追想:母と娘
過去編です。
臨月に入ったイルエは、そっとお腹に手を当てた。
この子を身籠もるまでの日々は、まさしく怒涛であった。普段は隠している純白の髪を、偶然バサノス王に目撃されてしまったのが運の尽き。抵抗することは許されず、閨房へ連れて行かれ、国王の秘密の愛人としての生活が始まった。
一夫一妻制を掲げるこの国において、愛人という存在は後ろ暗いものである。故に、イルエは人の出入りが無い、別棟に閉じ込められていた。
「イルエ様。お加減はいかがでしょう」
「今日は気分が良いわ。ありがとう、ミーシャ」
イルエに付けられた侍女はたったの一人。十中八九、秘密が漏れないようにする為であろう。カーラル女王の目を欺くことはできなかったので、この措置がどこまで意味を成すのかは、甚だ疑問である。
「ねぇねぇ、もうすぐうまれるのー?」
「これ!シャルテル!」
侍女のミーシャの後ろから、ひょっこりと現れたのは幼い双子。彼女の子供達だ。
「あらあら。シャーラにシャルテル。こんにちは」
「こんにちは」
「こんにちはー!」
ミーシャは出産を間近に控えたイルエのそばを離れられなかった。家に帰れないので、ここで自分の子供達の面倒も、まとめて見なければならなかった。多忙な侍女を気遣い、イルエはすすんで双子の遊び相手を務め、双子もそんなイルエに懐いていた。
「おとこの子かな?おんなの子かな?シャーラはどっちがいい?」
「いっしょにあそべるから、おんなの子がいい」
元気に喋るシャルテルの傍らで、普段は大人しいシャーラも目をキラキラと輝かせて、大きなお腹を見つめている。
「申し訳ございません、イルエ様。喧しくしないよう、散々言い聞かせたのですが…」
「いいのよ。賑やかな方が楽しいわ」
イルエのお腹に触り「動いた!」とはしゃぐ双子を見下ろし、イルエは優しく微笑む。それから両手を伸ばし、双子の丸い頭を撫でた。
「…二人とも、ありがとう。この子の誕生を待ち望んでくれて」
望まぬ懐妊であったが、宿った命は等しく貴いものだとイルエは思っている。しかし、このお腹の子は、生まれながらに過酷な運命を背負わなければならない。父親は国王、母親はその隠された愛人…我が子には、もっとまともな人生を用意してやりたかった。
「この子のお姉さんになってあげてね」
それでも、お腹の子を愛してくれる家族がいる。
「うん!いいよ!」
「うれしい」
孤独では耐えられない絶望も、独りでないのならきっと越えていける。
(大丈夫だから、元気に生まれてくるのよ)
母の語りかけが届いたのか、赤ん坊は予定日きっかりに誕生した。ミーシャ曰く、初産にしては長引かなかったらしいが、初めて尽くしのイルエには、よくわからない。とにかく痛くて痛くて…
だが、激痛との闘いの末に生まれてきた我が子は、本当に可愛らしくて、心の底から愛おしさが込み上げてきた。
女の子はルミナと名付けられ、ミーシャや双子からも、惜しみない愛を注がれていた。
「赤ちゃんっていうくらいだから、もっと真っ赤かとおもった」
「うん。わたしも」
「おめめが金いろで、きれいね」
「かみも、イルエさまとおんなじ」
すやすやと眠る赤ん坊に、双子は興味津々だった。放っておけば、延々と眺めていそうだ。
(金色の瞳…)
シャルテルは綺麗だと褒めたが、イルエは素直に喜べなかった。金色の瞳は王家の証である。これでもう、言い逃れはできない。この子は紛れもなく、バサノス王の娘なのだ。娘の誕生を見にも来ない、愛情の欠如した男がこの子の父親だ。
「イルエ様…」
「ミーシャ、どうだった…なんて聞くまでもなさそうね。その様子では」
「はい。ルミナ様は、カーラル女王陛下の御子として公表すると、決定が下りました」
イルエが妊娠した時は、丁度、カーラル女王が体調を崩していた時期と被っていた為、事実を捏造するにはもってこいであった。
「カーラル様は何と…?」
「顔も見たくないと仰せでしたが、王命ですから拒否権はございません。国王陛下は引き続き、イルエ様が面倒を見るようにともお命じになりました」
「…それなら良かったわ」
「ええ。女王陛下にルミナ様のお世話を託せば、確実に…」
「よして、ミーシャ。二人の前よ」
「…失礼致しました」
カーラル女王に親権が移行し、ルミナを明け渡していたら、すぐにでも殺されていただろう。一先ず、最初の関門は突破した訳だが、彼女の魔の手が及ぶ前に、ルミナには生き抜く力を備えさせねばなるまい。
幸いにして、イルエやミーシャには、その手立てがある。
「……初めて思ったわ。ホシオテース家の人間であって良かった、と」
───時は流れて三年後。
