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BURNING Ⅲ

 レビンはしつこくスカイラインに突っかかってくる。

 親の敵のように突っかかる。

 何を思ったか、範太は零から逃げようとはせず。ひたすら進路妨害をかましてくれる。おかげで零はアクセルを踏めない。

 スカイラインがパワーに物を言わせレビンを抜こうとするものなら、咄嗟に前方を塞ぐ。

 まともなレースなら、反則ものだが。これは何でもありのストリートレースなのだ。

 しかし、このままでは前の二台に差を広げられる一方だ。範太はそこまで考えているんだろうか、いや、もうそこまで思考回路が回るまい。

 今の範太には、忌々しい外人女を乗せたスカイラインを潰すことしか頭に無い。

 抜き去りざまに、自分を笑った忌々しい外人女。その外人女をギャフンと言わせてやる。それだけだった。

 零はいいとばっちりだった。何も好き好んで乗せているわけではないのに。

「畜生! 鬱陶しい!」

 忌々しく、レビンのテールに吐き捨てる。

「Fuck'in son of a bitch!」

 吊られてグレンダもレビンにまくし立てる。前をちょろちょろするレビンのテールに中指もおっ立ててもいる。

 零同様、レビンの進路妨害に目くじら立てまくりでわいわい騒ぎ出す。

 いくらライスロケットに乗ってストリートレースの臨場感を味わっていても、ビリッけつではお話にならない、つまらない。

 いい気なもんだよ、どいつもこいつも人の気も知らないで、と思いつつ。零は横目でグレンダを睨みつける。

「へへへ、吠える吼える、馬鹿なメス犬が吼える吼える」

 範太はミラーで助手席のグレンダが騒いでいるのを見て、薄ら笑みを浮かべると。何やら助手席に一瞥をくれて、さらに薄ら笑みを浮かべる。

「まだまだ、お楽しみはこれからだ!!」

 と、叫び。ラインを左に寄せてブレーキを踏む。

 そして前を空けてスカイラインを前に行かせる。

 前に出ようとするスカイライン。

 その時。

 突然、窓から範太の腕が伸び出し。何か、物体がレビンの運転席から放り出された。

「なにー!」

「What!」

 何か、物体。それは、かろうじてスパナとわかった。レビンから放り出されたスパナがスカイラインのフロントウィンド目掛けてやってくる。

「マジかよアイツ!!」

「Fuck!!」

 刹那、零はハンドルを右に切り、スパナをやり過ごそうとするが。タイミングが遅かった。

 運悪く、スパナは助手席側に当たってしまった。

「NOOOOOOO!!」

 叫ぶグレンダ。砕け散ったフロントガラスの破片が自分に飛び散る、と。咄嗟に腕を出し我が身をかばう。

 零も同じく、ぎょ、っとして。グレンダを見れば。打ち所がよかったのか、運良くフロントガラスは割れずにヒビが入っているだけだ。

 クモの巣のように、当たったところから四方に走るヒビ。だが、視界が少し悪くなっただけで、幸い走りには影響ない。

「あんの……、やろぉぉぉーーー!!」

「You goddamn motherfucking son of a bitch! Roll over and die!!」

 車内に響き渡る怒号。それはスカイラインの怒号すら掻き消し、火のように燃え盛る零とグレンダの怒りに油をを注いだ。

 アクセル踏み付けレビンを追うスカイライン。怒号をぶちまけ、レビンに叩き付ける。

 クモの巣越しに見えるレビンのテール、それを捉えて離さないグレンダの黒い瞳。その黒い瞳の中にもレビンのテールが捉えられていた。

「Kill you……」

 ぼそっと、怒りの吐息とともにもれる声。

 その声が聞こえたのか、範太の背中が急に冷たくなる。

「くそ…、しくじったか」

 と言っても後の祭りだ。これでは逃げるしかないだろう、どこかへと……。と、いう風に。急に臆病風が範太の心の中に吹きすさぶ。

 今更、自分のやったことがチンケだと気付く。 

 アーチ状の橋が目の前に見えてきた、この橋を渡り右に曲がれば海まで続くバイパスだ。

 すでに前の二台、シルビアとプリメーラは橋を渡ろうとしている。レビンとスカイラインもそれに続く。

 橋の上り。

 四台のマシンが一斉にパワーを搾り出し駆け上る。パワー勝負、あたりに己の持ちうる力を怒号とともにぶちまけ叩き付ける。

 こうなると、非力なテンロクのレビンでは分が悪かった。前とは差が開き、後ろからは……。

 ミラーに反射する眩い光。それは決してミラーから消えることはなく、それどころか大きくなってゆく。それが意味するもの。

「ま、まさか…」

 と、範太息を呑めば。突然の後ろからの衝撃。

 追突された、と言ってもケツを小突かれた程度だが。範太の顔はますます青ざめる。

「AAH---HAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!!」

 目を見開き大笑いするグレンダ、零の行為が恐ろしくは感じられないのか。

 零はお構い無し。レビンのテールを睨んだままだ、右足の動きも異様に怪しい。

 橋の上りももうすぐ終わろうとし、下りが待ち受ける。

 プリメーラとシルビアは橋を上りきった。速度が橋をジャンプ台に変えて、一瞬だけ引力に逆らわせる。

 レビンも、同じく。と言う時。再び小突かれるのを嫌がって、範太は恐れをなして、ハンドルを少し右に切りスカイラインと違うラインにつこうとすれば。

 零は一気に右足に力を込めて、アクセルを踏みつける。スカイラインが叫びだす。零の怒りを全て受け止め叫び加速すれば。

 スカイラインのフロント右サイドがレビンのテール左サイドに接触した。

「う、う、う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 レビンは時計回りに回る。範太は懇親の力と祈りを込めてブレーキを踏んでも、スカイラインに突っつかれたせいで、回転は止まらない。コマのように回り下り坂を転げ落ちる、おまけに引力がそれに加勢して対向車線に引っ張り出し、そのままの勢いで橋の欄干と熱いキッスをする。

 それでもなお止まらず、レビンはキッスの嬉しさから狂喜乱舞する。くるくる回る。回るたびにボディの色んなところが欄干にキッスする。キッスするたびにボディはボコボコだ。もうどうにも止まらない止められない。

