独占欲と嫉妬心
別フロアにある経理担当課に精算の書類を持って行き、社交辞令で軽い雑談をする。
「佐久間くんは松井とペアなんだってな」
「はい、松井さんにはいつもお世話になってます」
「あいつ、ちょっと分かりにくいとこあるけど、いい奴だからさ。まぁ仲良くしてやってな」
表面上はただの親切、だがマウントをとられている気がして若干イラッとくる。
先輩の同期だという堺さんの左手薬指をチェック……指輪無し。
心の中でチッと舌打ちした。
男が男に惚れる確率はどれくらいだろうか?
少なくとも、俺が先輩を好きで、先輩も俺に好意を持ってくれている(だって濃厚チューしたし)としたら、この会社のビルだけでも数字の上では1〜2%くらいにはなる。
その数字に含まれるのが俺らだけとは限らない、恋敵が存在するかもしれない。
そして、当然のことだが、恋敵は女性の場合も考えられる。
堺さん、その他男性、女性陣、俺がバチバチバチっと火花を散らしているかもしれない構図、時は戦国時代。
俺よりも数年早く入社した先輩には、俺が知らないロマンスも幾らかあったのだろうか。
あはんとか、うふんとか、いやんとか。
壁ドンとか、ドカベンとか、床ドンとか、静かなるドンとか。
漫画やドラマでよくありがちな台詞「キスしただけで彼氏面とかやめてよね」状況に陥っている俺。
交際希望を告げ、濃厚チューはしたものの、舞い上がって不覚にも肝心の返事を貰っていない。
多分OKなんだろうとは思う。(先輩からもチューしてくれたし)
きっと現状付き合っているに違いない……と思いたい。
「多分」とか、「きっと」の文字を消したい。
しっかりした形が欲しい。
社会的に、大きな声では先輩を好きだとか付き合っているとか、正直まだ言いにくい。
会社での立場もある。
それに俺が気にしなくても、先輩は気にするかもしれない。
5階に戻ると、先輩はパソコンの液晶画面を見てキーボードを早打ちしていた。
両手の長い指がぱらぱらと動く様子は軽やかで、ピアノを弾いているようにも見える。
さらりとしたクールな表情、色っぽくしなる首、綺麗な男らしい指。
この距離からだと全て黒髪に見えるから、白髪は全然分からない。
ちろっとだけ見えている、頭の上でくるりと巻いたつむじの渦が可愛い。
視線を感じたのか、先輩の顔がこちらを向いた。
「おかえり、佐久間」
「! ただいまっ……戻りました」
新婚か? 先輩は新妻か? 俺旦那?
「経理、すんなり書類受け取った?」
「はい。あ……松井さん、堺さんと同期なんすね」
会話しながら先輩の席のすぐ横まで歩く。
「ん? ああ、同期同期。喋った? いい奴だろ、アイツ」
悋気、嫉妬、ヤキモチ、ぼた餅……なんか違う。
「ええ。感じのいい人でした」
八つ当たりみたいにトゲのある言い方になったのは俺のせいじゃない……多分。
先輩がキョトンとした目で俺を見る。
羞恥……居たたまれない。
フッと先輩が笑った気がした。
「佐久間」
キーボードの上から先輩の片手が消えて、俺の手に重なってゾクリとする。
先輩は表情も声もいつも通り……いや、表情は少し笑いを堪えていそうだ。
「飲み行きませんか? 今日」
誘われた気がしたから。先輩はただ俺の反応を見て面白がっているだけの気もするけれど、俺は俺に都合良く解釈させてもらう。
「ああ、いいよ。付き合うよ」
ぼた餅来た!
当て馬、堺さんに心の中で感謝する。
先輩の「付き合う」の言葉の意味を都合良く解釈するズルはしたくない。
今日はもう一回、ちゃんと先輩に想いを告げると心に誓う。
先輩が重ねてきた手に自分の指をそっと絡ませながら、ここにはまる指輪を贈ろうと俺は思った。