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BURNING Ⅱ

「東条。テメーどういうつもりだ!?」

 裕二の怒りの叫び。それも当たり前だ、カネを戻してもらえないのだから。

「なにがだ?」

 全く動じない史孝。

「ふざけるな! ダメだってのはどういうつもりだって聞いているんだ!」

 普段はクールな零も、大声を上げ怒りをあらわにする。

「ルールだからだよ。レースが例え無効になっても、金は戻らない。聞いてないのか?」

 史孝はふたりに詰め寄られても、何食わぬ顔をして軽く流す。零と裕二は益々怒りをあらわにする。

「そんなことは聞いてないぜ!」

「それはお前らが聞いてないからだ。ルールはオレが決めるんだぜ、それは知ってたろうが」

「ああ、そうだ。だが前は無効になればカネは戻ってきた」

「それが、今変わった。これからは無効になってもカネは戻さない、とな」

「なんだとお……!」

 史孝の勝手な言い分に裕二の怒りは頂点に達し、我知らず掴み掛かろうとする。

「待て武藤! そんな事したらどうなるのかわかってんのか。落ち着け」

 慌てて止める零。それでも裕二はふりほどこうともがき、史孝に掴み掛かろうとする。

 それを必死に止める零。

「柳生の言う通り。オレに手を出したらレースの参加権剥奪はおろか、この街に住めなくなるかもしれんぞ」

 裕二は歯軋りして、自分を抑える零を突き飛ばし強く握る拳を下げる。突き飛ばされた零ははちょっとよろけはしたが、裕二が手を出すのをやめたのを見て少しほっとしたようだ。

