を可愛らしい水色のシュシュでひとまとめにして、俺の部屋に転がり込んできたときと同じような笑顔で俺に挨拶した。
「ああ……」
「シン君、挨拶は日本人の基本ですよ」
マキナは腰に手を当ててぷんぷんと怒ったような仕草をするのだが、初めてあったときの緊張や戦闘中の気迫が全く感じられないから、全然恐くない。
むしろ可愛い女の子が、そんな可愛い仕草をしたら余計に可愛いだけだ。
「おはよう……これでいいのか?」
「はい」
真っ赤になりそうな顔をごまかすためにそっぽを向きながら挨拶すると、満足したのかマキナはにっこりと笑う。
朝食はパン派の俺と米派のマキナで論争が起きたのだが、米とパンを交互に食べるという形で一応の決着を迎え、じゃんけんで勝ったマキナの米から食べることになった。そして料理は公平に米の日はマキナ、パンの日は俺が作ることになり、現在は制服に着替えたマキナがエプロンをして、何がご機嫌なのだか鼻歌なんて歌いながらキッチンに立っている。
どうして……どうしてこうなったんだ…………。
マキナが料理をしている間、もう既に答えが出ている問答を、無駄なあがきで考えている。
そう、マキナが俺の部屋に来たのは、1週間前前に遡る。
試験を終えた翌日、普段通りに授業をこなし、普段通りに戦争に巻き込まれ、へとへとになりながら、雪のなかを部屋に帰ってきたら、部屋の前に、隣に大きなキャリーケースを置いた神野が頬を膨らませながら、体育座りで待っていた。
「か、神野!? お前、どうしてここに」
「シン君、帰ってくるのが遅いです、女の子を待たせるなんて。あと、私のことはマキナでいいです」
「俺はお前と待ち合わせした覚えはない」
部屋の前で立っていても、他の住人の迷惑になると、後で思えば間違った判断を下してしまった俺は、神野を部屋に入れてしまった。
とりあえず神野は客人ということで、冷蔵庫から取り出した2リットルの緑茶を、何かのキャンペーンで貰った小さめのマグカップに入れて出した。
「まだ2月なのに、冷たいお茶なんて、気が利きませんね」
「飲んでから文句を言うな。それで、どうやって俺の部屋を探しだした」
「シン君の友達だという人に質問したら、即答してくれました、あの人は親切ですね」
何人か候補はいるが、おそらく犯人はあいつ1人に絞り込めるだろう。神野みたいな可愛い女の子から質問されれば簡単に友達を売るようなやつだ。
……他のやつも同じことをしそうだが、まあ、あいつをシメて、犯人が違ければその犯人をシメることにしよう。
「それで、俺に何の用だ? パートナーの件なら昨日断っただろ」
「今日、私がシン君の家にお邪魔したのは、2つの理由があります。1つは、私があなたと組みたい理由を説明するためです」
勢いでパートナー契約を持ちかけてきたのかと思ったら、ちゃんと理由があったのか。
「わかった、理由くらいなら聞いてやろう」
「シン君はこれをご存知ですか?」
そう言って神野は、キャリーケースとは別に持っていた鞄から、教科書を見るのに使うタブレット端末を取り出して、俺に1つの画面を見せる。
「ん? ああ、CAバトルの大会か、それなら俺も知ってるぞ、参加するつもりは無いけどな」
というよりも、学校で全校生徒に周知させようと、全員のタブレット端末にデータを送っていたからな。
レギュレーションは確か1対1か2対2、後は複数人以上での団体戦があったはず。なんでも、今回からは参加条件が緩和されて17歳、つまり高校2年生から参加が認められることになったらしい。
「私は理由があって、どうしてもこの大会のアマチュア部門に参加しなければならないのです」
「その理由ってのは?」
「……教えられません、私にも事情があります」
「じゃあ、この話はなかったことにしろ。ちゃんと理由を話せないやつと組むことなんてできない」
もし、理由を話していても俺はなにかと理由をつけて断っただろう。
CAバトルなんて面倒なことをしたくない。
俺がCAのことを学ぶ学校に入ったのは、CAの操作技能を身につけて、一般企業への就職を有利にするためだ。
