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亡き公爵の管轄であった、アスンクリト帝国の捕虜の監視は、向こう半年、近隣の領主達が交代で担当する手筈になっていた。

そのいずれかの騎士団の中へ、ユストを紛れ込ませるようにとの連絡を受けたシャルテルは、十日足らずで準備を整えた。シャーラと同じお仕着せを纏い、ひっつめ髪にしてしまえば、面識の無いユストでは見破ることができなかった。


「こちらが第八騎士団の甲冑です。これを身につけている間は"ドロス"と名乗ってください。お一人分しかご用意が間に合いませんでしたので、従者の方には申し訳ありませんが…」

「いえ。充分すぎるくらいです」

「それでは、失礼致します」


シャルテルは姉より陽気な性格をしているのだが、ユストと対面した際はシャーラの口調を完璧に真似ており、欠片も怪しまれる事なく、甲冑を渡し終えたのだった。

何はともあれ、これでユストは祖国の仲間に会いに行ける。


「あとはお前が上手くやるだけだ」

「わかっている」

「いつも見送ることしかできなくて申し訳ないです。どうかお気をつけて!」

「ああ」


自分達の悲願の為に、そしてルミナの厚意を無駄にしない為に。ユストは仲間に宛てた手紙と甲冑を背負い、出掛けていった。




果たしてあの『我儘姫』がどこまでやってくれるのか、ユスト達は懸念が拭いきれなかった。だが、彼らの知らないルミナは、もうずっと前から迫害の渦中にあって抗い続けてきたのだ。隠密行動など既に手練れており、ユストの希望通りに事が運ぶよう、最善が尽くされていた。

おかげでユストは"ドロス"という架空の人物になりすまし、拍子抜けするほどすんなり、騎士団の一員に溶け込むことができた。


「我々第八騎士団が割り当てられた期間は十四日。前後半で二つの隊に分かれ、捕虜の監視に当たる。各自心してかかるように。以上!」


ユストは前半の部隊に割り振られた。つまりチャンスは七日間。その間に何としても隙を見て、祖国の仲間に計画の概要を記した手紙を渡さなくてはならない。可能ならば、鎖を断つ道具類も隠し持たせたい。密かに機会を窺うユストだったが、その時は意外と早く訪れた。


「おーい、みんな来てみろよ。差し入れだとよ」

「へぇ。あの能無し領主も、たまには乙な事をするじゃねぇか」

「口は慎め、馬鹿」

「酒なんて久しぶりだな。ここんところ高くてさあ」


どうやら、第八騎士団を統括する隣の領主が、騎士達を労って酒を届けてくれたらしい。


(監視の任務中に酒…?)


ユストは怪訝に思ったが、他の騎士達はそうでもないらしい。嬉しそうに酒瓶を手にしている。


「ドロス、お前はいいのか?」

「…ああ。任務に集中したい」

「つまらん奴だなぁ。飲まないとやってられねぇだろうに」


ユストに断られた同僚は、あろう事か、牢の前に立っている騎士にも酒を勧める始末であった。酔っ払ってしまったら、見張りなんてできやしないだろうに。

飲まされたらたまったものではないので、ユストは屯所の外へ出た。いったい騎士団の指導はどうなっているんだと、変な怒りが湧いてくる。

ユストが異変に気付いたのは、それからおよそ一時間後の事だった。


(……寝てる)


それも酒を飲んだ全員がだ。まさかここにいる全員が下戸な訳がないし、飲んだ量はまちまちなはずである。


(もしかして姫君が…?)


差し入れと称した酒に、微量の睡眠薬を混ぜていたのではないか。ユストはその結論に至った時、ただただ頭が下がる思いでいっぱいになった。侍女の入れ知恵かもしれないが、なんだって構わなかった。

すぐさま起きている者がいないか見渡し、誰の目も無い事を確認すると、ユストは捕虜のいる牢へと急いだ。

いきなり檻の前に立った人影を見て、捕虜達は反射的に身構えた。しかし、その人物が頭部の甲冑を外し、顔を露わにすると、驚愕の表情を浮かべ始める。それから、捕虜達の間に喜びの空気が伝染していった。


「遅くなってすまない。皆、無事か」

「ユスト皇子っ!どうしてこのような場所に…っ!」


再会の歓声を上げたいところをぐっと堪えている為、捕虜達の声は妙に上擦っていた。中には、感激のあまり泣き出した者もいる。


「人質として連れて来られた。それよりこれを。早く隠せ」


ユストは隠し持っていた計画書と、ダグラスが掻き集めてくれた短剣を何本か手渡す。


「私は必ず、バサノス王から皆を解放する。それまで耐えてくれ」

「はい。我ら一同、ユスト皇子を信じております」

「ありがとう。いずれお前達の力が必要になるだろう。その時は頼む」

「当然です。我らの命は祖国と共にあります」


ユストは檻の間から手を伸ばし、祖国の仲間と固い握手を交わした。


「共に国に帰るぞ」

「はい…っ!!」


騎士達が泥酔しているとはいえ、長居は禁物だ。双方とも名残惜しさはあったが、こうして短い邂逅は、何の障害もなく終わった。


翌日、酒に酔って眠りこけた事を、団長からしこたま叱られた団員達は、以降真面目に任務に当たったので、ユストが牢に近付く事は二度と叶わなかった。だが、手紙と武器を渡せただけでなく、言葉も交わせたのだ。これ以上の贅沢は言うまい。


