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「その櫛、よく眺めておいでですね」
「ええ。こんな素敵なものをいただけるなんて、夢みたいで…」
ルミナはユストから貰った櫛に触れながら、頰を染めてはにかんだ。
「宝物が一気に二つも増えたわ」
「増えた…?ほかに何かありましたでしょうか?」
栞と櫛はわかるが、それ以外に貴重な物があったかと、シャーラは首を傾げた。
「シャーラ達家族に決まっているじゃない」
「姫様…」
「幸せすぎて困ってしまうわね」
そう言って、心底嬉しそうに微笑むものだから、シャーラは反論を飲み込むしかなかった。
(こんな小さな幸せで、満足しないでください)
ルミナがこの城で過ごしてきた日々は、過酷なんて一言では片付けられない。いつ、命を落としてもおかしくない、死と隣り合わせの生き地獄。国中で一番安全な場所にいるのはずなのに、まるで戦場のただ中にいるようであった。
切迫した状況でも、ルミナはシャーラ達への気遣いを忘れなかった。辛い境遇に巻き込んでしまっている事を、いつも申し訳なさそうにしていた。
だが、謝りたいのはシャーラ達の方だった。義母から殴られ、蹴られ、鞭打たれる主人を、ただ眺めているしかない時間は、本当に苦痛で仕方なく、代われるものなら代わりたかった。
ごく稀に、小さな小さな幸せを見出すと、ルミナは決まって感激していた。ささやかすぎる誕生日祝いでも、空にかかった虹を一緒に見上げただけでも、ルミナは心から喜んだ。それ故に、ユストからの贈り物がどれだけ嬉しかったか、想像に難くない。
けれどもシャーラは、たかだか贈り物一つで、満ち足りてほしくなかった。ルミナがしてきた忍耐や努力が、もっともっと報われるべきだと思うのだ。
「……ユスト皇子に、お教えしないのですか」
「わたくしの髪色のことを、かしら?」
「はい。あの皇子でしたら、事実を知れば助けてくださるかと…」
「駄目よ」
シャーラの提案は、食い気味に却下されてしまう。
「助けられる立場では駄目。わたくしが、ユスト様を助けたいの。シャーラならわかってくれるでしょう?だから、これでいいのよ」
ルミナは知らなかったが、ユストが『ルーナ』を別人だと思い込んでいるのは、都合が良かった。おかげで、下手に誤魔化す手間が省けた。もしも問い詰められた場合、何が何でもしらを切り通すつもりでいたからだ。
「…わたしだって、姫様をお助けしたいです」
「もう十二分に助けてもらっているわ」
ルミナは指折り数えて、シャーラが今までしてくれた事を列挙し始める。
大変な中、食事を準備してくれる。朝早くから身の回りの世話をしてくれる。毎年お誕生日を祝ってくれる。竪琴の演奏を褒めてくれる。どんな時も一緒にいてくれる等々…
温かな物思いに耽っているのか、柔らかく微笑むルミナは、次から次へと淀みなく言葉を紡いだ。それらを、シャーラは胸のつまる思いで、聞いていたのだった。
「心から信じている人が傍にいる、それだけで大きな助けになるのよ」
「っ、…わたしにとって、そんなのは至極当たり前のことです」
「だったら、わたくしがユスト様を助けるのも当然だわ」
白い頰を涼しい風が撫でたことで、ルミナは笑みを仕舞い「そういえば」と話題を切り替えた。
「もうすぐ豊穣祭だけれど、国民の困窮具合からして、例年より規模は縮小されるのかしら…」
「どうでしょうか。あの陛下のことですから」
「…そうね」
季節は刈り入れ時の秋になろうとしていた。
密偵生活で長らく留守にしていたダグラスが戻ったかと思えば、開口一番にこう告げた。
「おいユスト、聞いたか?バサノスが『神に喜んでいただく為、今年の豊穣祭は盛大に行う』って宣言したらしいぞ」
近年稀に見る不作だというのに、どこにそんな余裕があると思うのか。義憤を覚えたユストはあからさまに顔を顰めた。
「喜ぶのは神じゃなくて、てめぇだろって感じだな」
「ダグラス、言葉に気をつけろ。だが、降って湧いた好機なのは間違いない。仕掛けるぞ」
「やるんですね。とうとう…」
「ああ。国民を味方につけるのは、不満が募っている今しかない。現在、過激派が最も活動的な地域はどこだ?」
