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BURNING Ⅰ

いささか暴力的表現有。ご注意を。また当作品の車の運転は真似しないで下さい。

 都会と言うには高いビルは無く。人口もそこそこ。かろうじて、「街」と言える規模。

 娯楽施設も少なく。若者は自ら娯楽を捜し求める事を強いられる。

 と、書けば。つまらない街かもしれないが。

 確かにつまらない。都会の流行も、この街に到来するころには立派な時代遅れとなる。

 その中で、自ら娯楽を探し当てた若者たちは。その娯楽に血まなこになって、のめりこむ。

 他にのめりこめるものが無いのだ。だから、それしかないと錯覚して全てを注ぎ込む。

 人の体のどこから、無限にも思えるパワーが溢れてくるのか。そんな哲学的な疑問すら気付く事もなく。

 若者はそのパワーを爆発させる。

 月あかる夜。日付が変わったばかりの時間。

 夜の闇が全てを覆いつくし。

 ただでさえ少ない人々もどこかへと消え失せ。ただでさえ少ない車もどこかえ消え失せていた。

 人っ子一人いないゴーストタウンと言えば、簡単にダマされる間抜けがいてもおかしくない。

 そんな時間。 

 彼らにとって、自分の住む街がつまらない街であることの恩恵を最も受ける時間。

 街の南側にある。停まる船の無い、寂れた港。

 岸壁に打ちつけられる小さな波の音が、より一層の寂しさを醸し出す。

 そこに、どこから現れたのか十数台の車と。それを取り囲む数十人の若者がわらわらと群れを成し。

 港に夜の間だけの「集落」を作り出す。

 その中心に、四台の車が横に並んで。オーナーらしき者たち四人がそれぞれの車のそばに立っていた。

 それから少し離れて赤いGTO(Z16A)が、エアロでグラマラスさを増した存在感あるボディスタイルを強調しつつ、四台を見据えるように静かにたたずんでいた。



 武藤裕二ムトウ・ユウジはブラックメタリックに彩られた愛機プリメーラ(HP11)のそばにいて、周囲を見回す。

 ファミリーカーのはずのプリメーラは、フルエアロキットを組みこまれ。リアにはGTウィング、時には火をも噴く大口径マフラーが装着され。

 後部座席も取っ払われ、完全な「改造車」へと変貌を遂げていた。そのせいか、エンジンのアイドリング音も重低音が効いて異様に図太い。

 白いTシャツの上にGジャンを羽織り、Gパンにスニーカーというラフな格好。鋭い目つきは、それだけでそこらのチンピラなんか漏らさせてしまいそうな威圧感を感じさせた。

 実際。若者の中では裕二と目が合うことを避け、裕二と顔を合わせようとする者は皆無に等しかった。

 柳生零ヤギュウ・レイは赤と黒のツートンカラーの愛機スカイラインRS-Xターボ(DR30・通称鉄仮面)のそばにいて。裕二と同様周囲を見回している。

 見てくれも。シャコタンにされ、黒いワタナベのホイールを装着している以外、ノーマルのままで。

 昭和時代の古い車だが、存分にレストアされ。それからさらなる改造を施されたスカイラインは、下手な新車顔負けのパフォーマンスを発揮する。

 古い車と侮って、彼に敗れ去った者は数知れず。

 例え侮らなくても結果は同じだった。

 これもまた、スピードを出すために存在する車だった。

 黒いロングシャツにブラックジーンズ、スニーカーも黒と。黒一色の格好。美形と言ってもいい顔つきだが。やせ型で優男を思わせる風貌にその落ち着き払った態度は、相対するものに不気味な印象を刻み込み。そのせいか、同じ男はもちろん、女からも敬遠されていた。