 それに追従してガラス片やパーツが当たり一面にぶちまけられ。中には川に落ちたのもあった。

 範太は、完全にイってしまった。

「CRA-------SH!!」

 歓喜の雄叫びグレンダ。

 零は無言のまま、体勢を立て直す。スカイラインも少しはバランスを崩しはしたが、零はそこら辺を考えて上手く接触させたのでレビンほどではなかった。

 が、やはり減速は避けられない。スカイラインは普通に橋を上りきり、下りようとする。

 悔し紛れに放たれる零の一言。

「ざまぁみろ」

 厄介者がこれで消えた。後は前を追うだけ。前の前には邪魔な一般者、ついている。

 零にとって、やっと今から本番だった。グレンダもそうだった。



「堀井のヤツ、やっちまったか!」

 ふと、ミラーの中でくるくる回る光を目撃した一郎。範太がどうしてああなったかまではわからないが。四台で走っているのが三台になったことはわかった。

 で、なんでやっちまったのが範太だとわかったかと言うと、後ろから迫る光がスカイラインのものであると確信したからだ。

 一時、結構な差が開いていたが、橋を渡りきり右コーナーを抜けてからぐんぐんと大きくなる光の玉。いや、それはなんだか火の玉にも見えなくも無かった。

 後方より轟く咆哮、それは図太く響き渡る。NAの4A-Gでは出せない音。ちら、ちら、と見えるマシンのカラーリングは赤黒ツートン。決め手は、助手席の外人女。なんだかフロントガラスにクモの巣のようなヒビが走っているが、レビンのクラッシュに巻き込まれたのかもしれない。と、見当はずれの想像もする。

 後ろのスカイラインは勢いが良い、それに比べてこっちはスローペースだ。

「うぜぇ!」

 前をちょろちょろする一般者に怒鳴りつける裕二。

 全身わけのわからんまだら色のファイアーパターンのカラーリングの、ミニバンとワゴン車が前を塞いでいた。

 片側三車線、両六車線の道を、右に左に蛇行している。

「コイツら、オレラらおちょくってるな……」

 パッシングしても、クラクションを鳴らしても、お構い無しの完全無視。意図的なものだと馬鹿でもわかる、あからさまな進路妨害だ。

「ぎゃはは! 見ろよ、うしろプリメーラだよぉ~」

 ワゴン車の運転席の金髪の男が頭の悪さを象徴する馬鹿笑いで、助手席の茶髪の女に言う。

「ほーんと。おばはん車じゃなーい、そんなんですとりーとれーすぅ~?」

 女も吊られて笑い出す。大口あげて、わっはっは。

 車内では重低音の効いたヒップホップがずんどこ響き、車体をゆさぶる。

「もっとからかってやろーぜ~」

 片手にビール缶を握り締め、ハンドルを右往左往。まさに酔っ払い運転。

 ミニバンもそれに続く。

 今夜ストリートレースをやるというのを聞いて、ちょっと見物と洒落込み、だけど見物だけじゃ物足りず。ちょっと一緒に遊びたい、と紛れ込む。

「だぁ! どけ馬鹿! 邪魔すんなアホウ!」

 パッシング、クラクション、どれも通じず。前をちょろちょろうろつかれ。喚き立てる裕二。

「いるんだよな、たまにこんなのが」

 呆れるようにつぶやく一郎。まったく、白けることをするもんだ、と思っても。向こうは盛り上がっている。

「ストリートレーサーがなんぼのもんじゃい、こちとら生粋のワルなんじゃボケ!」

 全開にされたドアからロデオよろしく身を乗り出し、後ろにわめきちらす、ミニバンの運転手。今時流行らないリーゼントの髪形。髪の毛がものすごく濃い紫色に見えるのは気のせいか。

 完全に出来上がって、前なんか見なくても運転が出来るようになっているらしい。

「アホか……」

 裕二も一郎もさすがにこれには呆れ果ててしまい、思わず力が抜けてしまった。しゃーない、ちゃちゃっと抜いてしまおうか、と思った矢先。

 後ろから迫る気迫と光と怒号。

 何事かと思ったら、零のスカイラインだ。スカイラインはワゴン車とミニバンが蛇行して前を塞いるのもお構いなく、速度は下げずそのまま突っ込もうとする。

 一瞬にしてシルビアを抜き、プリメーラに並んだ。

「HEYHEYHEY! Move aside!」

 零の代弁者とばかりに叫ぶグレンダ。その通り、零はブレーキなどふまず、アクセルばかり踏み続ける。前を邪魔するヤツは、誰であろうとこの手で潰す。

 さっきそんなことをした、今更良い子ぶって減速など出来るものか。

「ぬあ、柳生!!」

 突然視界に飛び込んできたスカイラインに、ちょっと肝を潰した裕二。一郎は、うそだろ…、とつぶやく。

 邪魔者の後ろで減速して機会をうかがって、てっきり零も同じだと思って。だがそれは大外れだった。

「ねえねえ、来てるよ。なんか」

「ああん?」

 と、ワゴン車の男と女が後ろを見れば。なるほどなんか来ている。

「けぇ、いかせるかよお。ひっく」

 と、ビール缶片手に蛇行運転をし続ける。

 ミニバンの紫リーゼントの運転手がこっちを見て手で合図した。笑って応えるふたり。

 途端に蛇行運転をやめて、後ろから迫るスカイラインの前に出ようとする。ミラーでスカイラインの位置を確認し、車をよせれば。

 ミラーを埋める大きな光。轟く爆音。ずんどこ響くヒップホップも掻き消されてしまった。

「来るなら来やがればーか」

「やーんおとこらしい~」

 あいも変わらず浮かれるふたり。しかし、紫リーゼントは、少なくとも状況を把握はしていた。

「こ、こいつ。マジかよ……」

 前を塞ぎ、道は完全に閉ざした。にもかかわらず、減速の気配が無い。それどころか、さらにスピードは高まっているようだ。

 零は、前の二台を凝視したまま。グレンダは。

「GOGOGOGOGOGOGOGOGOGOGOGOGOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!」

