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春爆竹  作者: ゆるゆん。
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しんどい今こそ

すかさず私は女に声をかける。


『あの!こないだ会いましたよねっっ!!』


女は振り向かない。


『トイレで会いましたよねっっっ!!!』


無視。


それどころか凄い速さで遠ざかっていく。


私は萌の手を離し、走って追いかけた。

『あのっ!』思わず女の腕を掴んでしまった。それだけ私も切羽詰まっていた。ずっとこの時を待っていたのだ。チャンスを逃がすわけにはいかない。


やっと振り向いた女と目が合って、私の心臓がドクンと鳴り、嫌な汗が溢れた。

これだ。

歪んだ口元、つり上がった眉。


それでも意を決して、話しかけてみる。

『私…私たち、中身が入れ替わってしまったんです。それで…どうしたらいいか』

女の冷たい表情に、私は困惑した。

それでも藁をも掴む想いだったのだ。

元に、戻りたい。


『それで…なんの御用でしょう』

侮蔑するような目で、やっと言葉を返してくれた。


『離してくださる』

女は強引に掴まれたままの腕を見下げた。


『ごめんなさい!』

女をまた見失ってしまわないか、不安だったが、慌てて腕を離した。

『ママ』後ろから萌も近づいてきた。私は女の腕を離した手で、今度は萌の小さな手を引き寄せた。


『私には、何もできることはありません。助けてもらいたいとか、そういう用事なら、帰って頂戴。』

キッパリと女はそう言い、立ち去ろうとする。


『待ってください!お話だけでも聞いてもらえませんか?』



平日のショッピングモール内のカフェは思いの外混んでいて、隣り合った席の会話までが聞き取れそうな程 狭かった。こんな場所で渋々ついてきた女に入れ替わりの話をするのは躊躇われたが、場所を変えましょうなどと言える訳がない。

『えっと…まず、私は水野桃といいます。この子は娘で、水野萌です。』

隣の席の主婦がチラリとこちらを見た。

小学生の姿の私が母親として話しているのだから、訝しいのは当然だろう。


『私たち、事故に遭って、その後から中身…というか、心が入れ替わってしまったんです。それをあなたは わかってらっしゃるんですよね?』


萌は呆れているのか、女が怖いのか、窓の外を見たきり何も話さない。

私はじっと、女の反応を待った。


萌の視線を追って、窓の外に目をやる。

じっとりと湿った低い雲。遠くの山にも灰色の雲が覆い被さっている。


しばらくの沈黙のあと やっと女が口を開いてくれた。

『私は汀暢子といいます。あのね、水野さん…』

女が小さな溜め息をつく。

『私には、本当に、何もしてあげられることはなにも無いのよ。ただ…』

『わかるだけなの。あなたは子供の姿をしているけれど、中は大人の女性だということが、見える、といいますか、感じるのよ。しかもそれが不安定で今にも粉々に壊れてしまいそうに見えた。その後、こちらの…女性を見て こちらはこちらで見た目はすっかり大人なのに、まだ新しいキラキラしたものを秘めていて、危なっかしくて…まるで少女なのね。こんな不思議ってあるのよね。他にも、色んなものが見えたり感じたりするの。信じないかしらね。妊婦さんはお腹がほんのり黄金色に光っていて、暖かいオレンジ色をまとっていたり、頭から汚れた澱のようなのをかぶって歩いている暗い人もいる。なにか辛いことを背負っているんだなって思うのよ。でもね。わかるだけなの。なにもできないのよ。ごめんなさいね。』

汀暢子さんは悲しそう微笑んだ。

その笑顔は 以前の印象とは全く異なる、優しさに満ちていた。

汀暢子さんは 魔法使いでもなんでもなくて、私たちを戻す術も教えてくれなかったが、わかってくれる人がいた、ただその事実だけでも、私は満足していた。

私の胸の中に安心の暖かい色が広がっていくのを汀暢子さんは見えているだろうか。


お礼を伝え、お店の前で汀暢子さんと別れた。


萌を振り返ると、相変わらず無言で、スタスタと歩いている。表情から伺おうとするが、少し拗ねたような無表情からは何も伝わって来なかった。


疲れた。

わかってくれる人がいたのは嬉しかったが、萌の無表情が 現実は何も変わっていないと訴えかけてくる。

さっき落としてしまったアイスを買い直してあげようかとご機嫌伺いのアイデアが浮かんだが、笑顔でそれを言葉にするパワーが、どうしても沸いてこなかった。


『食材、買って帰るね』

私が、言うと

『本のとこにいるから』

萌が答えた。


萌と離れて やっと肩の力が抜けた。

とりあえず、頭をリセットして、ご飯だ。


野菜をいっぱい食べよう。

旬のアスパラから、パワーをもらおう。


萌とヤスさんの好きなお刺身にしよう。

切るだけだから楽だしね。


あとは作り置きしてあるひじきの煮物、野菜たくさん入れたから、頼りになるんだ。


お風呂もピカピカに洗って ゆーっくり汗をかこう。このあいだ買ってまだ読んでいなかった小説、お風呂で読もうかな。


お腹から少しだけ、ポワ~っと元気が沸いてきた。消えちゃわないように、逃さないように それを味わう。

笑おう。しんどい今こそ、笑おう。


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