22
相当急いできたのだろう。解毒薬の入った杯を持って戻った双子は、激しく肩で息をしていた。
「姫様っ!起きてください!」
「お願いですから、飲んでください!」
双子の奮闘も虚しく、解毒薬はルミナの口の端から零れるだけだった。辛うじてまだ息はあるが、一度手放してしまった意識が戻る気配は無い。
「…杯を貸してくれ」
そう言うが早いか、ユストは杯を奪い取り、解毒薬を自分の口に含んだ。途端に、薬草特有の苦味で舌が痺れる。しかし表情一つ変えずに、ユストはルミナの顎を掴み、薄く口を開かせると、唇を合わせた。
双子が固唾を飲んで見守るなか、ユストはゆっくりと薬を流し込んだ。ルミナの喉が上下したのを確認すると、ユスト達はようやくまともに息を吐くことができた。
「すぐに医者に診せなければ…」
「それには及びません。わたし達で看病いたします。姫様をこちらへ」
「革命を成し遂げた英雄には、他にやるべき事がお有りでしょう」
双子は有無を言わせず、ルミナをユストから取り返した。重みを失った両腕が急に寒く感じる。
「シャルテル。姫様をロムファイア伯のお屋敷へ」
「わかった」
軽々とルミナを抱えたシャルテルは、風のように去って行く。シャーラもすぐに後を追おうとして、やめた。
「……ユスト皇子。お願いがございます」
ユストに向き直ったシャーラは、ひどく思い詰めた顔をしていた。
「…姫様は王族として処罰される事を望んでおられるでしょうが、わたし達はそれを望みはしません」
「………」
「姫様はずっと…ユスト皇子のために、全てを耐えてこられたのです。ですからどうか…このまま見逃してください」
主人の命だけは助けてほしい、彼女が言いたいのはそういう事だった。
頭を下げ続けるシャーラに対し、ユストは「…知っている事を話してもらえるか」とだけ告げた。
「洗いざらい告白すると、お約束いたします」
その返事を貰うと、ユストは先に行った片割れを追いかけるよう促すのだった。
砦をこじ開け、アスンクリト帝国から援軍を引き連れてきたオルナンは、ロムファイアと共に各地の貴族達を制圧しながら、都を目指し続けていた。到着できたのは、太陽が水平線からかなり上へ昇った頃だった。
オルナンは疲労の色を滲ませながらも、泣き笑いを浮かべてユストのもとへと駆け寄ってくる。
「ユスト様ーっ!!やりました!勝ちましたよ!!これで皆、お腹いっぱいご飯が…」
勝利の喜びを分かち合おうとしたオルナンだったが、近付くにつれ、ユストが沈痛な面持ちをしているのを見て取った。また、肩を並べ合うダグラスの姿が無く、嫌な予感が募っていく。
「あ、の…ユスト様?何かあったんですか?ダグラス様はどこに…」
「…詳しい話は後でする」
ユストの声音には察するものがあり、オルナンは眉を下げて口を噤んだ。
「…オルナン。疲れているだろうが、頼みたいことがある」
「あっ、はい!何でしょうか?」
「ルミナ姫と背格好の似た遺体を探してほしい」
今度こそ、オルナンは二の句が告げずに固まったのだった。
テル・アゼカ王族を乗せた格子付きの馬車は、数日かけてアスンクリト帝国へと移動した。
その間ずっと、それこそ昼夜を問わず、帝国民と自国民から怒声と罵声を浴びせられ、バサノス達は小さくなって恐怖に震え続けていたという。何処へ行こうとも、彼らを歓迎する者なぞ一人もいない。ぶつけられるのは、積もりに積もった憎悪だけであった。
裁きの場は設けられたが、満場一致でバサノスとカーラルの処刑は可決された。王太子だけは処刑を免れたものの、残りの生涯を幽閉塔で孤独に過ごす事が言い渡された。
王家に与した貴族達の裁判は、これから行われる予定だ。税金の上に胡座をかいていた者達は、爵位を剥奪され、牢に入れられるのを待つばかりであろう。
もう一人の王族、ルミナはというと…
