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バサノス王が指定した別荘地は、窓から湖畔が見える静かな場所だった。存外良い地を与えたなと思えたのは、屋敷の中を目にするまでのことであった。
「うわっ…内装を改めたって、嘘ですよね。手入れも何もされていないじゃないですか!」
埃が降り積もった床。蜘蛛の巣が張った天井。使えるかどうかもわからない古びた家具。住むのを放棄して何年も経つような惨状だ。屋敷に一歩足を踏み入れた瞬間に、オルナンが怒り出したのも無理はない。これがアスンクリト帝国式だなんて、ユスト達の祖国を貶すにも程がある。
「よせ、オルナン。こういう扱いは予想できた事だ」
「でもあんまりですよ…ユスト様は皇子なのに…」
「敗戦国の、だろう」
「あの戦争は、テル・アゼカ王国が同盟を破って仕掛けたもので、僕達はただ理不尽に殺されただけです!」
かねてより同盟を結んでいた両国だが、突如としてテル・アゼカ王国が宣戦布告もせず、アスンクリト帝国に攻め入ったのが開戦のきっかけだった。平和そのものだった帝国は、一夜にして血の海と化した。
アスンクリト帝国には豊富な鉱脈がある為、他国から狙われる事はユストの父も重々承知していた。だからこそ大国であるテル・アゼカ王国と同盟を結び、発掘した金や銀を輸出して、親睦を図ってきた。しかしバサノス王はそれだけでは満足できなくなり、同盟を一方的に破棄して帝国を蹂躙したのだ。
帝国民が汗水流して採掘した鉱石類は、ことごとくバサノス王に奪われ続けている。眠る時間さえまともに貰えず、危険な坑道に無理矢理行かされ、死んだ者は数知れない。
「そうだ。あの悪王に然るべき報いを与える為に私達は来た。嘆いている時間は終わりだ。手始めに掃除をするぞ」
「えっ!?掃除なんて僕がやりますから、ユスト様は休んでいてください」
「無駄に広い屋敷なんだ。手分けしてやった方が良い」
「そうだそうだ。こき使ってやれ、オルナン」
第三者の声が聞こえ、二人は同時に振り返る。片手を上げて近付いてくる人物を見るなり、オルナンが「あっ!」と声をあげた。
「ダグラス様!」
「よっ、一週間ぶりくらいか?」
奥の部屋からひょっこり出てきたのは、赤茶色の髪をしたダグラス・ニッダーという男で、ユストの旧友である。類は友を呼ぶのか、こちらも中々の好青年だ。
ダグラスは高貴な家の生まれだったが、先の戦争で家族も財産も失い、ユスト達以上に激しくバサノス王を憎んでいる。しかし、二人と接するダグラスは飄々としており、そんな激情を抱えているようには到底見えなかった。
「無事に再会できて良かった」
「無事なもんかよ。狭い木箱に押し込められて国境越えだぞ。体のあちこちが痛いったらねぇよ」
悪態をつきながらも、その声色は茶化すような調子だった。オルナンのように従者として入国しても良かったのだが、ダグラスは抜け目の無い男であり、密偵が適任だと判断され、積荷に隠れて秘密裏に入国を果たしていた。
「で、どうだった。国王陛下は」
「この屋敷を見ればわかるだろう。陛下は『内装をアスンクリト帝国の様式に改めた』と話していたぞ」
「ハッ!これがアスンクリト式?ふざけやがって」
「あまり大きな声を出すな。お前はこの国に居るはずのない人間なんだ」
「大丈夫だ。お前らが通ってきた道には、見張りが腐るほどいるけど、この屋敷の付近には門番しかいねぇから」
「やはり簡単には外に出られないか…」
「いや。遠回りになるが、屋敷の裏から獣道を下れば、街に行く事はできそうだ」
「もう調べたのか?」
「屋根の上から見下ろしてみただけだ。明け方にでも行ってみるつもりだけどな。じゃあ、掃除はよろしく」
「何を言っている。お前も手伝え、ダグラス」
「俺は居ない人間なんだろ?」
「都合の良い時だけ居なくなるな」
「へいへい。了解しました、皇子サマ」
「まったく…」
調子の良い男だが、ダグラスの軽妙さはユストの沈んだ気分を変えてくれる。打倒バサノス王という同じ目的の為に闘う、心強い味方だ。
(今はまだ三人)
王に刃向かうには、万人の力が要る。気の遠くなるような道のりだ。けれども、諦めるなんて以ての外。今日、バサノス王と対峙して、いっそう決意が固くなった。あの愚王を倒さずして、ユスト達に平穏など訪れるはずがない。
屋敷の掃除は、一日では半分も終わらなかった。何とか調理場と寝る場所だけは整えたが、まだ手付かずの部屋がたくさん残っている。
「上手じゃなくてすみません…」
支給された食材はオルナンが調理した。ここには料理人はおろか、使用人の一人すら居ない。よって、オルナンが率先して炊事や洗濯を行わなければならなかった。出来ない訳ではないが、得意とも言えず、オルナンは申し訳なさそうにスプーンを動かしている。
「気にするな」
「向こうでの食事に比べたら、肉が入ってるだけでご馳走だぜ」