「嫌です、シン君にはどうしても私と一緒に大会に出てもらいます。どうしても出たくないというのなら……」
「拷問、買収、色仕掛け、どんな手を使っても俺は大会に参加しないぞ」
「参加すると言ってくれるまで、私はこの部屋で生活します!」
「………………は?」
「あ、もちろん、参加すると言っても一緒にいることになります、部屋は引き払ってきましたから」
「まさか、もう1つの理由ってのは……」
「はい、私に部屋を提供してください。このままでは住む場所がありません」
なんてふざけたことを言いながら、素敵な笑顔を振り撒く神野に、俺は頭を抱えるだけだった。
……というわけで、一方的に部屋に押しかけてきたマキナを部屋に入れてしまった俺が間違いだった。
殴りたい、1週間前の自分をCAを使って全力で殴り飛ばしたい。
だけど、家を引き払ってきたやつを寒空の下に追い出せるほど、俺の肝はすわっていない。
とりあえず、家事手伝いと、俺を大会に誘わないということ、それに早く新しい部屋を見つけるという条件付きで家に入れることにした。
その翌日、私物というには明らかに多い衣服やタンスが宅配で送られてきて、面倒くさくなった俺がCAを使って一気に部屋に運び込んだのは余談だ。
現在、寝室は「女の子を床で寝かせる気ですか」とマキナに占拠されていて、そのために俺はソファで寝ているというわけなのだが、このソファ、なるべく安いもので済ませようとして使い心地を考えていなかったせいで、座るにはちょうどいいのだが、寝るには身体中が痛くなり、足は尺が足らずにはみ出て不適切なものだということが最近わかった。
おかげで朝は全身が痛くてたまらない。
「できました」
マキナが運んできたのは、味噌汁と焼き鮭。
米は前日のうちに、マキナのせいで買うことになった炊飯器にセットしてあるから、朝にスイッチを押すだけだ。
「では、いただきます」
「ああ、いただきます」
慣れない挨拶をして、山盛りになったご飯をかきこむ俺に対して、マキナは男子が食べるには明らかに少ない量のご飯を、まず味噌汁をすすってからゆっくりと口に運ぶ。鮭はまるごと半分くらい一気に食べる俺に、丁寧に身をほぐしてから一欠片ずつ食べるマキナ。
いちいち食べ方が上品なマキナを見てからだと、自分の食べ方がいかに汚いのかを実感できる。
が、直す気はさらさらない。
「ごちそうさま」
「はい、お粗末様でした」
先に食べ終わった俺が挨拶すると、マキナはにっこりと笑顔で返事をする。
「あのさあ、そういう笑顔はなんでもないやつの前ですると勘違いされるぞ」
「何でですか?」
「気があるんじゃないかって」
「気、ですか?」
「好きなんじゃないかって」
マキナは少し考えてから、ぼんっと顔を真っ赤にして、まだ手に持っていた箸をぽろっと落としてしまった。
まあ、何となくだけど、予想通りの反応だ。
「ふ、不潔です! 不純です! 破廉恥ですっ!」
マキナは一言ごとにバンッ! バンッ! とテーブルが割れるんじゃないかって勢いで叩いている。
そのせいでテーブルを叩くたびに食器がぴょんぴょんと跳ねているよ。
こいつ、こういう恋愛関連の話は苦手だよな。
「ほら、早く食べろ」
「わっ、私がシン君をすっすすすすすす好きだなんて、そんなことありません! ありません! 決して! 絶対に! 天地逆転しても! ありません!」
「待て、それ以上言われると俺が傷つく」
皿洗いを済ませる頃にはマキナの機嫌も直っていて、「不潔です」とは言いながらも、普段通りに準備をしていた。
「よし、学校に行くぞ」
「待ってください、まだ準備が……」
「じゃあ、先に行ってるぞ、戸締まりだけしておいてくれ」
「え……ちょっとだけ待ってください、あともう少…………」
洗面所で自分の髪と格闘しているマキナを置いて、俺はさっさと学校に行くことにした。これ以上待っていられるか。
玄関にある下駄箱の上に部屋の鍵を置いて、部屋の扉を閉めた。
バス停でバスを待っていると、マキナが追いついてきた。学校近くまでバスで行くと、そこからは徒歩になる。
うちの学校、都心の西側にあるから西郊学園、それだとそのまんますぎるから星光学園。名付け方が適当すぎるだろ。
