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追想:消せない隔たり

ニッダー家は代々アスンクリト帝国の、皇帝の側近として仕えきた家系である。ダグラスの父も、皇帝の右腕として名が知られていた。

宮殿に出入りする父親にいつも引っ付いていたダグラスと、皇帝の息子であるユストが出会うのは、必然だったと言えるだろう。ダグラスが抱いた、ユストの第一印象は『大人しそうな奴』であった。悪戯っ子だったダグラスからすれば、木陰で黙々と読書をするユストは、さぞかしもの静かな子供に映ったに違いない。


「なにしてんの…ですか?」


当時、五歳になったばかりだったダグラスは、まだ敬語が苦手で、まともに使うことができなかった。おかしな言葉遣いに、ユストは思わず小さく吹き出しながら答えた。


「…本を、よんでる」

「見りゃわかる…ます」

「むりしなくていいよ」

「そう?ありがとな。おれはダグラス。お前、ユストだろ?」

「うん。よろしく、ダグラス」


お互い、身近に同い年の子供がいなかった為、すぐに打ち解け仲良くなった。殊にユストにとっては、こんなにも親しげに喋りかけてくれる相手は貴重な存在だった。というより、ダグラスしかいなかった。普通は皆、皇子という肩書きに一歩引いてしまうからである。


「本ばっか読んで、つまんなくねぇ?」

「つまらなくないよ。僕はダグラスの父上みたいになりたいんだ」

「ええっ!?おれの父さん?なんで!?」

「どんなことでも知ってて、すごいと思う」


培ってきた知識を皇帝の為、ひいては国の為に余すところ無く発揮する有能な側近の姿は、子供だったユストの目に憧れとして映った。それにダグラスの父は、ユストのことをよく褒め、励ましてくれる優しい人なのだ。

他人より優れた能力を持ちながら、決して自慢せず、日々生じる諸問題に粛々と向き合う男の姿勢が、ユストの人格形成に大きな影響を及ぼしていた。


「おれは皇帝のが断然、カッコいいと思うけどな」


そんな事を言いながら、ダグラスは自分の父親が褒められて、どこか得意げだった。


「そうかな。僕の父上は…ちょっと遠くにかんじるから」

「ふうん。そういうもん?」


ユストの父は、息子と接する時でさえ、威厳を崩さない少し怖い人だった。だからニッダー家のように、ダグラスが悪さをして叱られる、なんて光景がユストには羨ましく思えた。

今でこそ、自分の父を尊敬しているが、ユストにも子供らしい時代はあったのだ。


「遠いなら、近くにいけばいいじゃん。今からしつむ室に忍びこもうぜ!」

「え!?怒られるよ…」

「いっしょに怒られればいいだろー?」


本ばかり読んで篭りがちだったユストは、活発なダグラスの影響を受けて、部屋の外で遊ぶようになり、この事はユストの両親を安心させた。皇帝、皇后といえど人の親。男の子は多少やんちゃなところがあっても良いと思うものだ。


「おい、ユスト!このあとのおやつをかけて勝負しようぜ!」

「いいよ。うけて立つ」


こんな具合に、二人は勉強も剣術も遊びも、いつだって一緒に行なった。大人しいことには大人しいユストだが、負けるとあからさまにムッとするといった稚拙な一面は、気の置けない友人にしか見せなかった。ユストは存外負けん気が強い質なのだと、勝負をやり始めてから知った。

初めのうち、勝敗は五分五分だった。

その均衡が崩れ始めたのは、二人が八歳になった頃。ユストが自分の父と共に、同盟国であるテル・アゼカ王国の訪問から帰って来た後からである。

なんか目つきが変わったなと、ダグラスは感じていたが、大して気に留めていなかった。ところが、同じように剣の稽古に励み、同じように勉強を教わっているはずなのに、ユストとの差がみるみる生じ始め、そうなってようやくダグラスは強い焦りを覚えたのだ。

遊び感覚で模造刀を振り回していたダグラスと、「守りたい、助けたい」という明確な意志が生まれたユストとでは、歴然とした差が出てくるのも当たり前だった。ユストが一人で勝手に成長していた事に、ダグラスは寂しい反面、不満だった。抜け駆けされるのは悔しいので、ダグラスも出遅れた分、本腰を入れて鍛錬するようになった。