ほんのひと握りの者から、祝福されて生まれた赤ん坊は、すくすくと育っていた。
「おかあさまは…?」
「イルエ様は陛下のところですよ」
母の姿を捜し、ミーシャに抱かれたまま、きょろきょろ辺りを見回すルミナ。このところ、バサノス王に呼び出される頻度が増え、イルエは別棟にいない時間の方が長くなっていた。
寂しげにしょんぼりするルミナだったが、それに気付いた双子が、一緒遊ぼうと声をかける。双子と言えど姉気質があるのか、特にシャーラは幼いなりに、ルミナの面倒をよくみていた。血の繋がりは無くても、三人は本当の姉妹のようだった。その事をとりわけイルエは、安堵を滲ませながら喜んでいた。
ルミナが遊び疲れて眠った頃合いに、手持ち無沙汰になったシャルテルは口火を切った。
「ねぇねぇ。シャーラはルミナさまを"あるじ"にするの?」
物心つく前からミーシャに教え込まれてきたのは、ホシオテースの精神だ。『たった一人の主人に、生涯をかけて忠節を尽くし続ける…それが私達の誇りとする生き方なの』そう教わっている。
「…わかんない。おかあさんだって、イルエさまに、ちかいを立ててるわけじゃないし」
ミーシャがイルエの侍女に選ばれたのは、単にくじ引きの結果であり、イルエに対しての誓いがあったからではない。イルエが『パテール』を継ぐ者であると知ったのはその後だ。話でしか聞いたことの無い、ホシオテースの末裔を目の当たりにし、同胞として放ってはおけなくなったのである。
その時、二人はこんな会話をしていた。
『まさか本当に、生きておいでとは…お目にかかれて光栄でございます』
『私も同胞に出会うのは初めてだから嬉しいわ。街中ですれ違っているかもしれないけれど、そんな事では気付けないものね』
『…申し訳ありませんが、わたしはたとえイルエ様でも、命をかけてお仕えする事はできません』
『わかっているわ。私もそんな事は望まない。ミーシャはミーシャの家族を守るべきよ』
ホシオテース家の人間は、主人を見出し、忠節の誓いを立てたが最後、その誓いを死ぬまで第一に置く。極端な話、崖から主人と我が子が転落しそうになっていたら、迷わず主人の手を取らなければならない。それができないのなら、初めから誓いを立てるべきではないのだ。せめてミーシャが、独り身であった時分に出会えたのなら、話は違ったのだろう。
そういうような話を、ミーシャは双子にも伝えていた。
たった一度の誓いを軽んじてはいけない、よくよく考え抜いて、後悔しない道を選べと再三言われている。主人と出会うのもさる事ながら、誓いを立てるか否かを決定するのも、極めて難しい。だからこそ、ホシオテース家の大半の人間が、その名を明かすことなく生涯を終えていくのだ。
「シャルテルは、どうなの?」
「うーん…わたしはルミナさまなら、いっしょにいてもいいよ!」
楽観的なシャルテルらしい言い分だったが、これはそんな軽い考えで決めていい事ではない。その点、シャーラの方が慎重だった。確かにルミナは可愛い妹のような存在だし、ホシオテース家にとって特異な存在だというのも、何となく理解している。シャーラだって、可能ならいつまでも一緒にいたいと思う。でも、他の大切なものをすべて捨てていいかと問われると、即答できなかった。
ホシオテース家の人間は、窮屈そうな生き方を強いられているように見えるが、本質はとても自由な一族だ。
誰を主人に選ぶのか、むしろホシオテース家として生きていくのか、それすらも個人の意思に委ねられている。権力者であろうと、はたまた家族であろうと、各々の決定を強制することも覆すことも、口を挟むことさえ許されない。
だから、たかが三歳のルミナが、己の生き方を定めたとしても、誰一人としてそれを留める事はできないのだ。
「おかあさま。わたしを、つよくしてください。わたしは、つよくなりたいんです」
身体中に痛々しい生傷を作るルミナは、それでも輝きを放つほどの強い眼差しをしていた。
カーラル女王によって痛めつけられ、泣いて蹲るだけだったルミナが、凛と立ち、真っ直ぐに母を見つめている。その時の光景を、シャーラは未だにはっきりと覚えている。そして震えた。それは武者震いにも似た、感銘の震えだった。大切なものを守ると決めた時、人はこんなにも強くなれるのかと驚嘆した。同時に、ひどく羨ましかった。何かに一途になれる人は、こちらを惹きつける眩しさがある。
「…そう。でも、ひとつ約束しなさい。決して途中で投げ出さないこと。いいわね?」
「はいっ」
ルミナの返事には、僅かな躊躇すらなかった。