2月の半ばで雪はそこそこにふっているからか、結構寒い。
俺もマキナもコートを着て手袋にマフラーをしているが、やっぱり寒いものは寒い。
そして最近の問題は寒いことだけではない。
今まで面識のなかった2人が急に名前で呼び会うくらいに仲良くなり、マキナは俺に近づこうと、俺はマキナの弱味を握って早く部屋から追い出そうと情報を探っていたために、付き合っているのではないかという噂まで出てきてしまった。
恋愛関連の話が苦手なマキナは、気づいていないのか堂々としているし、仮に話したところでまた俺が不潔だ不純だ破廉恥だと罵られるだけなのだろう。
マキナの情報を探っていて、わかったことがいくつかある。
マキナは友達が少ない。
俺と同じクラスの女子生徒にマキナのことを聞いても、返ってくるのは彼女の悪口ばかりで、良くは思われていないらしい。
理由はすぐにわかった。
マキナは美少女だ。正確には美少女が美女に生まれ変わる一歩手前だ。
整った目鼻立ち、まつげもほどよく長く、目も大きい、鼻は主張するほど高くはないが、それでいて顔のバランスを崩していることはない。唇は潤った果実のようにぷるぷるとしていて、アヒルのように分厚くもなく、紙のように薄くもない。
つまり、マキナは男子からは憧れられ、女子からは妬みひがまれる、絶世の美女だということらしい。
そしてマキナは勉強もできる。
ある意味でバカの集まりであるCA学科の中で、飛び抜けて成績が良く、一般学科の生徒に混じって、上位に食い込むらしい。成績も素行も良いマキナは、教員からの評判も良い。
だからこそ余計に同性からの評判は悪く、気に入られないみたいだ。
「シン君、聞いてますか?」
「……ん? ああ悪い、聞いてなかった。で、なんだ?」
「もう、いい加減、放課後の自主練習に付き合ってくださいね?」
「ああ…………あ?」
「今日こそはあのCAでの戦闘をを見せてもらいますから」
ちょっと待て、放課後の自主練だって?
「俺はそんなものをやる気はないぞ」
何度も言うが、俺がCA学科に入ったのは、CAの操作技能を身につけて、就職を有利にするためだ。
できることなら戦いたくない。
「あのなあマキナ、何度も言ってるが、俺は戦う気はないんだ。授業やテストなら仕方なく受けるが、自分からあの戦争に好き好んで巻き込まれるつもりはない」
「どうしてですか? テストのときはあんなに強かったのに」
「あれはCAの性能だ」
「それは嘘です、あんな滅茶苦茶なライフルを積んだCAを、性能任せで動かすことなんてできません」
「あれは本当にCAの性能だ、俺の実力なんかじゃない。マキナ、知らないということを知られることはいいことだ。これでお前の世界がまた少し広がったぞ」
「真面目に答えてください! もういいです。放課後の自主練習、絶対に付き合ってくださいね!」
そんな捨て台詞にも似た言葉を残して、マキナは教室に入っていった。やれやれ、俺は絶対にやる気はないんだけどな。
それから朝のホームルームを受けて、午前の授業になる。
わけのわからない数式やら化学記号を見るのに面倒臭くなった授業中に考えてしまうのはCAのことだ。
俺の持っている2つ目のCA、正式名称『光輝』はCAの開発者である俺の親父から渡されたものだ。最初から俺だけが使うことを前提にした設計で、完全なワンアンドオンリー、唯一無二のCAだ。
しかし、この『光輝』、他のCAには見られない致命的な欠陥がある。それは、すべてのパーツが特注品であるということだ。
親父からは親切にも設計図とともに送られてきたのだが、一度パーツを発注しようとしたときに提示された金額は、小指ほどの部品1つで安いCAならば買えてしまうような金額だった。具体的に言うならば、今では採取も難しいレアメタルを数種類使ったり、特殊な配分の伝導体を使ったりと素人にでもわかるくらい滅茶苦茶な設計だ。
だから、壊れたら替えがきかないから、壊れるたびに規格が似ている部品で間に合わせ、そのたびに全性能が低下している。