 と、大絶叫。

 レビンの堀井範太もチンケなヤツだが、コイツらはもっとチンケだった。そんなヤツらなどのためにどうして減速なんか出来るものか。

「ちぃ、いくっきゃねえか!」

 我知らず大声を上げ、スカイラインを追う裕二。反射的にアクセルを踏み込んだ。一郎もそれに続く。このまま、事態を指くわえてぼーっと見るわけにもいかない。

 勝利とカネが懸かっているのだ。

 しかし、一体何が零をあんな特攻野郎にしてしまった? あの女に良いとこ見せたいのか、なわけない。

 今どんな気持ちで走っているのか、裕二と一郎に零の真意がわかるわけもなかった。

 その間にも、前二台に迫り続けるスカイライン。このままでは追突は必至だ。

「冗談じゃねえ、カネかかったんだぞこの車」

 零の気迫にあっさり負けて、紫リーゼントは道を譲ろうとした。どこの誰だか知らないスピード狂のために、車をお釈迦にするのはまっぴらゴメンだった。

 だが、彼には基本的な何かが抜けていた。そう、基本的な何か。それは、車線移動時の後方確認と言う「基本中の基本」が。

 スカイラインを行かせるために、道を開け車を寄せたのはいい。だが、寄せたところには、裕二のプリメーラとシルビアが控えていた。

 それに気付くまもなく、赤黒ツートンの物体が間に入った。と、認識する間も無く、次は丸い四つのテールランプが遠ざかってゆこうとする。

「ば、ばかたれーー!!」

 咄嗟のハンドルさばきでミニバンを何とかよけた裕二、しかし、哀れなことに一郎も基本を忘れていたらしい。

 スカイラインばかりに目が行って、他には目が行き届いてなかったようだ。完全な前方不注意だ。

「はぅぅっ!」

 今にも飛び出しそうな目を見開き、なんだかミニバンがスローモーションで迫ってくるのを石になって見つめて、ファイアーパターンが網膜に焼き付けられ。

 息とも声とも判別の付かぬ音を喉から洩らし、ブレーキを踏みつけた、が。

「ぎゃん!」

 獣の断末魔のような声を上げる紫リーゼント。自分の車が何かにどつかれた。それ以上に背中からどつかれ。もう一つの基本、シートベルトすら紫リーゼントはしていなかったために、フロントガラス目掛けてまっしぐらに頭突きを食らわせた。

 と、思ったら。後ろで大音響と稲妻のような赤い光が閃く。

 瞬く間に、それは立て続けに起きて。なんだか車内の温度が上がり。体も続いて超ホットになってきていた。



「見て見て! 燃えてる燃えてる!!」

 女がどこかを指差し叫ぶ。その指の先で、ミニバンに追突したシルビアが、衝撃からエンジンが出火。「あっ」っと言う間に炎はシルビアを包み込んだ。

 人の形をした炎がそこから飛び出し、周囲を照らしながら得体の知れぬ雄叫びを上げながら転げ周る。

「黒伏ぃー!」

 図らずも、それをミラーで目撃してしまった裕二。しかし。

「許せ!」

 と言って。そのまま走り去ってしまった。裕二が見たのはそこまで。

 ワゴン車のカップルが慌てて車を停めて降りて、転げる人型の炎や燃え盛る車の周りを狂ったように駆け回り。事故を目撃した近所の住民が消火器をかついで現場に駆けつけ、一郎に消火剤を吹きかけていた。

 カップルはその住民や周囲に向かって狂ったようにわめき散らし、そうこうしているうちに、ミニバンの紫リーゼントが頭を抱え、ドアを開けてふらふらと歩道に座り込むのを見ることは出来なかった。

 だから、うかうかしていられない。

 速く走って、ゴールして、レースを終わらせなければいけない。

 気を取り直し、照準を前を走るスカイラインに合わせ直す。だが、妙に心にくすぶりを感じるのはどうしてだ?

 アクセルを踏み続け、前輪をかき回し、前輪は路面を引っ掻き回し。パルサーGTiRのSR20ターボエンジンは唸りを上げる。

「Hey Rei! Back back!」

 裕二の追撃に気付いたグレンダがまくしたてる。

「わかってる!」

 大声上げて返す零。

 眠れる街を叩き起こす爆音にも負けない声。後ろの裕二に届きそうだ。

 一般車はいない、いい感じ、だが。それがプリメーラにとって火に油だった。闇雲にアクセルを踏んでも走れる状況。どんなにオクタン価の高いガソリンよりも火がつく。

 おまけにアクシデント、いや、破壊が零以上に裕二を刺激した。

 ビルや民家の立ち並ぶ街道を突っ走り。バイパスの終わりを告げるトンネルがやってきた頃にはプリメーラはスカイラインの背後につけていた。

「マジかよ!」

 バックミラーに向かって叫ぶ零。裕二の粘り気ある追撃は重々承知していたが、こうして追撃されて改めて驚愕せずにはいられなかった。相棒とは言え、恐ろしいヤツ。

「勝ったら、おごってやっからよ!」

 怒号が車内に響き渡ると同時に、プリメーラはスカイラインンの右側に並ぼうとする。単純なパワーでは、プリメーラが上回っているようだ。ついでに、右側に並べば、次の右カーブでイン側に付くことも出来る。

「いかせるかよ!」

 プリメーラを睨みつけ、前に出すまいと、右足に更に力を入れる。どんなに力を入れようと、アクセルは床までしか沈まないのだから意味の無いこうだったが。それでもアクセルを力いっぱい踏みつける。それはドライバーとして、車そのものに祈る行為だった。

 トンネルホールの壁にマシンの怒号が反響する。

 ついでにマシンは火も噴く。

 負けられない。何が何でも負けられない。

「すっごーい! Very aggressive! Hot hot hot! It cool!!」

 スカイラインとプリメーラの横並びに、ますます大興奮グレンダ。

 祈りが通じたのか、スカイラインは並ばれただけで抜かれはせず、プリメーラと横並びのまま。トンネルを抜けた。トンネルを抜け右に曲がれば、そこは海岸線だった。そこを抜ければ、港にたどり着く。 

 そこでゴールだ。

 が、このままいけば、プリメーラの裕二にインを突かれて前に出られるかもしれない。

「ち!」

 そんなことされてたまるか! と、零は忌々しく舌打ちし、プリメーラの左サイドを睨みつける。その中の裕二はこっちを見ず、ひたすら前ばかり見ている。

 トンネルを抜けた。果たして、右カーブが迫ってくる。

 プリメーラはスカイラインの右側の位置をキープしたまま。このまま行けば、カーブでイン側に付ける。

「ままよ……!」

 零は意を決し、ハンドルを右に少し曲げた。スカイラインがプリメーラに近付く。

「な、なんだとぉー!」

 それに気付いた裕二。スカイラインはぐんぐんと迫ってくる、このまま行けば激突は必至だ。こうすれば、ビビってブレーキ踏むと思ったか。それとも負けるくらいなら、相手を道連れにクラッシュてか!

