【24】最高のサプライズ
外出から戻ると、侍女たちが出迎えてくれた。
「お帰りなさい。ラファエル様、エルダ様。お誕生日パーティの時間まで、ゆっくりお休みくださいね」
自室でひとり休憩する時間を挟んで、夕食どきになったら侍女たちが迎えにきた。通されたダイニングでは、華やかなお誕生日パーティの準備が整っていた。
席についていたレイが、朗らかな笑みを浮かべて立ち上がる。
「ようこそ、エルダ」
「ありがとう、レイ。でも、こんなにしてもらって何とお礼を言えばいいか……」
「今日はエルダの特別な日ですから。10年ぶりの誕生日パーティを、私も楽しみにしていました」
レイは微笑しながら私の手を取って、テーブルへと導いてくれた。
「あら? どうしてお屋敷の中でも手袋をしているの?」
外出時に着けていた手袋をレイがいまだにしていたから、私はレイにそう尋ねた。礼装は別だが、屋内で手袋を着用するのは珍しい。
「最近は、貴族男性の間で手袋の着用が流行っているんですよ」
さらりとレイはそう答えた。
「そうなのね。……私ったらすっかり世間に疎くなってしまって、なんだか恥ずかしいわ」
「気にすることではありませんよ。さあ、食事を楽しみましょう」
豪勢なディナーの並んだテーブルを二人で囲む。胸がじんわり熱くなり、幸せを噛みしめていた。
ミモザたち3人の給仕はとてもスマートで、思わず見惚れてしまうくらいだ。それに、レイと今日の思い出を話すのも楽しい。夢見心地のうちにディナーは進み、やがてデザートまで味わい終わった。
すると、レイがすっと立ち上がって私の前までやって来た。ひざまずき、優しい笑みを咲かせてベルベットの小箱を取り出す。
「誕生日のお祝いです。エルダ」
「嬉しいけれど、貰えないわ。ジュエリーサロンでも、すてきな指輪をいただいたもの」
「あれは外出先でのお土産です。誕生日の祝いは、こちらなので」
戸惑いながらも、私はそれを受け取った。視線で優しく促され、小箱の蓋を静かに開ける。
金細工のネックレスが入っていた。
アメジストとガーネットの二つの石が、絡み合う蔦飾りのなかで睦び合うように輝いている。
「今日のために特別に造らせたものです」
「ありがとう。……アメジストは、あなたの瞳の色と同じね」
するとガーネットはもしかして、私の赤い髪だろうか? そんなふうに思った瞬間、つい表情が曇ってしまった。彼の色と私の色が交わるようなデザインは、何らかの気持ちを象徴しているような気がする。
……受け取ってしまったら、ダメな物ではないだろうか? 大きすぎるその優しさを、貰ってしまえば婚約者を傷つけることになりはしないか……私が躊躇していると、レイは何気ない口調で説明を添えた。
「ああ。その二つの石は健康への祈りを込めて選びました」
「健康への祈り?」
「ええ。新大陸では、アメジストは穢れを祓い、ガーネットは血液の巡りを高めて病を癒すと信じられているそうです。だから私は、エルダの健康を願ってふたつの石を選びました」
「……そうなの」
勝手にいろいろ憶測してしまい、恥ずかしくなってきた。そういうことなら、素直に受け取っておこう。
「ありがとう、レイ……」
「着けてさしあげますね」
そう言うと、彼はネックレスを取って私の後ろに立った。首の後ろに体温を感じ、耳まで熱くなってしまう――こんなに熱かったら、真っ赤な耳を見られてしまうのではないか。そんな心配をしているうちに、首元には二つ石のネックレスが飾られていた。
