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地下の留まり木  作者: 石筍
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聡と貴志

「聡さん」

「どうした?」

「昨日、貴志さんに今までの事を話してて、気になったことがあるんですけど」

「ほう」

「初めに私たちが会った時、聡さんは私の事を引き起こしてくれましたけど、なんでそうしてくれたんですか?」

「前に成実に話した通りだが?」

「そうじゃなくて、初めから私の動きを見ていなかったら、あんな風に反応できないんじゃないですか?」

「まあ、初めから見てたからな。何となく嫌な予感がしてな」

「それでわざわざ後ろに並んで様子を見ようと思うんでしょうか。最初から知らないふりして離れたところに行ってれば、目の前で人が死ぬことも、それを赤の他人の聡さんが説得したりする必要もなかったんじゃないかって思ったんですけど」

「つまり、見知らぬ他人の事なんか放っとけば余計な金も労力も掛からず合理的だっただろうし、価値判断がどうこうとか言ってた俺の事だから、そうしてもおかしくなかったんじゃないかってことか?」

「…まあ、そういうことになりますね」

「俺は今も言った通り、あのまま知らんふりすることと止めることの、俺にとっての損得を考えてああしただけだ」

「聡さんにとって、他人の命にはそれくらいの価値があるんですか?」

「…別に面白い話じゃねぇんだが、俺が電車で通学してた頃に、駅のホームを歩いてたら向かいのホームで人身事故が起きたことがあってな。それを見たこと自体もそうだったが、周りにいた人間の反応も気分が良いもんじゃなかったんだよ。と言っても、軽口でも叩いたりして気を紛らわしたかったってことだったのかもしれんし、それもわからなくはないからあんまり強く言えないんだけどな。要は、俺はそんな気分を味わうのは御免だったから、止められるもんなら止めた方が俺のためだと思っただけってことだ」

「…聡さんって、やっぱりいい人じゃないですか?」

「そりゃどうも」

「本当にそう思ってますよ? 聡さんは全く知らない他人の命のことでも大切なものだと見てるから、今言ってた人身事故とそれに対する周りの反応も快く思わなかったんじゃないですか?」

「他人の事を大切に見てるっていうのはどうかな。俺は自分の事を大事に思ってるし他人に軽々しく扱われたくないから、もしかしたら他人に対してもいくらかそうしてるように見えるのかもしれんが、結局はまわりまわって自分のためだって考えてやってるってことだろ」

「自分のためだと思って他人の事を考えられるのは、十分いい人だと私は思いますけど」

「どんな考えを持ってるのかに良いも悪いもあるのか? どんなことでも、誰かにとっていいことでも他の誰かにとったらそうじゃないんじゃねぇか?」

「…じゃあ逆に、聡さんにとっていい人ってどんな人なんですか?」

「…一概にどんな奴かっていうのは分からんな。誰かの事をいい奴だと思えばそいつが俺にとってのいい奴なんだろうとしか言えん」

「…じゃあ、もういいですけど、私が聡さんに助けられたと思ってるのも、そのことで聡さんに感謝してることも事実ですから。聡さんは少なくとも人一人にとっての恩人だということを言いたかったんです」

「そうか。そりゃあよかったよ」

「はい。よかったですよ。」


 成実は自分の家の前までやってきていた。いつもなら呼び鈴を押して、出てきた親と家の前で言葉を交わすだけなのだが、この日は呼び鈴を押さずに家の扉の前まで近づく。成実の右手には鍵が握られており、彼女は一呼吸おいて鍵穴にそれを挿し込み、ゆっくりと回す。扉を引いて玄関に入ると、四か月近く前に家を出たときから変わらない、見慣れた空間が広がっていた。奥からはバタバタという足音が聞こえてきて、ほどなくして慌てた様子の彰子と裕文が玄関へとやってきた。

「ただいま」

「おかえりなさい」

「おかえり。…本当に、また家に帰ってきてくれて、言葉が見つからないよ」

「…大袈裟だよ。先月来たときに、次くらいに家に上がるって言ったのに」

「そう、だったな。すまない」

「私が使ってた部屋に行ってもいい?」

「ええ、もちろんよ」

家の中は相変わらず、埃のたまった場所もなくきれいに保たれている。階段を上がって二階にある成実の部屋の戸を押し開けると、成実が家を出たときのままの状態の部屋が残っていた。誰も使う人はいなかったはずの部屋にもかかわらず、ここにも埃が見当たらないほど丁寧に掃除されていた。成実は電気もつけずにベッドに座り込むとそのまま仰向けに寝転がり、しばらくの間、薄暗い部屋で静かな時間を過ごした。


