決断
成実は今、聡を連れて自分の家へ向かっている。昨晩は聡の家に着いた後、布団を用意してもらい、そのまま倒れこむようにして眠った。お腹は空いてはいたし、お風呂にも入っていない状態だったが、何かをする気力もなかったので何も考えずに眠ることにしたのだった。今朝起きてからもお腹は空いていたが、やはり朝食をとる気分でもなかったので出発まで横になって気を紛らわせていた。成実の家へは今日の午前中に訪れることになっているそうで朝9時ごろに聡の家を出て、今は電車で移動しているところだ。そのまま電車に一時間ほど揺られたあと、いくらか歩くと成実の家が見えてくる。親とどんな顔をして会えばいいのか考えつかないまま家の前にたどり着き、しばらく立ちすくんでいると聡から声がかかる。
「ここがお前の家か?」
「はい」
「…呼び鈴押していいか?」
「…お願いします」
いつまでこうして立っていても気持ちの整理は結局つくことはないだろうと思ったが、自分で扉を開けるだけの勇気がなかったのでそう頼んだ。
成実の家は一軒家で、大きいわけではないが外装や玄関周りなどがきれいに管理されており、清潔感があった。呼び鈴を押すと少し間をおいて玄関扉が開き、成実の母親らしき、四十代ほどに見える物腰の柔らかそうな印象の女性が現れる。彼女からは少し憔悴していたような様子が見られたが、成実の方へ目を向けるとひとまずはほっとした様子で成実へ話しかける。
「…おかえりなさい」
「……ただいま」
成実が目を合わせられないままそう答えると、その女性は聡の方へ顔を向け、丁寧な態度で迎え入れた。
「ようこそいらっしゃいました。この度は娘がお世話になったようで、深くお礼申し上げます。どうぞおあがりください」
「ご丁寧にありがとうございます。お邪魔いたします」
家へ上がると、外同様、内装もきちんと整えられており、埃も見当たらないような状態に保たれてある。
「成実、昨日お風呂に入っていないんでしょう? 沸かしておいたから入って服も着替えてくるといいわ」
「…うん」
「藤山さんも、お茶をお出ししますのでどうぞリビングでお待ちください」
「ありがとうございます」
成実と別れた後、案内された部屋で待っていると、お茶を運んできた先ほどの女性と一緒に、成実の父親と思われる柔和な顔立ちの男性が現れるが、こちらも女性と同様少し憔悴している印象を受ける。女性はお茶を並べ終えるとこちらに向き直り口を開いた。
「改めまして、私は成実の母親の彰子(しょうこ)と申します」
「父親の裕文(ひろふみ)です。初めまして。この度は娘をお助け下さったと妻から聞いています。本当にありがとうございます」
「初めまして裕文さん。彰子さんともお会いするのは初めてですね。藤山聡と申します」
互いに自己紹介を終え、ソファに腰かけて一息ついたところで裕文が本題の話を切り出す。
「早速で申し訳ありませんが、今回藤山さんがお訪ねになった件についてお話ししたいと思います。そもそも娘が今回のような行動をするに至ったのは、娘がそこまで思い詰めていたことに気づけず、そのうえ一度相談を受けたにもかかわらず娘に寄り添ってやることができなかった私共の責任です。その娘を引き留めるための提案を藤山さんがしてくださって、娘もそれを望んでいるというのなら私共にそれを拒む資格などないと考えています」
「…私が言うのも変な話ですが、かなり怪しい話ではありませんか? 娘さんの安全のために断ったとしても、何もおかしなことではないと思いますが」
「正直に言えば、心配がないと言えば嘘になりますが、かと言って娘の意向を無視して家に引きとどめたとしても、また今回のようなことが起こる可能性が高いだろうと思いました。藤山さんが提案なさったのと同じことを私たちで行うことも考えましたが、娘は周囲の人の感情に敏感なところもある子なので、私達に気を遣われているような状態に置かれれば結局追い込まれてしまう原因になりかねないのではないかと判断しました。それに、そんな娘だからこそ、あなたから悪意などを感じれば提案に乗ることもないだろうと思いましたし、私もほんの少しお話をしただけですがあなたに悪意のようなものはないように感じましたので、娘とあなたを信用することが、今は一番娘の助けになる可能性が高いだろうと考えたのです」
裕文も彰子も憔悴している様子は見られるが、ショックを受けてやけを起こしているという感じでもなく、あくまで成実の事を考えて話し合った結果、話を受け入れることにしたのだろうと感じられた。
「そうおっしゃっていただけるのであれば、責任をもって娘さんのお世話をさせて頂きます。それではお互いの連絡先を交換させていただいてもよろしいでしょうか?」