今では、あのライフル、メガバスターライフルの威力とあれを保持するだけのパワーを除けば、一般の規格品より少し強い程度だろう。
逆にマキナのCAはかなり優秀だ。
見ただけでもわかるバランスのいい設計に、遠近中揃った武装。マキナの技量と合わさって、どんな局面にも対応できるオールマイティな機体だろう。一品物な俺のCAとは大違いで、使われている部品も規格品が多そうだ。
親父からCAの知識を叩き込まれたおかげで俺はある程度のCAの性能を見抜くことができる。
だから何だと言われればそれまでなのだが、知識自体はあって困るようなことではない。
問題はこの知識、無くても全く困らないということだ。
いくらCAや、それに付随する知識があったところで、実力が伴わなければ無意味なものだ。
そして俺にはその実力が無いから、CAの性能に頼ったような戦いしかできず、一般向けの規格品で戦えば、数少ない戦績もかなり勝率が低い。
午前の授業が終わると、弁当を持ってきていない俺は学食へと向かう。
いつも通り日替わりのA定食を注文すると、出てきたのは代わり映えのないハンバーグと味噌汁のセット。
空いている席を見つけて座って、食べていると、マキナが来て、隣に座って和惣菜の定食をを食べ始めた。
いつもしっしと追い払っているのだが、
「シン君がパートナーになったら考えてもいいです」
なんてことを言いやがる。
どうせパートナーになっても、「パートナーですから当然の権利です」とか言って隣に居座るくせに。
「いよーうマコト! 今日も元気か!?」
なんて俺を呼ぶ声に振り向くと、
「よっ! 神野さんも元気?」
馬鹿っぽそうで軽薄そうな馬鹿が立っていた。この馬鹿は俺の友人で、マキナに俺の部屋を教えた張本人である、宙野叶多だ。
お盆に山盛りになっている惣菜パンをテーブルに乗せて、俺の目の前の席に座った。
「だから俺はシンだ、次マコトって呼んだらCAで、お前のキラキラネームそのまんまに空の彼方に吹き飛ばしてやる」
「キラキラネーム言うな! 名付けた親父と、この名字になったご先祖様に謝れ!」
なんて会話は毎日のことで、俺の名前を間違えて、マコトって呼び方を女子どもに定着させた馬鹿だ。なかにはマキナみたいに、漢字だけを見て名前を勘違いするやつもいるみたいだが、大抵はこの叶多のせいだ。
だけど、その呼び方を鵜呑みにしてマコト君と呼ぶ女子生徒も女子生徒だ。
いい加減俺のことはシンと呼んでほしい。
「……っと挨拶はさておきマコト、今日の放課後の戦争に付き合え」
「嫌だ」
「えー、固いこと言うなよ。俺とお前の仲だろ」
「駄目ですよ宙野君、シン君は私の自主練習に付き合ってもらうんですから」
「そっちもやる気はないからな」
「どうしてですか?」
「何度も言うけど、俺は普通の会社に就職して、普通の生活をしたいんだ。CAバトルなんてできればやりたくないんだって」
マキナには何度目かの、叶多には毎回言っている台詞を、いつも通りに言う。
いつもなら叶多はここで引き下がってくれるのだが、
「今回はなぜか参加率が低いんだよ、だから人手が足りないんだって、戦力は一人でも多い方がいいんだ」
なんて言って引き下がらない。
だが、俺もやる気は全くない。
「そんなこと言うなら、マキナに手伝ってもらえ。マキナの自主練もできて一石二鳥だ」
「それはできないんだよ、今回の相手は女子のグループだからさ、神野さんを巻き込むと面倒なんだよな」
どうせ叶多がいつも通り余計な一言を言ったせいで喧嘩になったのだろう。
だいたい俺が巻き込まれる戦争の原因は叶多だ。
「なら諦めて他をあたってくれ、俺は暇を潰すので忙しいんだ」
「なあ、頼むよ。今度なんか奢るからさ」
「そう言われて奢られたことなんて一回もないぞ」
むしろ、俺が奢っている立場だ。
「今回ばかりはマジなんだ。頼む、この通り」
と言って頭を下げる叶多。
「……嫌だ、俺は戦いたくないんだ」
「そうか。まあ、戦いたくないやつを無理矢理巻き込んだって勝てるわけないか。悪かったな無理強いして」
ようやく諦めた叶多は、意外にあっさりと引き下がった。
最初からそうしてくれよ。