「長雨の影響を強く受けた北部が一番やばいな。一触即発って感じだ。あとは帝国との国境付近もなかなか危ないぜ」
卓上に広げられた地図を指でなぞりながら、ユストは思案を巡らせる。
「……オルナン」
「は、はい!」
「今回はお前も出てくれ」
「はい!……ん?ええっ!僕も!?いやそれは良いんですけど、ユスト様がお一人で残るという事ですか!?」
「最近、お前と仲の良かった見張りが配置換えになっただろう。何とか誤魔化してみせる。簡単な炊事ならできるから心配するな。ダグラスは北部、オルナンは国境付近に行ってくれ」
「了解っと」
「わ、わかりました。頑張ります!」
意気込むオルナンは早速、密偵行動時の注意点を、ダグラスに尋ね始めた。やや頼りなさそうな従者だが、彼にはユストが信頼を寄せるだけの確かな実力がある。慣れない任務でも、オルナンならちゃんと果たして帰ってくるだろう。
「頼むぞ。二人とも」
民の力が国中を満たした時、それがテル・アゼカ王国の終焉だ。
別荘地から街に繋がる獣道までは一緒だが、街に着いたらダグラスとは別行動となる。普段はにこにこしているオルナンも、今日は表情を引き締めている。
「ヘマするなよ」
「お互いな、です」
「言うじゃねぇか、オルナン」
「ダグラス様の口調が感染りました」
頷き合った後、二人は互いに背を向けたのだった。
聡明なユストには及ばないものの、オルナンの頭にも、この国の地図がばっちり記憶されている。だから祖国とは違う街並みの中でも、淀みない足取りで進んでいけた。
数日をかけて目的地へと辿り着いたオルナンは、不審にならない程度に周囲を見渡し、それから眉根を寄せた。都から離れるにつれて人々の苦しみは大きくなっていった。報告では聞いていたが、実際に目の当たりにすると、思わず顔を背けたくなる有り様だった。国境を越えた祖国が今どうなっているのか、考えただけで恐ろしくなる。
(…急がないと。でも慎重に)
オルナンは足を休める時間も惜しんで、村を束ねる村長の家を訪ねた。
話術に長けるダグラスなら、巧みに相手を誘導し、その気にさせるのだろう。だがしかしオルナンは違う。
「僕達は皆さんを助けたいと思っています。ですが僕達を苦しめている敵に、立ち向かうための力が足りません。ごく小さな力でも、集まれば強力な力になる…皆さんの力が必要なんです。お願いします」
彼にあるのは、眩しいまでの実直さと親しみやすさだ。
無駄に広い屋敷は静寂に包まれていた。
皮肉屋のダグラス、人懐っこいオルナンがおらず、ユスト独りになるのは初めてだった。自分の息遣いしか聞こえない空間にいると、時折、数日前の賑やかさが恋しくなる。
ユストは今、ここに来たばかりの頃にルミナが教えてくれた地下室に居た。
(…足りないな)
ダグラスが集めてきた武器は随分数を増やしていたが、それでも圧倒的に足りなかった。バサノス王が抱える騎士団は、都だけでも軽く五千はこえる。訓練された騎士と、武器を持たない一般人では、勝敗は火を見るより明らかだ。例え人数分の武器が集まったとしても、それらを扱った経験の無い者がほとんどである為、どのみち厳しい戦いになる。
(それでも身を守る物があればと思ったが…)
数が足りなければ話にもならない。
民の中に戦闘経験を持つ人間がいれば理想的なのだが、所詮は夢物語だろう。
(他人の心配も良いが、私自身も鈍らないようにしておかないとな)
アスンクリト帝国にいた時は、弓の名手などと持て囃されたものだが、実戦で使えなければ、大層な呼び名もただの飾りになってしまう。
出掛けていった二人が、良い報告を持ち帰ると信じて、ユストは自分に出来る最善を尽くすのであった。
ユスト達が水面下で動く最中、開催された豊穣祭は、国王の希望通り大規模にかつ豪勢に行われた。祭りの費用は、当然の如く税金から捻出されている。おかげで国庫金の底がつきそうになり、さらに税金が徴収される事が議決した。今回の増税は一時的なものであったが、これが大きな決定打となる。
玉座でぶどう酒を嗜むバサノス王は、自身の破滅が刻一刻と迫っているなどとは、露ほどにも思っていなかった。




