20
夜の闇に消え入りそうな後ろ姿が、ユストの平静を失わせる。
「ユスト様に代わりこのわたくしが、お相手致します」
槍を構えたルミナは、その華奢な背中でユストを庇いながら、彼に先へ進むよう促した。
「行ってください。ユスト様」
しかしユストは動けない。
「お父様達は隠し通路から外へ出ようとなさっているはずです。向かいの通路を突き当たりまで進み、分かれ道を左へ。奥から二番目の部屋に隠し通路の入り口があります。扉に細工はしましたが、大した足止めにはならないでしょう。お急ぎください」
硬直から解かれたダグラスが、黒い微笑を浮かべてルミナをせせら嗤う。
「おいおい。『我儘姫』の言う事を信じろってか?どうせ罠に決まってんだろ」
「………」
「ま、丁度良いか。美人を殺すのは勿体ないが、憎っくきバサノスの娘は生かしておけねぇからな」
「やめろ!!ダグラス!!」
ダグラスは荒んだ笑みのまま、ルミナに斬りかかった。しかし、ユストが制するよりも先に、ルミナが素早く攻撃を防いでいた。逆に、油断だらけの男へ一撃を返す。それにより火が着いたダグラスは、いきり立って反撃し始めた。
力で押し切ろうとするダグラスに、圧巻の槍さばきで対抗するルミナ。あまりに激しい剣戟に火花が散る。
「行ってくださいっ!!」
ルミナは声を張り上げて再度、懇願する。
「ルミナ姫…っ!」
「ユスト様の手で、終わらせてください!それが民の願いであり…わたくしの願いですっ!!」
ユストの頭の中は混乱を極めていた。それでも彼の心は、背中を押してくれたルミナが正しいと叫んでいる。
「……すまない…っ」
離れていく気配を背中で感じていたルミナは、口元に微笑を浮かべるのだった。
所詮は深窓で育った姫だと侮っていたダグラスは、ルミナの秘められた実力に気圧されることになった。ここまで熾烈な戦闘になるなんて完全に予想外であった。
それもそのはず、彼女は心に定めた主人を守るべく、幼い時から訓練されてきた戦士なのだから。相手に怯む様子も、雑念で切っ先がぶれる様子も無い。
「…ご自分の命を大切になさってください。どうか降伏を」
「勝つ気満々とは随分な自信だな。けど甘いぜ、姫サマ」
母直伝の槍術を駆使するルミナであったが、ダグラスに比べて経験が浅すぎた。実戦となると、やはりダグラスの方が一枚上手だった。そして何と言っても、単純な力比べではどう足掻いても敵わない。現に、先程から何度か攻撃は決まっているものの、彼の防具を砕くには至らなかった。
「攻撃が軽すぎ。あと、型がお綺麗すぎて見切りやすい」
「…何とでも、仰ってください」
「そんなに、あの皇子サマに惚れてんのか。妬けるねぇ!」
「ぁぐっ…!?ぅ…」
軽口を叩きながら、ダグラスは一瞬無防備になった薄い腹に、容赦の無い蹴りを入れた。ルミナは防御が間に合わず、派手にふっ飛ばされ、硬い大理石の床に転がった。
かなり痛々しい音が鳴ったはずだが、ルミナは間もなく立ち上がった。この程度で音を上げていては、とても義母の虐待には耐えられなかっただろう。暴力による痛みには慣れている。それどころか、彼女は悠然たる面持ちをしていた。
「…ええ。その通りです。わたくしはユスト様のひたむきな正義に、心底惚れております」
正義を象徴する『白』、彼が一番好きだと言った色を持つ者として相応しく在りたかった。
「彼の方は、わたくしの道標ですから」
一方的な想いでいい。敵国の姫として憎まれたままでも構わない。王女としてできる精一杯を。誓いを立てた唯一の主人の為にできる最大限を。
これまでの歩みを振り返った時、胸を張っていられる自分でいたかった。
「…あいつの剣で殺される事になっても、あいつを守るのか?」
「わたくしは嫌われ者の『我儘姫』…その末路くらい理解しています」
ルミナもまたユストのように、掲げた理想を見据えて、堅固な姿勢を貫き続けた。ダグラスと対峙しながらも、澄んだ瞳が見つめているのはユストだ。
正面から金色の瞳に射抜かれたダグラスは、憎々しげに舌打ちをする。
「どいつもこいつも馬鹿みたいに…っ!あんな甘っちょろい奴が、王に相応しいはずがない!!」
「王の器を持つ人間など一人もいません。賢王を理想とし最後まで努力した人が、そう呼ばれるに値するのです」
「ハッ!くだらねぇ!綺麗事はあの堅物だけで充分だ。…どうしてユストなんだ。なんであいつばっかり…」