「おい、おまわりが来ないうちにさっさと始めようぜ」

 と、裕二がGTOのドライバーに話し掛ければ。

「おい待て。なんでお前が仕切るんだ?」

 黄色のセリカSS-Ⅱ(ZZT231)のドライバー。小島正二コジマ・ショウジが裕二に食って掛かる。

 正二のセリカも、がちがちに改造されて。シャープな外観とは裏腹に内に秘めるものは見るものに威圧感を感じさせていた。

「おお、そうだ。お前いつから東条さんにそんな口きけるようになったんだ?」

 白いRX-7(FD3S)のドライバー、山田紀夫ヤマダ・ノリオも正二に同意して。裕二に食って掛かる。

 派手なエアロで決めたRX-7もハイパワー化されており。ロータリーマシンのカリスマ性を際立たせていた。

「あ? オレなにか間違ったこと言ったか?」

 横槍を入れられた裕二は二人にガンをくれる。しかし二人はひるむわけもない。

 ここにいる四人のドライバーは、皆すねに傷のある連中ばかりだった。それぞれが修羅場を潜り抜けており。

 気も強ければ我も強く、お互い一歩も引こうとしない。

 周囲は三人を真ん中にして広い円を描き、その円は徐々に広くなってゆく。



「待った待った。ストリートファイトは専門外だろ?」

 三人の様子を見て、零は呆れたように言った。

 三人はそれを聞き、互いにガンつけ合い。舌打ちをしてそれぞれの愛機の元まで戻る。

 それをにやけ顔で眺める男。赤いGTOのドライバー、東条史孝トウジョウ・フミタカ

 顎に髭を生やし、うなじの右側と右腕にファイアーパターンのタトゥーが黒いTシャツから覗いている。筋骨隆々とした体格、触れるものをいとも簡単に握り潰し踏み潰しそうな、威圧感十分な雰囲気を漂わせていた。

「いいぞいいぞ。その心意気や良し、だ。今夜も存分に走ってこい」

 と言いながら、右手を差し出す。

「その前に、参加料を出してもらわねえとな」

 その声に裕二は頷き、ポケットからしわくちゃの一万円札を十枚取り出し史孝に手渡す。零も続いてポケットから財布を取り出し、十万円を手渡せば。

 正二も紀夫もそれに続く。

 史孝は四人から手渡された十万円、計四十万円を右手に握りしめる。史孝の右手に一気に視線が集中し、それを感じて悦に入ったように、さらに顔をにやつかせる。

「よーし、みんな。ここに四十万ある! このカネが今夜のレースの優勝賞金だ!」

 カネを握る右手をかざし、集った若者たちに見せつける。ギャラリーたちは大声あげてはしゃぎだす。

「オレは裕二に三万!」

「あたしは零に五万!」

 次々と飛び出す賭け金額。若者達も四人に各々のカネを賭けて今夜のレースを楽しむ。

 こうなれば嫌い好きも関係無い。勝つだろうと思う者には、有り金を賭ける事など惜しいとすら思わない。

 レースは見るだけでも面白いが、そこにカネが入ればさらに面白くなる。カネが一番人間の顕在ニードを刺激する、唯一無二のものなのだ。

 史孝はまるで花道を行くスター気取りで群集の真ん中を横切り、港出口付近まで歩いてゆく。右手にはカネを握りしめたまま。

 史孝はこの街の不良連中を取り仕切る、不良のチェアマン的存在だった。

 それと同時に、今夜催されるストリートレースの主催者でもあった。この街で夜な夜な繰り返される暴走族のストリートレースは、全て史孝が仕切っていると言ってもいい。

 修羅場をくぐり抜けた猛者どものアタマを張るだけあって。車やドライビングテクニックはもちろん、その腕っぷしも自慢の一つだった。ウワサではヤクザとも付き合いがあると言うが。

