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地下の留まり木  作者: 石筍
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成実と貴志

 四月の後半に入った頃、貴志は大学からの帰りに考え事をしていた。今期の大学の授業が始まってから二週間ほどたつが、入学手続きの日以来成実とは会っておらず、その時の彼女の様子も少し引っかかっていたのでそのことが気にかかっていた。

(大学で会わないのはまだしも、行き帰りは同じ道なんだから全く会わないっていうのはやっぱり少し変じゃないか?)

成実の様子が気になってはいたが、以前会った時にあまり話したくなさそうな雰囲気を感じたこともあって直接彼女に連絡することは少し気が引けていたので、貴志は彼女の母親に話を聞こうと、いつもより早めに部活動を切り上げて帰路についていた。電車を降りて駅から自宅に向かって歩いていると、いつも通りの時間帯に、買い物に出かけている途中の彰子の姿がある。

「こんにちは」

「あら、貴志君。こんにちは。この時間に会うのは珍しいわね」

「そうですね。今日は私用で早めに学校から帰ることにしたんです。そういえば、大学が始まって二週間ぐらいたちましたけど、成実さんの調子はいかがですか?」

そう聞くと彰子は少し答えに困った様子を見せたが、それほど間を開けずに答えた。

「そうね、成実は元気にしてるわ」

「…何か、ありましたか?」

「…」

「先月、大学の入学手続きに来ていた成実さんとお話ししたんですけど、その時の様子が少しおかしいように感じましたし、同じ大学に在籍しているはずなのにそれ以来会えていません。僕が関わることじゃないのかもしれませんけど、それでも小さいころから近所に住んで関わってきた人の様子がおかしかったら、僕でも心配になりますよ」

「…ごめんなさいね。私の口から勝手に話すような話じゃ無いと思うのよ。でも、成実のこと気にかけてくれてありがとうね。あと、成実が元気にしてるのは本当だから、それは心配してくれなくて大丈夫よ」

「…そうですか。ありがとうございます。引き留めてすいません」

「いいえ。それじゃあ、これで失礼するわ」

「はい。さようなら」

こうはっきりと自分からは話せないと言われると、あとは知りたければ成実に直接聞くしかないのだろうが、彼女の母親の様子を見た限りでは、重要なことではあるが差し迫った問題だというわけでもないと考えているようだったので今すぐ貴志が連絡する必要はないように思われた。

(重要なことならあまりせっつくのも成実に悪いかもしれないし、もし今度会う機会があったら様子を見ながら聞くぐらいでいいのかな)

それがいつになるのかはわからないがそう考えることにして、もやもやとした感情は残ったままだったものの、貴志は一度気持ちを切り替えて家へと帰った。


 四月下旬。聡は自分の家で、一人でくつろいでいる。成実は今は実家に顔を見せに帰っているところで、もう家にはついている頃合いだろう。そのまま少し経つと聡の携帯が鳴り始め、相手を確認すると彰子からの電話だった。

「はい。藤山です」

『もしもし。ご無沙汰しております。山咲祥子です』

「今日はもう娘さんとはお会いになられたんですか」

『ええ、おかげ様で。成実は先ほどこちらを出たところです。今日は成実一人で来たんですね』

「そうですね、本人が一人で帰ると仰っていたので。娘さんとは何かお話になられましたか?」

『前回帰ってきたときとそう大差ないものでしたが、それでも頼んだ通りに帰ってきてくれているのは嬉しく思っています』

「それはよかったですね。それで、お電話頂いたご用件は、うちでの娘さんのご様子の事でしょうか?」

『やはり成実の普段の様子などが気になってしまうものでして。よろしければお聞かせいただいてもよろしいでしょうか』

「ええ、もちろんです。とはいっても特段お話しするようなことはそれほどないかもしれませんが。先月娘さんがうちで暮らし始めてからご実家に一度お帰りになるまでの間は、気を紛らわせるために携帯やパソコンを弄ったりテレビを見たりしているような印象でしたけど、一度帰宅されてご両親とお話になられてからは、暮らし自体が変わったわけではありませんが、それまでよりも楽しそうにしているように感じます。環境が変わったからというのもあるかもしれませんが、恐らく初めの一月はご両親への後ろめたさみたいなものをかなり感じられていたんじゃないでしょうかね。ですが、一月家を出てもあなた方はあくまで娘さんのことを第一に考え続けてくれながらいつまでも待ってくれていると感じられて、それで娘さんの気がいくらか楽になったんだろうと思いますよ。」