「それはご自身が一番、よくわかっていらっしゃるのではありませんか?」
ダグラスは、子供の頃からユストを見てきた。
ユストは生まれながらに皇子であり、待望の後継者だった。だが彼は、その立場に驕ることなく、何事にも勤勉で、誰かを見下したりしなかった。堅物だの朴念仁だのと散々揶揄ってきたが、ユストにはどんな誘惑に晒されても、正しい心を曲げない強さがあった。
ダグラスは自分には無いその強さが、とても羨ましかったのだ。狂おしいまでの羨望は、いつしか醜悪な嫉妬へ変わっていった。そうなるともう、自分で自分の感情に手が付けられなくなった。膨れ上がる悪感情は、元凶であるユストを消さねば清算できない。一度その考えに支配されてしまえば、友を殺す事をも厭わなくなった。
「……そうだな。一番よく…知ってるよ」
ガキンッと金属同士がぶつかる音が耳朶を叩く。瞬きをするかしないかの刹那、ダグラスの左手が動いた。
(暗器…!)
視界の端でその動向を捉えていたルミナは、咄嗟に腕を前に突き出し、掌ほどの小刀を受け止めた。
彼女の纏う鎧は、機動性を重視した造りになっている。急所以外は覆われていないのが災いし、小刀は易々と白い柔肌に食い込んだ。肌を裂かれる痛みに顔を顰めるも、ルミナは槍を横に薙ぎ払った。
「おっと危ねぇ」
「………」
しかし、その攻撃は惜しくも空振りに終わる。ルミナは腕に刺さった小刀を引き抜き、そのまま放り投げた。衣服に赤黒い染みが広がっていくが、彼女は見向きもしない。
「急所を守ったのは見事でした、姫サマ。だけど残念、あれには猛毒が塗ってあるんですよ」
「毒への耐性ならつけてあります」
「忌み嫌われる『我儘姫』なら当然か。でも、派手に動けば毒のまわりも速くなる」
毒が全身を回るのが先か、ルミナの体が毒を分解するのが先か。激しい戦いが続くほど、致死率は高くなっていくだろう。
「それがどうかしましたか」
死の危機に面してもなお、彼女の迷いは皆無であった。この瞬間、ダグラスは初めてルミナに怯んだ。実力ではダグラスが上、刻一刻と不利になっていくのはルミナの方。にも関わらず、ダグラスの本能は敵わないと告げていた。
(…そんな訳あるか!!ユストのみならず、俺がこんな小娘にまで負けるはずがねぇ!!)
動きを封じて一気にとどめを刺してやろうと、ダグラスはルミナの長い黒髪に手を伸ばし───
祖国の為に協力し合ってきた幼馴染は、土壇場になってユストを裏切った。
そして、敵の立場であるはずのルミナに守られ、ユストは今、彼女が示してくれた道を走っている。
ダグラスと違い、ユストはこれが罠だという考えには至らなかった。だってルミナは一度として、ユストに嘘を教えたことが無いからだ。
(…わからない)
疲弊しきった頭と体が、ユストの思考力を奪う。ダグラスからあそこまで激しい憎しみを抱かれていた現実は、相当大きなショックとなってのしかかってきた。
だが、彼がユストの思考を読んでいたように、ユストもまた、ある程度ダグラスの気持ちは察していた。いつから二人の歯車が噛み合わなくなったのか、決定的な時点はわからないが、友人から芳しくない感情を向けられている事には気付いていた。ダグラスをして「堅物」と言わしめる性格の所為で、自分の主張を結局は曲げられず、こんな結果を招いてしまった。
強い痛恨に苛まれながらも、今、最もユストを困惑させているのはダグラスではなく、目に焼き付いて離れない一人の女性の方だ。
(わからない…貴女という人が)
傍若無人に振る舞うルミナ。
子供のように無邪気に笑うルミナ。
贈り物を受け取って素直に喜ぶルミナ。
武器を手に背を向けていたルミナ。
いったいどれが本当の彼女なのか、知りたくてたまらなくなった。
(貴女は、誰なんだ)
『ユスト様の手で、終わらせてください!それが民の願いであり…わたくしの願いですっ!!』
ルミナが何者であれ、切羽詰まった状況でのあの言葉が、紛れもなく彼女の本心なのだろう。
(今までの貴女は、虚像に過ぎなかったのか?私をここまで導く為の…)
思い返せば、ルミナの行動はどれを取ってもユストの得にしかならないものだった。
愚か者を演じる裏で、密かにユスト達の内通者になってくれていたのだとしたら?もしそうなら、どうして協力者であると告げなかったのか?