 さっき裕二に食って掛かった正二や紀夫が、史孝には素直に従うところを見ると、火の気の無いところになんとやら。であった。

 今夜レースをするので参加者を募る、と。子分どもを使い「御触れ」を出し。その「御触れ」に応じたのが。

 武藤裕二、柳生零、小島正二、山田紀夫。この四人のドライバーというわけだ。



「よーし、お前ら。レーススタートだ! とっとと車に乗り込め!」

 図太い史孝の声。四人はお互いにガンくれ合いながら車に乗り込もうとする。

「腰ぎんちゃくがそんなに楽しいのかね」

 裕二が正二に吐き捨てれば。

「ムカつくんだよ。テメーの存在自体がな」

 正二もすかさず言い返し。セリカのドアを開けシートに腰掛けると乱暴にドアを閉める。空気の破裂したような音がした。

 そして、勢い良く空ぶかしをすれば。改造された2ZZ-GEエンジンまでが挑発的で乱暴な声を上げる。

 それに紀夫のRX-7も続く。

 二台のマシンは周囲に怒鳴り散らす、それは裕二と零にも向けられていた。

「頭の悪さを強調してるよ。アイツら」

 零は裕二にそう言うと。

「前からわかってただろうが。そんなこと」

 と、怒気を含んだ声で返された。

 裕二もプリメーラに乗り込み。こっちも勢い良く空ぶかしする。

 元はファミリーカーとは思えぬ図太いマシンの声。どう考えてもこれは変わりすぎだが。事情を知るものはマシンの声を聞き、エンジンの調子の良い事を感じ取っていた。

「お前もな……」

 零はプリメーラにじと目をくれてやると、愛機スカイラインに乗り込んだ。こっちは空ぶかしはしなかった。

 しかし右足は何故か、むやみやたらとアクセルを踏みたがっている。

「オレも同じ穴のムジナ、か…」

 可笑しそうに含み笑いを浮かべる。

 マシンが激しく空ぶかし怒鳴り散らされる度、周囲の動きも声も大きくなってゆく。

 夜空に向かい何本もの手が星を掴み取ろうと差し伸べられ。付和雷同に四台と四人をけしかけるギャラリーたち。

 他の車たちはライトをパッシングさせ、ステージを照らす照明を作り上げる。

 寂れた港に集った「集落」は、瞬時にしてお祭り騒ぎとなった。

 史孝は右手を上げてスタンバイの合図を送る。激しく唸りながらいつでも飛び出さんとするマシンたち。

 上げられた右手にはカネ。それが否が応でもドライバーの士気を高め、若者たちも激しいレースを期待してやんやの大喝采だ。

 横に並んだ四台のドライバーたちはお互いにガンくれ合い、視線に火花を散らせる。

 カネを握る手にさらに力がこめられ、四十万円の札束がさらにしわくちゃにされる。

 それと同時に振り下ろされる右手。

 刹那。四台のマシンは、いっせーのっどん! と野犬よろしく吼えまくりながら飛び出し。道路に飛び出す。

 傍若無人なストリートレースが、暴走が。自らの娯楽を見つけた者たちのために、つまらない街の中で繰り広げられようとしていた。

 