彼女は先の反乱で死亡したとの発表がなされた。現場に散らばった血濡れの黒髪と、後日発見された焼死体により、死亡が確定されたのだった。
現段階では、アスンクリト帝国は今まで通り皇帝が、つまりユストの父が治め、王が消えたテル・アゼカ王国は国民の支持を受けてユストが纏めている。
今後、二国は統合され『アスンクリト王国』という一つの国になる。ただ、今は両国とも立て直しに労力を費やさなければならない時期なので、新王の戴冠式はもう少し先になるだろう。
「…彼女の様子はどうだ、伯爵」
「変わりありません。何も…」
「そうか…」
二つの国が喜びで満たされる中、ユストを含めた反乱勢力の中枢は、依然として重い空気に包まれていた。
あれからルミナは、一度も目を覚ましていない。昏睡状態のまま、ロムファイアの屋敷で眠っている。シャーラとシャルテルが交代で一日中看病をしているが、その甲斐もなく、時間だけが過ぎるばかりであった。
「失礼。そろそろ良いだろうか」
「はい。中へどうぞ」
国を覆した日から少しして、皆の興奮がやや収まってきた頃合いに、ユストはやっと腰を落ち着けて、双子から話を聞くことができた。
「洗いざらい話すと言っていたな」
「はい。何もかもお話いたします」
ユストは手近な椅子に腰かけ、枕上に広がる白色の髪をそうっと掬った。十年以上前に見た時と少しも変わらない、実に美しい純白だ。
「…姫様が生まれる前、母君であらせられたイルエ様がお城にいらっしゃった時から、地獄は始まっていました」
「国民にとっての敵はバサノス王だったでしょうが、わたし達の敵はカーラル女王でした」
静かに眠るルミナの傍らで、シャーラとシャルテルはぽつぽつと語った。
カーラルの狂気の片鱗はユストも見ている。地獄に例えるだけの悲惨さは充分想像できた。
「生き延びられたのは、イルエ様の豊富な知識のおかげです」
イルエの薬学の知識は、医者に頼れなかったルミナ達を大いに助けた。その知識は後にシャーラ達にも引き継がれ、繰り返されるカーラルからの毒殺を、全て未遂で終わらせてきた。
文字通り血反吐を吐くような耐毒訓練を乗り越えていなければ、ルミナはダグラスの毒剣によって絶命していたに違いない。
「もし、姫様が一言『助けて』と仰っていたら、状況は変わっていたでしょう。恐らく、わたし達は今ここにいません」
「わたし達が辛抱できたのは、他ならぬ姫様が、辛抱しておられたからです。さもなくば、とっくにカーラル女王の寝首をかいていました」
「ただ耐えるだけだった姫様が変わられたのは…ユスト皇子、貴殿に出会ってからです」
人目を避けるようにして泣いていたルミナ。傷だらけだった痛ましい姿を思い出し、ユストは爪が食い込むほどに拳を握り締めた。
双子の話は、ホシオテース伝説へと移っていく。
ホシオテース家の心得は、赤ん坊の頃から教え込まれるが、戦闘訓練はある程度、体が出来上がってから開始されるのが従来のやり方だった。しかし、ルミナはユストと出会ったその日から、母に特訓を願い出たのだ。
「姫様はその当時、まだ三歳でした」
「姫様がやるのならわたし達もと、その頃から三人で鍛錬を積んできました」
「すべては大切な人を守る為に…わたし達にとって姫様がそうであったように、姫様にとってはユスト皇子がその人でした」
「開戦後、帝国の窮状を耳にするたび、姫様はますます鍛錬に力を入れ…」
「そして『我儘姫』となられたのです。よく仰っていました。『彼の方が闘うのなら、わたくしが闘う理由はそれで充分』だと」
ルミナの数年がかりの根回しがあったからこそ、反乱は大勝利に終わった。母との約束を守り、決して途中で投げ出さなかった彼女の献身的な努力が、ユストの武器に変わり、敵を討ち滅ぼせたのだ。
「私は…守ろうと決めた相手に、ずっと守られてきたのだな」と自嘲気味にこぼすユスト。情けなさすぎて、涙が出そうだった。
