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テル・アゼカ王国に古くから伝わる『ホシオテース伝説』
ホシオテースといえば、不確かなお伽話の存在とされてきたが、実のところ、彼の名前を継ぐ人間は、至る所に潜んでいる。
その証拠に、ルミナの母イルエ、そしてシャーラ達の母親も、ホシオテース家の一員だった。
彼らがその名を明かすのは、命を捧げるに値する主人を見出した時くらいで、無闇に公言する事は絶対に無い。それ故に、存在も怪しまれる伝説と化していた訳だ。
便宜上、ホシオテース"家"とつくが、ルミナ達のように親から子へ継承される場合もあれば、素質のある者を見つけて引き継がせる場合もある。要は"初代ホシオテースの精神に倣う者達"を総称し、家名のように名乗っているだけだ。
つまり、各地に散らばる同胞同士の殆どに、血縁関係は無い。名乗らなければ同胞だと気付きはしない上、現在ホシオテース家の人間が何人いるのか、それすらも定かでは無いのだ。
性別も年齢も身分も、何なら国籍もバラバラな一族を繋ぐ唯一のものは、ホシオテースの精神、つまり"絶対の忠節"である。
【ひとたび仕える主人を心に定めたなら、己が命の終わりまで忠節を尽くす】
ホシオテースを名乗る者は皆、この掟を誇りとしている。事実、ルミナ達も『命ある限り主人と共に在れ』と教え込まれてきた。ルミナはユストに、侍女の双子はルミナに、それぞれ忠節の誓いを立てている。
当然、真心を尽くそうと思える主人に出会えない者もいる。むしろ、それが大半を占めるといっても過言ではない。仕える主人に巡り会えなかった者は、ホシオテース家である事を秘匿にしたまま生涯を終えるか、後継を育てるかの二択となる。ルミナ達の母親は後者であった。
さて、ルミナと彼女以外のホシオテース家の皆とでは、大きな違いが一つあった。それは、ルミナだけが『パテール』というミドルネームを持つ事である。
パテールとは『始祖』を意味する言葉。つまりルミナは、伝説に登場する初代ホシオテースの正統な末裔なのだ。王にその名を冠してもらった僕もまた、純白の髪色をしていたと伝えられている。
彼女が母から受け継いだもう一つの名前は『ルミナ・パテール・ホシオテース』。ホシオテース家の皆が、一目を置く存在であった。
「待たせたわね、シャルテル」
「いいえ。全然」
王城から長時間、馬を走らせてきたというのに、ルミナは平然としていた。以前、彼女はユストに「馬に乗るのが好き」と話していた。ユストは優雅な乗馬を想像したに違いないが、ルミナの早駆けは精鋭の騎士にも劣らぬものだった。
母のイルエは娘に様々な事を教えた。ホシオテースの精神は勿論、乗馬、戦闘技術、薬草の知識など、幅広い知恵を授けていた。母を亡くした後も、ルミナは母の教えによって守られてきたのだ。
「行きましょう」
「はい」
ユスト達は着実に民を味方につけていっている。決戦は冬場になるだろう。ルミナ達も急がなくてはいけない。ロムファイア辺境伯を説得し、こちら側に寝返ってもらわねばならないのだ。ユストの勝利を少しでも確実なものとする為に、やれる事は全部やる。
ルミナは口を一文字に結び、伯爵家の扉を叩いたのだった。
客間に通されたルミナは、背筋をしゃんと伸ばして座っていた。奥から目的の人物が現れると、彼女は立ち上がって美しい礼をとる。
「お久しぶりでございます。ロムファイア伯爵」
「失礼ですが、見覚えの無いお顔故、お名前を教えていただけますかな」
実は二人に面識は無く、ルミナが一方的に伯爵を知っていただけである。
「申し遅れました。わたくしはルミナ・テル・アゼカ。伯爵にたってのお願いがあり、
馳せ参じました」
「ルミナ殿下…!?これはとんだ無礼を…大変申し訳ございません」
「構いません。今はわたくしが伯爵に願い事をする立場なのです。お顔を上げてください」
いきなり王族がこんな辺境にやって来たら、誰だって驚く。この程度の動揺で済んだのは、流石は歴戦の騎士団長と言うべきか。
謙虚な姿勢のルミナを見て、ロムファイアは「これが噂の『我儘姫』なのか?」と内心怪訝そうな様子だった。
「本題に入る前に一つ、お尋ねします。伯爵は昨今の状況をどう見ておられますか?率直にお答えくださいませ」
「……国王陛下のお考えは、理解に苦しむと」
「充分です。ありがとうございます」
中年を過ぎたというのに、ロムファイアの体つきは逞しく、今でも鍛錬を怠っていない事が見て取れた。恐らく、彼の部下達も同様だろうとルミナは推測する。
「殿下からそのようなお言葉が出るとは、率直に申し上げて意外でした」
「そうでしょうね。貴族間に広まっているわたくしの噂は、聞くに堪えないものでしょうから」
虚をつかれたロムファイアは、しばし閉口する。ルミナの真意を探ろうと、金色の瞳をじっと見つめた。
「伯爵が先の戦争に反対なさっていた事を知っております。わたくしはその正しき心を信じ、伯爵に協力をお願いしたいのです。今、我が国にアスンクリト帝国の皇子が来ているのはご存知ですか?」
