表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/27

24

澄んだ雪解け水が小川を流れ、春を待っていた蕾達が膨らみ始めた。新たな季節がやって来る前に、悪しき過去は清算される。

断頭台が設置された広場は、大勢の人でひしめきあっていた。もう間もなく定刻だ。


冷たい檻の向こう側にいるのは、いつも自分の方だった。義母に嬲られ、父に見過ごされてきた過去が、否が応なく思い出される。

独房へ続く階段を下り、そこに捕らわれている罪人の前に立った。


「お前は…っ!!」

「…この姿でお会いするのは久しぶりですね」


純白の娘は、檻の外からバサノスを見下ろした。玉座で踏ん反り返っていた父親は、随分と老け込んだように見える。獄中での生活と死の裁きに、心労が祟ったのだろう。肥えた体に反して、顔だけはげっそりしているものだから、変にちぐはぐな印象を受けた。


「おお!ルミナよ!私を助けに来てくれたのだな!はやく…はやくここから出してくれ!」


薄暗い独房で過ごすのに慣れてしまった彼女と違い、バサノスがこんな扱いを受けるのは、最初で最後だ。落ち窪んだ目元には、刻々と迫る処刑への慄きがありありと表れており、鉄格子を掴む両手が目に見えて震えている。


「…ルーナ・アスンクリト」

「……な、なに?」

「それがわたくしの名前です」


外との繋がりを断たれた為、何も知らずにいたバサノスは開ききった目を血走らせた。


「アスンクリトだと!?ど、どういう事だ!?あの皇子に取り入ったのか!?」

「いいえ。わたくしは最初から、貴方の味方ではありません」

「ではお前がっ、私をこんな目に遭わせたのだな!?私を責めるなら、血を分けたお前も責められるべきだろう!!」

「仰る通り、わたくしは貴方がたと共に、断頭台へ登るつもりでした。民それを望むのなら、すぐにでもそう致しましょう。しかしながら、民の間でルミナ王女という人間は、既に死人となりました」


死んだ人間に、死ねと命じるのは不可能だ。彼女が言わんとしている事を理解したバサノスは、途端にころっと手の平を返した。


「頼む!殺さないでくれ!私はまだ、死にたくないのだ!」

「…お別れです。お父様」

「待ってくれ!私が愛していたのはイルエだ!そしてお前のことも愛している!本当だ!信じてくれ…!」


『ルーナ』は父親と同じ色の瞳を忌々しげに細めると、金貨の入った小袋を投げつけた。金貨は無機質な音を立てて散らばり、バサノスの足もとにも転がっていく。


「…貴方が愛したのは"それ"でしょう」

「ち、ちがう…」

「お母様のお墓があることすらご存知ない貴方に、愛を語る資格があるとお思いですか」

「ルミナ!我が娘よ!助けてく」


バサノスが国民に慈悲をかけなかったように、ルーナも無慈悲に扉を閉じたのだった。


「…大丈夫か?」

「はい。無理を言って、申し訳ありませんでした」


独房の出口で待っていたユストに、ルーナは頭を下げた。

処刑される前に父と話がしたいと、彼女は願い出た。やや逡巡する素ぶりは見せたものの、ユストはその希望を叶え、最後に会う機会を設けたのだった。

カーラルは錯乱し、まともに言葉が交わせる状態ではなくなってしまった為、別れの挨拶はできなかった。


「………」

「何があった」

「…初めて、お父様から『愛している』と言われました。嘘だとわかっていても、どこかで喜んでいる自分がいて……呆れてしまいますね。親だと感じた事なんて、なかったのに…」


何かをこらえるように、ルーナは自分の腕を握り締めた。ユストは黙って手を伸ばすと、優しく彼女の頭を引き寄せ、ルーナもその手に甘えた。かたい胸板に耳をつけると、ユストの温かな鼓動が聴こえてくる。