「夫は普段は仕事に出かけていますので、私にご連絡いただけると出られることが多いだろうと思います」
「ありがとうございます」
「それと、時々成実の様子を電話でうかがってもよろしいでしょうか?」
「私から見た娘さんの様子でよければ大丈夫です」
「ありがとうございます。どうぞ成実の事をよろしくお願いいたします」
大方の話を終えた聡、裕文、彰子の三人は少し気を緩めて成実が戻ってくるまでの間軽い世間話などを行っていた。
風呂から上がり、着替えを済ませて髪を乾かし終えた成実は聡が案内されたリビングへと向かう。リビングから聞こえてくる話声の調子は重いものではなく世間話でもしているような雰囲気が感じられた。するとリビングから母の姿が現れ、成実に話しかける。
「成実、ちょっといい?」
「…どうしたの?」
「昨日の夜、藤山さんからのお話の内容をお父さんと話し合って、それでさっきも藤山さんとお話ししたんだけど、私たちは成実がその方がいいなら藤山さんのお話を受けることにしたの。だからもう一度確認したいのだけど、成実はその方がいいのね?」
「……うん。ごめんなさい」
「謝るようなことじゃないわ。それよりも藤山さんのお宅にお世話になるなら準備しないといけないでしょう。着替えとか、持っていくものをまとめておいて」
「…うん」
成実はうなずくと二階にある自分の部屋へ向かい、着替えやパソコン、携帯など持っていく荷物を大きめのバッグにまとめ、それを持って階段を下りる。一階では帰る用意をした聡と父母が話しており、成実が下りてきたことに気が付くと聡が声をかけてくる。
「もう用意は良いのか?」
「はい」
「あと成実、2つお願いがあるんだけど、聞いてくれる?」
「何?」
「成実が受かってた大学、通わないつもりなら休学手続きをしておいてくれる? もし、成実の気が変わった時にまた戻れるように。それと月に一回、最終週の日曜日には私たちに顔を見せるだけでもいいから家に戻ってきてくれないかしら?」
「…わかった」
「ありがとう。藤山さん、成実の事をよろしくお願いいたします」
「ご心配をおかけしますが、責任をもってお預かりいたします」
「…それじゃあ成実、行ってらっしゃい」
「…行ってきます」
両親と挨拶を交わし、成実は聡と自宅を出て彼の家へ向かうが、しばらく歩いていても両親のことが頭に浮かぶ。自分自身のためにはこの選択は間違っていないと思うし後悔しているわけではないが、両親がいい親であっただけにその親を裏切ったように感じられて後ろめたい思いもある。
「成実」
聡に声をかけられてそちらに意識を向ける。
「はい」
「それ、重くはねえか?」
聡が成実の持っているバッグを指さす。服がかさばっているので大きめな荷物になっているが、軽いわけではないがそこまで重くもない。
「大丈夫です」
「そうか。疲れたらいつでも頼って構わんからな」
「はい、ありがとうございます」
それ以降の帰り道では特に会話もなく、電車に揺られて着いた先から聡の住むマンションの一室まで歩く。改めてみると高級マンションというわけではないが、小綺麗で住み心地のよさそうな雰囲気を漂わせている。聡の部屋に入ると、部屋の隅や家具の陰には埃が見られるものの意外と整った空間になっていたようだ。部屋はダイニングキッチンの備え付けられた、それなりに広さのあるリビングと、少し小さめの寝室と私室とを合わせた三部屋と、トイレ、風呂場、それとベランダからなっていて、昨日成実が布団を用意してもらって寝ていたのは私室として使っていた部屋だったらしい。私室と言ってもリビングと寝室で十分事足りるので使うこともほとんどなかったらしく、そこを成実の部屋として使っていいということだった。私室には、家具はちょっとした机と椅子とタンスが置いており、他には押入れがあるだけで、布団を敷いて寝るスペースは十分にあった。タンスは大体の段は空になっていて、工具などが入っていた段も中身を聡の寝室に移して中を軽く拭き、服などを入れられるようにしてくれた。家の構造を見て回った後、成実はあてがわれた部屋に戻り、持ってきた荷物を整理し終えるとリビングの聡に声をかける。
「荷物を移し終わりました」
「おう。あと、家の合鍵も渡しとくよ。これから宜しくな」
「はい、よろしくお願いします」
「それで、もう昼過ぎだが、昼食にするか?」
そう言われて、昨晩も今朝も何も食べていなかったことを思い出して、気が付いたようにお腹が空いてきた。
「そう、ですね。いただきます」
「それじゃあ、用意するからちょっと待ってろ」
「はい。」