「賢明な判断だ、武藤。だが、このことは覚えておくぞ」

 嘲笑を浮かべ、ふたりを見下すように見据える史孝。

 不良たちのチェアマン的存在とは言え、これはあまりにも横暴な気がしないでもない。

 零はそれを尋ねずにはいられなかった。びっくり箱のフタを、そろそろと開けているような気分だ。

「なあ東条さん。どうしていきなりそんな事になったんだ?」

 零の質問に益々顔をにやつかせる史孝。

「聞きたいか?」

「ああ、是非聞かせて欲しいもんだ。ドン東条さんよ」

 鋭い目つきのまま、史孝を捕らえて話さない裕二。是が非でも聞き出すと言う意思が、嫌でもその目から感じ取れた。

「そう急かすな。せっかちは女に嫌われるぞ」

「嫌われて結構。是非とも納得する答えが欲しいもんだ」

「わかったわかった。じゃあ教えてやるよ。ただし、これを教えたからには、お前らにも協力してもらうことがある。どうする、やめるなら今のうちだ」

 その言葉に顔を一瞬見合わせ。嫌な予感が、胸の中にドス黒い塊となって重くのしかかる。

「どういうことだ?」

 零の口から思わず言葉が出る。嫌な予感が喉から言葉を押し上げようとする。

「まさか……」

「さすがだな、柳生。勘が鋭い。こりゃオレの口から言うまでもないかな」

「やっぱりそうなのか」

「そうだ。そこの勘の鈍いヤツに、わかりやすく言ってやろうか」

 史孝は裕二に目をやり、にやりと笑う。戸惑いの表情を浮かべる零を見て、さすがの裕二も少し動揺したようだ。

 裕二は、鈍いと言われた勘が、今は妙に冴えわたっていることにとてつもない不快感を覚えていた。

 その不快感が裕二の重い口を押し開き、喉から言葉をつまみ出す。



「朝倉か……」

 朝倉。その名を聞いた零は、自分の勘が当たったことに裕二同様、不快感を覚えずにはいられなかった。

 史孝は「ほうっ」と感心しているようだ。

「ご名答だな。その通り。朝倉さんが、またお前らを必要としている」

「なんで。今ごろどうしてまた」

 と、零。

 零も裕二も心中穏やかではなかった。

「今夜のストリートレースは、お前らがどれだけウデを上げているか確かめるために開いたようなものだ。オレと朝倉さんの目に狂いはなかったってことだな」

 史孝の言葉にふたりは冗談じゃないと、激しく拒否反応を起こす。

 零は首を横に振りながら言った。

「やだね。オレはもう足を洗ったんだ」

「おいおい。朝倉さんからの仕事なら、こんなチンケなレースではした金稼ぐより儲けになるんだぜ」

 聞き入れない史孝。裕二も断りを入れる

「それでもごめんだ、もうオレはカタギの世界で食っているんだ。今さら危ない橋を渡るつもりはない」

「ほ~、賭博レースに出ておいてカタギとは笑わせる」

 痛いところを突かれるふたり。確かにこれに関しては史孝の言う通りだが…。

 それに納得するふたりではなかった。

「とにかく断る。オレはもうヤツのツラは見たかねえんだ。カネはくれてやる」

 そう言って、怒り収まらぬまま回れ右してコインスナックから出てプリメーラに乗り込む裕二。零もそれに続き。プリメーラとスカイラインの二台はコインスナックを後にした。

 それを見送る史孝。

「あーあ、オレしらねーぞ。朝倉さん怒るだろうなあ」

 そう独り言をつぶやく。口元をゆがませ、おかしそうに笑う。

 こうして、夜は終わった。しかし、事の始まりはすべてこれからだった。



 もう二年も経った。

 二年前まで。裕二と零はただカネ欲しさに、朝倉真三アサクラ・シンゾウというヤクザの使い走りをしていた。

 伸ばした髪を首の後ろでまとめた無個性で存在感も薄っぺらな能面顔の男は、いつもすまし顔で。感情があるのかどうかがわかりづらく、人間かどうかさえ疑わしく感じる。

 いつも、高そうなブランド物の白いスーツに赤いネクタイで決めていた。

 見ただけでは、ただのキザなにーちゃんにしか思えないが。いつ何時も無感情なすまし顔で、それが不気味さを感じさせ、それに追従するように命令には絶対服従せざる得ない威圧感も感じさせた。

 しかし話してみれば、紳士的で物腰は柔らかく、割りと好印象を受ける。とてもヤクザの親分には思えなかった。それもまた、朝倉の怖さの一つでもあるのだが。

 ともあれ、カネの為と割り切り、ふたりは運び屋として朝倉からの仕事をこなしていたのだ。

 その時から史孝は朝倉の下にいた。

 運ぶのは。銃、麻薬や覚せい剤などのドラッグ、どこかしらから吸い上げてきたカネ。

 それらを、朝倉の指示する場所に運んでいた。

 危険な場面もあった。それでも、裕二と零は運び屋を続けた。

 好きな車を乗り回す、ただそれだけのために仕事をして、朝倉からカネをもらう。

 危険度が大きいだけあって、かなりの額だった。もちろん、秘密は守り通し。銀行に預けるなんてこともしなかった。

 一度味を占めれば、もうやめられない。普通に仕事をするのが馬鹿らしくなる。それほどまでに、美味しい仕事だった。

 こんなこともあった。

 朝倉からの仕事を始めて一ヶ月ほど経ったある日の夜。裕二と零はそれぞれの車の後ろに、朝倉の子分から預かったジュラルミンケースを積んで運んでいた。

 街から東方向へ抜けるバイパスを進み、指定された場所に向かう途中。後ろから突然パッシングをされた。

 何事かと思いきや。朝倉と敵対する組の組員らしき男の乗った、BMWとおぼしき車に後をつけられていたのだ。それもこっちと同じ二台。

 後ろを覗く裕二。

「来た来た」

 裕二は隣の車線につけていた零に指で合図を送った。零は頷いた。

「朝倉さんの言う通りだったな」

 後ろをつけられるのは、初めから朝倉から伝えられてわかっていた。それからどうすればいいのかも、もちろん伝えられていた。ふたりはそれを実行に移す。

「鬼サンこちら手のなるほうへ!」

 急激にアクセルを吹かし、逃げ出すプリメーラとスカイライン。追うBMW。

 この時はまだプリメーラとスカイラインはそれほど大幅に改造されていなかったので、性能はBMWの方が格段に確実に上だった。

 もしこれで捕まれば半殺しの目に合う、だから捕まるわけにはいかなかった。

 邪魔な一般車をかわしながら逃げる二台。追う二台。

 もともとラフなドライビングを得意とするふたり。性能の差もなんのその、ぐんぐん後ろを引き離す。と思ったら。

「おいおいマジかよ!」

 思わず叫ぶ裕二。

「前からも……」

 歯軋りしながら、前から現れた、応援に駆けつけた二台の車を睨む零。

 なんとも用意周到なことか。もともと後をつけられる仕事とはいえ挟み撃ちをくらうとは。

 前から現れた車は一般車の邪魔になるのもいとわず、思いっきり道路を塞いだ。これでは抜けられない。後ろからも来ている。

 絶体絶命のピンチかと思われたが、ここで彼らのドライビングテクニックがいかんなく発揮された。

 道路を塞いだ車の少し手前、裕二と零から見て左側に、わき道が抜けているのを見つけた。車一台分くらい通れるか通れないくらいだろうか。狭いわき道だ。

 そのわき道がどこに抜ける道か知らないが。裕二と零は、そのわき道に逃げ込む決心をした。



 前まではいくらか距離もある。ふたりは加速を続けた。

「こいつら、特攻かますのか!」

 加速を続ける二台を見て、敵対ヤクザは驚きの声を上げる。が、例えそうだとしても高い剛性を誇るドイツ車。ぶつけられてもダメージを食らうのは向こうの方だ。とタカをくくっていたら。

