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長い出張りから一時的に戻ってきたダグラスは、ルミナが倒れたことを聞くやいなや、会いに行けとまくし立てた。毒を盛られたと聞かされてから、更に日数は経過していたが、彼に言われるまでもなく、ユストとてルミナの顔を見に行くつもりだった。二人の違いはその動機が下心か、純粋な心配かである。
王族は暑い夏を避暑地で過ごすらしいが、例に漏れずルミナは置いてきぼりであろう。その時を狙って、ユストは再び王城へ忍び込もうと考えていた。
「お前の方の首尾はどうなんだ、ダグラス」
「捕虜がいる場所は全部で三箇所。一番人数が多いのは、ここの公爵領だな。その分警備も厳しい。逆にこっちの辺境伯の近くは狙いやすそうだけど…」
「別荘地からだと、かなりの距離になるな」
「問題はそれなんだよ。公爵領の捕虜を解放できたら、手っ取り早いんだけどなぁ」
広げた地図を見下ろしながら、ユスト達は頭を悩ませた。
「民の様子はどうだった」
「…荒れてるな。まあ、帝国よりはマシだけど」
「味方に引き込めそうか?」
「ああ。高い税金のせいで、かなり鬱憤が溜まってるみたいだった」
「貴族の中にはいないのか。良識的な人間は」
「いるかもしれないが、賢い奴は状況を見て、有利だと判断した側につくだろう。危ない橋を渡るより、日和見させておいた方が良い」
「…そうか。ありがとう。しばらく休んでくれ」
「そうさせてもらうわ。その間にお前はばっちり姫サマを落としてこいよ」
「………」
わかっていて言っているなと、ユストは少々不愉快になった。眉間に皺を寄せたのを見て、ダグラスは肩をすくめて苦笑する。
「冗談だって。半分くらい」
「半分は本気なのか」
「当たり前だろ。やろうと思えば、姫サマに両親を始末してもらって、お前が彼女を消す…なんて事だってできるかもしれない。あの姫サマは俺達の切り札になる可能性を秘めてる。そこんとこ、忘れんなよ。ユスト」
「……行ってくる」
以前のような争いは御免だったので、ユストは言葉少なに背を向けた。そして重い足取りのまま、森の中へと消えていったのだった。
ユストはルミナが教えてくれた、枯れ井戸から通じる抜け道を使った。四つん這いになって真っ暗な通路を進み、人の気配がないか何度も確認してから、暖炉の穴を出た。
物置部屋には、前回貸してもらった執事服が隠してあった。『ここに置いておけば、次に来てくださった時、困らないで済みますでしょう?』とルミナが提案したのだ。ユストは手早く着替えると、堂々と廊下を通ってルミナの部屋へ向かった。以前と同様、城の中の警備はほぼ無いに等しい。
扉をノックすると「どなたでございますか」とくぐもった声が返ってくる。侍女の声かとユストは推測した。
「姫様にお見舞いの品が贈られてまいりましたので、お届けにあがりました」
少しの間の後、ゆっくりと扉が開けられた。誰が来たのか分かると、シャーラは扉を大きく開いてユストを招き入れた。
「まあ、ユスト様!」
「お久しぶりです」
ルミナは読みかけの本を置いて立ち上がった。目を見開いたのも束の間、すぐに口元を綻ばせる。彼女の顔色を見たユストは、毒の影響は残っていなさそうだと密かに安堵していた。
「毒に倒れられたという話を耳にして、心配しておりました」
「それでわざわざ来てくださったのですか?毒と言っても大したことはございませんでしたのに、皆が大騒ぎするものですから」
ルミナはぷりぷりと不服そうな様子だった。文句を言える元気があるなら良かったと、ユストは心の中で呟く。この瞬間、もしも彼が後ろを振り返っていたら、暗い顔で唇を噛むシャーラを見つける事ができただろう。しかし生憎と、彼の両目はルミナの健康状態を観察するので忙しかった。
