戻りたい
萌と私の状況は変わらないまま、また月曜日がやってきた。
小学生のフリも、1人の学校にも、だいぶ慣れてきていた。それでも、これからの事を考えずにはいられない。
家族の事だけではない。
玲央の事だって。
学校には、玲央の姿は無かった。やはり、欠席だ。
『福田さんは、体調が優れないので、しばらくお休みします。』
担任は簡潔に、平静を装って、それだけ伝えた。
しかし子供たちはざわめきだった。
金曜日にあれだけの騒ぎを起こしたのだ、当然だろう。担任同様に、子供たちだって混乱している。
クラスの女子のリーダーだった玲央が、突然錯乱し暴れ出したのだから。
それでも、玲央の心の深い闇に気付くような洞察力は、まだたったの11歳の子供たちには、ない。
驚いたのは、その後だ。
玲央がしばらく休むとわかった途端に、クラスの表情は一変したのだ。
まず、いつもの嫌がらせが全く無くなった。
詩織や美雨は、指示を下す玲央がいなければ何も行動できないのだ。
自分の意志ではなく、他人軸で生きている彼女たちは、軸を失ってフラフラと揺らいでいる。
もっと驚くことに、中休みには彩芽と苺が、私に近づいてきた。
彩芽が、目に涙を溜めて私を見ている。
苺も私と彩芽を交互に見ながら、最初の言葉を探していた。
『なに?』
思いがけず、語調がキツくなった。
自分の言葉の怖さに驚く。
正直、手のひらを返すように態度を変える2人に腹が立っていた。
私のキツい態度に、彩芽も苺も、黙り込んでしまう。
しかしそこで、萌の顔が浮かんだ。そうだ、萌はきっと…仲直り、したいんだよなぁ。
今ここで、くだらない…いや、くだらなくはないよ?ずっとこの何ヶ月か、いじめられてきたんだし。絶対、許せない。でも、その“くだらない”ちっぽけな意地を張ってプライドの為に彩芽と苺を突っぱねるより、素直に受け入れて仲直りする方が、萌の為だよね?
萌なら…そうするよね?
1人でなんか、いたくないよね?
私は改めて、彩芽と苺を見た。
『なに?』
今度はなるべく優しい声で、ゆっくり聞いた。
彩芽の目から、ポロポロ涙が溢れる。
それを見ている私の目からも、また同じように、涙が溢れた。これは私じゃなくて、本当に、萌の涙かもしれなかった。
苺を見ると、彼女も同じように目と鼻を真っ赤にして、泣いていた。
そして、彩芽が言った。
『萌、ごめんなさい…』
小さな小さな声で、しゃくりあげながら。
『ごめんなさい』
苺も続ける。
やはり私は萌じゃないから、ムカついた。
ぶん殴りたかった。なにを今更!ゴメンじゃねーよ!!!ゴメンで済むかバカヤロウ!!殺すぞ!
しかし心のままに罵倒する程バカじゃない。なんたって32歳だから。
代わりに私はこう言った。
『萌…すごい辛い思いしたんだよ。ずっと、苦しんでたんだよ。忘れないでね、自分たちのしたこと。そして、もう、二度と、いじめはしないって、誓って。萌だけじゃなく、他の誰にも、しないって。』萌のフリではなく、私自身の、母親の言葉だった。
彩芽と苺は、泣きながら頷いた。
クラスのみんなも、それをみていた。
もう、充分だ。私と萌の闘いは一段落だ。
しばらく沈黙したあと、
『今日、遊ばない?3人で!私ピアノ休みなの』
苺がまだ赤い目で笑った。げんきんな奴だなぁ。
でも、今度は素直に嬉しく思えた。
『うち来ない?』
私は言った。萌に、仲直りしたことを見せたかったのだ。
2人は頷いて、笑った。
こうして、その日の放課後うちにやってきた彩芽と苺をみて、萌は案の定、玄関で両手で顔を覆って、泣いた。その姿は、いじめられていた娘を持つ母親の安堵の涙に見えただろう。
しかし実際は、一番の当事者の、苦しみから解放された、喜びの涙だった。
萌、良かったね。
良かった。ほんとうに、良かった。
私まで、また涙が滲む。
萌と2人きりなら、思う存分思い切り泣くんだけど、彩芽と苺の手前、ぐっとこらえる。
涙ぐんだ私が照れて笑うと、彩芽と苺も、へへ、と笑う。
その横で、萌も笑う。子供のように泣く、32歳は客観視するとキツい。キツくて、また笑えた。
早く、元に戻りたい。
この、仲直りした宝物のような時間を萌に直に味わってほしい。彩芽の涙を 苺の笑顔を 感じて欲しい。
あの事故から1ヶ月半、初めて私たちは強く強く、戻りたいと願った。