 アタマを取ったのは零のスカイライン。以下、正二のセリカ、紀夫のRX-7、裕二のプリメーラと続く。

「オレの前を走るたあ、上等じゃねーか!!」

 スタートをしくじった事をを棚に上げ、前三台に叫ぶ裕二。

 四台は港から左手、西に進路を取る。街へと続く一本道は右に直角に曲がりこみ、北へと誘う。

 零は何を思ったか、スカイラインをフルカウンターを当てながらドリフトさせながら右カーブを抜ける。後ろの三台もそれに続く。

「余裕だな、柳生。それが命取りになるかもしれんぜ」

 正二は目の前でドリフトをかました零に吐き捨てる。マジで逃げたいと思うなら、わざわざリアタイアをスライドさせてマシンに無駄な動きをさせるわけもない。

 同じFRのRX-7に乗る紀夫はキチンとグリップで抜けたと言うのに。

 その紀夫のRX-7のケツを、裕二のプリメーラが突っつきまくる。紀夫は早くも苦渋の表情を浮かべミラーを覗く。

 カーブでのアクセルオフの度、風船から空気が抜けるような音がした。その音は本来のプリメーラのエンジンではありえないことだった。

「FDったあ。ふとっちょでぶ、の略だったのかよ」

 RX-7のリアテールを睨みながら悪態をつく。そうしたくなるほど、RX-7はゆっくりとカーブを抜けていくように感じられた。

 それどころか、カーブの終わりでは、今更のように零のようにリアをスライドさせてしまい加速をしくじってしまった。

 紀夫の顔が青ざめる。

 右カーブを抜けると、街まで続く直線になり。向こう側に豆粒大の信号が赤く点滅している。

 その信号までの間。四台のマシンはそれぞれのパワーを全て吐き出し路面に叩きつける。

 片側二車線の道路のみならず、対向車がいないのを良い事に、対向車線にまではみ出し四台は並んだ。

 左からスカイライン、セリカ、RX-7、プリメーラ。

 スカイラインにセリカが並びかける。加速力では、余裕を見せた零とは違いスムーズにカーブを抜けた正二に分があった。

「お先にどーぞ」

 加速で適わぬと察した零は素直に正二に道を譲った。これでセリカがアタマだ。

 対向車線ではプリメーラが、加速をとちったRX-7を抜き去ろうとしていた。RX-7は慌てて進路を塞ごうとするが、遅きに失した。

「おお、テメーぶつける気か!」

 裕二はアウト側のRX-7に怒鳴る。プリメーラは加速する。RX-7はずるずる後退する。

 プリメーラは勢いあまって空回りする前輪で、路面を掻き毟りボディを引っ張る。路面との摩擦で煙が上がり、後ろに下がったRX-7に煙をあびせる。

 フロントガラスに煙が迫り、紀夫はますます青ざめる。

「くそ。パルサーのエンジン様様だな……」

 紀夫は今パルサーのエンジンと言った。そう、裕二のプリメーラにはニッサンの4WDマシン、パルサーGTiRのSR20ターボエンジンが搭載されているのだ。プリメーラのエンジンも横置きのSR20エンジン搭載だったが、パルサーGTiRのSR20にはターボが付いている。同じエンジンでもターボのあるなしではパワーに大きな差があるのだ。