……とても綺麗。私にはもったいないような、すてきな贈り物だと思う。
「やっと渡せた」
ふっと小さな息を吐きだし、レイは安堵したように笑っていた。
「10年前の誕生日には、渡すことができませんでしたからね」
そうだ。あの日、レイが用意してくれたプレゼントを受け取る直前、私は昏睡に陥ってしまった。
何の前触れもなく訪れた別れに、レイはどれほど傷ついただろうか。あのときレイの気持ちを思うと、胸が痛む。
「……10年前、レイは何をくれるつもりだったの?」
「今思えば、子供だましの安物ですよ。しかし当時は、それが精一杯でした」
「欲しかったな」
ぽつりとつぶやくと、レイは切なげに微笑した。
「……ありますよ」
「え?」
「あなたに渡せなかったあの小箱を、10年経った今も持っているんです。未練がましいと、我ながら笑ってしまいますが」
甘えるような声で、彼は尋ねてきた。
「僕に、あの日をやり直させてくれますか? ……シスター」
――ほしい。私はこくりとうなずいていた。
レイはダイニングから一度出て、小箱を持って戻ってきた。あのラッピングには見覚えがある。10年前の誕生日に貰おうとしたプレゼントだ。
胸が、どきどきと早鐘を打つ。
私は立ち上がって、彼の前に立った。10年前に戻ったような、ふしぎな高揚感に包まれる。あの日は私のほうが背が高かったのに、今ではレイのほうが上だ。でも、あの日と同じ甘えん坊のレイが、すぐ目の前に立っている。
「お誕生日おめでとうございます、シスター」
「ありがとう。レイ」
ドキドキしながら、ラッピングを解いていく。小箱の中には、紫色のガラス玉が嵌った指輪が入っていた。孤児だった彼が、一生懸命お金を貯めて、私に選んでくれたもの。
うれしくて、手が震える。
「……うれしい。すごく」
幸せが込みあげて、目から涙がこぼれそうになる。失われたあの頃が、胸の中に蘇ってきた。
「大事にするね……レイのプレゼント、私、ずっと大切にする」
指輪を大事に撫でながら、私は幸せをかみしめていた。
そんな私を、レイは瞬きもせずに見つめていた。でも、やがて――。
「実はまだ、取っておきのサプライズプレゼントがあるんです」
彼はおもむろに呼び鈴を鳴らした。
これ以上、何をくれるというのだろう。これ以上はもう本当に――
「え?」
ダイニングに入ってきたのは、二十歳前後の男女が十数名。
屋敷で働いている人たちのようで、メイドや料理人、庭師や執事、騎士までもがそこにいる。そしてミモザとローゼル、アニスとバーネットも彼らと一緒に一列に並んだ。
笑顔を輝かせる彼らを見て、私は目を見開いていた。
――知っている顔だ。このメイドも、この料理人も騎士も庭師も執事も。全員……知ってる…………!
「シスター!」
「シスター・エルダ」
彼らは口々に私を『シスター』と呼んだ。この人たちは……。
「みんな……!?」
孤児院で共に暮らした孤児たちだ。レイも含めて13人、全員が目の前にいる。
私の目から、ぽろりと涙が一粒こぼれた。
「みんな、どうして!?」
かつて子どもだった彼らは、私を囲んでわいわいと声を弾ませた。
「俺たちみんな、アルシュバーン侯爵家に仕えてるんだ」
「おれ、庭師になったよ」
「わたしはメイドです!」
「俺は騎士になりました」
あぁ……これは夢ではないだろうか?