「柳生、てめぇ!」

 張り裂けんばかりの大声。だが、それは零には届かない。スカイラインは迫ってくる。そのまま対向車線に飛び出し、ガードレールが迫ってくる。逃げ場はない。

 スカイラインとプリメーラのミラーが当たった。裕二ははっとして、零を見た。

 血走った、獣のような目。普段の、クールさを湛えた目ではない。何か、クスリでもやってるような、ジャンキーの目そのものだった。

 そんな目で、裕二を睨みつけていた。

「ざけんじゃねえ!」

 ブレーキなど踏まず、ひたすらアクセルを踏む。零にこんなことをさせるのが、勝利への執念なのか、それとも色ボケから来たのか知らないが。

 そんなのに、なんで道を譲れようか。

「イカれてやがるぜ、どいつもこいつも!」

 ついでに、オレもな!

 そう思い、アクセルを踏み続けた。カーブは迫ってくる。一緒にガードレールも迫ってくる。

 スカイラインとガードレールにサンドイッチにされんとするプリメーラ。忌々しく、スカイラインを睨む。

 あの外人女が、不意に視界に飛び込んできた。こっちを見て笑っている。面白おかしそうに、笑っている。

 その隣で、イカれたような零。

 裕二の歯が、かちっと鳴った。

「この、馬鹿が……」

 右足がアクセルから離れ、ブレーキを踏んだ。瞬時にして、前に出るスカイライン。あの外人女がけたたましく笑っているのが目に見えるようだ。

 そしてその通り、グレンダは笑っていた。自分の乗るライスロケットが一番前に出たのだ。これで笑わずにいられようか。

「YEAH! The top! It is the top!!」

 車内にこだまするグレンダの嬌声。笑いが止まらない、まさにスリリング&エキサイティング! 最高のエンターテーメントショーだ。

 それを横目に、零はグレンダの声をなるべく意識せず、右カーブを抜けた。少し後ろにプリメーラが続いた。

 レースはあと少し。零にとって悪夢のような夜が終わりを告げようとし、それに向かい、ひたすらアクセルを踏んでいた。



 海岸線は街中とは違い、民家も無く。真っ暗だ。それこそ墨汁をぶちまいたようだ。

 それをヘッドライトと爆音で引き裂きぶち破り走る。

 なにか、海に蛍でも舞っているかのような光が見えてきた。

 港だ。港に集まった群衆がまだかまだかと待ち受けている。

 プリメーラがまたスカイラインに迫り、横に並ぼうとする。まだ、レースは終わってはいないのだ。だから、諦めていない。

 横並びのままのプリメーラとスカイライン。

 共にアクセルは踏みっぱなしだ。

 決して離そうともしない。

 丸い光が、実体を帯びてくる。人と車が見えてくる。

 一緒にあの赤いGTOも見えてくる。

 道路に飛び出さんがばかりに群衆が道路沿いに押しかける。

 そこへ突っ込むプリメーラとスカイライン。

 零も裕二も、無口の本気モードにロックオンされっぱなし。先に着いたほうがウィナーだ。

「Let's GOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!」

ドライバーは沈黙しマシンの怒号響く車内で、グレンダの声が炸裂する。

 その声を押し潰そうとするマシンの更なる怒号。

 スカイラインの怒号。それはプリメーラの雄叫びすら押し潰そうとする。

 気が付けば。零の、スカイラインが、鼻先一歩スカイラインをリードした。

 裕二は、歯を食いしばり、前だけを見て港に突っ込もうとする。

 諦めきれない、絶対に負けたくない。足掻くもがく。

 それでもスカイラインが鼻先リード。

 苦渋が満ちる。

「ゴォーーーーーールゥーーーーー!!」

 誰かが叫んだ。

 それに続いて。

「零の勝ちだぁーー!」

 と言う声も聞こえた。

 途端に、裕二の歯がかちりと鳴った。

 急ブレーキを掛け、タイヤをロックさせ、煙を立てながら止まる二台。刹那、裕二がプリメーラから飛び出した。

「東条! カネを柳生に渡せ!! おまわりがくるぞ!!」

 GTOのそばで控える史孝に、裕二が叫ぶ。事態を察した史孝は、それでも落ち着いて悠然と歩き。スカイラインのもとに歩み寄る。

 史孝がこっちにやって来るのを見て、窓を開く零。

「よくやったな、ホラ、カネだ」

 と、ポンと四十万渡される。

「あ、ああ…」

 止まったとたん、魂でも抜けたようなとぼけた声。

 隣のグレンダの目が輝いている。

 だが、このままとぼけ続けるわけにもいかなかった。

 史孝がカネを渡すのを見届けた裕二は、更に大きな声で。

「早くズラかれ! 急げ急げ急げ!!」

 と、まくしたてれば、赤い光と怒鳴り声。

「来やがった…」

 苦虫を噛み潰したような面持ちでプリメーラに飛び乗り、急発進させる。零のことも気になったが、今はてめぇの身が可愛い。

 零とて、逃げ方を心得ている。捕まるなんてドジは踏むまい。

 パトカーの襲来で、クモの子を散らすように一斉にバラける群集の車。めったに車の通らない港前の道路が一気に改造車で埋まった。

 その中に、零のスカイラインも。裕二のプリメーラもあって。史孝のGTOもあった。

 どこをどう走ったか覚えていない。

 裕二とはぐれ、史孝も見えない。

 どこの道だかは知っているが、ただそれだけで普段は通ることの無い道。

 そこにスカイラインの姿はあった。

「なんとか、逃げ切れたようだな」

 安堵のため息をつく。

「そうね。でも、カッコよかったわ」

 と、微笑むグレンダ。特等席で格別のストリートレースを見せてくれた零には感謝以上に興奮を禁じえない。さっきから、妙に体の内側から火照って仕方が無かった。

 気のせいか、頬も火照っている。

 その時。零の計帯電話が鳴った。何事かと思い取って出てみれば。それは、朝倉からの電話だった。

「は、はい…」

 恐る恐る返事する。

「よお、東条から聞いたぞ。勝ったんだって。おめでとう」

「あ、ありがとうございます」

「隣にグレンダを乗せて、よく頑張ったな。褒めてやるぞ」

「どうも……」

「そこで、特別ボーナスをやろう」

「え?」

 特別ボーナス。約束されたカネに色がつくのだろうか、と思ったが、それは違った。それは、カネではなかった。

「今夜、グレンダを貸してやるぞ」

「は、はい?」

 突然の朝倉の言葉に、言葉も出ない。今なんて言った、グレンダを貸してやるぞ?