 成実が実家に顔を見せに帰るために聡の家を出た少し後、聡がリビングで過ごしていると家の呼び鈴が鳴った。聡が通話に出ると聞き覚えのある声が聞こえてくる。

「はい」

『…こんにちは、藤山さん。近藤です』

「貴志か。…成実は今居ねぇぞ」

『ええ。今日は藤山さんとお話ししたいと思ったので。今お時間空いてますか?』

「ちょっと待ってろ」

通話を切り、家の扉を開けるとそこには神妙な面持ちの貴志が立っていた。

「よう、いらっしゃい」

「お邪魔します」

二人が玄関からリビングへ移動し、聡が二人分のお茶を用意して、席に着くよう勧める。貴志が席に着くと先ず聡が口を開いた。

「それで、今日は何の用で来たんだ?」

「まずは、連絡も無しにいきなり家を訪ねてすいません」

「貴志はそもそも俺の連絡先知らなかっただろ。それに、俺に対して礼儀とかを気にする必要はあんまりねぇからな。興味ないし」

「そうは言ってもらっても、今回は気を悪くされるかもしれないので先に謝っておきます。話というのは、成実に関して聞きたいことがありまして」

「ほう」

「藤山さんは、この先成実の事をどうするつもりですか?」

「どうって?」

「成実をこのまま、一生自分に依存させておくつもりですかという意味です。僕は成実の親族でもありませんし、成実の両親ともお話しされて今の生活に至っているというのも聞いています。それでも僕は、昔からずっと付き合いのあった成実の将来を預かる人がどんな人なのか、自分で確かめずに放っておく気にはなれなかったので、お話を聞かせてもらいに来ました」

「へぇ、随分思い切ったことするな。それで、今の質問に答えるとすれば成実がどう望むかによるとしか言えんが、あいつが今の生活を望み続けるなら、結果としては今お前の言った通りになるな」

「そうだとしたら、それが成実のためになるとは僕には思えません。今すぐとは言わなくても、いずれ成実が自立できるようにすることを考えるべきじゃありませんか?」

「そうか? 成実が望む生き方ができる方が本人のためって言えるんじゃねえか?」

「もし藤山さんの気が途中で変わったら、成実は生活する術を失うことになります。それだけじゃなくて、成実の立場なら藤山さんの意思に逆らうことも難しいんじゃありませんか? そんな状態でいさせておくのが成実のためだっていうんですか」

「貴志も成実から話は聞いたんだろ。成実は自立した普通の生活に意味を感じられずに生きることを諦めようとしたぐらい追い詰められてた。成実はそこで、そのまま生を諦めるか、生きて今の暮らしをするかを選べることになって、そこで貴志が今言ったようなことも踏まえて選んだ結果が今ってことだろ。それをもう一回無理やり取り上げようとすることが成実のためとは俺には思えんがな。そこまでして自立させる必要があるのか?」

「成実が将来何かしら目標を見つけたときに、今の状態の暮らしが続いていたことが不利に働くことは十分考えられることではありませんか?」

「その時はその時だ。それがもう一回成実を追い詰めるような賭けにでる理由にはならねぇだろ。それに、付け加えて言うなら、もし成実が何か目標を見つけてそれを目指したいって言うなら俺もできるサポートは当然するし、そもそも成実自身の能力だって高いってことは、お前も知ってるんじゃねえのか? 成実の通ってた高校も受かってた大学も、努力だけで行けるようなところじゃないっていうのは、貴志はよくわかってるだろ? その上、成実は学校にも勉強にも興味がなかったのに、親への気遣いだけでそんなことができてたんだ。努力する才能だって十分に持ってる。そんな成実が本気で何かを目指す気になったとしたら、多少の不利ぐらいどうとでもできると思ってるよ」

「じゃあ、少し話を戻しますけど、成実がずっとこのままの暮らしを続けられたとして、それが意味のある人生になると思いますか?」

「本人が幸せなんだったら人生の意味なんかそれで十分なんじゃねえか? それ以外に必要なもんがあるのか?」

「社会で色々なことを経験すれば、その中で達成感を感じたりやりがいが生まれたりして人生も充実したものになって、より幸福なものにだってなれるかもしれないし、そうさせた方がいいとは思いませんか?」