『…わざわざ私共にもお気遣い頂いて、ありがとうございます』

「最初にお会いした日にも申しあげた通り、私から見た様子をそのままお伝えしているだけですので、別にそのようなつもりはありませんよ。さて、短いですけど私から特にお話しするようなことは今のところこれくらいじゃないかと思いますが、何か気になられることはありますか?」

『そうですね…。藤山さんからご覧になった成実はどういう子だと思われますか? あの子、私たちには何かと気を遣っているんじゃないかと思いまして。藤山さんのお宅ではどうしているのかと』

「ご両親からご覧になった娘さんと違うのかはわかりませんが、案外普通の子だと思いますよ。他人や世間との感覚のずれを、正当化したり無視したりすることができずに悩むような、普通の子だと思います。まぁ、私の思う普通が果たして普通かどうかは疑問に思われるかと思いますがね」

『いえ。今日は話にお付き合いくださってありがとうございました。今後も成実の事をよろしくお願いします』

「はい。失礼いたします。」


 さらに一月が経ち五月の終わりごろ、成実は実家からの帰り道についているところだった。次くらいには家に上がることにするかもしれないと親に伝えたのだが、実際に来月家に帰った時に足がすくんでしまうことにならないかという不安はまだあった。駅に着いて、そのことを考えながらホームでしばらく電車を待っていると、後ろから声を掛けられる。

「よう、成実」

ぱっと振り返ると、そこには大学帰りらしい格好をした貴志が立っていた。成実はいくらか驚いたが、ひとまず平静な態度で返事をする。

「貴志さん。部活の帰り?」

「そうだな。成実は今からどこかに出かけるのか?」

「まぁ、そうだね。…貴志さんも、大学からの帰りならホームが反対じゃない?」

「向かいの電車から成実が見えたからこっちに来てみたんだよ。確か二か月ちょっとくらい会ってなかったから。…それに、前会ったときに成実の様子が少しおかしいように感じて気になってたっていうのもある」

「…そうだった?」

「俺はそう感じた。気にしすぎだったり、余計なお世話だったりするかもしれないけど、同じ大学に通ってるのにあれ以来全く会わないのもおかしいかなとも思ってて。何かあったのか?」

「…」

「言いたくないことだったら無理に聞いたりはしないけど、何か相談に乗れるようなことがあったらいつでも頼ってくれていいからな」

「ううん、相談するようなことじゃないけど。でも貴志さんが気になるって言うなら話すよ。聞きたい?」

成実は少しの間話すかどうか迷ったが、貴志が気にしているならいつまでも心配をかけておくのも悪い気がして、それに、彼にずっと隠し事をするというのもいい気分ではなかったのでそう聞き返した。

「話してくれるのか?」

「でも、ここで話す気にはならないから、聞くなら今私がお世話になってる家まで来てくれる? その人がいいって言ったらだけど」

「世話になってる家?」

「私、今は人の家で暮らさせてもらってるの」

「…」

そう言うと貴志は驚いたように少し目を見開いて成実を見る

「家を出てるって言っても親との関係が悪くなってるとかじゃないから、そういう心配はしてくれなくて大丈夫だよ」

「…その成実がお世話になってる人っていうのは親戚の人とか?」

「親戚っていうわけじゃないけど、そういうのも含めて向こうで話すよ。どうする?」

「…。」


 成実が実家に帰っている間、聡はいつものように彰子に成実の様子を話し、軽く世間話をしていた。ところがこの日は電話を終えて少しすると成実から、今の彼女の事を実家の近所の知り合いに話したいから、その人を聡の家に連れてきていいかという連絡がきた。成実がそうしたいなら構わないと返事をしたので、時間的にそろそろ帰ってくる頃合いだろうと思いながら過ごしていると、玄関から鍵の開く音が聞こえた。聡が玄関へ向かうと、成実と、その後ろに聡よりは少し小さめの背丈で、見たところ成実よりいくつか年上ぐらいの、しっかり者という印象を受ける青年が立っていた。