「…辛いなら、見なくてもいい」

「…いいえ。きちんと、見届けます。自分の務めから、逃げたくありません」

「貴女なら、そう言うと思った」


あんな男の為に流す涙など無いと、ルーナは思っていた。でも心の片隅には、父と思う気持ちが僅かでも残っていたらしい。

この世でたった一人、ルーナだけは、国中から嫌忌された王の為に一粒の涙を流した。


「……そばにいて、くださいますか?」

「それは私から望んだ事だ」


バサノスとカーラルの処刑は、定刻通りに執行された。その場には、目を逸らさずに立ち続けたルーナと、彼女の傍を片時も離れなかったユストの姿があった。




前王は葬られ、新王の戴冠式を控えたアスンクリト王国は、明るい希望と興奮で満ち満ちていた。

王城には、がらりと雰囲気が変わった国を見渡す、金色の瞳が在った。


「お名前が変わってしまって、悲しくはないのですか?」


新王の妃は『ルーナ・アスンクリト』だと、宣言されたのと同時に、あの反乱を影から支援していた女人であるとも公表されたので、国民から抗議の声は上がらなかった。

けれども、ルミナ王女が死んだと扱われる事に、心を痛める人間もいた。彼女を知る、数少ない者達だ。

シャーラの躊躇いがちな質問に対し、ルーナは凪いだ声音で告げる。


「お母様がくださった名前は、一つではないでしょう?わたくしとシャーラ達を繋ぐ名を、手放す気はないわ。永久にね」


母から教え込まれたホシオテースの精神も、パテールを受け継ぐ事への誇りも不滅だ。

ルミナであろうと、ルーナであろうと、魂に刻まれた誓いが変わることはない。


「ユスト様の…いえ、違うわね。皆のおかげで、わたくしは新たな生を受けた。その感謝を決して忘れずに、一歩一歩を大切に踏みしめて生きていくつもりよ。悲しんでる暇なんてないわ」


その答えを聞き、シャーラとシャルテルは満足そうに大きく頷いた。


「つきましては、これからは王妃様とお呼びしなければいけませんね」

「姫様と呼び慣れてしまったので、些か違和感があります」


「女王」と言うと嫌な人を連想させられると、双子は拒絶反応を示した。どうやら国民も同じ気持ちだったようで、大半が「ユスト様」と「ルーナ様」と親しみを込めて呼んでいる。


「ですが、今の王妃様を見ると、姫様なんてとても呼べません」

「ご立派ですよ」


白を基調とした衣装を着たルーナには、人間離れした美しさがあった。隠す必要のなくなった髪は、彼女本来の純白が露わにされ、抜けるような白い肌の中に、煌めく金色が一等輝いている。