その日から、静かな別棟は、イルエの厳しい叱責が飛び交うようになった。ただでさえ、己の信念を貫くホシオテース家には、相応の修行が課される。武術はもちろん、様々な分野の知識の習得も必要だ。そして何より重要なのは"心"。どんな絶望を前にしても、主人の為に奮い立つ、砕けぬ心が不可欠なのだ。それらを培うべく、イルエは一切の容赦をしなかった。可哀想だからと妥協をしていては、ルミナの益にならない。ルミナがつまずくたびに、駆け寄って抱き起こしてやりたい気持ちに駆られたが、イルエは必死に我慢した。
「………」
「…ねえ、おかあさん。つらそうだよ…」
イルエの特訓に、懸命に食らいつく幼い妹分を、双子は泣きそうな顔で眺めていた。シャーラは幾度もルミナのもとへ走り出そうとし、その都度ミーシャに肩を掴まれ、シャルテルは母の服をぎゅっと握り締めたままだ。
「…手出ししては駄目。これは、ルミナ様ご自身が乗り越えなくてはいけない事なの」
「でも…」
シャルテルは涙目で言い縋った。不意に、今まで黙りこくっていたシャーラが、口を開く。
「……いっしょにがんばるのも、いけないの?」
こんな風にただ見てるだけじゃなくて、共に鍛錬を重ねて、辛苦を分かち合いたい。シャーラはそう心から願った。ルミナにだけ辛い思いはさせないと願ったのは、シャルテルも同じだった。
「…あなた達がそう願うのなら、そうなさい。母さんは止めないわ。でもね、自分の言葉には、きちんと責任を持ちなさい。その選択を後悔しないよう、精一杯やりなさい」
「うん!」
「わかった!」
ホシオテースを名乗るには、大変な努力が伴う事を、はたからルミナを見ていた双子はよく知っていた。しかし二人は自ら、茨の道へと飛び込んだのであった。
───それからさらに七年後。
二人目の子を身篭ったイルエは、怒り狂ったカーラル女王の手で殺された。思うように動けないイルエを手酷く追い詰め、バルコニーから突き落としたのだ。
地面に叩きつけられ、頭から血を流すイルエを見つけたルミナは、顔面蒼白になって駆け寄った。全身ががたがたと震えて、真っ暗な恐怖に飲み込まれそうだった。ミーシャを呼んでこようとしたルミナを引き止めたのは、イルエ本人であった。虫の息だったイルエは手を伸ばして、泣き濡れた娘の頰に触れた。彼女の灰色の瞳もまた、涙で光っていた。
「……ごめんね…ルミナ…」
憎しみの渦巻く場所に、まだ十歳の我が子を遺して逝かねばならなかった母の無念を思うと、ルミナは今でもやり切れない気持ちになる。
「あなたは…こんな……死にかたを、しては…だめ、よ………」
それが、イルエの最期の言葉だった。
イルエの立場上、葬儀も執り行うことができず、ルミナはミーシャ達に手伝ってもらって、母の亡骸をひっそりと埋葬した。森で偶然見つけた、誰も知らない花畑に、小さなお墓は建てられた。
四人で涙が枯れるまで泣いた後には、一段と厳しさを増した日常が待ち受けていた。別棟から城の小部屋に移されてすぐ、ここぞとばかりに、カーラル女王が攻撃してきたからだ。
このままでは母のように殺されると危機感を抱いたルミナは、この頃から武術の鍛錬に加えて、耐毒訓練の準備を始めた。協力はシャーラに頼んであった。イルエの薬学講座で、いつも一番良い成績を残していたのは、シャーラだったからだ。
毒に負けない体作りから開始し、数年かけて微弱な毒から徐々に慣らしていった。言葉で振り返るのは簡単だが、その日々は壮絶であった。
時には涙目になった双子が、もうやめて下さいと訴えることもあった。しかしながら、ルミナは投げ出さなかった。『パテール』を背負う者として、ホシオテース家の模範となるべき自分が、主人の役に立てないまま呆気なく殺される訳にはいかない。ルミナには、そんな思いもあったのだ。
(…謝らないでください、お母様。わたくしは、これで良かった)
耐毒訓練も最終段階に入り、かなり強めの毒を摂取したルミナは、酷い高熱に魘され、寝込んでいた。そこで見たのは、母との別れ際の夢だった。きっと母は、こんな人生しか歩ませてやれなかった事を、悔いていたのだろう。だが、ルミナはそれは違うと否定したかった。
ルミナは、独りではない。
心から愛し、慈しんでくれる母がいた。
どんな時も支えてくれる家族がいる。
そして…ユストがいる。
ルミナ・テル・アゼカだったから、彼に出逢えた。
ルミナ・パテール・ホシオテースだったから、彼に力を貸すだけの強さを得られた。
「ありがとう…おかあさま……」
窓から吹き込む風に乗って、母に感謝の言葉が届きますようにと祈りながら、ルミナは再び眠りに誘われていった。
▷テル・アゼカ王国
ミーシャ…双子の母親。




