【19】29歳の誕生日①
ラファエル様がタウンハウスに戻られて以降も、侍女たちに私のリハビリを担当してもらうことになった。ラファエル様は、今でもよく様子を見に来てくれるし、温かい応援の言葉もかけてくれる――だが、私の希望を汲み取ってくれたのか、あまり近づいてくることはなくなった。
一抹の寂しさを感じる自分に戸惑いつつも、私は「これでいい」と思った。彼自身の幸せの為にも、私は距離を置くべきだ。そして私は毎日のリハビリに励んだ甲斐あって、今では自由にタウンハウスの敷地内を歩き回れるようになった。長時間の歩行もまったく苦ではなく、先日ついに医師から外出許可を貰えた。
そして今日は、待ちに待った外出の日だ! 外出の付き添いは、ミモザ達がしてくれるに違いないと私は思っていた。……だけれど。
「デ、デート……!?」
「はい。医師から外出許可が出たと聞きました。今日は私とデートをしましょう。王都をご案内します」
と、朝食後に部屋を訪ねてきたラファエル様が、いきなり誘ってきたのである。
「ええと、ラファエル様? それって、外出のリハビリを手伝ってくれるという意味ですか? 前にお伝えしたかと思いますが、今後のリハビリ補助は不要で……」
「リハビリではありません。特別な日のデートです」
軽やかに微笑しながら、そんなことを言ってくる。
私がたじろいでいると、
「いってらっしゃい、シスター・エルダ!」
「ドレスルームにご案内しますね」
「特別な日ですから、思い切りおめかししましょう」
ミモザ達侍女3人組まで、声を弾ませて言ってきた。
「お、おめかし……!? ただの外出なのに大げさよ。それに特別な日だなんて」
私が困惑しながらそう言うと、ラファエル様たちは怪訝そうな顔をした。
「……エルダ? もしかして、今日が何の日かお忘れですか」
「え?」
私が首をかしげると、ラファエル様は驚いた様子で教えてくれた。
「今日は5月20日です」
「5月20日? それって……」
それって…………私の誕生日だ。
私が目を見開くと、全員が大きな笑みを向けてきた。
「「「お誕生日おめでとうございます。エルダ様!」」」
「今日はあなたの29歳の誕生日です。お祝いをしましょう、そのためのデートです」
「29歳…………!!」
思わず、よろけた。
29歳という年齢の重みがずっしりのしかかってくる。
「あああ……誕生日なんて祝わないでいいですよ! むしろ意識したくなかったかも……」
「なぜですか? 歳を重ねるのは美しいことです。何歳になっても、あなたの美しさが損なわれることはありません」
ラファエル様ったら、またそういうことを言う……。
「あの、お祝いの言葉は嬉しいですけれど、お気持ちだけで十分です。私はもう、着飾ってデートをするような年齢でもないので」
私がそう言うと、なぜか皆は不満そうな顔になった。
「だって、29歳ですよ? 修道女ならともかく、世俗の同年代女性は家庭に入っているのがこの国では常識です。だからそんな、若い子でもあるまいし今さら私がめかし込んだって……」
ラファエル様が溜息をついてミモザ達に合図を送った。
「頼む」
「「「お任せくださいラファエル様!」」」
「え、ちょ、ちょっと待って……ひゃああ!?」
侍女3人組に半ば強引に手を引かれ、私はドレスルームに連れていかれた。私が唖然としている間にも、彼女たちは手際よくドレスに着替えさせていく――。
「はい、できました! どうですか、エルダ様?」
「……!」
思わず、息をのんでしまった。
(……すてき)
胸下高めの位置から柔らかく流れるようなシルエットが特徴的な、藤色のドレスを身に纏っていた。幾層にも重ねられた上質なシルクの生地が、淡い輝きを放っている。長い袖にふんだんにあしらわれたレースはとても繊細で、ドレスを彩る宝石は一輪の花にきらめく朝露のように清らかだ。
「見慣れないデザインのドレスね。でも、とてもすてき」
「エンパイアデザインって言うんですよ、エルダ様」
「最近、貴婦人方に大人気なんです!」
「へえ……」
どうやら私が眠っていた10年のうちに、ファッションのトレンドが変わっていたらしい。昔はコルセットで腰のくびれを強調するデザインが主流だったけれど、このドレスは不自然な締めつけがなくて、快適さとエレガントさを両立している。それに、仕立ての良さから一級品なのがよく分かる。実家で次期当主として暮らしていた頃でさえ、こんなに見事なドレスにそでを通したことはなかった。
「エルダ様、きれいです」
「修道服も似合ってましたけど、ドレス姿もすごく似合います!」
「……ありがとう」
すばらしいドレスに、年甲斐もなく胸が高鳴ってしまった。着るまでは「今さら私がオシャレしたって」と思っていたけれど、実際に着てみると若作りな感じもない。
「ラファエル様とのデート、楽しんできてくださいね。夜はお誕生日パーティもやりますから、楽しみにしていてください」
「え? いえ、あの……」
ドレスルームの外では、外出着に着替えたラファエル様が待っていた。彼は紫の目を見開いて、瞬きもせず私を見ている。もしかして似合ってなかったかしら……と私が不安になっていると、
「藤の花の女神が現れたのかと思いました」
彼はとろけるような笑みを浮かべて優雅に私の手を取った。「とても綺麗だ」と囁かれ、心臓がさらに大きく跳ねてしまう。だが、次の瞬間にハッとした。
(って、何を流されかけているのよ、私は。この人には、結婚式を間近に控えた婚約者がいるんじゃないの!)