 もちろん、乗せ換えにはそれなりに手間と金はかかったが。それでも元は取れるほどプリメーラはパワフルに変身したのだ。 

 RX-7の前に出るや否や、プリメーラは急激に進路を変えRX-7の前を横切りスカイラインにも迫ろうとしている。

 目の前を横切られた紀夫は苦虫を噛み潰した表情で、いっそ追突でもしてやろうかと思いたくなるほどプリメーラを激しく憎悪した。



「武藤もやるなあ」

 零はミラーでそれを確認すると、なんとも呑気な事を言った。それがいつもの零のスタイルだった。

 そうしている間にも交差点は迫ってくる。一緒に街も迫ってくれば、背の低いビルの谷間も迫ってくる。

 交差する道路の信号は黄色に点滅し、優先権は交差道路にあるのだが。そんなのは四台にはお構いなかった。

 減速する気配すら見せず、四台は交差点に突っ込む。交差点には人も車も無い。だからお構いなしだ。

 四台は信号を無視して街に突っ込んだ。

 怒号がビルの谷間に響きわたり。眠れる街をたたき起こす。

 人気の無い街だからと言ってほかに車が無いわけではなく。少ながらも次々と、レースには無関係な一般車が走るパイロンとして迫ってくる。

 それをジグザグ走行しながらかわしてゆく。車間距離を読むタイミングを一歩間違えれば一般車を巻き込んだ事故になるのは必至だった。

 しかしそこは修羅場をくぐりぬけた猛者ぞろい。なんなく一般車をかわしてゆく。

 かわした一般車にマフラーからのアフターファイアーをお見舞いするプリメーラ。驚いた一般車のドライバーは自分に向かって放たれた火を見て思わずブレーキを踏む。

 次の次のそのまた次の信号も無視だ。交差点には人も車も無い。あったとしてもクラクションで怒鳴り散らし払いのける。

 その前にエグゾーストノートで散々怒鳴り散らし、行く手を阻むものたちをどかせ己の突っ走る道を広げてゆく。

 払いのけられる者は成す術も無く、ただ道を譲るしかない。意地を張っても命を無駄にするだけだ。

 背の低いビルの谷間を、轟音轟かせて突っ走る。

 そこに人の営みもあれば、この時間なら夫婦の営みも行われている。それらをすべてぶち壊しながら突き進む。

 先頭はセリカのまま、スカイライン、プリメーラ、RX-7。

 四台は次の交差点を右に曲がった。タイヤが悲鳴を上げる。

「どうしたどうした、威勢がいいのは最初のだけか!」

 前を見ながら後ろにどなる正二。セリカは右に左に蛇行して後ろを挑発する。

「邪魔くせえんだよ!」

 スカイラインのリアテールに怒鳴る裕二。なかなか隙を見せない赤と黒のツートンが憎らしい。

 ちょっと近付いたと思ったら、すかさず前に出て進路を塞ぐ。おまけにケツから火も噴く。それを見て怒りに震え、つられてケツから火を噴くプリメーラ。

 一番後ろのRX-7はだいぶ遅れてしまった。一般車をかわすのにてこずってしまった。

 もともと、紀夫はみんなには期待されてはいなかった。だから、紀夫に賭けているギャラリーは少なかった。まさにその初っ端からその通りの展開になってしまった。

 このレースに勝てば、史孝が右手に握っていたカネが全て手に入る。それは、名誉だのプライドだのハクだのというものを全て打ち砕く魔法の力をもっている。

 勝って金が入ればよし。金が入れば車も女もなにもかも思いのままだ。

 負ければ金も失い女も寄り付かないし車に乗るのだってままならない。惨めな負け犬になることが、なによりも確実に約束されてしまう。

 とにかく、一度でも勝てば普通に仕事をするのが馬鹿馬鹿しくなる。好きな車を乗り回し金を得る。それが彼らのビッグドリームだった。

 そのドリームはこのストリートレースでしか手に入れられない。

 アンダーグラウンドだからこそ、成しうる事のできる旨味。だが当然リスクもある。

 ハイリスクハイリターン。そんな緊張感の中で彼らは走り。彼らは生きていた。



 四台は交差点を突っ切ろうとする。信号は赤のままだ。

 一般車が一台いる。しかしお構いない。そのまま交差点に突っ込む。

「ひ!」

 驚いた一般車のドライバーはあわててブレーキを踏む。タイヤから白煙が上がり前のめりになってそのままずるずると、まるで何かに引かれるように滑ってゆく。

「あぶねえ!」

 正二は慌ててそれをかわし、零も裕二も続いた。しかし…。

「うあ!」

 紀夫が大声をあげた。目の前には…、一般車。RX-7のノーズが一般車のわき腹もとい右ドアに引き寄せられて……。

 紀夫は慌ててハンドルを切った。RX-7はどうにか一般車をかわすことが出来た、が。

 急ハンドルを切ったおかげで、RX-7は自分が行きたい方向とは全然違う方向へとノーズを向けた。

 その先には、電柱があった。

 それを意識したとき、紀夫の体に衝撃が走る。RX-7は電柱と激突してしまったのだ。しかも電柱は結構頑丈に出来ているもので、多少の傷はついたものの、倒れることはなかったが。

 RX-7のノーズに電柱が食い込み、真ん中がへっこんで、まるでクワガタムシになったようだ。

 紀夫は己の犯した過ちに悔いるより、事故の衝撃でむち打ち症になったらしく。痛みを堪えきれずシートにうずくまっていた。

「あの馬鹿!」

 ミラーで事故を見た裕二は舌打ちした。

「これでおまわりが来るのが早くなるかもしれねーじゃねーか!」

 人間がどうなったかなんて関係無い。裕二にとって肝心なのはレースが成立するかしないか。それだけだ。

 それは他の二人も同じだ。

 もともとおまわりを呼び寄せるようなことをしているってのに。馬鹿が馬鹿してくれたおかげで、余計にそのタイミングが早くなってしまう。

 事故った二台を置き去りにしてそのまま突っ走れば、巨大なアーチ状の橋が見えた。街をを分断する市内で一番大きな川をまたぐ、市内で一番大きな橋だ。

 強烈な登りのあとすぐに強烈な下り。

 ここで零が薄ら笑いを浮かべれば、裕二は待ってましたと言わんがばかりに「がはは」と笑う。

 三台は橋を駆け上った、まるでジャンプ台を駆け上がっているようだ。

 登りでは完全なパワー勝負となる。セリカの正二が「クソッタレ!」と罵倒する。

 ハイパワーターボの威力がここでいかんなく発揮され、ターボの無いセリカはあっという間に抜かれてしまった。片側三車線路の真ん中にいるセリカを、右にプリメーラ、左にスカイラインが。挟んでぶち抜いてゆく。

 左右を慌てて見回す正二、一瞬零と裕二と目が合った。向こうもこっちを見ていたのだ。

 ついでに、裕二は中指をおっ立てていた。

 伊達にカタツムリ(タービン)がついてないってことだった。

 橋を上りきると、そこは強烈な下り。一瞬、そのまま空を飛んでいくんじゃないかという錯覚。

 その錯覚を現実にするかのように、三台のマシンが軽くジャンプする。普通の法定速度ならなんでもない登り下りの変化も。法定速度の軽く3倍近い速度では慣性のおかげで、ただの橋も立派なジャンプ台になる。

 カタパルトから打ち出されたような、鉄の塊のトリプルジャンプ。フロントに重いエンジンを搭載しているのでノーズが下を向く。しかし下り坂なので丁度いい角度で着地した。着地と同時にハラをこすった、マシンは激しく揺れて、ぶつけたハラから火花を散らす。