(それもこれも、ルミナ姫のおかげだ)


ユスト達が疑ってかかるのは当たり前なのだが、それでも彼はルミナを信じきっていなかった事に関して、後ろめたさを感じていた。


(私が事情を説明すれば、姫君はわかってくださるのではないだろうか。良くも悪くも素直な方であるし…)


そんな淡い期待が持ち上がってきた時、ダグラスの言葉が頭を過った。


『いずれ殺さなきゃならない相手だ』


途端、体の芯に冷たいものが落ち、足先の方へと沈んでいく。

ルミナが味方についたところで、彼女の立場上、下される裁定は厳しいものとなるだろう。協力を理由にして死は免れても、彼女が笑顔でいられる未来はどこにも無い。


(……会いに行くのは、次で最後にしよう)


ルミナの方から来てしまうのは止めようが無いが、ユスト自ら王城に赴くのはやめる事を決心した。今回の件の感謝を伝えたら、それで終いだ。


騎士団に混ざり最後まで任務を遂行した後、ユストは王城には行かず、別荘地に戻った。オルナン達に無事だと知らせたかったし、もう一つ、やりたい事があったからだ。


「お帰りなさい、ユスト様!」

「おっ。無事だったか。残念」

「ダグラス様!残念とは何事ですか!?」

「おいおい冗談も通じねぇのかお前は…」

「二人は相変わらずのようだな」

「で、成功したか?」

「ああ。渡せる物は渡せたし、そこまで酷い扱いは受けていないようで安心した」

「そいつは何よりだ」

「あれ?ユスト様、それはなんですか?」


ユストの手には、木の端材があった。興味深そうに見てくるオルナンには悪いと思いつつ、ユストは言葉を濁して教えなかったのだった。




執事服を着るのに、いつもより時間がかかった気がした。これで最後と決めたのが原因だとしたら、なんてわかりやすい奴なんだと、ユストは自嘲する。

ルミナは例のごとく自室にいた。今日は竪琴を演奏しており、その美しい旋律に暫し聴き入ってしまう。意外な才能があったのだなと、ユストは感心した。しかし、すぐに我にかえると扉を叩く。シャーラは出ているのか、扉の向こうから返ってきた声は、ルミナのものであった。


「こんにちは、ユスト様。いえ、そろそろこんばんは、でしょうか」


窓から差し込む夕焼けの光を浴び、金色の瞳がいっそう神秘的に煌めく。静かに佇んでいれば、実に美しい姫だった。


「恩師にはお会いできました?」

「はい。ルミナ姫には言い尽くせないほどの感謝を感じております。本当にありがとうございました」

「和平の使者は丁重に扱わなければいけないと、教わりましたから。これくらい当然の事ですわ」


和平どころか、テル・アゼカ王国に反攻しようとしているユストは、何と返事をして良いかわからなかった。


(貴女は私の手によって死ぬかもしれないのに…)


無知というのは本当に残酷だ。ユストの鼓動が胸を叩くたび、痛みが骨身に沁みた。


「……こちらは、せめてもの感謝の気持ちです」


手の平に乗るくらいの小箱を差し出されたルミナは、きょとんとした顔でそれを見つめる。


「私の祖国で使われている品で、『櫛』と言います。こちらで言うところのヘアブラシです。私は職人ではないので、一級品とはいきませんが…」

「えっ……ユスト様が、お作りになったのですか?」

「恥ずかしながら…」


一級品には及ばないと謙遜するユストだったが、端材から削り出した櫛は非常に良く出来ていた。

小箱ごと受け取ったルミナは、息苦しいほどの感動と歓喜に満たされて、気を抜けば泣いてしまいそうだった。咄嗟に、櫛を覗き込むようにして俯く。


「素人の品で申し訳ありませんが、心を込めて作りました。どうぞ、お使いください」


ルミナはそうっと櫛を手に取ってみた。優しい木の手触りが心地よく、とても手に馴染んだ。


「……嬉しい、です」


囁くように、ルミナはそう伝えるのがやっとだった。顔にも熱が集まっていたのだが、夕暮れ時なのが幸いして、ユストには気が付かれずに済んだ。


「…ルミナ姫」

「あ…はい。何でしょうか」

「いえ…今日はもう、戻ります」


さようならを、告げる事はできなかった。

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