「グラマーなアメリカ美人とヤれるなんて、そうそうないからな。楽しんできな」

 そう言うと、電話は切れた。一方的に。

 ふと、グレンダを見た。彼女は、目を輝かせ、零を見つめている。無防備そのものだった。

「レイ……」

 静かに名を口にする。その口の動きが滑らかで、艶かしく、官能的だった。

 マジかよ…、自分の愛人を貸すなんて。と、思ったが。零の奥底に眠る本能がむくむくと沸き立ちつ。抑えられない。勝利の興奮が、性欲に化けてしまったようだ。

 それにグレンダもグレンダだ、朝倉というものがありながら、他の男にウツツを抜かすなど。という倫理感は、視線を下げた時に吹っ飛ばされてしまった。

 零は物言わず頷き、スカイラインは夜の闇の中に消えず。ネオン輝くホテル街へと姿をくらましていった。

 その頃裕二は、なんとかおまわりから逃げ切り、自宅へと帰っていた。うかつにメインストリートに出られないので裏道を通る。

 なんだか機嫌が悪い、レースで負けた。それ以上に、あのアクシデントに零の行動。今までそんなの慣れっこのはずが。似合わずも戦慄を覚えてしまった。

「まともじゃねえよ…」

 ふと、口から漏れる言葉。

 思い出したくなくても、目に見えない何かが、脳髄を引っ掻き回し記憶の糸を紡ぎ出す。

「アホンダラがぁぁ!!」

 その時自分の取った行動を思い出して、耐えられなくて、思わず大声を上げてしまった。大きな声を出しているのに、虚しさが消えない。

 それでも、叫ぶ。叫び続ける。それしか出来なかった。止まれない、止まることは許されない。美味しい仕事が来ない以上、走ることでしか糧を得られない。

 零はそれに忠実に従っただけだ。それに耐えられないなら、自分もそうすればいい。それだけのことだ。

 獲物を追うために、走るしかない。それしか出来ないから。

 それをわかっていながら、自分たちを切り離した朝倉に、逆恨みに近い感情も生まれた。

 そう思えば思うほど、車内に、裕二の叫び声が延々とこだましていた。

「アホンダラがぁぁぁ!!」



「おい、何をボケっとしている。シャキっとせんか!」

 造船所で、上司が部下を叱りつけている。叱られているのは、零だった。

 船台の上に、でーん、とたたずむ大きな船の甲板上。黒くすすけた作業服姿の零は、溶接機を手に何度も頭を下げていた。それを遠くから眺める同僚の仲間達。

「すいません…」

「最近様子がおかしいぞ、お前。体調でも悪いのか?」

「いえ、そんなわけじゃ…」

「そうか、でも無理するなよ。体調管理も仕事のうちだからな。体が資本、これはどこでも同じだ」

「はい」

「それじゃあ、仕事にとりかかれ。無理しない程度にな」

 そう言うと、上司は見回りを再開した。零は、上司の後姿に礼をして。再び仕事に取り掛かる。

「そう言うんだったらあのオッサンが代わってやればいいのに、なあ柳生」

「そうっすよ、柳生さん最近しんどそうっすから。無理しないで休んでいいっすよ」

「ああ、お前がいなくても。オレらがちゃんと穴埋めするから」

 上司が去った後、零を励ます仲間達。年上も年下も同い年いる、年齢はバラバラだ。

「ああ、ごめん。そうだな帰りに明日の有休届けだそうか」

 零は彼らに笑いかけながら、元気そうなそぶりを見せる。

 かつて鉄工所で培った溶接の技術を生かし、今は造船所で働いている。一度は離れたカタギの仕事も改めて就いてみれば悪くはない。

 厳しくも優しい上司に気のいい仲間。仕事も人間関係も上手くいっている。言う事なしだ。

 その時、昼休みを継げるサイレンが鳴った。

「おし、昼だ昼だ。飯食おうぜ」

 仲間達は現場を離れて食堂に向かい、零もその中にいた。おそらく今日の昼飯は美味く感じることだろう。

 と、言いたいところだが。最近何やら気になる。

 あの、グレンダのことが。

 今頃どうしているだろうか。もう、アメリカに帰っただろうか。また会う機会はあるのか。

 あの時の、甘美な夜。味わいたい、もう一度。

 朝倉の名を聞いて以来、そんなことも考える、何考えてんだ、と思っても。考える。

 考えてしまっていた。

 その頃、裕二は別の鉄工所で溶接作業をしていた。もちろん最初就職した鉄工所とは違う鉄工所だ。

 昼休みだと言うのに、裕二はひたすら鉄骨を溶接していた。仕事の納期が遅れ気味だという。同じ鉄工所の仲間達はほぼ諦め顔だが、裕二は諦めなかった。

 なんとしても納期に間に合わせる。だから飯など食う暇があれば、仕事をする。

 職人気質丸出しで、夢中に溶接作業をする。

 仲間達は呆れ顔で裕二を見ているが。社長だけはそうではなかった。

「彼はなかなか頑張るね」

 鉄工所の二階にある社長室から作業現場が見おろせ、そこで裕二の仕事振りも見える。

「そうですね、とても真面目で。娘がいたらお婿さんに欲しいですね」

「ウチは男しかいないだろう」

「そうですけど、そうだったらそうするってだけですよ。あくまでも」

 秘書でもある社長夫人も裕二を褒め称える。もう夫婦でべた褒め状態だ。

「将来が楽しみだな」

 裕二は、自分はそんなつもりはなくても、社長の期待を全身に受けてただひたすら納期のために溶接をしていた。