「じゃあ、私の自主練習に付き合ってくれるんですね?」
「それはない」
どうしてそんな発想に至るんだ。
さっき戦いたくないって言ったばかりだろ。
「なあマコト、一回だけでも、練習に付き合ってあげたらどうなんだ? 別に何回も参加しろって無理強いされているわけじゃないんだろ」
「それは、そうだが……」
「いいじゃないか、練習ぐらい。お前たち、付き合っているほど仲がいいんだろ?」
「つっつつつつきあって? 宙野君、不潔です! 不潔です! 破廉恥ですっ!」
声を裏返しながら立ち上がるとバンバンとテーブルを叩くマキナ。叶多の盛ったパンの山が、ビニール袋のすれる音とともに崩れた。
そして、飲み物の入ったコップがぐらぐらと揺れて、中身がこぼれてしまいそうだ。いまだに飲み物がいっぱいに入っているマキナのコップを持ち上げて、安全を確保する。
「うぉっ!? な、なんだなんだ?」
「あー、悪い、マキナはこういう話が苦手なんだ。それと俺たちは付き合っていない」
マキナのせいで注目されてしまい、とても恥ずかしい。
頼むから目立つようなことはしないでくれ。
「そ、そうです。私がシン君と付き合っているなんて……不潔です」
「人を汚物みたいに言うな……っとそろそろ急ぐぞ、昼休みが終わる」
「本当ですね、急がないと」
俺たちCA学科の生徒は、午後の授業はCAを使った実習になる。だから着替えたり、CAのチェックをしたりと結構忙しい。叶多のせいで残ってしまっている昼食をさっさと片付けると、俺たちはCAの準備のために食堂を後にした。
午後の実習はとにかく体力勝負だ。腹筋や腕立てに走り込みのような、基礎的な練習をこの前試験を行ったドームでやった後、CAを使った本格的な練習に入るのだが、この練習、本人の自立を促すためと特に練習メニューは決まっていない。
だから、自然に練習する項目にわかれてグループができあがる。
射撃の練習、格闘の練習、実戦形式での練習。
なかには、楽をしたがるやつらのグループや、ただ話していたい女子のグループもできあがる。
これをCA学科全員がクラスの垣根無くやっていたというのに、俺はマキナに気がつかなかったというのだから、どれほど俺が他人に興味を持たなかったのかがわかる。
そして現在、俺は何をしているのかというと、基礎練習を反復しているところである。戦闘訓練をできるだけやりたくない俺は、バチバチとビームサーベルから火花を散らしている、同じ学科の連中を尻目に、無駄に広いグラウンドをだらだらと走っている。
だらだらとはいっても、監視役の先生はいるために、最初は結構真面目に走っていたのだが、走っていれば自然に体力がついてくるものだから、今では走るのもかなり楽だ。
「たまにはこうやって走るのも気持ちいいですね」
「……ああ、俺はいつも走っているけどな」
隣にマキナがいなければもっと楽なんだけどなあ。何が悲しくて俺はマキナと一緒にいなくちゃならないんだよ。
そしてふんわりとマキナの良い匂いが漂ってきていて自然と顔が熱くなる。だから女の子は苦手なんだ。
「それで、走り込んだら、何をするんですか?」
「別になにも……ただ走って終わりだ」
「駄目ですよ、それじゃあ練習にならないじゃないですか」
「ならなくていいんだよ、別に戦いたくないし」
「あと1周走ったら、大会に向けて練習しましょう」
「嫌だ、だからなんで俺がお前のために大会に出なきゃならないんだ」
「それは……でも、どうしても大会で優勝しなければいけないんです!」
「そうか、それは大変だな。頑張れよ」
そう言ってペースを上げる。
マキナも俺の走る速さに会わせてペースを上げた。
追いつかれたくない俺は更にペースを上げると、マキナもついてくる。
ランニングというよりはダッシュに近い速さまでペースを上げると、よし、マキナを引き離した。
……と思っていたらマキナも更にペースを上げて追いついてきた。
こうなったら無理矢理にでも引き離そうと全力疾走。マキナもガンガンとペースを上げて追い付いてはくるのだが、負けじと地面を蹴る。