 突然、九十度直角に曲がって民家と民家の間へと消えていったではないか。これには本当に驚いた。

 わき道に入る直前。ふたりはハンドルを左に曲げ、サイドブレーキを引き、リアタイヤをロックさせて。そのまま慣性に任せるまま、リアテールを振り子のように振ったのだ。しかもそれを九十度直角の時点で止めた。

 曲がり終えれば、目の前には命をつなげる希望の道。その道に突っ込むプリメーラとスカイライン。両のミラーが壁にこすれるかこすれないかのギリギリの狭さだが、車の幅を心得ているふたりは、わき道をそのまま突き進む。

 ピンチの只中の、とっさの判断とコントロール。

 ハイスピードでの急激な方向転換で、車一台分の幅しかないわき道に突っ込むなど。普通では考えられないことだ。

 もちろんこんな芸当は、素人にはお勧めできない、諸刃の剣だ。

「馬鹿野郎! 何をボケっとしてやがる。追え、追うんだ!」

 無駄な特攻を確信したのに、予想外の展開に呆気に取られる組員を叱咤する兄貴分。慌てて二台を追いかけたが。

 一番前のBMWはなんとも間抜けな事に、民家の角にノーズをぶつけてしまった。日本車が一台通れるかどうかの狭さのわき道に、日本車より幅のあるBMWで、イノシシのように突っ込めばどうなるか。そこまで考えがいたらなかったようだ。