 裕二も零も、本来は根は真面目なのだ。ただ、車の趣味が人と違いすぎるのはいただけないが。そうでなければ、今ごろは最初就職していた鉄工所で一つ上の役職に就けていた事だろう。

 裏家業で稼いだタンス預金がたんまり残っても、ストリートレースでそこそこ稼げても、やはりカタギの世界が恋しく感じる。

 それは、あくまでも彼らが普通の青年の枠を越えきれていない、ということに他ならなかった。

 ひょんなことから裏稼業を目の当たりにしてしまい。それから越えてしまったら、と思うと怖い。だから、カタギの世界が恋くて。自分たちは普通に平穏に暮らせると言う保証が欲しかった。

それなのに、完全に離れられない。何かを期待してしまっているクセが出来てしまったようだ。

 また、美味しいことにありつける、という。なんとも図々しい期待。

 わだかまりとなって、胸の中で蠢いて(うごめいて)いた。



 仕事を終えたふたりは、愛機でレーススタート地点となる港に足を運んでいた。

 今夜はストリートレースは行われないせいか、港はひっそりしている。

 人っ子一人いやしない。 

 こないだ、あれだけ人と車で溢れていたのが嘘のようだ。

 それが、ここの本来の姿なんだ。と思えば、おかしいのは自分たちだということを意識してしまう。

「あれまあ。来てたのか、柳生」

 零と偶然鉢合わせになったことに、やや裕二は驚いた表情を見せた。

「それはこっちのセリフだ。まさかお前まで来てるとはな」

 裕二同様、零もちょっとびっくりしてる。

 別に連絡を取り合い、約束をしたわけでもないのに。同じ時間に同じ場所に来ようとは。

 零は裕二に、呆れたように笑いかけながら言った。裕二も同じように応える。

「まったく。暇人だな、お互い」

「ちげぇねぇや」

「なんとなく、で来るなんて。ここがそんなに恋しいもんかな」

「恋しくねーけど。ふらっとプリメ(プリメーラ)で出かけるときは。ここに来ちまうわな」

 ふと、何か音がした。と思ったら、光も見えた。

 原チャリスクーターがこっちに向かってきているのだ。

 なんだ? と思いながらスクーターを見ていれば。スクーターは自分たちのすぐそばまでやってきたではないか。

 スクーターから降りて、ヘルメットを脱げば。まだあどけなさの残る丸刈り坊主の少年。裕二と零を確認すると、途端に目をきらきらと輝かせるではないか。

 気持ち悪ぃなあ。と思いながら見ていると。少年は口を開いた。

「武藤さんと柳生さんですよね」

「ああ、そうだ」

 と、凄みをきかせた声で応える裕二。少年は少しびびっているが。あるか無きかの勇気を振り絞りながら言った。

「オレ。おふたりに憧れてるんですよ。高校出て免許取ったら、ストリートレースに出たいんですよ」

 目を輝かせながら語る少年。いかにも世間知らずな車好きな子供の言いそうな事を、そのまま言ったので。裕二と零は苦笑いを浮かべずにはいられなかった。

 しかし、自分の知らないところで自分たちに憧れている「ガキ」がいるなんて。なんともかんとも、おめでてぇな、と思った。

 裕二はさらに呆れたようにふっと笑い、少年に言った。

「マジ?」

「はい。大マジです」

「じゃあ、お前殺すかもしれんぞ。それでもいいか?」

「え……?」

 一瞬の沈黙。零も何も言わず、可笑しそうにそのまま成り行きを見守っている。

「だから。お前が免許取ってレースに出たら。オレかこいつがお前を殺すぞ、って言ってんだよ。それでよけりゃ、いくらでも受けてやる」

 裕二の言葉に、押し黙ったままの少年。凄みの効いた声で「殺すぞ」なんて言われたら、誰だって何も言えなくなってしまう。

「それが嫌なら、お前がオレら殺すくらいの気合で来いや。ここはそういうところだ。それも出来なきゃ、おとなしくペーパードライバーでもしてな」

 少年は、裕二の言葉に臆したか。失礼しましたと言って、なるべく無表情を装ってヘルメットを被りスクーターでさっさと逃げ出してしまった。裕二は、ふんっと、鼻息荒くそれを見送る。

「お前、怖いけど。優しいヤツだな。これで人一人の命を救った」

 零は面白可笑しそうに裕二に言った。裕二は冗談じゃないと、かぶりを振った。

「オレはぜーんぜん優しかねーよ。ただあのガキがムカついただけさ。なんにもわかっちゃいねえよ」

「まあまあ、そういうことにしておこうか」

「なんだよ気持ち悪ぃな」

「耳にタコだな、それも」

 零の様子に、裕二も突っかかるのをやめ。溜息をつく。ふと愛機プリメーラとスカイラインに目をやれば。二台の車に触れる空気が、熱をもって歪んでいるように見える。

「まったく、どーしちまったんだろーな。オレら、なんかおかしいぜ」

 そう言い終えたとき、また何か音がした。

 あの少年が戻ってきたのではない。

 明らかに、改造車のそれとわかる音。

 今夜はレースはないってのに、それでもやってくるのは自分たちだけじゃなかったようだ、が。

 にわかに胸騒ぎを覚えずにいられなかった。



 少年はスクーターを走らせ家路へと急いだ。

 親に反発し、勢いで飛び出し。なにげによくレースやレースに参加する車を見に行く港に行ってみれば。偶然プリメーラとスカイラインのドライバーがいるのを見つけて声をかけてみれば。