だったら他の女性とデートをするなんて、そんな軽薄なことはダメだ。たとえデート相手が家族同然の私であっても。
(ここはかつての保護者として、ラファエル様をきちんと指導しなければ……!)
私はラファエル様の手を離してきっぱりと言った。
「ラファエル様。やっぱりデートはやめましょう。そういう軽薄なのはいけません」
「軽薄……どんなデートを想像しているのですか? 私はただ王都を案内するつもりですが」
「……そ、それでも軽薄です。だって私たちはデートするような間柄じゃないでしょ?」
ラファエル様は一瞬たじろいだ顔をしていたが、しばらく考え込んでから再び笑みを浮かべた。
「分かりました。でしたら、デートはあきらめます」
(ほっ……)
「その代わり、今日だけは『昔の間柄』に戻りたいのですが」
「どういう意味です?」
私が首をかしげていると、ラファエル様は楽しげな口調で言った。
「修道女エルダと、孤児のレイという間柄です。せっかくのお誕生日ですから、少しくらいは非日常的な過ごし方をしませんか? 10年ぶりにあの頃みたいに過ごしたら、良い気分転換になると思いますよ」
「……なるほど」
(まあ、それくらいなら問題ないのかも……。何もかも断ってばかりいたら、さすがに失礼だものね)
「僕なりに、あなたの誕生日を思い切りお祝いしたいんです。今日だけでいいので、お願いします」
「……そういうことなら。わかりました」
「ありがとうございます、シスター!」
明るい声でそう言うと、ラファエル様は私の手をぎゅっと握った。いつもの紳士的な触れ方ではなく、ぎゅっと力のこもった子どもみたいな握り方だ。
「えっ。あの……ラファエル様?」
「今の僕は『レイ』ですから。あの頃は、こういうふうにあなたと手を握っていましたよね。あと、呼び方はラファエルではなく『レイ』でお願いします」
「……分かりました」
「それと、敬語もだめですよ」
「…………」
なんか上手いように転がされてるような気がする……!
私が唖然としていると、ラファエル様は手を握ったまま声を弾ませた。
「シスター! 今日はせっかくの誕生日ですから、僕と一緒に街に出かけましょう!」
「はい!? いや、だからデートはダメだって……」
「いやだな。これはデートじゃなくて、ただの外出ですよ。ほら、10年前にシスターは『いつかレイを王都の美味しいカフェに連れて行ってあげる』と言ってくれたじゃありませんか。あの約束、僕は一度も忘れたことはありません」
そんな約束してたっけ――!?
「「「いってらっしゃ~い」」」
「え? あの、ちょっ……」
ニコニコ顔の侍女3人組に見送られ、結局私は彼と一緒に玄関を出た。あわあわしているうちに、馬車停め場はすぐ目の前だ。
「お手をどうぞ、シスター」
「……」
彼にエスコートされるまま、私は馬車に乗ってしまった。侯爵家の紋章が付いていない小型の馬車だから、お忍びのときに使用する物なのだろう。
馬車はゆっくりと走り出した。ご機嫌な笑顔を浮かべるラファエル様が、私のすぐ横に座っている。
「あの。……結局、これってデートと同じじゃないですか!?」
「おや、敬語はダメだと言ったでしょう。もう忘れてしまったんですか?」
優雅に微笑しながら、そんな意地悪を言ってくる。今日のこの人は、ちょっと性格がひねくれている。これまではいつも優しくしてくれてたクセに。……もしかして、こっちが大人になった彼の本性だったりするのだろうか?
「……まったく。あなたって人は、すっかり悪知恵が働くようになっちゃって」
「そういうエルダは、今も昔も純粋で可愛らしいですね」
「ぶっ」
呼び捨てにされて、うっかり噴き出してしまった。
「ちょっと! 今日は昔の関係で過ごすって言ってたじゃないですか。だったら私のことも、『シスター』って呼んでくれないと……」
「でも、もうすぐ到着しますから。外出先で『シスター』と呼ぶのは変ですし、やむを得ず呼び捨てにさせていただきます」
「うぅ」
完全に彼のペースに乗せられている。
「ずるいですよ、ラファエル様」
「そうですか? 呼び方を調整するだけですし、僕は今日一日『孤児のレイ』の気持ちで過ごすのでズルいとは思いません。それよりあなたは、僕の名前と敬語を改めてくださいね」
くすくすと、ちょっと意地悪そうに彼は笑っていた。
(……フェアじゃないわよ、もう!)
からり、からりという馬車の轍の音を聞きながら、私は困惑を顔に出さないよう努めていた。