 ドライバーにも衝撃が走る。ケツをどつかれた衝撃で内蔵が口から飛び出そうだ。

 それを感じる間もなく、引力に引かれて急激に上がるスピード。一気に狭まる視界。奈落の底へとまっさかさまに落っこちているようだ。

 飛んだと思ったら、ケツをどつかれ。そのままワープ。下手な遊園地のアトラクションも真っ青だ。

 今さっき紀夫は一般車を巻き込んでしまったのに、それすら省みずひたすら突っ走る。

 ハイリスクハイリターンとは、まさにこのことなのだ。

 天国と地獄の二つが同時に存在する世界での追いかけっこ。

 それが彼らが自ら見つけ出した娯楽だった。



 ストリートレースは続く。

 娯楽と言うにはあまりにも危険すぎる遊び。

 それを楽しむ怖いもの知らずなストリートレーサー。勝者になれば全てが手に入るアンダーグラウンドならではの旨味。

 それももう後半戦に突入しようとする。

 四台でスタートしたマシンは今は三台。哀れな事に、一台はお天道様の下を歩く事ができなくなってしまった。

 オレは不死身のヒーロー、という錯覚すら覚えかねないアンダーグラウンドの世界。しかしここはバーチャルワールドではない、リアルワールドなのだ。

 彼はそれを失念していたらしい。そういうヤツが真っ先に落ちてしまう罠がこのレースには仕掛けられていたのだった。

 橋を過ぎたところの交差点、進路を右へと取れば海岸線へと続くバイパスへと入る。そこからずっと片側三車線路だ。

 一番後ろになってしまった正二がこのまま黙っているわけもなく。隙あらばと、しつこく目の前のプリメーラに迫りくる。裕二も右に左に蛇行して後ろのセリカの進路妨害をする。前のスカイラインも後ろの状況をミラーで確認し、やばそうだと思えばプリメーラの進路妨害をする。

 もちろん、邪魔な一般車もかわさねばならない。

 三台とも、蛇行しながらの走行になってしまっているのだが。普通の暴走族が面白半分に蛇行するのとはスピードレンジが格段に違っているのは言うまでもないし。蛇行する根拠が彼らにはあってのことだった。

 バイパスとてそのまま真っ直ぐというわけではない。わずかに、かなりキツく、曲がっている個所もある。

 そんなバイパスをアウトインアウトラインに、右に左に、両側六車線を目一杯使い。カネのために前に出ようとし、前に出れば前をキープしようとする。

 前のマシンが後ろを威嚇するようにケツから火を噴く。

 途切れ途切れの白線が一本に繋がっているように見え、道路を挟む街灯やビルや民家が早送りで、視界に現れては消えてゆくように通り過ぎてゆく。

「後ろからちょろちょろと、ウゼェぜ!」

 ミラーに向かって叫ぶ裕二。正二などほっといて前のスカイラインに集中したいが、させてもらえない。

 怒りのアフターファイアーがセリカに放たれる。

「前をちょろちょろと、目障りなんだよ!」

 アフターファイアーすらも飲み込みそうな大きな口で大声でまくしたてる正二。

 なんとしてもレースに勝ってカネをぶん取りたいという欲望丸出しにアクセルを踏みたくる。

 スカイラインは後ろの二台を引き離そうと、必死こいて逃げ回る。零は物言わず無言の本気走りに集中しまくりだ。

 順位が膠着したまま、と思われたとき。動きがあった。

 一般車がスカイラインの前にいる。しかも一車線目と二車線目に並んでいる。空いているのは三車線目のみ。

 スカイラインが三車線目に飛び込もうとしたとき。何を思ったか、突然二車線目の一般車が三車線目に車線変更をしようとするではないか。しかもウィンカーもつけず。

 一般車はこの先にある交差点を右折しようと車線変更したのだった、おまけに後方確認をせずに。この予期せぬ出来事に。

「うぉ!」

 零は慌ててブレーキを踏んだ。スカイラインは前のめりになり、フロントタイヤがロックされる。

「なにやってんだ!」

 不覚にも裕二もつられてしまった。後ろを気にするあまり、前をよく見ていなかったのがいけなかった。

 車線変更をするなら、ウィンカーをつけて欲しかった。そうすれば対処のしようもあったのに、と思ったところで仕方がない。

「もらった!」

 ラッキーだったのはセリカの正二だった。前二台のスピードが鈍ったところをすかさず突いて、空いた二車線目へと飛び込みアタマを取った。

 幸い激突は免れたものの。正二に前に出られてしまった裕二と零は、一般車のドライバーを引き摺り下ろしてしばき倒したい気持ちを堪えながら。体勢を立て直しセリカを追わねばならなかった。