 驚く民家と民家の近所の住人。やかましい車がわき道に入った、と思ったら。今度は外車が突っ込んできた。

 とたんに警察に通報され、四台は慌てて逃げ出したものの。住民にナンバーを覚えられて、後日捕まってしまったのを裕二と零は知らない。

 ともあれ、危機を脱したふたりは無事指定地にたどりつく事が出来た。誰も使っていない鉄工所跡地が指定地だった。

 車ごと鉄工所内に入り、車のヘッドライトを灯りにして。相対する裕二と零、朝倉と史孝。

 プリメーラとスカイラインが照らし出す内部には、史孝のGTOと朝倉のベンツもあった。

「ご苦労」

 と出迎える朝倉の後ろには、史孝が慎ましく控えていた。

「はい。これを…」

 ジュラルミンケースを朝倉に渡そうとする零。その後ろに裕二がジュラルミンケースを持って控える。

「ははは。いいんだ、それはお前らにやるよ」

 と笑いながら言う朝倉に、一瞬零はきょとんとしたが。裕二はやっぱり、と思った。軽すぎるのだ。中に何かが入ってるにしてはおかしすぎるほど、軽かったのだ。

「開けてみろ」

 と言われ。その通りにすれば、本当に中には何も入っていなかった。呆気に取られるふたり。

「お前らは敵の目をそらす「おとり」だったんだ、本物はもう届いている」

 と朝倉に促され、ジュラルミンケースをGTOから取り出す史孝。これは本当に重そうだ。中に何が入っているかはわからないが、わかるつもりもない。

「しかしお前らはよくやってくれた。約束通り、カネをやろう」

 と、白いスーツの内ポケットから二つ封筒を差し出す。

「中に五十万入っている。次も頼むぞ」

 ふたりは封筒を受け取り、一応頭を下げる。しかしおとりに使われたのは、気分のいいものではなかった。

 とは言え、晩方の数時間で五十万を稼ぎ出したのだ。封筒を開けたふたりは手を叩き合い、子供のように無邪気に喜んでいた。



 最初は、普通に仕事をしていた。裕二と零は高校を卒業して就職した鉄工所で知り合い。お互い車が好きと言う事で気が合い。よくつるんだ。

 給料をもらうや否や、ふたりはすぐにそれぞれの車を買い。それからも全て給料やボーナスを車に注ぎ込んだ。

 普通に乗るならともかく、スピードという麻薬に取り付かれてしまったのが、二人を楽しませ、苦しめた。

 湯水のようになくなるカネ。

 ガソリン代、オイル代、タイヤ代、改造費、etc、etc……。

 言うまでもない、給料を全て車に注ぎ込めば生活は苦しくなるし。維持費だって捻出できっこなくなってしまう。

 それでも、やめようとしない、やめられない。ますます金はなくなり、ついにはサラ金にまで手を出す始末だった。

 ますます生活も車も苦しくなる一方の悪循環。

 そこへ、同じ場所を走っていた史孝がふたりに声をかけた。

「カネが欲しいか。ならいい仕事がある」

 ふたりは二つ返事で引き受けた。カネが手に入るなら、走りつづけられるなら、と。

 最初ヤクザ絡みということに腰は引けたが、カネのためと割り切って。

 おかげで借金も返せたし、それに加えて貯金(もちろんタンス預金だ)も膨れ上がった。

 朝倉もふたりがよく仕事するのを誉め、可愛がってやった。ふたりが望んでもいないのに高給クラブや風俗店に連れて行ってもやったし。そこで「お持ち帰り」も自由にさせた。

 ふたりにとって、この時期がまさに黄金期でバブル時代と言ってもよかった。

 が、その儲かる「仕事」に突然終止符が打たれた。

「もうお前らには用はない。だが、最後に一つだけ仕事を頼まれてくれ」

 どうして用がなくなったのか考えないでもなかったが。十分にカネも蓄え、わざわざ危ない橋を渡る必要性も感じなくなってきたこともあり。

 これが最後と、最後の仕事を引き受けた。

 最後の仕事はなんとも変な仕事だった。愛人のアメリカ人の女にストリートレースを見せてくれ、と言うものだった。

 しかも、特等席で。

 その特等席とは、プリメーラかスカイラインのどっちかの、助手席のことだった。



「え、マジっすか?」

 突然の朝倉の申し出に、目を丸くして素っ頓狂な声をあげる裕二と零。

「ああ。アイツは車が好きなんだ。この間お前らの話をしたら、是非会いたいって言ってな」

「それで、トナリに…?」

 相変わらずのすまし顔でうなずく朝倉、零はなんと言っていいのかわからない。

 裕二は、すまし顔を見て。こんな男でも性欲はあるもんだな、と思った。

 風俗や高級クラブに行っても、入り口でふたりを送り出すだけで女に指一つ触れなかったのに。一時不能かと思っていたが、やはりそこはヤクザの親分。手を出す女をわきまえていたらしい。

 しかし、わざわざ遠く海の向こうの女に手を出すとは。

 朝倉から写真を見せられ。裕二は思わず口笛を吹き。零は見惚れていた。

 女の名は、グレンダ。グレンダ・シンプソンという。

 ワシントン出身。日本へは観光ビザで入国。しかしビザの期限が切れても日本に滞在したために、当局にマークされているが。そこは朝倉がしっかりかまってやっている。

 年増と言われる年齢で、ふたりより年上だが。そうとは感じさせない白い肌に、整った顔立ち、切れ長の挑発的な目にすらりとした高い鼻、赤い厚めの唇、黒真珠を思わせる瞳。ウェーブのかかった黒のロングヘアが印象的なラテン系のアメリカ人の女だった。これなら朝倉とて黙っておけないだろう、と思わせるような妖艶さが写真からも漂っていた。

 しかし、裕二はしばらくして。その女の写真を見て。一瞬眉をひそめてしまった。はっとして、朝倉の方を向いたが、朝倉は受けるか受けないか、と言う感じでこっちを見ている。

「どうした、嫌なのか。こんないい女をトナリに乗せるのに。早い者勝ちだぞ」

 からかうような物言い、だがその肉声には命令には逆らえない威圧感がこもっていた。

「オレの女だから遠慮しているのか。東条の馬鹿には任せられない仕事だから、お前らに頼んでいるんだ。この意味、わかるよな?」

 朝倉の肉声が、そのまま蜘蛛の糸のようにまとわりつく嫌な感覚。ふたりは早くそれから逃げたいがために。

「わかりました」

 と、言うしかなかった。どっちに乗せるかは、後でも決められる。とにかく今は、この場を離れたかった。

「そうか。引き受けてくれるか、ありがとうな。カネははずむから、目一杯走ってくれ」

 そう言って、微笑む朝倉。

 無感情な能面のような顔が微笑んだのを、ふたりは初めて見た。しかし、瞳は凍っているかのような、冷たい目のままだった。

 そのまま心臓まで、凍てつきそうだった。



 夜の港に。ストリートレーサーと野次馬、それらの車が群れをなす。

 開発が進み。竣工後の一時期は、県内での一大埠頭になり経済の活性剤となるはずだった、が。

 この不景気で停まる船も無く。数億の投資と県民の夢によってつくられた埠頭は、ただの海に浮かぶコンクリートの塊に成り果ててしまった。

 しかし、きれいに整備された道路は残った。ついでに皆がたむろする広いスペースも。

 夢の残骸とも言えるこの埠頭に、無頼のストリートレーサーが目を付けないわけも無く。寂れてからはあっという間に、そこがレースのスタート地点とゴール地点になってしまった。

