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第一章「その夜、俺は天使と出会った」

※本作には、暴力表現や人の弱さを描写する場面が含まれます。

※苦手な方はご注意ください。


これは、

救いを信じられなくなった男と、

救い方を知らない天使の物語です。

挿絵(By みてみん)


――12月21日 夜


 松下組の事務所は、相変わらず空気が重かった。


 俺の名は藤田直樹。

 見ての通りの、ヤクザの下っ端だ。


 そして今、土下座に近い姿勢で頭を下げている。


「……すんません」


 返事はない。


 次の瞬間、鈍い音がして、視界が揺れた。


「だから言ってんだろうがっ。

 ナメられてんだ、バカヤロォ」


 頬が熱い。

 口の中に、血の味が広がる。


「金を回収できませんでした、で済むと思ってんのか?」


 俺は何も言えなかった。

 言い訳はいくらでもあったが、どれも自分でも納得できない。


「……すんません」


 それだけを、繰り返す。


「次はミスすんなよ。

 あと一件、今日中に行ってこいや……」


「へい……次は必ず」


 それが“温情”なのは、わかっていた。


 事務所を出ると、街はやけに明るかった。


 イルミネーションが通りを埋め尽くし、

 ジングルベルがそこら中に流れ、

 笑い声があちこちから聞こえてくる。


 クリスマスシーズン一色だった。


 家族連れが、横を通り過ぎる。


「サンタさん、くるかな?」


「いい子にしてたら来るよ」


 その会話が、耳に残る。


 俺は一瞬だけ立ち止まり、

 すぐに視線を逸らした。


……何やってんだ、俺。


 血の味が残る奥歯を、ぐっと噛み締める。


 昔、自分もそんなことを言っていた気がする。

 俺はいつから、こんなところにいるんだ。


 路地裏に入る。


 急に、街の音が遠くなる。


 今夜はもう一件、借金の取り立てへ行くことになった。

 当然、またゴネるやつだ。嫌な役回りだよな。


 まぁ、すんなり返すやつなら、

 俺らが行くこともないか。


「あぁ、今夜も冷えるな……」


 タバコを咥え、ライターを点ける。


 火がつかない。

 もう一度、回す。


「……クソ」


 やっと火がついた。

 だが、その瞬間。


 空気が変わった。


 冷たく汚い路地裏が、

 清く、暖かい光に包まれていく。


「……なんだ?」


 眩しいビルの間を見上げる。


 空から、光が降りてくる。


 それは人の形をしていた。

 だが、人じゃない。


 大きな鳥のような翼を広げ、

 ゆっくりと降りてきた。


「……は?」


 足がすくむ。


 俺は後退り、

 ビルの壁へと座り込んでしまう。


 逆光でおぼろげにしか見えないが、

 女性の姿をしたそれは、

 怯える俺の顔を覗き込むと、

 翼をたたみながら人の言葉を口にした。


「藤田直樹さんですね?」


 声は、やけに落ち着いていた。


「恐れないでください。

 私は、あなたに危害を加える存在ではありません」


「……なんだよ、それ……

 幽霊か? 薬か?

 俺、もう殴られすぎて頭おかしくなったか?」


 女性の姿をした光は、

 胸の前で手を組む。


「私は天界より遣わされました。

 あなたの精神的負荷が、規定値を超えています」


「……意味わかんねぇ」


「簡単に言うと、

 あなたは今、とても苦しんでいます。

 私は、そんなあなたを救いに来ました」


 固まった口元が緩み、

 笑っちまいそうになった。


「……なんなんだ?」


 俺は立ち上がり、ズボンの埃を払う。

 何事もなかったように、女の横を通り過ぎた。


 くだらねぇ。

 こった演出のキャッチセールスか、

 それとも宗教の勧誘か。


 一瞬でも驚いた自分が、

 馬鹿みたいに思えてきた。


「ついてくんなよ」


 後ろも振り向かず、追い返す。


「あなたの心を救うまで帰れません」


「なんだそれ……」


 翼のついた女は、

 俺の後ろを付かず離れずで付いて来る。


 無視して、取り立て先へと急ぐことにした。


 小一時間歩き、次の回収先へ着く。

 古いアパートだった。


 102号室。

 ここか……。


 ドアを叩く。


「おい、開けろよ。

 いるのはわかってんだ!」


 扉が少しだけ開き、

 チェーンの隙間から、みすぼらしい男が覗く。


 出てきた男は、怯えた顔をしていた。


「……す、すみません……今は……」


「とっとと開けろよ、バカヤロォ!」


 チェーンを外させ、

 勢いよく扉を開ける。


 土足のまま中へ踏み込んだ。


 中には、パジャマ姿の女房と、

 幼い子供が部屋の隅で震えていた。


「返済日はとっくに過ぎてるよな?

 なんで返さねえんだ?」


 突き飛ばし、床に倒れた男の目の前へ顔を近づけ、怒鳴る。


「来月、来月にはお金が入るんです。

 そ、それまで待ってください」


「言い訳はいい。

 今日返すって約束したよな、あぁ?」


 男は、震えている。


「すみません……いま、手持ちがなくて」


「手持ち?