「我々ホシオテース家の者にとって、主人をお守りするのは呼吸をするように当たり前の事です。主人からの全幅の信頼が、何よりの褒美なのです」
「それでも姫様にはもっと…ご自分の幸せに我儘になっていただきたかった…っ!」
感情が昂ぶったシャーラは、顔を覆って泣き出してしまった。シャルテルよりもルミナと過ごす時間が長かっただけに、哀れな主人が報われてほしいという気持ちは、人一倍強いのだ。
ユストはようやくルミナという人物の本質に辿り着いたというのに、疑問は膨れるばかりだった。
「どうして…たかだか一度会っただけの男に、全てを懸けることができる?何故、そこまで私を…」
ルミナは「ひとりの男性としても」慕っていると言っていたが、そのような愛を向けてもらえるほどの事をしたとは思えない。ユストは自分の前髪をぐしゃりと握り潰した。
「…何気無く放った言葉でも、受け取る相手によっては大きな意味を持つ事もあります。それに姫様は…誰かにしてもらった事を、たとえそれがどんなに些細な事でも、決して感謝を忘れない方です」
姉を慰めるシャルテルは、小さなサイドテーブルに置かれた栞と櫛に視線をやった。つられてユストもそちらに目を向ける。
体を守る鎧を除けば、ルミナが身につけていたのはこの二つだけだった。
(こんな、何の価値も無い物を…)
櫛はまだいい。だが栞に使われている花に至っては、ユストがその辺で適当に摘み取ったものだ。そこに何か想いを込めた訳でも無い。そんな物をルミナは後生大事に懐に仕舞い、最後の決戦へ挑んだのだ。
(本当に、貴女はどこまで清廉なんだ…)
白を持つに相応しい人間になれたかと、彼女は問うた。だがユストには、ルミナほど純白が似合う者はいないと断言できた。ホシオテースの末裔の称号に恥じぬ立派な忠節を、生き様でもって証明してみせた。その姿のなんと高潔なことか。これほど強く美しい人を、ユストは未だかつて見たことがない。
部屋を出ると、オルナンが待っていた。
ユストは父との書簡のやり取りを、オルナンに一任している。大方、帝国からの便りを持ち帰ってきたところだろう。
「ルミ…じゃなくて、ルーナ様は目を覚まされましたか?」
「いや…」
世間ではルミナは死んだことになっている。その為、彼女は『ルーナ』としてこの屋敷に匿われているのだ。不用意に名前を出して、誰かに聞かれてしまってはまずい。
「そうですか…はやく元気になってくださるといいですね」
「…ああ」
「それから、皇帝陛下のお返事ですが、新王の座はユスト様にお譲りするとのことです。おめでとうございます」
二国が統合され『アスンクリト王国』となったあかつきには、ユストに全権が委ねられるらしい。父の期待を嬉しく思う反面、荷が重すぎると怖気付く自分もいた。傷だらけだった女の子ひとり助けられなかった人間に、王など務まるのかと、ユストは問いたかった。
「可能ならば即位までに王妃をたてよ、とも仰せでしたが…」
「………」
自分の妃に、と言われて思い浮かぶ女性は一人しかいない。この先きっと、そんな風に思える相手はもう現れないだろう。
良くも悪くも、ユストの胸を穿ったその人はまだ目覚めない。彼女でなくては、この胸の空隙は埋まらない。目を伏せたユストを見て、オルナンも項垂れる。
「…ユスト様の大切な方が亡くなるのは、ダグラス様で終わりにしたいです」
「オルナン…」
「ユスト様を殺そうとした事は怒っていますけど、やっぱりすごく哀しいし、寂しいです……僕には何もできませんが、せめて毎日お祈りしていますね」
「ありがとう。お前が従者で良かった」
「そ、そんな…僕なんて……えへへ」
つくづく、オルナンの素直さには救われる。純真さで言えば、ルミナと同じくらいかもしれない。またとない者達に恵まれたと、ユストが噛み締めた直後。
「姫様っ!!」
今しがた出てきた部屋から、双子の叫び声が聞こえてきたのだった。