 海上にあって、アンダーグラウンドな賭けレースが催されるとはなんたる皮肉。

 どこからともなく、わらわらと集り。街を巻き込み騒ぐだけ騒いで、あっという間に散らばってしまう。大声を上げて、嵐のように走り抜ける。時には破壊をも行う。

 海の向こうには、墨汁をぶち撒いたような闇夜が広がる。ストリートレーサーは、そこから這い出した突然変異クリーチャーのようにも感じられ、恐れられた。

 そのクリーチャーの群れの中に並びたたずむ四台の車と四人のドライバー。

 裕二のプリメーラ、零のスカイライン。それを迎え撃つ黒いレビンGT-V(AE86・3ドアハッチバック)、シルバーのシルビアK’s(S14)。

 それを少女のような輝く瞳で見つめる外国人の女が一人。

 スレンダーさを強調するように体にフィットする黒いハイネックのワンピース、白く細い足に履かれる黒いハイヒール。ワンピースの胸元は、なだらかでかつ勾配のある傾斜を描いている。

 そこには男どもの視線が一気に集中する。女たちは嫉妬と侮蔑と屈辱の眼差しを一気に集中させる。

 日本の不良たちの中に外国人の女。グレンダは異世界からの来訪者のようだ。

「Very good! 日本でストリートレースが見られるなんて。夢のよう」

 はしゃぐグレンダ、戸惑い適当に相槌打つ零。今夜のレース、彼女はスカイラインの助手席に乗る。それは朝倉と別れた後のジャンケンで決まった。

 ここに来る途中、朝倉の組事務所でグレンダを拾ってやって来て。到着した途端に注がれる好奇の目。

 おまけに、ひそひそ話が妙に零の耳を突いてきて仕方が無い。

「すまねぇ……」

 小声でつぶやく裕二。正直、グレンダを乗せなくてほっとしている。どうも嫌な予感がする。だから、零には悪いが、この役目零に譲りたかった。ジャンケンで負けたとき、心のそこから安堵してしまった。

 これから何がおこるのか。十分に膨らんでいる胸を、期待でさらに膨らませるグレンダ。

「ようし! レーススタートだ!」

 進行役をつとめる東条の掛け声。右手に握られる参加料。

「お前ら今夜も気合を入れて走って来い!」

 港の真ん中に並ぶ四台の車。

 プリメーラ、スカイライン、レビン、シルビア。それぞれに乗り込むドライバー。スカイラインの助手席に座るグレンダ。

 一斉にドアの閉められる空気の破裂するような音がする。

「ヨロシクネ」

「あ、ああ」

「あなたのライスロケット、カッコいいね」

「ライスロケット?」

「私の国、アメリカではジャパニーズカーのことをそう言うわ。知らないの?」

「知らないなあ。初めて聞くよ」

「そうなの、アメリカだけなのね。でも、嬉しいわ。Thank you.ね。レイ」

 日本暮らしが長いだけあって、なかなか流暢な日本語を話すグレンダ。陽気な笑顔はスカイラインの助手席に乗ってからも変わらない。スカイラインの車内をきょろきょろと見回している。本当に車が、それも改造車が好きなのだろう。

