第三章「信じるという意味」
三章です。
一章では出会い、
二章では価値観の衝突を描いてきましたが、
この三章では「信じる」という選択そのものが、
どれほど重いものなのかを描いています。
優しさは、ときに人を救い、
ときに取り返しのつかない結果を招きます。
直樹とセラフィ、
二人の距離が少し縮まったからこそ起きた出来事を、
見届けていただければと思います。
――12月23日 朝
松下組の事務所は、今日は妙に静かだった。
人の出入りはある。だが、どこか空気が張り詰めている。
俺は兄貴に呼ばれて、奥の部屋に入った。
「座れ」
短く言われ、向かいに腰を下ろす。
兄貴は煙草に火をつけ、しばらく何も言わなかった。
煙が、天井に溜まっていく。
「……昨晩の件だがな」
闇バイトのことだ。
俺は、黙って待った。
「島の外れで、ガキを集めてた件。
お前が預かったんだよな」
「……はい」
一瞬、間が空く。
「勝手なことをしたな」
叱責かと思った。
だが、声は低いままで、荒れてはいない。
「だがな」
兄貴は、灰皿に煙草を押し付けた。
「路上に戻すよりは、マシだ」
その一言に、思わず顔を上げてしまった。
「余計なもん背負う覚悟があるなら、
勝手にしろ」
それだけだった。
俺は深く頭を下げ、部屋を出た。
――兄貴は、わかっている。
俺が、何を背負おうとしているかを。
廊下に出ると、セラフィが肩の辺りで静かに浮かんでいた。
「……今のは、褒められたのでしょうか?」
「さあな」
正直、そう聞こえなくもなかった。
だが、兄貴の言葉は、何かを含んでいたような気がした。
今日もまた、セラフィと借金の取り立てへ向かうため、
車のキーを回した。
「あの、直樹さん」
「あ?」
「直樹さんは、兄貴さんのことがお嫌いなんですか?」
意外な質問に、ハンドルを握りながら少し考えてしまう。
「どうだろうな。
あまり考えたことはなかったが」
「兄貴さんとお話しているときの直樹さん、
いつも緊張しているように見えます」
「怖いっちゃ怖い人なのは、間違いないな」
「では、やはりお嫌いなのですか?」
「好き嫌いっつうか、
俺が唯一頼れる人っつうか……
この世界は、なにかと厳しいからな。
あのくらいの方が、頼りになる」
「信頼している、ということですか?」
「あぁ。
それに俺みたいな、どこに行っても馴染めなかったやつを、
仲間に入れてくれた恩もある」
「馴染めなかった?」
「俺だって、最初から極道だったわけじゃねえよ。
カタギの会社に入って、サラリーマンもやってたさ」
「そうなのですか?」
「でもな、なんつうか……
普通の会社ってやつは、極道よりも冷たいというか、
邪魔になったら、何が何でも排除しようとする」
「そんな……」
「俺から言わせりゃ、
中抜きだの、過労死だのやってるやつらの方が、
よっぽどヤクザな連中さ」
セラフィは、助手席で複雑な表情をしている。
「で、社会から爪弾きにされた俺は、
悪いこともいっぱいやってな。
あるとき、ヤクザにボコボコにされていたところを、
兄貴に助けられて、この道に誘われたってわけだ」
「そうだったんですね……」
「あぁ。
兄貴は厳しい人だけどよ、
邪魔になったから、成果が出なかったからって理由で、
人を排除したりしねぇからな」
「わたし、誤解していました……
直樹さんは、嫌々こんな怖い所にいるのかなって」
少し、嬉しそうだった。
「別に、好きな場所ってわけでもねぇけどな。
セラフィはどうなんだよ。
天使が空から降りてくる話なんて、
聞いたことねぇぞ」
セラフィは、きょとんと不思議そうな顔をしていた。
「ん、どうした?」
「いえ……
今までわたしたちに出会った人たちは、
助けてくれとか、願いを聞いてくれとか、
そういうお話しか聞かなかったので……
わたしたちの身の上を聞く人なんて、いなかったので」
「そうなのか?」
「えぇ。
ちょっと驚いてしまいました。
直樹さんが、あまりわたしを天使として見ていないような……
対等に接してくださるので」
「お前がそれを言うか。
降りてきて付いてきたかと思うと、
仕事の邪魔はするわ、やたら反論するわ」
「そうですね。ごめんなさい」
そう言うセラフィは、少し嬉しそうだった。
「わたしたち天使は、
人間たちと関わることを禁じられております。
それは、人の自立を促す為です」
「何かあると、すぐ神頼みするようになるってか?」
「はい。
その甲斐もあって、人間たちは次第に文明を築き、
神の力を、あてにしなくなっていきました」
「大昔のシャーマンみたいなもんか。
今でも神社はあるけどな」
「しかし、それでも社会から外れ、
苦しみから逃れられない人は、必ず出てきます」
「それは、関わってもいい人なのか?」
「いえ。
特例的に、この季節になると、
厳しい試験をクリアした、優秀な天使だけが、
人間に関与することを許されるのです。
それは、とても名誉なことなんですよ?」
「お前、そんなにエリートだったのか?」
「夢だったんです。
幼い頃に、偶然人と会ったことがあり、
もう一度、関わってみたいって」
「その“もう一度”が、
