【5】侯爵閣下の献身
……想像してみてほしい。
死んだはずの自分が、想定外の目覚めを迎えたその先の日々を――。
と言っても、目覚めた直後の数日間のことはほとんど覚えていない。ひどくだるくて、頭がぼんやりしていることが多かった。それでも日が経つにつれて、意識がしっかりしてきた気がする。
「シスター・エルダ。今日はあなたの身の回りの世話をしている侍女たちを紹介しようと思います」
ある日、レイ――もとい、ラファエル・アルシュバーン侯爵閣下が私にそう伝えてきた。
彼が呼び鈴を鳴らすと、二十歳前後と思しき3人の侍女が入室してきた。――彼女たちの顔を見て、私はハッとした。
真ん中に立っているのは、しとやかに輝く栗毛を結い上げた、凛としたたたずまいの侍女。
右側は黒髪を肩の長さで揃えた、おっとりと愛らしい雰囲気の侍女。
左側は淡い藤色を帯びた銀髪の、艶のある面立ちの侍女。
(ミモザ!? それにアニスとローゼル!?)
間違いない。この3人は、かつてミリュレー修道院でともに暮らした子どもたちだ。
うやうやしく礼をしていた3人は、顔を上げるとキラキラと目を輝かせて笑顔を咲かせた。
「シスターが起きてくださるのを、私たち毎日ずっと楽しみにしていました!」
「目覚めてくれて嬉しいです、シスター・エルダ!!」
「これからもよろしくお願いします!」
私は「皆!」と叫ぼうとした。けれど喉に力が入らず、呻きみたいな声しか出ない。
そんな私を気遣うように、ラファエル様は優しい声で説明してくれた。
「驚きましたか、シスター。実はミリュレー修道院から、8年前にミモザ達を引き抜いていたんです。あなたが眠っている間、毎日の身の回りの世話を彼女達に頼んでいました。これからも引き続き、この3人が担当します。あなたも、なじみのある者に頼むほうが安心できるでしょう?」
「……あ、りぁ、……」
ありがとう。と言いたかった。上手に喋れないのがもどかしかったけれど、皆は理解してくれたようだ。嬉しすぎて涙が止まらなくなってしまった私の目尻を、ラファエル様がそっと拭ってくれた。
(本当にこれ、夢じゃないの……!? 子どもたちの立派に育った姿を見られるなんて!)
夢ならどうか、覚めないで――。祈るような気持ちで、私は小さく震えていた。そんな私の手をしっかり握り、ラファエル様が囁いた。
「シスター。これから少しずつリハビリをしていきましょう。訓練すれば、必ず元通りになれます。一緒にがんばりましょう」
私は彼を見つめ返し、微かな声で「は、い」と応えた。
*
こうして私のリハビリ生活が始まった。
「エルダ様は昏睡から快復されたばかりですので、無理なくリハビリを進めて参りましょう。まずは健康的な時間の流れに沿って生活し、体のリズムを整えることが大切です」
と、ドクター・ピーナが言っていた。
ということで規則正しい生活をすることになったのだが、私はまだ身動きさえ満足にできない状態だ。だから、朝はミモザ達が定刻に起床させて身だしなみを整えてくれ、夜には濡れたタオルで体を清めた後で寝衣に着替えさせてくれる。
お世話をされる暮らしは、まるで赤ちゃんのようで……あるいは介護を受けるお年寄りのようで、どうしても恥ずかしくなってしまう。
今もまた、朝の着替えを侍女3人がしてくれているところだ。私は顔を赤くしながら、されるがままになっていた。
「シスター、今日も顔が真っ赤ですよ? お熱はないみたいだし、……やっぱり恥ずかしいんですか?」
私がばつの悪い顔で小さく頷くと、侍女たちは笑っていた。
「恥ずかしがらなくていいのに」
「そうそう! もっと気楽にしてください」
まあ、すでに何年もお世話され続けていたわけだから、今さらといえば今さらなのかもしれないけれど。
(……それにしても、昏睡のままで10年も生きられたなんて。新大陸の新技術って、本当にすごいのね)
ふと、ベッドサイドに据え付けられている大きな機器――生命維持装置に視線を馳せつつ私は思った。
私の手足や体の各所には、チューブが接続されている。そのチューブは生命維持装置へとつながっており、この機器のおかげで私の命は保たれていたそうだ。新大陸の最新技術を搭載した超高性能装置だそうで、……お値段は知らないけれど国家予算レベルの代物なのではないかと私は予想している。
(昔は『機械を使っても5年が限界』と言われていたけれど。私が昏睡の間に、すごいものが開発されていたのね。……10年も寝ていた割には筋肉の衰えが少ないのも、この機械のおかげらしいし)
ちなみに筋肉だけではなく、容姿もそこまで衰えてはいない。
私は30代手前のはずだけれど、鏡に映る自分の顔は実年齢より5歳くらいは若く見える。この生命維持装置のおかげで、代謝が落ちて老化抑制効果が働いていたそうだ。クマの冬眠みたいなものだと、ドクター・ピーナが言っていた……。
(ほんと、時代って進むものなのねぇ。って、なにお年寄りみたいなこと考えているの、私ったら……)
私がげんなりしていると、
「おはようございます、シスター・エルダ」
男の人の美声が響いて、ハッとした。私の着替えを済ませた後、侍女たちがラファエル様を呼んだのだ。私が目覚めてから毎日、ラファエル様は一緒にいる時間をたくさん取ってくれている。
「顔色が良いですね。今日のあなたも、とても美しいですよ」
ラファエル様はベッドの脇に腰かけると、艶のある笑みを浮かべて私の頬を撫でてきた。
(またまた、そんなお上手なことを……)
ラファエル様は毎日、息をするのと同じくらいの頻度でこまめに褒めてくれる。きっと私を気遣って、元気づけてくれようとしているに違いない。親孝行な若者に育ってくれて、本当に感謝しかない。
(ラファエル様を心配させないためにも、しっかりリハビリをがんばらなきゃ!)
この人には、一生かけても返しきれない大きな借りを作ってしまった。侯爵家の莫大な資金を投じて目覚めさせてくれたというだけでも大変なことなのに、ラファエル様への借りは現在進行形で増大し続けている。
(これ以上ご迷惑をかけないためにも、一刻も早くこの状態から抜け出さなくちゃ。よし。リハビリ、がんばるぞ!)