 零は顔を引き締めている。もし何かがあって、彼女をキズモノにしてしまったら朝倉の怒りは相当なものだろう。そう思うとますます顔が引き締まる、ついでに引きつる。

 こんな仕事受けさせられるなんて…。と、思うものの、乗りかかった船はもうすでに沖へと出てしまった後だった。ただ、これを乗り切れば、おかにたどりつく。

 最後の仕事、絶対にドジは踏めない。

「You are very handsome」

「あ、さ、さんきゅう…」

 引き締まった顔の零を見て、グレンダは微笑んだ。零は戸惑っているが。

 イカすライスロケットをドライブするストリートレーサーは、彼女にとってはヒーローに見えるのかもしれない。

「け、女を乗せてレースかよ」

 レビンの堀井範太ホリイ・ハンタは、スカイラインをけったいそうに睨みつける。

「赤っ恥かかせてやらあ」

 シルビアの黒伏一郎クロフシ・イチロウも範太と同様スカイラインを睨みつける。

 なんで零の隣に女がいるのか知らないが、レースである以上は容赦はしない。事情を知らないのでなおさらだ。

 裕二はハンドルを握りしめ、東条の動きだけに注視する。ついでに右手にも注視する。なるべくスカイラインは見ない。

 東条の右手が上がる。

 喝采を送るように吼えたくるエグゾースト。その喝采は次第に野獣の雄叫びへと変わってゆく。

 胸躍らせるグレンダ。

 振り下ろされる右手。

 雄叫びを上げ、一斉に飛び出すマシン。

 ストリートレース。裕二と零の最後の仕事が、始まった。



 スタートダッシュを決めたのはプリメーラ。以下レビン、シルビア、スカイラインと続く。あろう事か、零はスタートをしくじってしまった。

「GOGOGOGOGOGOOOO!!」

 ダッシュと同時に叫ぶグレンダ。待ちに待ったレースが始まり興奮を抑えきれない。しかも特等席なのだからなおさらだ。

 零がそのおかげでスタートをしくじったなど、微塵にも感じていない。

「気が散るから黙ってくれ!」

 マシンエグゾーストにも負けない零の叫びも、グレンダの耳には入らない。右に左に顔を振り振り子供のようにはしゃぐ。

 正直殴ってでも黙らせたいが。下手なことをすれば、後で朝倉に何を言われるかわかったもんじゃない。

「OH YEAH!!」

 目の前で、シルビアがケツから火を噴いた。それを見てさらにはしゃぐグレンダ。

 零は横目でグレンダを睨み、覚悟を決めた。グレンダのはしゃぎ声をスカイラインのエグゾーストで掻き消すことにした。

 それでしか神経を集中させるしかない。

 シルビアを追うべくさらにアクセルを踏み込む。スカイラインは雄叫び上げて加速する。

 エグゾーストが車内に響き、グレンダのはしゃぎ声を掻き消そうとする。

「やっぱトナリに女はしんどいか…」

 裕二はミラーをちらっと覗き、スカイラインが最後尾にいる事を確認した。

 悪いな零。勝ったらオゴってやっからよ。

 ケツから火を噴くプリメーラ。後ろのレビンを威嚇する。

 四台は港から左手、西に進路を取った。街へと続く一本道は右に直角に曲がりこんでいる。その後直線で、そこを抜ければ街に出る。

 右カーブを抜けると裕二は思いっきりアクセルを踏みこみ、そのままフルスロットルをくれてやった。力も勢いもあまったパワーは前輪を空回らせて、タイヤは摩擦で悲鳴を上げる。それでも強烈な引力をもってしてボディを引っ張ってゆく。