この台詞だけで、彼はルミナの言わんとしている事を何となく察していた。見つめていた金色の瞳の奥に、底知れぬ闘志があると気付き、微かに身を震わせる。それは一筋の希望を見出した時に感じる明るい光のような、まごうことなき期待だった。
「ユスト様は今の悪しき時代を終わらせようとしておられます。陰ながらわたくしも助力したいのですが、今のままでは太刀打ちできません。伯爵のお力添えが必要なのです。どうか、困窮する民を救う為、力をお貸しください」
ルミナはシャルテルと揃って、深々と頭を下げた。彼女の姿は、ロムファイアが聞いていた『我儘姫』とは程遠い、一人の立派な王族であった。彼は胸が熱くなるのを感じながらも、低い声で告げた。
「…それは私に、騎士として忠誠を誓ったお方を裏切れと。そう仰りたいのですか」
「そうです」
「この謀が失敗すれば、私は辺境伯をも剥奪され、命をもって償う事になるでしょう。それでも反逆の側につけと?」
「侯爵位から降格される事も厭わなかった、貴殿のお言葉とは思えませんね。どの道、わたくし達が手を下さなくとも、この国はいずれ滅ぶでしょう。そこで数多の血を流すくらいならば、愚王の血だけで済む今、行動を起こすべきかと」
「殿下はその愚王の娘ではありませんか。その点についてはどうお考えなのです?」
ロムファイアの真剣な双眼がルミナを射抜く。だが、ルミナの瞳は揺らがない。そこに在るのは、確固たる信念だけだった。
こんな目をする人間が、まだこの国にいたとは何という僥倖か。ロムファイアは久しく忘れていた情熱が蘇ってくるのを感じた。真新しい騎士の甲冑に腕を通した若き時分の、何者にも消せぬと思っていた、あの熱意だ。
「王女として、この国と運命を共にする覚悟はできております」
民を救う為に戦い、その民に殺される事になろうとも受け入れる。ルミナはきっぱりと語った。凛とした王女を前にして、ロムファイアの決意は即座に固まった。騎士の宣誓をしたのは随分昔のことなのに、今日初めてその誓いを全うしたいと心から思った。表情を和らげるとその場で跪き、宣誓を新たにする。
「殿下のご覚悟、確かに受け取りました。この時をもって、私と私の部下全ての忠心は、殿下に捧げると誓います」
「感謝します。ロムファイア伯爵」
ルミナが握手を求めると、彼はしっかりと細い手を握り返した。
三年前、無意味な戦争は止めるようバサノス王に進言した際、怒りを買うとわかっていながらそうした。後悔はしていないが、無駄に終わった事に対して、虚しい気持ちになったのを覚えている。しかし今になって、あの時の行動は無駄ではなかったのだと、思い知ることになるとは。それも、悪名高い『我儘姫』によって。醜い仮面の下には、これほどまでに清く気高い姫君がいたなんて、思いも寄らなかった。
「殿下のような方にお仕えできるのは、騎士として最高の栄誉です」
「伯爵の期待を裏切らないよう、わたくしも精進いたしますわ」
もっと早くルミナの本質を見抜いていたらと、ロムファイアはただそれだけが残念でならなかった。
「時間も惜しいですし、作戦を練りましょう」
「はい。ユスト様達の動向も含めてお話致します」
ルミナは掴んでいる情報を、包み隠さず伝えた。そうやって、ロムファイアへの信頼を示したのだ。ルミナ自身、王女でありながらホシオテース家の一員でもある。故に、仕える者の立場をよく弁えていた。主君からの信頼、それに勝るものは無い事を。
ロムファイアは感動に似た響きを心で感じながら、ルミナの話に耳を傾けた。
「ここの近くの領地にも、帝国の捕虜が集められています。ただ、ユスト様のおられる別荘地からは遠いので、救出までには時間がかかるでしょう」
「では我々がそこを叩き、捕虜を逃しましょう。武具はこちらで用意致しますから、ご心配なく」
「頼もしい限りです」
「なに、大したことではございません。その後はどう致しましょう。他にわかっている事はありますか?」
「最近、北部と国境付近で動きがあったそうですが…」
「国境ですか…増援目当てに開かせる可能性が高いかと思われます。都と国境の二手に分かれて動くおつもりかもしれませんな。私の部下もそうできたら良いのですが、降格と同時に部隊を削減されてしまいましてな…」
「……いえ。都はわたくし達にお任せください。伯爵は国境の開放へ向かっていただけますか?」
「承知致しました。制圧が済み次第、殿下のもとへ向かいます。それから殿下にはこちらをお渡ししておきます」
ロムファイアは部下に一匹の伝書鳩を持って来させた。
「陽が沈む前に放てば、夜中でも飛び続けるよう訓練してあります。これで決行日を教えてください。いつでも出撃できるよう、待機しております」
「ありがとうございます。武運長久をお祈りします」
「殿下にも神のご加護がありますように」
いま一度、二人は固い握手を交わすのだった。
〜用語解説〜
▷ホシオテース家
伝説に登場する僕の『忠節の精神』を継いだ者達の総称であり、血族ではない。
親と子、師匠と弟子という関係でもない限り、互いが同胞であると知る機会はほぼ無い。その為、一族が何人に増え広がっているのか、はたまた減っているのかも不明。
▷パテール
初代ホシオテースの子孫だけが名乗るミドルネーム。ルミナのような白い髪も、初代の末裔である証。その事はホシオテース家の全員が知っている。




