お味噌汁
母のお味噌汁が好きだった。
社会人になってから、久しぶりに帰った実家で母のお味噌汁を飲むとほっとした。
母は私と違って料理が得意な人だった。
ふとした好奇心から、
「どうやって作るの?」
と私が問えば、
「やっと料理をする気になったのかい」
と呆れてみせたものだ。でも、料理が苦手な私に一から作り方を教えてくれるような、優しい人でもあった。
私が一番最初に覚えたのは、そんな母のお味噌汁で、お出汁の取り方もお味噌の溶き方も、何もかもが初めてだった。
帰省の度に母と台所に立つうちに、お味噌汁の味だけではなく、母と作るその行為自体が私の楽しみになっていた。
小さい頃は気づかず、料理をするようになってからやっと気がついたこともあった。
母の爪はいつもきれいに切り揃えられていたて、指先は少しささくれていた。
それらは全て、母がいつも水仕事を頑張ってくれていた証拠だった。お洒落なんて二の次で、家族のために頑張ってきてくれていたのだろう。
「どうしてそこまで頑張ろうと思えたの?」
「そりゃあね、嫌になる時もあったさ。でもね、あんた達はいつだっておいしいって言って食べてくれただろ? それが嬉しくて、ここまで続けられてきたんだよ。まあ、父さんなんかは、最近はお酒ばっかりだけどね」
「父さんは、前の晩に飲み過ぎても、朝のお味噌汁だけは欠かさないでしょ?」
「そうそう、この体に染み渡る感じがいいんだ、って」
寝起きのだらしない父の姿を思い浮かべて、二人で声をあげて笑った。
「うらやましいなぁ」
「なんだい、あんたにだってそのうち現れるさ」
「お味噌汁を作ってくれる人が?」
私が冗談半分に返した言葉を、母は素直に受け止めたようだった。
「それがお望みなら、早く料理上手を捕まえな!」
「あんたが胃袋を掴みなさい、じゃないんだ?」
「そこは心配していないよ。なんたって、私が料理のいろはを叩き込んだんだからね」
自信満々に胸を張る母の言葉に、私は元気をもらったのだ。
そんな一年前の出来事を思い出しつつ、私は今手紙を読んでいる。水野有希子が母に向けた最後の手紙だ。
スポットライト越しに目の前に立つ母の姿は、台所に立つそれとは違ってとても綺麗だった。
私も母みたいな女性になれたらいいな、と思いを込めて、私は感謝の言葉を音にした。
「母さん、今まで育ててくれてありがとう」
今日で水野有希子はいなくなる。けれど、水野家の味は名前を変えて受け継がれていくだろう。