 逃がすまいとレビンもシルビアもスカイラインも、フルスロットルをかます。 

 これと言ったテクニックもいらない直線。四台は縦に隊列を組みそのまま駆け抜けてゆく。訳も無く。

 シルビアがレビンを抜こうとする。パワーで劣るレビンが勝手にシルビアに近付いてくる以上は抜くしかないだろう。ついでにスカイラインも前の動向をうかがう。

 レビンはすぐさまオカマを掘られる覚悟で進路を塞ぐも、とっさにシルビアはラインをクロスさせアウトから抜きにかかる。

「クソッタレ!」

 歯軋りしながら範太は左サイドに並ぶシルビアを睨んだが、どうしようもない。ただ、シルビアを見送るしか術が無い。しかもその後は右サイドからスカイラインだ。

 忌々しい外人女がこっちを笑いながら見ている。屈辱的だった。

「YEAH YEAH YEAH OH YEAH!!」

 グレンダ大興奮。

 抜きつ抜かれつ、これぞバトル。これぞレース。今自分はその真っ只中にいる。これで大人しくしていられようか。

 零は必死にグレンダを無視して、スカイラインを走らせる。シルビアに引っ付いてゆく。

「ふざけんな!」

 激怒の範太。絶対このままでは済まさない。ゴールだってさせるものかと、二人仲良く逝ってしまうがいいさと、心の中で怒りの炎を燃やす。 

「そうさ、ふたりでイッてしまえばいいさ…」

 憎悪の目でスカイラインを睨みつける。どす黒い刺激が脳髄を引っ掻き回し、脳味噌をに電撃パルスを送り込み。

 それが、何よりも快感に感じられていた。範太の方こそイッってしまいそうだったが。まだイク時では無い。

 それでもイキそうだった。それもこれも全部零のせいにして。範太は零を追いかける。



 信号はタイミング良く青だった、遠慮なく街に飛び出る四台。ビルの谷間に轟き渡る轟音。眠れる街を叩き起こす。

 嵐のように駆け抜け、時にはケツから火をも噴く。まさにクリーチャーそのものだった。

 もう、誰にも止められない。ただ通り過ぎるのを待つしかなかった。

 ところどころに邪魔な一般車がいる。それをジグザグ走行でかわして行く。

 一郎はプリメーラのテールを常時ロックオンし、ひたすらついてゆく。ついてゆくのがやっとだった。

 裕二の踏みっぷりは、ストリートレーサー随一だった。生半では追い越せない。それなのに、何故か思わず笑いがこみ上げる。

「ちぃ、やるじゃねーか。燃えてきたぜ。それでこそバトルだよな!」

 裕二の踏みっぷりに触発され、さらにアクセルを踏み込む一郎。

「それでこそ、勝ち甲斐があるってもんさぁ!」

 細かいところは違うとは言え、同じSR20ターボを搭載するマシン同士でもある。プライドにかけて負けられない。

「け、しつけぇ!」

 ミラーを覗き悪態をつく裕二。こっちだって負けられない。なんとしても勝ってカネを手に入れるのだ。

 これから美味しい仕事はやってこないのだ、だからレースで稼がなくてはならない。一郎のようなスポーツマンシップなど、チリほどにも持ち合わせることは出来ない。

 後ろをチョロつくシルビアが、鬱陶しくて仕方が無い。スカイラインだって同様だ。いくら顔なじみでも、女を押し付けてしまっても。レースとなれば容赦はしない。

 プリメーラは裕二の気持ちを代弁するように、猛り叫び突っ走る。

 決して前は譲らない。

 全てそこのけの勢いでただひたすら突っ走る。

 それを追うシルビア、スカイライン、レビン。

 四台に迫る一般車。一般車だって前に向かって走っているんだけど、あまりにもスピード差がありすぎて、向こうから迫ってきているように見える。時には真正面から迫ってくる時もある。道幅一杯に走っていればそれも当たり前だった。

 アクセルを踏めば踏むほど、視界が狭くなる。ヘッドライトに照らされたビルが、街灯が、民家が、街全体が。一瞬にして通り過ぎてゆく。 

 街全体が一つの濁流となって、四台を飲み込んでいるみたいだ。その中を突っ切る。

「WOWOWOWOWOWOW!!」

 相変わらずはしゃぎっぱなしのグレンダ。もうどうにも止まらない。

 今さっき一般車を追い越す為に対向車線に飛び出し、そのまま対向車線からの一般車を避けていった。

 一般車のドライバーは目を丸くして石化していた。それを笑いながら見てたグレンダ。彼女には恐怖という感情は無いのだろうか?

 ただスリルだけを求めて特等席に居座られ、零はいいとばっちりだ。

 オレの車は遊園地のアトラクションじゃねぇ!!

 と、怒鳴ってやりたいが。それも出来ないのがなんとも歯がゆい。レースに集中しづらいので後ろからも逃げ切れず、前にはついてゆくのがやっとという。零らしからぬ状況だった。しかし泣き言など言ってられない。

  ままよ、と。零はアクセルを踏み込みシルビアを追う。スカイラインのエンジンFJ20が唸りを上げ、車内にエグゾーストが響きわたる。つられてグレンダも声を上げる。それを無理矢理シカトする。

 前方には邪魔な一般車はいない。

 シルビアのテールが近付く。赤いテールランプが、ナンバーがはっきり見える。その前のプリメーラのテールもナンバーも見える。後ろのレビンにはケツからの火をお見舞いする。

 前の二台の前には、邪魔な一般車。

 ラッキー!

 チャンスとばかりにシルビアに食らいつく。一般車が上手く二台を妨害してくれれば、抜くチャンスはある。どんな状況であろうと、勝ちたい気持ちは引っ込めない。

 それは範太とて同じ。非力なパワーをテクニックで補い、スカイラインにしぶとく食らいつく。もうほとんど踏みっぱなしだ。

 スカイラインのテールは、ずっと同じ大きさのままをキープしている。範太の意地の見せ所だ。

「置いてけぼりなんか食らうかよ。零ちゃんよぉ」

 もうすぐ右に曲がる交差点、そこで仕掛ける。

 スカイラインのラインを予測し、どこにレビンを飛び込ませれば良いか。瞬時にシミュレートする。

「いくぜぇ……」

 範太はつぶやく。

 喉から出る声と違う。異世界から何らかのメッセージを伝えるような、不気味なつぶやきだ。

 先頭の裕二は、前方の一般車をかわすためラインを右に移した。一郎は左。

 一般車のドライバーは、後ろから迫る光が左右に分散したのを見て、ハンドルを動かさずこのまま通り過ぎてもらうに任せるしかなかった。

 ラッキー!

