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春が訪れ、そこかしこで花々が芽吹くと、テル・アゼカ王国の建国祭が開催される合図となる。人質として軟禁されているユスト達には、本来関わりの無い話であるが、彼らが静かに祭の喧騒に耳を傾けると思ったら大間違いだ。
「祭は七日間。初日から六日目にかけて、両陛下が国民に挨拶するパレードが行われる。その隙をついて、私は王城に忍び込もうと思う」
ユストの提案に、ダグラスもオルナンも渋る素振りを見せる。いくら警備が手薄になるとはいえ、王が住む城に侵入するのは、大きな危険が伴う。見つかれば即刻死罪だ。
だが建国祭は、城に忍び込めるまたと無い好機であるのも事実だった。
「…お前が行く必要があるのか。俺かオルナンでも良いだろ」
むしろ顔の割れていないダグラスの方が都合が良い気がする。しかし、ユストは首を横に振った。
「自分の目で見ておきたいんだ」
「そーかよ。皇子サマの仰せのままに。…深追いはするなよ」
「ああ。留守は任せる」
ダグラスはユストの背中を叩くと、それ以上は何も言わなかった。ただオルナンだけは建国祭の当日まで、心配そうにおろおろしていた。
遠くで鳴るラッパの音が、春風に乗せられて別荘地にまで届いた。いよいよ建国祭が始まったのだ。
建国記念日にあたるのは祭りの最終日。その日は王城に人々が詰め掛けて、バルコニーに立つ両陛下を祝福するのが恒例だった。最終日に集えない者達の為に、都中を巡る六日に及ぶパレードがある。パレードの最中は、当然ながら警備部隊のほぼ全てが護衛の任に当たり、両陛下と行動を共にする。王城に残るのは、国宝が奉納されている蔵を守る者くらいであろう。
(パレードは昼から出発、以降は各地の高位貴族の家に宿泊する。つまり城は六日の間、警備がどうしたって疎かになる)
ユストは空を見上げた。肌にあたる風の感じからして、今晩から雨になる事が予想された。そこが狙い目だと、彼は考える。雨が降れば、雨音と風が気配を掻き消してくれる。幸い、王城までの道で土砂崩れが起きそうな場所も無い。
「決行は明日だ。雨になるだろうから準備を手伝ってくれ、オルナン」
「はい!」
馬があれば速いのだが、生憎とユスト自身の足で走らなければならない。体が鈍ってきたところだったので丁度良いと、ユストは良い方向に捉えるようにした。
そして日付が変わる時刻になると、予想通り雨が降り出した。酷いどしゃ降りではないので、森を駆け抜ける分にはどうという事はない。多少ぬかるんで走り辛いだろうが、そんなものは瑣末な問題だ。
少し明るくなり始めた頃、ユストは頭まですっぽりと覆う外套を被り、腰に帯びた短剣を挿し直すと、屋敷を出たのだった。
懐中時計は持っていないので、どれくらい走ったのか正確な時間を知る術は無い。今日は太陽も見えないので尚更だったが、体感で恐らく三時間以上は経っている気がした。王城を囲む塀が見えてくると、ユストは足を休めて息を整えた。
(見張りは…あそこだけか?……いや、向こうにもいるな)
想定よりは少ないが、彼らに見つからず侵入するのは簡単ではない。
(だが、ルミナ姫が抜け出せるくらいだ)
秘密の抜け穴を通ったにせよ、箱入り娘の王女が脱走できるだけの隙は有るはずである。ユストは息を潜めてじっと待っていた。しばらくそうしていると、雨音に教会の鐘の音が混じった。すると見張りの騎士に動きがあった。どうやら交代の時間らしい。無人になった一瞬の間に、ユストは素早く行動した。濡れた外套を茂みに隠した後、最小限の音と動きで塀を乗り越え、適当な窓から中へと入っていった。
人が出払った屋敷は、曇天の影響もあって薄暗く、不気味なほどに静かだった。思った通り、不人気な国王を守る為に大半の騎士が護衛の任に当たっているみたいだ。ユストは神経を尖らせながら、城の奥へ進んでいく。
順調に頭の中で見取り図を描いていたのだが、人の気配を感じたので足を止めた。騎士か、使用人か。相手が去るのを待つか、自分が遠ざかるか。ユストはそっと気配がする方を窺い、そして危うく声を上げそうになるほど驚愕した。
(……なっ…!ルミナ姫!?)
