13
亡き公爵の管轄であった、アスンクリト帝国の捕虜の監視は、向こう半年、近隣の領主達が交代で担当する手筈になっていた。
そのいずれかの騎士団の中へ、ユストを紛れ込ませるようにとの連絡を受けたシャルテルは、十日足らずで準備を整えた。シャーラと同じお仕着せを纏い、ひっつめ髪にしてしまえば、面識の無いユストでは見破ることができなかった。
「こちらが第八騎士団の甲冑です。これを身につけている間は"ドロス"と名乗ってください。お一人分しかご用意が間に合いませんでしたので、従者の方には申し訳ありませんが…」
「いえ。充分すぎるくらいです」
「それでは、失礼致します」
シャルテルは姉より陽気な性格をしているのだが、ユストと対面した際はシャーラの口調を完璧に真似ており、欠片も怪しまれる事なく、甲冑を渡し終えたのだった。
何はともあれ、これでユストは祖国の仲間に会いに行ける。
「あとはお前が上手くやるだけだ」
「わかっている」
「いつも見送ることしかできなくて申し訳ないです。どうかお気をつけて!」
「ああ」
自分達の悲願の為に、そしてルミナの厚意を無駄にしない為に。ユストは仲間に宛てた手紙と甲冑を背負い、出掛けていった。
果たしてあの『我儘姫』がどこまでやってくれるのか、ユスト達は懸念が拭いきれなかった。だが、彼らの知らないルミナは、もうずっと前から迫害の渦中にあって抗い続けてきたのだ。隠密行動など既に手練れており、ユストの希望通りに事が運ぶよう、最善が尽くされていた。
おかげでユストは"ドロス"という架空の人物になりすまし、拍子抜けするほどすんなり、騎士団の一員に溶け込むことができた。
「我々第八騎士団が割り当てられた期間は十四日。前後半で二つの隊に分かれ、捕虜の監視に当たる。各自心してかかるように。以上!」
ユストは前半の部隊に割り振られた。つまりチャンスは七日間。その間に何としても隙を見て、祖国の仲間に計画の概要を記した手紙を渡さなくてはならない。可能ならば、鎖を断つ道具類も隠し持たせたい。密かに機会を窺うユストだったが、その時は意外と早く訪れた。
「おーい、みんな来てみろよ。差し入れだとよ」
「へぇ。あの能無し領主も、たまには乙な事をするじゃねぇか」
「口は慎め、馬鹿」
「酒なんて久しぶりだな。ここんところ高くてさあ」
どうやら、第八騎士団を統括する隣の領主が、騎士達を労って酒を届けてくれたらしい。
(監視の任務中に酒…?)
ユストは怪訝に思ったが、他の騎士達はそうでもないらしい。嬉しそうに酒瓶を手にしている。
「ドロス、お前はいいのか?」
「…ああ。任務に集中したい」
「つまらん奴だなぁ。飲まないとやってられねぇだろうに」
ユストに断られた同僚は、あろう事か、牢の前に立っている騎士にも酒を勧める始末であった。酔っ払ってしまったら、見張りなんてできやしないだろうに。
飲まされたらたまったものではないので、ユストは屯所の外へ出た。いったい騎士団の指導はどうなっているんだと、変な怒りが湧いてくる。
ユストが異変に気付いたのは、それからおよそ一時間後の事だった。
(……寝てる)
それも酒を飲んだ全員がだ。まさかここにいる全員が下戸な訳がないし、飲んだ量はまちまちなはずである。
(もしかして姫君が…?)