「三人揃って夜明けを眺めるという約束、これで認めてくれるかしら?」


大幅に時刻は過ぎていたが、新しい時代の幕開けという意味では『夜明け』と称しても間違いでは無いだろう。

笑いかけるルーナに、シャーラとシャルテルは思わず涙ぐんだ。


「しっかり者のシャーラが、すっかり泣き虫さんになったわね」

「…王妃様のせいでございます」

「もともとシャーラは、割と感情的ですよ」

「ふふっ、そうね」


一時は危篤状態にあったルーナだが、双子の熱心な看病に加えて、ユストと並び立つという強固な意志のもと、驚異的な回復をしてみせた。


「本当にたくさん、苦労をかけてしまったわ」

「上等ですよ」

「むしろこれからも苦労を共にする所存です」

「わたくしもよ。家族だものね」


ルーナと名を変えてから、彼女はよく笑うようになった。不恰好だった笑顔も、徐々に自然な可愛らしい笑顔になりつつある。双子からすれば、それが何より嬉しい事だった。


支度部屋を出て廊下を歩くルーナの前に、初老の騎士が現れる。恭しく頭を垂れたロムファイアへ、ルーナも丁寧な礼をとった。


「ルーナ妃、本日は誠におめでとうございます」

「ありがとうございます。ロムファイア公爵」

「黒髪もお似合いでしたが、そちらの方が貴殿らしい」


ルーナの申し出を快諾し、ユストに味方したロムファイアは、その功績を認められ、以前よりも高い爵位が与えられた。


「この日を迎えられたのは、公爵の御尽力もあったからです」

「光栄の至りですな。貴殿のような素晴らしい王妃に、そう言っていただけるのは」

「素晴らしいかどうかは、王妃の務めを終えるまで分からない事です。わたくしが判断を誤った時は、かつてのように進言してくださいませ」

「そうでなくては公爵など名ばかりになってしまいます」

「公爵には要らぬ心配でございましたね」


立場が高ければ高いほど、謙虚でいるのは難しくなる。しかし、ルーナならば驕る事は無いだろうと、ロムファイアは確信していた。逆境の最中にあっても己を見失わず、命を賭して民を救おうとしたルーナこそ、本物の王族だ。騎士として、これほど仕え甲斐のある人間はそうそういない。


「では私はそろそろ失礼致します。式典の護衛がありますゆえ」

「頼りにしています」

「ようやっと、騎士の宣誓を全うできる機会が訪れたのです。心してかかりますよ」


そう言うと、彼は豪快に笑ってのけるのだった。


ロムファイアと別れて、さらに廊下を進む。

その先で待っているのは、アスンクリト王国の新王であり、ルーナが心に決めた主人であり、そして終生の伴侶だ。自然とルーナの顔は綻び、歩調は速くなる。

美麗な衣装をなびかせながら近付いてくる王妃の、健気な様子といったら。ユストは面映い気持ちになった。


「お待たせ致しました」

「王妃様、すごく綺麗です!」

「…オルナン、私が褒める前に口を挟むな」

「あっ、申し訳ありません」


後ろにオルナンを従えたユストもまた、一新された王族の衣装を身に纏っていた。華美な装飾は控えられ、上品さだけを残した白色の衣装は、真っ新な状態から始める二人に相応しかった。

皆、ルーナに似合うと褒めてくれたが、当の本人はユストの方が誰よりも白が似合うと思っている。それこそ出会った時からずっと…


「ルーナ、手を」

「はい」


深い慈しみを含んだ笑みを浮かべるユスト。彼の手をとることに、もう何の迷いも無かった。ルーナはまだ少しぎこちない、でも心からの笑顔で応える。


「ユスト様」

「どうした?」

「あなた様の隣にいられる事が、すごく…すごく幸せなのです。感謝を申し上げるのは、わたくしの方です」


ユストと共にいる未来、それは都合の良い空想に過ぎないはずだった。でも今、ルーナは奇跡のような未来に、こうして立っている。同じ熱の燈った手を、握り返す事ができる。それがどれだけ幸福か、ユストに伝えたかった。

ルーナの心の内は、穏やかで温かみのある瞳に、透けて見えていた。そんなものを直視させられたユストは、堪ったものではなかった。


「…ルーナ」

「っ!!」


ユストは繋いでいない方の手で、ルーナの純白の髪を優しく梳いた後、そっと唇を重ねた。瞬間、頭の芯が痺れるような、甘い感覚に支配される。顔を離した時、ルーナの白い頰は可憐に染まり、瞳は確かな熱を孕んで揺れていた。

ユストはこのまま込み上げる感情に任せて、力強く抱擁してしまいたい衝動と闘う羽目になった。だが、侍女達が丁寧に着付けた衣装が崩れてしまっては、ルーナも悲しむだろう。第一、戴冠式がもう始まろうとしている。こんな所で時間を食っている場合ではない。そんな言い訳がましい事をつらつらと考えて、どうにか理性を保ったのだった。

指先までほんのりと赤くなったルーナを、心底愛おしいと思いながら、ユストはその手を引いた。


「いこう」

「はい」


ユストとルーナは手を取り合って、国民の前へと進んで行く。

待ち望んだ統治者の登場に、集まった民衆からどっと歓声が湧き上がる。あまりの声量に、お腹がびりびりするくらいだった。

戴冠式は鳴り止まない拍手の中で執り行われ、彼らに救われた民達は、新たな王と王妃を心から盛大に祝福した。

凛とした王の隣に並び立つ王妃が、まさしく月の女神のようだったと、民は口々に誉めそやすのであった。




───それから千年という長きに渡って繁栄を極めるアスンクリト王国。

これはその始まりの物語である。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