鉱石だけでなく、元々あまり獲れない農作物までも略奪されていた祖国では、皇帝一家の食事を三食揃えるので精一杯なくらいだった。民達の食事がいかに貧しいかは想像に難くない。そんな暮らしが当たり前になっていたのだから、今さら味付けに文句をつけるような贅沢を、彼らが言うはずもなかった。
「…それで、今後についてだが」
「まずは情報収集だな。それが無きゃ始まらない」
「ああ。頼むぞ、ダグラス」
「その為の密偵だぜ?任せろ」
「あとは味方を増やしたいところですね」
「帝国から連行された捕虜がいる。彼らと接触するのが一番だろう。無論、おいおいはこの国の民も味方に引き入れなければならないが、まだその時ではない」
「問題は捕虜がどこに囚われているか、だ。一箇所に集められていれば楽だが、戦力分断の為に各地に散らされているだろうし」
「悪いな、ダグラス。お前ばかりに負担をかけて」
「そんなもん今更だ。お前はどうする?」
「隙を見て、王城に忍び込むつもりだ。見取り図を作りたいし、見張りの人数も把握しておきたい」
話し合いは深夜をまわっても続いた。
門番に感付かれないよう、明かりは最小限に留め、これからの方針を練った。
「武器はどうしますか?僕達、国境の検問を通る為に、剣も防具も持ってきてないですし…」
「とりあえず、料理用の小刀があるだろ」
「心許ないが、無いよりは良い」
「そのうち俺が、どこかから掻っ払ってきてやるよ」
「盗みはよせ」
「馬鹿言うなよ、ユスト。俺達のどこに剣を買う金があるんだ。律儀なのも大概にしとけ」
「しかしだな…」
生真面目なユストに、ダグラスは呆れたような息を吐いた。
「民が売ってるもんは盗らねぇから」
薄暗い部屋のせいで顔はよく見えないが、ユストからは依然として納得していないような雰囲気が伝わってきた。友人の性格をよく知っているダグラスは、構わずに話を進める。
「とりあえず、主だって動くのは俺。ユストが出る時は、俺がここに残る。いいな?」
「ああ」
「じゃあ、そろそろ寝るか」
「ちょっと待ってくれ」
大きな欠伸をしたダグラスだったが、ユストの声に再度、意識を集中させる。
「あくまでついでで構わないのだが…」
ユストにしては妙に歯切れが悪く、ダグラスは首を傾げた。オルナンも物珍しげに目を瞬かせている。
「なんだよ?」
「…『ルーナ』という女性を捜してくれないか」
「……は!?」
ダグラスの唇から素っ頓狂な音が漏れた。だがそれも仕方のない事だった。何せこのユストは、若い盛りの癖に浮いた話が一つも無い、とんだ堅物だからである。皇子という立場なら、女性関係の噂が幾つか囁かれそうなものであるが、ユストに限っては全く無い。女の影も形も無いのだ。何ならダグラスの方が、戦争が起こる前は相応に遊び歩いていた。
(どうなってやがる。おい、オルナンは何か聞いてないのか)
(ぼ、僕も初耳ですっ)
こそこそと内緒話を交わすダグラスとオルナン。らしくない事を口走った自覚があるのか、ユストはきまりが悪そうだった。
「…あの、ユスト様。その方とはいつお会いしたんですか?」
「私が八歳の時だ。一度だけ、父上に引っ付いてこの国に来た事がある」
「へぇ。その時に一目惚れしたってか。随分長い片想いだな」
「そういうのではない。相手は三つか四つの子供だぞ。ただ、その子の姿が印象的だったんだ」
「容姿がですか?」
「ああ。小さな子供なのに真っ白な髪をしていた。おかげで今でもよく覚えている」
出会ったのは王城だが、その小さな女の子の身なりは酷いものだった。薄汚れた衣服に、傷だらけの肌。髪色と同じくらい肌も白い所為で、赤黒い傷が余計に痛々しく見えた。
「よほど辛い生活だったのか、城の片隅で隠れるように泣いていてな。買われてきた奴隷だったのかもしれない。今はどこにいるか知らないが、何か手掛かりがあればと思って」
「なるほど、お前らしいわ。白い髪の『ルーナ』ちゃんね」
「僕も可能な限り、お捜ししてみます」
「すまない。恩に着る」
痛ましい姿でぽろぽろと泣く女の子を見た当時のユストは、幼心に「絶対にこの子を助けにいく」と強く胸に誓ったものだ。思えば、誰かを守りたいとはっきり意識したのは、あれが初めてだったかもしれない。
ダグラスに言わせれば「クソ真面目でお堅い」ユストは、昔の話だと片付けることなく、再びテル・アゼカ王国に赴く機会が訪れたら、必ず助け出すと決めていた。それがこのような形になるとは思わなかったが、一度こうと決めたら諦めないのがユストなのだ。
「だが私の私情に、貴重な時間と労力を費やす必要は無い。さっきも言った通り、ついでで良い」
「わかってるって。優先順位は間違えねぇよ」
「僕は両方ともに全力を尽くします!」
「いや、だから…まあいいか」
いつも一生懸命なオルナンにどこか甘いユストは、比重を考えろと強く言えないのであった。
▷テル・アゼカ王国
ルーナ…???
▷アスンクリト帝国
ダグラス…密偵として潜入したユストの友人。