(本当の貴女が知りたい)
けれどもその前に、ユストには倒さねばならない敵がいる。
「バサノス国王陛下……いや、バサノス」
ユストの祖国、アスンクリト帝国を虐げ、自国の民すらも顧みなかった愚王は、ルミナが教えてくれた部屋で青ざめていた。部屋の中には同じような顔色をした妻と息子もいて、バサノスが大量の汗を流しながら、開かない隠し扉と格闘している。
(…やはり、貴女は正しかった)
ユストが一歩踏み出すと、バサノス達は震え上がった。ここまでの道中に浴びた返り血が、彼らの恐怖心をいっそう煽った。
「お前達を拘束し、アスンクリト帝国へ押送する。無駄な抵抗はしない方がいい」
「ユスト貴様…っ、それ以上近付くでない!!私はこの国の王だぞ!?無礼を働けば貴様の命など…」
「衛兵は何をしているのです!?」
「うわぁぁぁっ!」
王太子が最後の抵抗とばかりに刃をユストに向けたが、剣など碌に持った事が無いのは明らかだった。即刻、返り討ちに遭い、昏倒させられる。
目の前で息子が倒れるのを、まざまざと見せつけられたバサノスは態度を一転させ、惨めに命乞いを始めた。一方カーラルは、ここへきて義娘を口汚く罵り出した。
「私達よりも先に、あの恥晒しを殺すべきよ!何処の馬の骨とも知れない売女の娘を!そうよ、悪いのは全部あの娘!あれの所為で全てが狂ったのよ!私達は何も悪くないわ!!」
「た、助けてくれ!!この通りだ!!」
狂ったように笑うカーラル。その隣で額を床に擦り付けるバサノス。王族の威厳も何もない、みっともない姿だった。ユストは双眼をすっと細めて冷酷に言い放つ。
「民の請願に、お前達は耳を傾けたか?善か悪か、生か死か。それを決めるのは私ではない。お前達が見向きもしなかった民達だ」
「ひいぃっ!!お願いだ!!殺さないでくれ!!」
「私達を殺すくらいならルミナを殺しなさい!その方が世の為よ!!」
「…続きは裁きの場で話すといい」
喚き声が非常に耳障りだった。聞くに堪えなくなってきたユストは、残り二人の意識も手早く奪ってやった。
成し終えた合図として、窓から空に向かって鏑矢を続けざまに三本、射放つ。独特の音響を聴き取った最初の者が「アスンクリトの勝利だ」と高らかに勝ち鬨をあげた。それは徐々に拡散し、一つの大きな叫び声へと変わっていく。
しかし腹に響くほどの音も、今のユストには遠く聴こえた。
暫しの間、半ば茫然と全てを遂げた達成感に浸る。綱渡りの日々を送ってきたにしては、幕引きは調子が狂うほどに呆気ないものだった。
「ユスト皇子!大変です!ダグラス様が…!」
駆けつけた仲間の声で、ユストは我に返る。そして、広間で別れた二人のことを思い出すと、心臓が大きく脈打ったのだった。
「お前達はバサノス達を連れて行け!」
そう言いながら、ユストは床を蹴って疾走を始めていた。