 ふざけたこと言ってんじゃねえぞ、コラァ!」


 男の髪の毛を掴み、

 押し入れの戸へ突き飛ばす。


 大きな音を立てて倒れ込むと、

 子供の悲鳴も上がった。


「返す気なんて、さらさらねぇんだよな!?」


 頭を抱えた男を追い込み、

 勢いよく踏みつけようとする。


 そのとき。


 背中に、柔らかい感触が触れた。

 腕が回される。


挿絵(By みてみん)


 強くはない。

 だが、離れられない。


「……やめてください

 直樹さん」


 蹴り込む靴を、

 男の顔面の一歩手前で止めた。


 不思議と、力が入らなくなった。


「あ?……なんだよ」


 翼の女が、必死に懇願する。


「その方は、とても恐れています。

 どうか、暴力は……」


 俺は小さく舌打ちする。


「甘ぇんだよ」


 男に背を向け、引き返すことにした。


「……」


 何が起きたのかわからない風に、

 男は見上げ、何度も頭を下げた。


「……金、すぐに用意しとけよ」


 それだけ言って、部屋を出る。


「なに邪魔してんだよ」


 路地を歩きながら、吐き捨てる。


「あの方は、お金を持っていないと言っていました。

 なのに、あなたは暴力を振るったではありませんか」


「あんな言葉を信じてるのかよ」


「えっ?」


 謎の女に詰め寄る。


 壁に押さえつけ、

 人差し指を顔に突きつけながら、

 邪魔をした理由を問いただす。


「お前、名前は?」


「セラフィと申します」


「セラフィ?

 源氏名か何かか?」


「源氏名?

 なんですか?」


 セラフィと名乗る、欧米風の外国人。

 日本語は流暢に話す。


 顔立ちは美しく、

 柔らかい物腰で受け答えをする。


「オメェ、なに者だ?」


「……天使です」


「……」


 こいつ、頭は大丈夫か?

 春先には、まだ早いぞ。


「っで、何か?

 その天使さまは、

 あいつが金を持ってないって言ってたから、

 それを信じて、俺の邪魔をしたってわけか?」


「はい。

 あの方は、そう主張しておりました。

 それなのに、暴力を振るっても、

 なにも解決いたしません」


 あぁ、なんか暖簾に腕押しというか、

 自分でも、なぜこんな無意味なことをしているのか、

 わからなくなってきた。


「いいか、セラフィさんよぉ。

 あんたは、何もわかっちゃいねぇ。

 見てただろ。

 ああいう奴ほど、平気で踏み倒すんだよ」


「そんな……

 嘘をついていたと言うのですか?」


「見ろよ……」


 俺は、帰らなかった。


 少し離れた場所で、アパートを見張っていると、

 先程の男が、部屋から出てきた。


「こんな時間から、

 お金を用意しに行くのでしょうか?」


「んなわけ、ねぇだろ」


 男を尾行する。


 しばらく歩くと、

 男はパチンコ店に入っていった。


「……やっぱりな」


「ここは、なんですか?」


「知らねぇのかよ。

 言ってみりゃ、賭博場だ」


「賭博場?

 でも、あの方は先程、

 お金はないと……」


 すぐに男を追って、店へ入る。

 セラフィも一緒だ。


 そして、ATMの前で、

 男が金を下ろそうとした瞬間、

 俺は後ろから肩を掴んだ。


「おい、こんなとこで何してんだ?

 あ?」


 男は凍りつく。


「金はねぇって言ってたよな。

 なのに、パチンコたぁ……

 言ってることと、やってることが違わねえじゃねぇか?」


 派手な暴力は使わない。

 短い言葉と、低い声。


「そんな……

 さっきまで、

 嘘をつくような色はしていなかったのに」


 セラフィは、驚きを隠せなかった。


 結果として、金は回収された。


 帰り道。


 セラフィは、少し俯いていた。


「……私の判断は、間違っていましたか?」


 俺は即答しない。


「……なんで、

 あんなやつの言うことを信じたんだ?」


 しばらく歩いてから、言う。


「元来、悪人なんておりません。

 神がお作りになられた人が、

 不必要に嘘をつくなど、

 ありえないことです」


「……」


 あまりにも予想外の回答に、言葉を失った。


「お前、本当に天使なのか?」


「はい。

 そう、何度も申し上げております」


 ふかふかの翼に触れる。


 作り物かと思ったが、

 あまりにもリアルで、暖かい。


「あまり触らないでいただけますか?」


 不愉快そうだ。


 てっきり、頭のおかしい地雷女が

 コスプレしているのかと思ったが、

 本当に天使なのか。


「その天使さまは、

 今まで人間に関わったことは?」


「ありません。

 むやみに人間界へ干渉することは、

 禁じられておりますので」


 街灯の下、

 腕を組みながら説明を続ける。


「いいか。

 人間ってのはな、あんな感じのクズが大半だ。

 俺だって、大して変わらない。

 クズは、平気で嘘もつくし、

 暴力も振るう」


 セラフィは、小さく息を吐く。


「……とても、苦しい世界ですね」


 俺は、空を見上げる。


「天使さまは、

 ちと世間を知らなすぎるんじゃねぇの?

 これが現実だ。

 幻滅したなら、

 さっさと天界へ帰った方がいい」


「いえ。

 それならば、なおのこと、

 直樹さんの心を救うまで帰れません!」


「そうかい。

 勝手にしろ……」


 遠くで、クリスマスの音楽が流れている。


……苦しいのは、今に始まったことじゃねぇ。


 それでも――

 なぜか今日は、

 いつもより、胸が重かった。


――第一章 完。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


第一章は、

直樹とセラフィが出会い、

互いの「常識」が初めてぶつかる夜を描きました。


正しさは、立場によって簡単に変わります。

善意が、必ずしも人を救うとは限りません。


次章では、

セラフィの判断が“正しかった”ケースを描きながら、

二人の距離が少しだけ変わっていきます。


よろしければ、引き続きお付き合いください。

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