「シスター。……私たちのこと、覚えてる?」
「もちろんよ、絶対に忘れたりしないわ!」
それから私は、一人一人を見つめて名前を呼んでいった。フェンネル、リンデン、マートル、セージ、ミモザ、アニス、ローゼル、バーネット、タンジー、ローズマリー、ホップ、ネトル、……そしてレイ。全員、私の大事な子。
「みんな! どうしてこれまで姿を見せてくれなかったの!?」
私が声を裏返らせると、みんなは意味ありげな顔をして一点を見つめた。彼らの視点を集めているのは、レイだった。
「私が、……そうするように頼んだんです」
「レイが? どうして?」
少し気恥ずかしそうな顔で、レイは肩をすくめていた。
「エルダを驚かせたかったからです。だから、時期が来るまで内緒にすると決めました。身の回りの世話役として、侍女3人だけは早々に顔合わせしましたが」
ミモザたち侍女3人組が「はーい」と手を上げて笑っている。隣にいたセージが、不満そうに唇を尖らせていた。
「お前らばかり先にシスターに会えて、ずるいぞ。俺らもシスターに会いたくてたまらなかったんだからな」
「良いじゃないの。こうやってサプライズプレゼントができたんだから」
「驚いてくれましたか、シスター? …………シスター?」
返事がなかなかできなかった。本当に、涙が止まらなくなっていたから。
「最高の……プレゼントよ……」
嗚咽しそうになりながら、私は笑顔でレイに尋ねた。
「もしかして、レイが皆に働き口を用意してくれたの?」
レイは、なぜか言葉を選ぶような顔で沈黙してしまった。12人の仲間たちが、ニヤニヤした目でレイを見ている。
「働き口を提供したと言うのは、半分正解で半分ハズレです。私から彼らに助けを求めたのが、雇うきっかけでしたから」
「助けを?」
「ええ。侯爵家の当主交代を目指すに当たり、私には頼れる味方がいませんでした。だからミリュレー修道院の彼らに助力を求めたのです」
複雑そうな顔をして、レイが口元を綻ばせている。
私が眠りについた後、レイは孤独にならずに仲間と協力し合って生きてきたーーその事実を聞けただけでも、私はとてもうれしかった。
「立派になったあなたたちを見たら、きっと天国のマザー・グレンナも喜んでくれるわね」
私が笑顔でそう言うと、レイも皆も怪訝そうな表情になった。
「マザー・グレンナが、天国へ?」
「……どうしてみんな、そんな不思議そうな顔をするの?」
私、何か変なことを言っただろうか。
「まさかみんな、マザー・グレンナは天国じゃなくて地獄行きだと思っているんじゃないでしょうね……。さすがに失礼よ。あの人が意外といい人なのは、皆も良く知ってるでしょう?」
「いや。というか、ええと……」
皆、なにやら言いたげな顔である。
「誰が死んだって!? この小娘が!」
懐かしいしわがれ声が、耳朶を打つ。驚いてダイニングの入り口をふり返ると――
「マザー・グレンナ!?」
タキシードスタイルの執事服を着た老婆が、颯爽と歩み寄ってきた。
「古臭い名前で呼ぶんじゃないよ。今のあたしはスチュワード・グレンナさ」
「家令!?」
私が声を裏返らせると、レイが説明してくれた。
「グレンナには当家の家令として、普段は所領の管理を任せています。常軌を逸した高給取りですが、執務能力は確かですから」
「なんで……だって、マザー・グレンナは亡くなったって、ミモザたちが……!」
「「「へ?」」」
ミモザたちは首を傾げている。
「わたしたち、そんなこと言ってませんよ?」
私は目を白黒させた。
お風呂で倒れたあのときに……私は確か、「修道院は今どうなっているの?」「マザーはお元気?」と尋ねたはずだ。でも、そのときミモザたちは気まずそうに黙ってしまって……。
必死に記憶を思い出し、そして私ははっとした。そういえば、彼女たちは沈黙しただけで、「亡くなった」なんて言っていなかったかもしれない。
「私たち、あの時どう答えようか迷ったんです」
「マザー・グレンナは、事情で院長ではなくなってしまって。孤児院も廃止になって、全員が今後のことで困っていたんです」
「ちょうどレイが雇いたいと言ってくれたんで、渡りに船という感じで」
「………………!!」
絶句していると、マザー・グレンナが私の肩に手をかけてきた。
「田舎の修道院よりも、貴族の領地で幅を利かすほうが楽しいに決まってるからね。どうだい、エルダ。驚いたろう? …………おっと、なんだいあんたは。この程度で泣くんじゃないよ」
私は、マザー・グレンナに抱きついていた。声を上げて、子どもみたいに大泣きしてしまう。
「10年経っても相変わらず小娘だねぇ、まったく。久々にこき使ってやろうか」
「許しませんよ、グレンナ。今のエルダはあなたの部下ではありません」
「知ったこっちゃないね」
懐かしさと嬉しさで胸がいっぱいだ。病で倒れた先の未来に、こんな幸せが待っていたなんて――!