「ただいま」

「おかえり。それと、君が成実の言ってた知り合いか?」

「近藤貴志と言います。お邪魔いたします」

「俺は藤山聡だ。貴志って呼び方でいいか?」

「どうぞ、呼びやすいように呼んでください」

「助かるよ。それで、貴志は成実の家の近所に住んでるんだよな?」

「はい、そうです」

「今から成実に話聞いて、そこから帰ったら結構遅い時間になるだろ。うちで夕飯食べていくか?」

「お気遣いはありがたいですが、そこまでご迷惑をかけるのは申し訳ないです」

「別に迷惑とは思ってねぇが、要らないならそれでもいいさ」

「ここのご飯は美味しいから、貰っていけばいいと思うよ。それとも、迷惑かな?」

「いや、別にそういうわけじゃないけど」

「聡さんは自分がしたくないことにははっきりそういう態度をとる人だから、遠慮しなくても大丈夫だよ」

成実がそういうと、貴志は少し考えこんでから聡の方へ向き直る

「では、お言葉に甘えて、いただいていきます」

「おう。じゃあ用意するから、食べ終わってから成実に話を聞けばいい」

「ありがとうございます。」


 聡の家で夕食を食べ終えた後、貴志は、成実が自分の部屋として使わせてもらっているという部屋で彼女から話を聞かせてもらうことにした。成実の部屋は見たところ広くはないし家具も少ないが暮らすのには困らなさそうで、住み心地としても悪くなさそうな部屋だと感じた。

「お茶でも貰ってくるからちょっとここで待ってて」

「あぁ、ありがとう」

成実が部屋を出ていき、彼女を待つ間貴志は先ほどまでの成実と聡の様子をそれぞれ思い返していた。成実がお世話になっているという聡は、一目見たときははっきり言えば少しだらしなさそうな人に見えてあまりいい印象を受けなかったが、ちょっとの間一緒にいると普通にいい人のように思え、少なくとも悪人ではないだろうと思った。また、ごちそうになった夕食も成実の言ったようになかなかのもので、それなりの水準の暮らしをしているようだった。成実の様子も前に会った時に比べて、何か考え込んでいるような感じも和らいでおり、表情も明るくなっているように思えた。ただ、彰子に話を聞いた時の様子や、親戚ではないという男の家で暮らしているということを考えると軽い話ではないのだろうということは想像している。そうしているとやがて成実がお茶を持って戻ってきた。

「お待たせ」

「ありがとう」

「ご飯、美味しかったでしょ」

「確かに、思ってた以上に美味かったよ」

「それに、聡さんは家事全般もしてるし、私のお父さんとお母さんにも結構信用されてるの。意外としっかりしてる人でしょ?」

「だから、俺が一回、実際に藤山さんに会えるようにここに連れてきたのか」

「実際に会ってもらった方が貴志さんもあんまり心配してくれなくて済むかなって思ったのは本当だね。それじゃあ、面白い話じゃ無いと思うけど、約束通り、私が今ここで暮らさせてもらうようになった流れを話すよ」

そこで貴志は、三月の初めに成実と聡が出会った頃のことから順を追って話を聞くことになった。


 成実が貴志を彼女の部屋に連れて行った後、聡も自分の寝室へ移動して過ごすことにした。成実たちの事はそれほど心配しているわけではなかったが、貴志が成実の両親と同じように彼女の今の状況をそのまま受け入れて納得するかどうかはわからなかった。しばらくそのまま時間がたつと、話が終わったのか二人の足音がリビングに移動したので聡も自室を出て二人の様子を見に行くことにした。寝室を出てリビングへ向かうと、帰る用意をしている貴志と目が合う。

「話は終わったのか?」

「…はい。成実がお世話になってるみたいで、僕からもお礼申し上げます」

「…おう。外はもう暗くなってるから、慣れない道だろうからなおさら気をつけて帰れよ」

「ええ。今日はどうもありがとうございました。お邪魔いたしました」

そう言って貴志は聡の家を出ていった。

「成実、貴志には全部話したのか?」

「はい」

「話聞いて、なんか言ってたか?」

「特には。今の暮らしは楽しいか、とか聞かれたぐらいですね」

「そうか」

先ほど貴志と目があった時、聡は一瞬彼が、何か疑問を抱いているものの、その場に成実がいたからか気持ちを一旦切り替えて帰っていったように感じた。とはいえ、聡は今すぐどうこうするというものでもないだろうとも思ったので、特に気にすることはなく普段通りの生活に戻ることにした。



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