「何に対して幸福を感じるかなんて十人十色だろ。世間一般の幸福から外れる幸福を持つ奴がいたってなにもおかしく無くねぇか? そういう奴らがそれぞれの幸福を追求したら悪いっていうのかよ」

「それも一理あるかもしれませんが、それがあまりに社会の方向性と違った場合は本人と社会両方のためになりません。ある程度は社会の方向性に沿った範囲で、自分なりの幸福を見つけられるようにさせた方がいいと思います」

「今の成実のはそれに反してるっていうのか? 俺はそうは思わんけどな」

「もし、何も働いたりせずに好きなことだけして生きる人が多数になったとしたら、社会は成り立たなくなって、結局誰も生活できなくなります。それでは誰のためにもならないと思いませんか?」

「そんなことが起こるって思うのか? さっきも言ったように何に価値を感じるかなんて人それぞれだ。働くことに価値を感じない奴もいれば、その逆の奴、どちらでもないけど金が欲しいから働く奴、働きたいわけじゃないけど社会人は働くべきだと思ってるから働く奴、色々いるだろ。その中で働くことに特に否定的な奴だけが増えて多数になることなんか、考えるだけ無駄じゃねえか?」

「どちらの方がいい社会になるかを考えれば、一人一人がどうするべきかはわかると思います」

「そのいい社会っていうのは、一生自分を犠牲にし続ける人間が少なからず居続ける社会の事か?」

「…どんな人でも、社会の一員として社会への最低限の貢献はするべきではないですか?」

「どんな人間でも、生きてれば飯を食ったり服を着たり、家に住んだり娯楽を楽しんだりするために金を使う。その金は、食料とか衣類とか、住居や娯楽を提供する人間の収入になる。それを社会への貢献って呼んだっていいんじゃねえか? 何かしら苦労しなきゃ貢献って呼んじゃ悪いのか?」

「…成実は特別な例ですよ。どこかに働きたくないという人がいても、大体の場合は生活するためには働かなければならないじゃないですか。そういう人の中のほんの一部だけが望みを叶えられるのは、公平とは言えないんじゃないですか?」

「不公平っていうのはその通りかもな。だからと言って望みを叶えられる選択肢を運良く得られた奴が、その選択をとっちゃいけない理由にはならないと思うがな。それに、俺はどっちかというと、そういう価値観を持ってる時点でその望みを叶えられないっていうことの方がよほど不公平だと思ってるし、だから成実の話を聞いたときに今の暮らしに誘ったんだよ。俺は、人間は誰だって自分の幸福を追求することができるべきだって思ってるからな」

「…」

「…納得したか? 多分できなかったんじゃねえかと思うが。俺は自分の考えが正しいと思ってるけど、貴志だって自分が正しいって思ってるんだろ? だからいくら話しても、互いに納得することなんか中々無いと思うぞ」

「…」

「…」

少しの間互いに黙っていると、やがて貴志が一度息をついて口を開いた

「…確かにそうですね。さっきはいくらかムキになって、口調も乱暴になってた気がしますし、話も少し変な方向に行ってたかもしれません。すいませんでした」

「別に謝るようなことじゃねえけど。成実の言ってた通り、俺は気が乗らねぇ事には最初から付き合わん性分だからな」

聡がそう言うと、貴志は先ほどまでより少し明るい調子で尋ねてきた。

「そうですか。それじゃあもう少し質問しても?」

「何を聞きたいんだ?」

「そうですね…。成実を今の生活に誘った時、何かしらの下心はなかったんですか?」

「そりゃあ有ったかもな。生きることを諦めた奴がそこから幸せに暮らせるようになったら、俺の考えもより正しいって思えるんじゃないかとか考えたかもしれんし、誰でも幸福を追求できるべきだっていうのは俺の場合結局、自分にも当然その権利があるっていう意味が強いから、その考えを否定しないためにとかも考えたのかもしれんからな」

「だったら、相手が成実みたいな女の子じゃなくても助けてましたか?」

「さあな。知らねぇし、知りたくもねぇな」

「…そうですか」

「…もういいのか?」

「はい。僕はもうそろそろ帰ることにします。いきなり殴りこんできたようなものだったのに、今日は話に付き合ってくださってありがとうございました。お邪魔しました」

「おう、またな。」



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