「人質という身故、このような品しかご用意できませんでしたが…受け取っていただけますか?」
ユストが持ってきたのは、ルドベキアという小さな向日葵のような花だった。屋敷の周辺で咲いていた手頃な花は、これしかなかったのだ。貢ぎ物に文句しかつけないルミナに差し出しても、叩き捨てられるのがオチかもしれないとも思ったが、見舞いと銘打っている以上、手ぶらで行く訳にはいかなかった。
「可愛らしいお花ですわ。ありがとうございます、ユスト様」
「…いえ。元気そうなお姿が見られて良かったです」
ユストが摘んできた花は手荒い歓迎を受ける事なく、ルミナの両手におさまった。花を手に笑顔を向ける彼女は、謁見の間で無礼を働き、侍女に手をあげるような人間には、見えなかった。この国へやって来た日に見たルミナは別人だったのではないかと、ユストは錯覚してしまいそうになる。
「ところで、何のご本をお読みになっていたのですか?」
「これですか?貴族の間で人気だという推理小説ですわ。お勉強は退屈ですもの」
「しかし知識を蓄えるのも大切な事ですよ」
「いやだわユスト様ったら。先生みたいな事を仰って」
そう言ってルミナはころころと笑った。このような発言を聞くと、やはり『我儘姫』なのだなと現実を突きつけられる。
「いけない、わたくしとした事が忘れておりましたわ。以前はご案内できなかった中庭を是非お見せしなくては!行きましょう、ユスト様」
「今の私は執事ですから、ルミナ姫の後をついていきますよ」
「そうでしたわね。ふふっ」
楽しそうにはしゃぐ様子は、子供と遜色なかった。
王城の中庭はちょうど薔薇が見頃を迎えており、さして花に興味の無いユストでも、これは素晴らしいと素直な賛辞が出てくる。庭師が丹精込めて手入れしているのだろう。美しく咲き誇る花ばかりで、ルミナがお気に入りだと話していたのも納得だった。
「あっ、姫様。御髪に蝶が…」
「あら本当?自分では見えないわ」
「鏡をお出ししますね」
侍女と二人で談笑しているのを眺めて、目を細めたユストだったが、ふと妙な既視感を覚えて、あたりを見回した。
(…もしかして……)
ユストの脳裏に、とある情景が蘇る。
植木の影に隠れるようにして泣いていた、小さな女の子。そこだけ雪が降った幻を見ているかのごとく、上から下まで真っ白な子供だった。
ここは、忘れられない邂逅を果たした、あの場所ではないのか。ユスト自身、まだ十にも満たない子供だった為、何もかも鮮明に覚えている訳ではないが、恐らくここだった気がする。
『…わたしは、ルーナ…』
目に涙を溜めた女の子が告げたのは、月の女神を意味する名前だった。名は体を表すと言うが、その子はまさしく、夜空に浮かぶ白い月のようであった。
ユストは再びルミナに視線を戻す。爽やかな風に揺れる髪は、思い出に残る女の子とは真逆の漆黒。肌だけは雪のように白いが、城の中で暮らしていれば焼けずに済むだろう。現にカーラル女王だって色白だ。
(…違う。彼女ではない。そんな事は初めからわかっていただろう)
なのにどうして、あの日の幼な子とルミナの姿が重なるのか。共通点など有りはしないのに。
彼女が『ルーナ』であったなら、守る大義ができたから…なのだろうか。
(何を馬鹿な…)
ユストは目を伏せ、自嘲するように小さく鼻で笑った。
彼女は『ルーナ』ではない。ルミナ・テル・アゼカ王女だ。討ち滅ぼすと誓った愚王の娘。ダグラスの言っていた通り切り札として利用する、それだけの存在に過ぎない。だが、いくらそう言い聞かせても、テル・アゼカ王家の証である金色の瞳に見つめられるたび、ユストの心はどうしたって疼くのだ。
「まあ!今度はユスト様の髪にとまりましたわ!……どうかなさいまして?ユスト様」
「…何でもありませんよ」
アスンクリト帝国の皇子と、テル・アゼカ王国の王女が相容れる事は決してない。その事実が、ユストを苦しめるのだった。