それから5周ほど走って、周回数が自分で課したノルマに達したから、一度休憩する。
手を抜くことも一種のスキルだ。
「……お前、これだけで、バテたのか?」
「そういう、シン君も、息が、切れてますよ」
隣で一緒に走っていたマキナは、満身創痍といった感じで、肩で息をしている。
フェンスに引っかけていたタオルをとって、マキナに渡した。
「ほら、それで汗拭けよ」
「あ、ありがとうございます……」
マキナはタオルに顔をうずめて、それから汗を拭き始めた。
…………ん? ちょっと待て、あれは俺のタオルで、それをマキナに渡して、結局洗うのは俺なんだから……、
「少し待ってろ、飲み物を買ってくる」
ヤバい、想像したら顔が真っ赤になりそうだ。そんな気分をごまかしたい俺は、休憩用に置かれている自販機へと向かった。
自販機は簡単な休憩所みたいなところに設置されている。休憩所のドアを開けると、中では女子のグループが楽しそうに話をしていた。
あんまり得意じゃないんだよなあ、この空気に入るのって。
飲み物は基本的に有料だが、冷たい水とスポーツドリンク、それと温かいお茶は無料だ。
マキナが何を飲むかわからない……いや、あいつは米派だったり、和惣菜の定食とか食べていたりしたからお茶か? 後は念のためスポーツドリンクでも買っておいて。
「ねえ、マコト君」
「俺はシンだよ」
やはりというかいつも通りというか、名前を間違えて呼ばれることに定評がある俺は、いつも通りに訂正を入れると、それを返事と受け取ったのか3人の女子のグループは顔を見合わせて、
「私たちのなかで誰が一番可愛いと思う?」
なんて一番返答に困る質問をしてきた。
右側の子は髪をサイドポニーにまとめた、目のぱっちりした幼い感じの子だ。
左側の子は自然な茶髪でどこか外国人風の、大人びた子だ。
真ん中の「私が一番可愛いでしょ」オーラを出している子は、ばっちりメイクをして、まつげを盛って、髪を不自然な金髪に染めている、けばけばしいやつだ。
正直真ん中の子は可愛いを間違えている気がする。
そして、誰を選んでも俺は不評を買うと思う。
「なんでそんなことを聞く?」
「だって私たちのなかで誰が可愛いかって気になるじゃん」
「ねー」
「いや、そもそも可愛いのベクトルが3人とも違うから、比較できないだろ。完全に好みの問題だ」
1名は例外だと頭の中で毒づいた。
そんなことを知ってか知らないでか、3人はぽかんとしている。
「じゃあ、誰かより可愛いかなら?」
「誰かより?」
「例えば、私たちなら神野なんかよりは可愛いみたいに、マコト君は私たちより可愛くない女子の名前を言えばいいの」
それならお安いご用だと言いたいところだけど、言い方が気に入らない。
多分例え話で言ったのだろうが人のことを貶すような言い方は許せない。
「だから比べられないって言ってるだろ。それに比較対象がおかしいだろ」
「なに? マコト君も神野なんかがいいの?」
真ん中の女子が俺を睨みつけるけど、そんなことじゃビビらない。
「そのマキナなんかって言い方は止めた方がいいぞ。可愛くない」
「じゃあどう言えばいいのよ?」
「知るか、自分で考えろ」
自販機から飲み物をとると、その質問に答えを持ち合わせていない俺は逃げるように休憩所を出る。
飲み物を持ってマキナのところに戻る頃には、マキナは息を整え、体育座りで座っていた。
あらためて思うがマキナは可愛い。
自分で自分を可愛いと自慢しないし、一緒に生活していてわかるが作法が綺麗だ。
言葉もたまに一方通行なときがあるが、基本的に丁寧で、嫌みを感じさせない。
まさに名前通り豊かな真の姫だよ。
「……飲み物持ってきたぞ」
「あ……シン君、ありがとうございます」
マキナは一瞬迷ってお茶をとると、一口、その瞳は憂いに満ちているように見えた。
そんなマキナがたまらなく愛おしくなって、それを誤魔化すようにスポーツドリンクを一口飲んだ。
「それ、飲んだらまた走るぞ」
「え? あ、はい」
ぼーっとしているマキナは、少し調子外れに返事をした。
結局、授業が終わるまで走り込んだのだが、その間マキナは終始ぼーっとしていたのだった。