ぽつんと一人で窓際に立っていたのは、ルミナだった。長い黒髪故、遠目でも判別できた。ユストに大きな動揺が走る。王族はパレードに参加して、ここには居ないはずではなかったのか。ルミナが居るという事は、必然的に陛下達も残ったのか。
最悪の疑問がユストの頭をよぎったが、いやそれはおかしいと、かぶりを振る。だとしたら、この警備の薄さは有り得ない。以前、民から聞いたように、ルミナが公務をさぼったと考えるのが妥当だろう。病気には見えないが、まったく面倒なことになった。
(…さて、どうする)
このまま気付かれないよう引き返すのが最も安全だ。だが祭の二日目にもなって、まだ城にいるなら、もうパレードに出る気は無いのだろう。ならば、出直したところで結果は同じ。ユストは一か八かの勝負に出ようと腹を括る。あまり気は進まないが、ダグラスの作戦を採用してみることにしたのだった。
「……ご機嫌麗しゅうございます。ルミナ姫」
「!!」
社交用の笑みを貼り付けたユストは、思い切ってルミナの前に現れた。相手が誰であろうと利用するのは良い気がしないが、背に腹は変えられない。
ルミナは仄暗い廊下からいきなりやって来たユストを見て、言葉を失っていた。金色の瞳が、猫のように真ん丸になっている。
「…またお会いする日が待ち遠しくて、つい魔が差しました。どうかお許しを」
嘘八百を並べ立てつつ、ユストが困ったように微笑むと、ルミナは少しだけ頰を赤らめた。これがダグラスの言っていた色気とやらの効果か。自分ではよくわからない。女性を相手に百戦錬磨のダグラスなら、もっとスマートにやれたかもしれないが、ユストにはこれが精一杯だった。
「まあ…悪い方ですわね、ユスト様」
「申し訳ありません」
「いいですわ。暇を持て余していたところですし、お散歩に付き合っていただこうかしら。お城の中ですけれど」
「喜んでご一緒させていただきます」
上手くいったと、ユストは密かに胸を撫で下ろした。
何故パレードに参加しなかったのか、その理由を問い質す事は避けた。ルミナの気に障ったらどうなるか、わかったものではない。全ては『我儘姫』の気分次第なのだ。
「ですがルミナ姫、私がここに居ると知られたら姫まで罰を受けてしまいます。どうかご慎重に…」
「ご心配には及びませんわ。ユスト様がお仕着せに着替えて、使用人に扮してしまえば良いのです」
ルミナにしては名案を思いついたものである。ユストは有難くその申し出を受けた。まずは彼女の部屋に案内され、そこへ行くと、一人の侍女がベッドメイキングをしていた。ユストの心臓が嫌な音を立てたが、表情には出さなかった。
「ユスト様、わたくしの侍女のシャーラですわ。口は堅いので大丈夫です。シャーラ、執事服を一式持ってきてちょうだい。この事は他言無用よ」
「…かしこまりました」
ひっつめ髪のシャーラは、ユストを一瞥すると若干目を見開いたものの、すぐに主人の命令に従った。
確か彼女はルミナに叩かれていた侍女だったと記憶している。ユストに一抹の不安が残るが、今はルミナを頼るしかない。
(意外だな。もっと豪勢な部屋かと思っていた)
『我儘姫』の私室なのだから、衣装や装飾品で溢れた、さぞ立派な大部屋だろうと勝手に想像していたが、実際は違った。城の規模からしてみれば、割と小さな部屋であるし、宝石類も見当たらない。先ほどの淡白そうな侍女がきちんと片付けているのだろうが、なんだか拍子抜けだった。
程なくしてシャーラが戻ってきた。その手には指示どおり、執事のお仕着せがある。手早くそれに着替えたユストは、待っていたルミナと一緒に部屋を出た。
「誰か来ないか、見張っていて」
「かしこまりました」
二人から少し離れたところで、シャーラが見張り役をしてくれるらしかった。
ルミナはユストに笑いかけると、どこか見たい場所はあるかと尋ねた。
「そうですね…ルミナ姫のお気に入りの場所はありますか?」
「中庭が素敵なのですけど、今日は雨ですし…」
「では、上からでも眺める事はできませんか?」
「それでしたら大丈夫ですわ」
本心では、隠し通路や武器庫の場所が知りたかったが、それを口に出しては怪しまれる。とりわけ、後ろから付いて来る侍女の得体が知れないので、ユストも慎重にならざるを得なかった。
「ルミナ姫はいつもどうやって、見張りの目を欺いておられるのですか?ひと苦労でしょうに」
「あら、そうでもありませんわよ?三時間おきに交代の時間がありますし、夜中や明け方なんて森側に見張りがいない時もございますもの」
なるほど、城の西側はもともと警備が疎からしい。ユストはルミナが自慢げに語るのを、感心するふりをしながら聞いていた。
「それに、いざとなったら抜け道を通れば、見張りなどどうってことありませんわ」
「抜け道ですか。男としては、やはりそういうものに興味を引かれますね」
「ふふっ、でも駄目ですわ。お教えしたら秘密でなくなってしまいますから」
「確かにそうですね。でも残念です。ルミナ姫に会いに来るのが、もっと容易になると思ったのですが…」
心底残念そうな演技をすれば、途端にルミナはどうしようかと迷い始めた。その様子を見ていたユストは、愚かなまでに単純な彼女がもはや不憫だった。正しく導いてくれる人間がいれば、良き姫君になれたのではないか。どのみちルミナ本人にその気が無ければ意味はないのだが、ユストはそう思えてならなかった。
「……そこまで仰るのでしたら、ひとつだけお教えしますわ。ですがわたくし達だけの秘密ですよ」
「勿論です」
悪戯っ子のように微笑むルミナを、ユストは何とも言えない気持ちで見つめていた。
ルミナが教えてくれたのは、彼女の部屋から一番近い場所に出る抜け道だった。
「このお部屋は物置として使っていますから、誰かと出くわす事はまずありませんの」
そう言いながら、ルミナは暖炉の壁を指差した。よく見てみると、レンガ色に塗られた取手がついている。開けると、大人の男性が這って進めるくらいの穴が出てきた。ここを抜けると、ユストが侵入してきた場所からもう少し離れた、森の井戸へと通じるらしい。
「これでいつでもお会いできますわね」
「ええ。ありがとうございます」
まんまと騙されている事に気がつかないルミナは、嬉しそうに顔を上気させていた。胸がちくりと痛んだのは無視して、ユストも微笑み返すのだった。