 一般車はこの突然後ろからやってきた凶暴なマシンたちに驚き、ドライバーは成す術もなくそれらを見送るしかなかった。ある意味、激突されなかったことも幸いだが、彼らがカネのかかったストリートレースの真っ最中だったのはもっと幸いと言ってもいいかもしれなかった。

 このように、いつ何事がおこるかわからない。それがストリートレースの怖さでもあった。

 道路は生き物と言われる。その中でうごめく細胞のような車たち。その細胞には良い細胞もあれば悪い細胞もある。

 ストリートレーサーはどちらかと言うと、悪いガン細胞のような存在だった。

 そのバイパスが終わりに近付き。海岸線がもうすぐであることを示すトンネルが待ち受ける。さすがにここまで来ればビルや民家は少なくなが、全く無いわけではないので迷惑な事は変わらない。

 トンネルに入る三台。トンネルの明かりで一気に視界は開かれる。マシンのエグゾーストが外壁に反響しコンサートホールさながらにトンネル中に響きわたる。

 トンネルを抜ければ海岸線だ。昼間なら青い海や青い空が拝めるのだが。この時間では墨汁をぶちまけたような闇しか出迎えてくれない。

 その闇の出迎えを受ける前に、彼らを出迎えたものがあった。それは赤く光る赤色灯をルーフにつけた黒白ツートンのセダン。

「……げ!!」

 零も、裕二も、正二も。一緒に声を上げた。

 それは三台の前に立ちふさがり、明らかにマシンを止めようとしている。が、一台しかいない。市民の通報を受けたのかもしれないし、紀夫の事故を受けてかけつけたのかもしれないし。

 応援がまだ来てないらしいのを見ると、どうやらたまたま近くにいて、応援が来るまでなんとか止めるようにと命令を受けたようだ。

 だが、彼らは慌てなかった。特に裕二と零は。

「くっそ、紀夫のヤツのおかげで…」

 今更のように紀夫を呪う正二。おまわりが途中で出張ってしまった以上はレースは無効だ。おそらくはスタートした港にもパトカーが来て、みんな蜘蛛の子を散らすように逃げている事だろう。

 これで、レースが成立するわけもなかった。

 最終ゴールまで走ってこそのレ-スなのだから。

 一度減速して反転しようとするセリカ。その刹那。

 何を思ったのか左からスカイラインがセリカをぶち抜いていった。右からプリメーラもそれに続く。

「な、なにを考えてやがる。おまわりが来たらレースは無効だってのに!」

 頭でもおかしいのか、と思ったが。そんな頭のおかしいヤツなんかに構ってる暇は無い。今はとにかく逃げねば。

 と、反転するためにサイドブレーキを引こうとすれば。突然目の前にやって来たスカイラインのブレーキランプが灯った。それもかなりブレーキを強く踏んでいるようだ。スカイラインは前のめりになりロックされた前輪から白煙を上げている。

 先に減速したセリカよりも、急激に落ちるスピード。このままでは追突してしまう。

「うおおおーーー!!」

 急ブレーキを踏みながら。ふと右側に気配を感じれば、プリメーラも減速してて。セリカの右サイドに迫ってくるではないか。これでは、追突だけでなく横からもぶつけられる。

 その間、パトカーはこっちをじっと待ち構えているが。三台のこの状態に呆然としているようでもあった。しかし警官の右足はアクセルに乗せられていつでもダッシュ出来る体勢を取っていた。警官とて、犯罪を取り締まる為に訓練を受けてそれを体に染み込ませているのだ。

「もうだめか!」

 と、思い観念しそうになった時。スカイラインは瞬時に反時計回りに180度反転し。セリカの横をすり抜けてゆく。

 プリメーラもさらに減速しセリカを前に出した後、スペースが確保できたのを確認してすぐこっちも反時計回りに180度反転した。

 スピンターンをするために引いたサイドブレーキでロックされた後輪から白煙が上がっていた、というのは覚えていたが。それからははっきりと覚えきれていなかった。

「なな、なんだ……」

 あまりの事に呆然とする正二。もうすでにスカイラインもプリメーラもトンネルを逆走してどこかへと消えていってしまっている。

 トンネルという「ホール」で繰り広げられたカースタントに、パトカーも呆然としていたが。すぐに職務を思い出し、セリカをしょっ引きに迫ってくる。

 もちろん正二は逃げようとした。しかし、ほとんど徐行状態で、しかもFFのセリカではアクセルを踏んでパワースライドも出来やしないし。サイドターンをするにも勢いも速度も足りなさ過ぎた。