 結果、裕二に散々脅されて尻尾を巻いて逃げ出した。

 自分には、無理かな。と思いながら走っていると、対向車線から、いかにもそれっぽい車が二台。こっちに向かってやってくる。

 いくらか近付いて、何の車か見てみれば。黒いスカイラインGT-t(ECR34・以下34スカイラインと表記)と白いスープラ(JZA70)だった。

 レースを見に行った時、見たことがある。あの二台も、ストリートレースに出ている。

 散々脅されたにもかかわらず。やっぱりすげえなあ、と思いながら二台を見ていれば。

 すれ違おうかという瞬間。背筋に悪寒を感じ、体が凍りついたように動かない。

「殺すぞ」

 と言う言葉が、また脳裏にひらめいた。

 それは、二台の車から放たれているようだ。一瞬、車に触れる空気が熱をもって歪んでいるように見えた。

「こえぇ」

 と、つぶやいた瞬間。突然スクーターは横倒しになり、少年は転んでしまった。幸い、スクーターも少年もかすり傷ですんだが。

 異様な雰囲気に飲まれ、体は震えてまともに動かない。そのせいで転んでしまったのかもしれないけど。

 出来る事と言えば、スクーターを起こしてとにかく家へと帰る、それだけだった。それから、こんな思いをするくらいなら。もう二度とあの場所には来ないしレースもごめんだ、と思った。なにより、親の言う事は正しかった。

 そんなこととはつゆ知らず、五十嵐賢イガラシ・ケンはスープラのミラーでこけたスクーターを見て笑っていた。

 すると、携帯が鳴って、出てみれば。

「おい見たか? なんでもねーところでこけてるぜ、馬っ鹿じゃねーの?」

 携帯から、前を行く34スカイラインの陣野昂次郎ジンノ・コウジロウの笑い声がこたまする。馬鹿笑いと言ってもいいくらい笑っている。

 よっぽどスクーターのこけっぷりが可笑しかったのだろう。

「あーオレも見た。腹がよじれてしょーがねーぜ」

「いーもん見せてもらったなあ。ビデオもってくりゃよかったぜ」

 ケタケタと笑いながら、進めば。港についた。その間ずっと携帯で喋りっぱなしだった。女、カネ、車、etcetc。男の欲望に関してはこの間にほとんど喋り尽くしたくらい。

「アイツら……」

 少年が去った後。そろそろ帰ろうかと思った時、入れ替わるようにやってきた二台の車。

 それを見たとき、ふたりの目が険しくなる。

「陣野、五十嵐……。何しに来たんだ?」

 裕二は、すすすとプリメーラによりそい、いつでも乗れる体勢を取る。零も同じようにする。

 二台からは、殺気がひしひしと感じられた。



 34スカイラインとスープラは、港に入ると停止して。アイドリング音を響かせたまま動かない。

 船の停まらない寂れた港。闇と静寂の支配していた海に浮かぶコンクリートの塊の上、それに割って入るように二台のマシンの声が響き渡っている。

 かすかに響く波、港に打ち付けられる海の音も、アイドリング音が飲み込み掻き消す。その音は、裕二と零自身はもちろん、プリメーラとスカイラインすら飲み込もうとしているみたいだ。

 なんだか、その音が見えない舌となって、全身を舐めまわされているような不快感がおそう。

 そのままドアが開き、中からドライバーが降り立った。

「よおー、武藤に柳生じゃんよ」

 にやけた顔つきで昂次郎が口を開いた。何か、面白いことを聞いて、それをふたりに言いたくて仕方ないという顔つきだ。

「ああ、ほんとだ。レースがないのに来てるなんて、ここが好きなんだねえ」

 同じように賢も口を開く。

 昂次郎と賢の様子を見て、裕二と零はあからさまに不快な表情を見せ、眉間にしわを寄せる。

「いつ来ようがオレの勝手だろうが」

 捨て台詞を吐き、プリメーラに乗り込もうとする裕二。それを見て昂次郎と賢はますますにやける。

 今度は、待ってました、と言いたそうにしている。

「用がないなら、オレも帰るぜ」

 と、零。

 スカイラインのドアを開こうとする。相手にしてらんねえと、この場を立ち去ろうと。

 だが、賢の一言が裕二と零の動きを止めた。

「あれ、何その言い方。そっか、知らないんだ。そっかそっかぁ、もうここに来られないってのに」

 うんうんと頷きながら、相変わらずのにやけ顔の賢。昂次郎も合わせて相槌を打っている。

 不意に耳に入り込んだ言葉の意味が読み取れないふたり。ドアを開けたままきょとんとしているが、そのままきょとんとするわけにもいかず。何かを察した零は重たそうに口を開いた。