そんなダグラスの努力を嘲笑うかのように、成長期に突入すると、二人の差はさらにひらき始めた。

もともと学ぶのが好きだったユストに、勉強嫌いなダグラスが逆立ちしても敵う訳がなく。かといって、得意だと思っていた剣術でも勝つのが難しくなってきた。とりわけ、弓に関しては手も足も出なくなってしまった。師範から「天賦の才がある」とまで言わしめたユストだったが、彼は自惚れるどころか、ますます真面目に稽古に取り組んだ。何事にも手を抜かず、熱心に打ち込むユストに隙は無かった。


「久しぶりに勝負するか?」

「…いや。今日は気分じゃねぇな」


些細な物を賭けて、事あるごとに争っていたというのに、いつからかダグラスは、友人との勝負を避けるようになっていた。それはひとえに、勝敗が目に見えているからだった。負けると分かりきっている勝負など、面白くも何ともない。ダグラスの自尊心がズタズタになるだけだ。次第にユストも持ちかけなくなり、戯れ合いつつもどこか真剣味を帯びた二人の勝負は、ぱったり止んでしまった。


喧嘩をした訳でもないのに、何となくユストの隣にいるのが辛い。そう自覚してから、ダグラスは宮殿へ向かう足さえ遠のいた。


(思えば最初から、あいつと俺は違ってた。何もかも…)


あれはまだ、ユストと出会って間もない時の話だ。本の虫になっている友人に退屈し、こっそり拝借してきた模造刀でちゃんばらを仕掛けたダグラス。そのうちユストも面白くなってきて、一緒に笑いながら遊んでいたのだが、彼の世話係に見つかり、鬼のような形相で叱られたことがあった。無論、叱責されたのはダグラスだけである。皇子を傷付けるつもりかと、こっ酷く怒鳴られ、泣きべそをかいた覚えがある。

あの時、ダグラスは思い知ったのだ。自分と、友だと信じていた男とは、決して埋まらぬ隔たりがあると。しかし、周りが何と言おうと、ユストだけは対等な友人として接してくれたから、ダグラスもそこまで気にしてこなかった。それを今頃、改めて絶望させられる羽目になるなんて、あんまりだ。


(俺はあいつと、対等でありたかったのに…)


ユストは皇帝の息子で、ダグラスは側近の息子。生まれついた地位は、今更どうしようもない。けれども、それ以外の分野では互いに高め合える、そんな関係でいたかった。そういられると信じていた。

だが今となっては、隔たりが深く、大きくなる一方だ。対等なんて程遠い。


(……せめてあいつが、嫌な奴なら良かったのにな)


そうであれば、心置きなく嫌いになれた。身勝手な憎しみを押し付けてやることもできた。ところが、ユストという男は"良い奴"だった。融通がきかない部分もあるが、根はお人好しで、悪を覆うほどの善良さを持ち合わせている。いや、潔白でいようと努めるのを、いつも怠らないのだ。

彼の隣に立てるだけでも光栄なのだと、ダグラスは知っている。


(でも俺は、ユストの後ろをついていくのも厳しい。隣になんて、立てやしない…)


きっとユストが聞けば、全力でダグラスの考えを否定するのだろう。それが容易に想像できるのが、余計に悔しかった。




疎遠になりがちだった二人を再び繋ぎ止めたのは、皮肉にもバサノス王が起こした戦争だった。いや、戦争では語弊がある。あれは一方的な虐殺であった。バサノス王は鉱脈目当てに、同盟を無視して攻め入り、無抵抗な帝国民を蹂躙していった。

バサノス王の凶刃は、ニッダー夫妻にも及んだ。ダグラスの両親は、見せしめとして殺された挙句、遺体は街の広場に吊るされた。無数の虫が集り、烏が死肉を突いても、放置され続けた。

子供じみた口喧嘩ばかりしていたが、父親の仕事ぶりを尊敬していた。気恥ずかしくて素直になれなかったが、鷹揚とした母親が好きだった。

血の涙を流すダグラスの横で、背中をさすり、共に泣いてくれたのはユストだ。この時ばかりは、まるで自分の事のように怒り、哀しみを露わにするユストが、友人で良かったと思った。しかし、そう思えたのはこれが最後となった。


帝国がテル・アゼカ王国の植民地となって以来、二人の関係は子供時代に近いものとなった。バサノス王に対する怒りという、共通項があったからだ。


「…絶対に、家族の仇をとってやる」

「ああ。私もバサノス王を許しはしない」


ただし、怒りの根源は違った。ユストは義憤、ダグラスは怨恨である。

その相違が後に、取り返しのつかない隔たりを生むことになろうとは、打倒バサノスを誓い合う二人はまだ知らなかった。

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