 車内の助手席の警官が警棒を構えているのが見えた。

「無駄な抵抗は止めて、速やかに両手を上げて車から降りろ!!」

 スピーカーから響く警官の怒鳴り声。トンネル内でわんわん響く。

 一緒に正二の心臓と脳味噌にも響き、一瞬にして体温を下げてゆく。

 この時、やっと自分がおとりにされてしまった事に気付いても。後の祭りだった。

 ライバルではあっても、仲間ではないのだから。助ける義理も無いし、それ以上に利用できれば利用する。それだけのことだ。

 かつては他のヤツにしたことを、今自分がされて。巡る因果の恐ろしさを痛感するしか他に術も無く。他に出来る事と言えば、警官の言う通りにする事だけだった。

 こうして、ストリートレースはうやむやのうちに無効になってしまった。 



「ちぇ、なんてこったい」

 裕二はぶつぶつつぶやきながらスカイラインの後をついてゆく。もう馬鹿みたいにスピードは出していない。

 十分おまわりから逃げ切る事が出来たようだ。

「ぜんーんぶ、おじゃんか」

 零も零で、レースが無効になってしまって残念そうだ。

 ふたりとも、このレースで勝ってカネをモノにしようと思ってたのに。そうすれば、また車を改造できるし。次のレースの参加料にも困らない。それは次のレースまでお預けになってしまった。

 二台はさっきレースで走った道を避け、史孝の指定した避難場所へと向かっていた。もし同じルートを通ればパトカーと鉢合わせになるかもしれないからだ。用心に越した事はない。

 しかしさきほどの二台は見事なものだった。どっちから合図したわけでもないのに、ピタっと息の合った連携プレー。これは長い間コンビでも組んでいなければ出来ない芸当だったし。

 なぜ、ふたりとも同じように正二を置き去りにする事を考えたのか。そこが一番のミソだった。

 なにはともあれ。ふたりは避難場所へと向かい、そこに先にいるであろう史孝から参加料を戻してもらうつもりだった。

 避難場所は国道をしばらく走った先の山の、人里はなれた場所にある駐車場のある無人のコインスナックだ。コインスナックは近くに民家もない場所で、ひっそりと明かりを灯し寂しそうにたたずんでいた。

 ここはよくトラックの運ちゃんが利用しているが、今は史孝の派手なエアロのGTOしか見えなかった。豪奢なGTOが停まるにはあまりにもアンバランスな感じがしないでもないが、ドライバーを見れば不思議とマッチするのはどうしてか。

 ふたりは車をコインスナックの前に停め、中に入れば史孝はコインスナックの自販機で買った缶コーヒーを飲んでいる最中だった。

「よう、大変だったな」

 呑気に出迎える史孝。裕二と零は適当に相槌をうつ。

「戻ってきたのはお前らだけか。山田と小島はどうした?」

 別に怪訝そうにするでもなく、コーヒーを飲み終えた後タバコに火をつけ煙をくゆらせる。

「山田の馬鹿は事故ったよ」

 裕二は吐き捨てるように言った。思えば紀夫が事故を起こしたおかげで、おまわりが来るのが早くなったようなものだから。

「小島は?」

「途中出張ってきたおまわりに捕まったよ。今ごろこっぴどくシボられてるかもな」

 零の言葉に史孝はタバコをくわえたまま相槌をうつ。顔は妙に、にやついている。それを嫌そうに見る裕二。

「ふたりとも気の毒に。これでまたレーサー人口が減っちまったなあ」

 とても気の毒そうにしているようには見えない史孝の笑み。しかし実際レーサー人口は減りつつあった。

 言うまでもない、警察の取締りが強化され。怪しいと思っただけで停められ尋問されてそのまま捕まったヤツもいたほどだ。

 ストリートレーサー包囲網は徐々に、確実に狭まりつつあった。それでも懲りずに闇に紛れて走るのが、意識はしてなくても、彼らの悲しい習性だった。

「そんなことはどうでもいい。それより、参加料を戻してもらおうか。レースも無効になっちまったことだしな」

 零が言うと、史孝は「ふっ」と一笑に伏し。

「ダメだ」

 と、言った。


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