「それは……」

「どういうことだ? ってか?」

 すぐさま、昂次郎が勝手に零の言葉を続け、茶々を入れる。

「ほーんとに、何にも知らないんだ。まあ、そうだよなぁ」

 瞬時にして、裕二の拳が硬く握り締められ、腕の筋肉が引き締まり。目が光って、色が変わった。

「てめえら、うだうだ言ってねえで、言いたいことがあんなら。早く言え……」

 低く重低音の効いた、ドスの効いた声。

 ギラつき血走ったまなこで昂次郎と賢を睨みつける。

 体温で周辺の空気が一気に加熱されたように、揺らいでいるようだ。

 さすがにこの裕二の気迫には、昂次郎も賢も押されたようで。一瞬だけ口をつぐみ、体を硬直させはした、が。

「へへへ、まぁ、いっか」

「オレの知ったこっちゃねーしぃ」

 と、今度は向こうが捨て台詞を吐いて、さっさと車に乗り込み去っていってしまった。

 34スカイラインとスープラが去り、再び港は闇と静寂に包まれた。

「なんなんだよ、アイツら。わけわかんねぇ」

 気迫はそのまま、遠ざかるテールライトを眺めながら呆れたように吐き捨てる。

 零も同様にテールライトを眺めていたが、ふと、何かに気付いたようだ。

「ああ、だけど……」

「だけど、なんだよ」

「なんでオレらがここにいるのがわかったんだろうな、アイツら……」

 眉間にしわを寄せる零を見て、おのずと顔が引き締まる。

「それに、もう来れないって、どういうことだ?」

 考えれば考えるほど、深まる疑念。

 この間の、ストリートレースの後に聞いた史孝の言葉。

 それ以来、なんだかいつの間にか胸に居座っていた悪い予感と胸騒ぎ。

 自分たちの知らないところで、何かが動いているようだ。それは、さっきの昂次郎と賢の口ぶりからして察することは出来る。

 だが、それがどんなものなのかわからないのがもどかしい、が。少なくとも良いことではなく、悪いことだというのは確かそうだが。

 結局、わかるわけもなく、ふたりは港を後にするしかなかった。



 それから数日後の夜、仕事を終えてアパートに戻り。労働の疲れから、食事と風呂を済ませてさっさと布団に包まりしばらくすぎたころ。

 眠りを妨げる突然の爆音。

 裕二は驚き、飛び起きて。窓を開ければ。

 六畳間に飛び込むチューニングマシンの叫び声。部屋の空気を揺らす。

 ついでに裕二の体もゆさぶる。それにつられて、気持ちも揺さぶられる。

 慌てて着替えて、外に出て、プリメーラに飛び乗り駐車場から急発進させる。

 向かうは港。

「どういうことだよ!」

 アクセルは全開、焦る気持ちに素直に従う。プリメーラも従順に従い、速度を上げる。

 アパートを飛び出し十分ほどして港に着く。そこは車と人でごった返し、乱痴気騒ぎが繰り広げられている。

 その中央に、威風堂々と居座る赤いGTO。そして、東条史孝。

 GTOのボンネットに腰掛け、ひざの上に女を抱えてなにやら談笑している。

 裕二はそれを確認し、人を押しのけながら史孝のもとに行こうとすれば。

「待て」

 と、呼び止める声。

 何かと思い振り向けば、陣野昂次郎と五十嵐賢。この間のようにへらへらとはしていない、結構マジな顔つきで睨みつけてくる。

 それを無視してそのまま行こうとすれば、賢の腕が裕二の肩を掴む。

「待てと言っている。聞こえねえのか」

「邪魔すんな」

 と、腕を振り解きさらに進もうとすれば。

「いい加減にしねえか!」

「口で言ってもわからなきゃ、体で教えるしかねえようだな」

 セオリー通りの応え。それを聞き終えるが早いか、裕二の拳が賢の頬を直撃した。

 鈍い音があたりに響く。賢はもんどりうって転げまわり、昂次郎は一瞬唖然としたあと、気を取り直し声を張り上げる。

「て、てめえ!」

「邪魔すんな、…っつってんだろうが!!」

 昂次郎が身構えるより早く、響き渡る怒号。その怒号は一瞬にして周囲に沈黙をもたらせた。

 はしゃぎ声や嬌声がぴたっと止まる、取り残されたようにカーステレオから溢れ出る音楽が港を一人歩きする。

 この時になって、賢はようやく立ち上がる。ぶん殴られた頬は赤く腫れて、痛そうに手でさする。

 人の輪が出来て、その中央に置き去りにされる三人。

「なんだなんだ、珍客到来ってか」

 新たに輪に入る声。

 史孝の声だった。女の肩を抱き、のこのこと姿を現す。なんだかへらへらと笑っている。一緒に女も笑っている。それを敢えて無視する。

「今夜レースをやるなんて聞いてないぜ。どうしてオレのところに連絡がなかったんだ?」

 怒りをあらわにし、史孝に詰め寄る。その時、エグゾーストが聞こえた。レースの車が戻ってきたのではない。

 音のする方を向けば、赤黒ツートンのスカイラインが港にやってきた。どうやら零にもレースの知らせはなかったらしい。

 裕二はこれが何を意味していたのか、嫌でも悟らなければならなかった。そうこうしているうちに、零が車から降り、こっちにやってくる。

「東条さん、これはどういうことなんだ? どうしてオレに知らせがなかったんだ?」

 やや興奮気味に、史孝に詰め寄る。途中、裕二を確認すると、はっとして史孝を見直した。

 その様子を史孝はにやにやしながら見て、言った。

「知らん」

 この一言だけ、後は何も言わずGTOまで戻ろうとする。もちろん、裕二と零がそれを黙って見過ごすわけもなく。裕二は史孝の肩を掴む。

 すると、さっき殴られた賢が裕二の肩をまた掴んだ、今度は昂次郎も一緒にもう片方の肩を掴んでいる。

「おめえらいいかげんに…!」

 そう声を張り上げた瞬間、裕二の頬と腹に、それぞれ拳が飛び込む。さすがの裕二も一度に二ヶ所も殴られて平気でいられなかった。

「ぐ……」

 と、うめいて。ややうずくまりそうになるも。決して膝を地に付けようとせず、何とか堪えてみせた。その間に史孝はGTOに戻っていた。

「武藤!」

 慌てて零がかけよるも、昂次郎は零の胸倉を掴み、無理やり引き寄せる。

 引き寄せられた零の鼻に酒のにおいが入り込む。昂次郎を睨み返すより先に、思わず顔をしかめてしまった。

 お構いなく、においと共に怒気を一緒に零にぶつける。

「言ったろう、もう来られないってな。記憶力のない馬鹿どもだぜ」

「なんだと…!」

 胸倉をつかまれたまま、拳に力がこもる。

 史孝はGTOのボンネットの上、それを面白おかしそうに眺めている。

「今夜のところは、まぁ見逃してやる。だが、次にてめえらをここで見たら、こんなもんじゃすまねえぜ」

 頬が赤いまま、賢は怒気と恨みを共に含んだ声でふたりに言った。

 昂次郎も、周囲も、皆同じ意見のようで。白く光る目が裕二と零に集中する。頬と腹を一片に殴られた裕二はすでに持ち直し次に備えるも、いかんせん、多勢に無勢。そんな中で無茶をするほど理性は切れてはいなかった。

 零も同じく、どうしてこんなことになっているのかわからないまま、港を後にするしか術はなく。

 背中に冷たい視線と嘲笑を浴びて、帰るしかなかった。



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