こんなヤクザで済まなかったな」
そうこうしているうちに、
車は取り立て先へと到着した。
その夜、一本の連絡が入った。
嫌な噂というのは、いつも回り方が早い。
別の島で、闇バイトが出回っている。
しかも、バックにいるのは――俺だという。
「……ふざけんな」
事務所で話を聞いた瞬間、思わず声が低くなった。
俺がそんなことをする理由はない。
だが、理由がないからといって、
疑いが晴れる世界でもない。
島をまたいで金が動く。
ガキが使われている。
話の筋だけ聞けば、確かに俺の名前は都合がいい。
外に出ると、セラフィが静かに俺を見ていた。
「直樹さん」
「ああ」
短く返す。
「その話……
もしかすると、この間、助けた方と関係があるかもしれません」
足が止まった。
「どういう意味だ」
「あの方、別の地域の子供たちにも、
同じように寝床と食事を与えている、と」
あのオジサンの顔が浮かぶ。
「……確認する」
早速、雑居ビルまで行き、問い詰めた。
オジサンは、否定しなかった。
「確かに、他の地域のガキも面倒みてる」
「闇バイトの噂が出てる」
「知ってる」
あっさりとした返事だった。
「だがな、あいつらを路上に戻せってのか?」
「ガキは、もう使わねえって言ったよな。
しかも、取引に俺の名前まで使ってよ」
セラフィが、またも後ろから口を差し込む。
「直樹さん、この方は、
嘘を言っていません」
「セラフィ」
制するが、止まらない。
「この方は、
自分が傷つくことを承知で、
子供たちを守ろうとしています」
俺は、思わず声を荒げた。
「守るためだからと、
ガキを危ない目に合わせていい理由になるか!」
「では、見捨てるのが正しいのですか!」
セラフィも、引かなかった。
「直樹さんは、
“間違うかもしれない善意”より、
“確実に切り捨てる現実”を選ぶんですか!」
「……!」
「信じた結果、裏切られるのが怖いだけではありませんか!」
胸の奥を、抉られた気がした。
「怖ぇに決まってるだろ」
吐き捨てるように言う。
「信じた結果、誰が責任を取る。
俺だ。
お前じゃない」
「だからです」
セラフィは、はっきりと言った。
「だから、信じる覚悟を持つべきなんです」
言葉が、重かった。
しばらく、沈黙が落ちる。
オジサンは、何も言わず俯いている。
……俺が、決めるしかない。
「……今回は引く」
そう言ったのは、俺だった。
「だが、何かあったら――」
「その時は、私も責任を負います」
即答だった。
その言葉を、俺は信じた。
――信じてしまった。
結果は、最悪だった。
そのすぐ後だ。
オジサンは裏で、薬の運びにも子供たちを使い、
とある事務所へ連れて行かれたという連絡が入った。
「……やられた」
頭が冷えた。
俺とセラフィは、事務所へ向かった。
松下組の者だと伝えると、奥の部屋へと通される。
扉を開けた瞬間、空気が変わる。
そこには、縛られている子供たち。
そして、既にボコボコにされ、
床に転がっているオジサンの姿があった。
「お前が、こいつらのケツ持ちか?
うちの島で、ずいぶんなことを
してくれたじゃねぇか」
低い声。
「すんません。
子供たちだけでも、返してやってくれませんか」
俺は、震える手で頭を床につけた。
「謝って済むわけねぇだろうが、ゴラァ!」
次の瞬間、日本刀が抜かれた。
反射的に身構える。
だが、刃が振り下ろされる寸前――
空気が、歪んだ。
セラフィが前に出て、
不思議な力で刃を止めていた。
「……やめてください」
震える声だった。
「ここが、どこかわかってんのか」
聞き覚えのある声が、背後からした。
振り返る。
兄貴が、立っていた。
「……兄貴?」
「ここは、親組織の事務所だ」
血の気が引いた。
全部、繋がった。
「直樹」
兄貴は、俺を見て言った。
「余計なこと、したな」
俺は、一歩前に出る。
「俺が責任を――」
「もういい」
兄貴は、それを遮った。
後で聞いた。
兄貴は、こう言ったらしい。
『俺の若いのが、勝手した』
俺の名前は、出なかった。
夜道を歩く。
セラフィは、完全に俯いていた。
「……私が」
か細い声。
「私が、信じるべきだと言ったから……」
俺は立ち止まり、空を見上げる。
「信じるってのはな」
静かに言う。
「選んだやつが、
全部引き受けるってことだ」
セラフィは、何も言えなかった。
白い翼が、わずかに震えている。
兄貴は、また俺を守った。
その事実だけが、
胸の奥に重く残った。
――第三章 完。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
第三章は、
「善意は正しいのか」
「信じるとはどういう責任を伴うのか」
というテーマを、少し強めに描きました。
セラフィは間違えました。
直樹も、間違えました。
そして、その代償を払ったのは、
一番守りたかったはずの人でした。
この出来事は、
この先の物語に大きく影を落とします。
次章では、
直樹が背負わされたもの、
セラフィが初めて知る“後悔”を描いていく予定です。
引き続き、お付き合いいただければ幸いです。