差し入れと称した酒に、微量の睡眠薬を混ぜていたのではないか。ユストはその結論に至った時、ただただ頭が下がる思いでいっぱいになった。侍女の入れ知恵かもしれないが、なんだって構わなかった。
すぐさま起きている者がいないか見渡し、誰の目も無い事を確認すると、ユストは捕虜のいる牢へと急いだ。
いきなり檻の前に立った人影を見て、捕虜達は反射的に身構えた。しかし、その人物が頭部の甲冑を外し、顔を露わにすると、驚愕の表情を浮かべ始める。それから、捕虜達の間に喜びの空気が伝染していった。
「遅くなってすまない。皆、無事か」
「ユスト皇子っ!どうしてこのような場所に…っ!」
再会の歓声を上げたいところをぐっと堪えている為、捕虜達の声は妙に上擦っていた。中には、感激のあまり泣き出した者もいる。
「人質として連れて来られた。それよりこれを。早く隠せ」
ユストは隠し持っていた計画書と、ダグラスが掻き集めてくれた短剣を何本か手渡す。
「私は必ず、バサノス王から皆を解放する。それまで耐えてくれ」
「はい。我ら一同、ユスト皇子を信じております」
「ありがとう。いずれお前達の力が必要になるだろう。その時は頼む」
「当然です。我らの命は祖国と共にあります」
ユストは檻の間から手を伸ばし、祖国の仲間と固い握手を交わした。
「共に国に帰るぞ」
「はい…っ!!」
騎士達が泥酔しているとはいえ、長居は禁物だ。双方とも名残惜しさはあったが、こうして短い邂逅は、何の障害もなく終わった。
翌日、酒に酔って眠りこけた事を、団長からしこたま叱られた団員達は、以降真面目に任務に当たったので、ユストが牢に近付く事は二度と叶わなかった。だが、手紙と武器を渡せただけでなく、言葉も交わせたのだ。これ以上の贅沢は言うまい。
(それもこれも、ルミナ姫のおかげだ)
ユスト達が疑ってかかるのは当たり前なのだが、それでも彼はルミナを信じきっていなかった事に関して、後ろめたさを感じていた。
(私が事情を説明すれば、姫君はわかってくださるのではないだろうか。良くも悪くも素直な方であるし…)
そんな淡い期待が持ち上がってきた時、ダグラスの言葉が頭を過った。
『いずれ殺さなきゃならない相手だ』
途端、体の芯に冷たいものが落ち、足先の方へと沈んでいく。
ルミナが味方についたところで、彼女の立場上、下される裁定は厳しいものとなるだろう。協力を理由にして死は免れても、彼女が笑顔でいられる未来はどこにも無い。
(……会いに行くのは、次で最後にしよう)
ルミナの方から来てしまうのは止めようが無いが、ユスト自ら王城に赴くのはやめる事を決心した。今回の件の感謝を伝えたら、それで終いだ。
騎士団に混ざり最後まで任務を遂行した後、ユストは王城には行かず、別荘地に戻った。オルナン達に無事だと知らせたかったし、もう一つ、やりたい事があったからだ。
「お帰りなさい、ユスト様!」
「おっ。無事だったか。残念」
「ダグラス様!残念とは何事ですか!?」
「おいおい冗談も通じねぇのかお前は…」
「二人は相変わらずのようだな」
「で、成功したか?」
「ああ。渡せる物は渡せたし、そこまで酷い扱いは受けていないようで安心した」
「そいつは何よりだ」
「あれ?ユスト様、それはなんですか?」
ユストの手には、木の端材があった。興味深そうに見てくるオルナンには悪いと思いつつ、ユストは言葉を濁して教えなかったのだった。
執事服を着るのに、いつもより時間がかかった気がした。これで最後と決めたのが原因だとしたら、なんてわかりやすい奴なんだと、ユストは自嘲する。
ルミナは例のごとく自室にいた。今日は竪琴を演奏しており、その美しい旋律に暫し聴き入ってしまう。意外な才能があったのだなと、ユストは感心した。しかし、すぐに我にかえると扉を叩く。シャーラは出ているのか、扉の向こうから返ってきた声は、ルミナのものであった。
「こんにちは、ユスト様。いえ、そろそろこんばんは、でしょうか」
窓から差し込む夕焼けの光を浴び、金色の瞳がいっそう神秘的に煌めく。静かに佇んでいれば、実に美しい姫だった。
「恩師にはお会いできました?」
「はい。ルミナ姫には言い尽くせないほどの感謝を感じております。本当にありがとうございました」
「和平の使者は丁重に扱わなければいけないと、教わりましたから。これくらい当然の事ですわ」
和平どころか、テル・アゼカ王国に反攻しようとしているユストは、何と返事をして良いかわからなかった。
(貴女は私の手によって死ぬかもしれないのに…)
無知というのは本当に残酷だ。ユストの鼓動が胸を叩くたび、痛みが骨身に沁みた。
「……こちらは、せめてもの感謝の気持ちです」
手の平に乗るくらいの小箱を差し出されたルミナは、きょとんとした顔でそれを見つめる。
「私の祖国で使われている品で、『櫛』と言います。こちらで言うところのヘアブラシです。私は職人ではないので、一級品とはいきませんが…」
「えっ……ユスト様が、お作りになったのですか?」
「恥ずかしながら…」
一級品には及ばないと謙遜するユストだったが、端材から削り出した櫛は非常に良く出来ていた。
小箱ごと受け取ったルミナは、息苦しいほどの感動と歓喜に満たされて、気を抜けば泣いてしまいそうだった。咄嗟に、櫛を覗き込むようにして俯く。
「素人の品で申し訳ありませんが、心を込めて作りました。どうぞ、お使いください」
ルミナはそうっと櫛を手に取ってみた。優しい木の手触りが心地よく、とても手に馴染んだ。
「……嬉しい、です」
囁くように、ルミナはそう伝えるのがやっとだった。顔にも熱が集まっていたのだが、夕暮れ時なのが幸いして、ユストには気が付かれずに済んだ。
「…ルミナ姫」
「あ…はい。何でしょうか」
「いえ…今日はもう、戻ります」
さようならを、告げる事はできなかった。