 と、裕二と一郎は思い。そのまま抜いてゆく。零の思惑は外れ、そのまま続いてゆくスカイラインとレビン。

 轟音と共に四つの光が、一般車を左右から追い越してゆく。空気が揺られ、車も揺れた。

 小さくなって遠ざかる四台のマシンは、時折ケツから火を噴く。鉄とプラスチックの集合体クリーチャーは、街を覆い尽くす闇夜と静寂を切り裂き引き裂いてゆく。

 勝ちたいために、ただひたすら、突っ走ってゆく。



 交差点の信号は青、嬉しい事に一般車は無し。これまたタイミングがいい。

 四台は遠慮無く、右に曲がってゆこうとする。

 その時。

 レビンがスカイラインのインを突いた。零が減速の為ブレーキを踏んだ時、範太はアクセルを踏んだ。

 二台並んだ。レビン右側、スカイライン左側。 

「しまった!」

 思わず叫ぶ零。グレンダは。

「Oh No…」

 と人事のように首を横に振る。

 いっぺん殴ったろか…、と思ったが。もちろん出来ない。

「へっへ! ざまぁみろ!」

 と、言った後。それからも、あからさまな侮蔑の言葉でで零を罵る。それが通じたか、零は怒りを噛み殺し、アウト側からレビンに並んだまま交差点を曲がろうとする。

 スカイラインはタイヤをきしませ、小回りで行けるレビンに対し、大外回りで曲がる格好だ。

 零にも意地がある、このまま抜かれるわけにはいかない。が…。

 何を思ったか、レビンはアウト側に膨らむ。このままでは衝突してしまう。レビンのドテッ腹が零の眼前にまで迫ってくる。

「お、おい。マジかよ!!」

 慌てて減速し、スカイラインを下げる。と同時に、レビンのテールが視界に飛び込んでくる。しかもブレーキランプは煌煌と光ったまま。

「んぬぉ……」

 今度は言葉らしい言葉も出ず、こっちもさらにブレーキを強く踏みこみハンドルを右に曲げれば。ラインは交差し、レビンは左サイドに並ぶ。

 と思ったら、またレビンのドテッ腹がスカイラインに迫ってくる。

 またさらにブレーキを踏む。前方の視界に飛び込むレビンのテール。

 今度はブレーキランプは光っていない。レビンは加速し、テールは徐々に小さくなってゆく。

 その前方、前の二台はさらに小さくなっている。

「何考えてんだよ!!」

 理解不能な範太の行動に、ブチ切れの零。

「Very very exciting!」

 紙一重の攻防戦に、悦ぶグレンダ。

 まさに紙一重だったわけだが。零の判断が少しでも遅れれば、自分がキズモノになるかもしれないという事を完全に失念し、単純に悦んでいた。

 ふと零を見れば、獲物を狙う獣のような鋭い目の横顔。下腹部が妙にうずき生暖かくなる。

 後ろ二台の事など気付かず気にも止めないプリメーラとシルビア。シルビアはプリメーラの後ろに付き、決して離れない。

「しつけぇんだ、よ!!」

 なかなか離れないシルビアに、裕二は吼え猛る。とは言え、一郎はなかなかレース運びというものを心得ている。

 まだ中盤、無理はしない。さっきからプリメーラは裕二がやたらとアクセルを踏むおかげで、何度も前輪を空転させている。その度にタイヤは身を削られて、悲鳴を上げ煙を上げる。

 これがこのまま続いて、最後までタイヤが持つわけがない。終盤でタイヤは完全に身を根こそぎ削り取られて、グリップしなくなる。その時こそチャンスだ。

 一郎は、プリメーラの後ろにじっと控えて、時期を見計らう。

 そんなこと考えず、突っ走る裕二。

 後ろは後ろで、なにやらレースどころではないらしい。

 しきりにレビンがスカイラインに突っかかってくる。

 どうやらこのレース、無事に終わりそうには無かった。何やら一波乱も二波乱もありそうな予感を含んでいた。


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