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「バサノスが避暑地から戻る頃には誕生パーティーか…クソっ…呑気でいいよな」
「僻んでいないでちゃんと休め」
夏の暑さにやられ、ダグラスは体調不良を起こしていた。とは言っても軽度なものであるが、潜伏しながら密偵活動を続ける彼にとって、僅かな不調は文字通り命取りになりかねない。氷嚢なんて手に入らない為、井戸から汲んできた水で身体を冷やすしかなく、効果は今ひとつのようだった。カーテンを閉め切った小部屋で、ぐったりと横たわるダグラスは、それでも口だけは達者だ。
「それにしても誕生日か…十代が終わると、途端に祝われるのが嫌になるのは何だろうな」
「ええっ!?僕は嬉しいですけど」
「まじかよ。また一つ歳食ったな、ざまあみろって言われてる気がする」
「それは捻くれすぎですよ…」
「うっせぇ。ユストはどうだ?」
「………」
「おい、ユスト!」
「ん…ああ、誕生日か。祝ってもらえるに越した事はないと思うが」
ユストは心ここに在らずといった様子だった。彼の変化は微々たるものであったが、目敏いダグラスは気付いていた。
「…姫サマとなんかあったのか」
「別に何もない」
「ふうん…姫サマをその気にさせるのは大いに結構だけど、お前は本気になるなよ」
「本気とは?」
よいしょ、と言いながらダグラスは体を起こす。間抜けな掛け声に反して、彼の表情は真剣そのものだった。どちらかといえば、少し怒っているようにも見える。
「情が移ったら、手にかける時に迷いが生じるって事」
バサノス王を玉座から引き摺り下ろした後、ルミナを待ち受ける処遇は二つ。処刑か幽閉のどちらかだ。彼女が平穏に生き延びる道があるとすれば、この反乱が失敗に終わった時であろう。だがどんな障害であれ、ユスト達の決意が鈍ることはあり得ない。計画は必ず成功させなければならないのだ。
だからこそ、ダグラスの言葉がより深く、ユストの胸に刺さった。そこから、冷たい何かが広がっていく。
「いずれ殺さなきゃならない相手だ。せめて一瞬くらいは、良い夢を見させてやるってくらいの気持ちでいねぇと」
「……ああ」
ダグラスのようにすっぱり割り切れる性格なら良かった。ルミナが王女という立場でなければ良かった。そうすれば、自分の正直な心に従い、惜しみない親切をかけてやれたはずだ。ユストはそんな詮無い事を延々と考えてしまう。
「…もう、お会いするのはやめた方がいいんじゃないでしょうか」
ユストとオルナンの二人きりになってから、しょげた顔の従者は、弱々しい声でそう提案した。その気遣いを嬉しく思うものの、ユストは静かに否と告げる。
「…バサノス王にごく近い立場におられる姫を、みすみす放置するのは愚策だろう」
「じゃあ…ダグラス様のように、姫君を騙して利用した挙句、斬って捨てるのですか?そんなの、ユスト様らしくないです」
ユスト以外の二人で、誕生日がどうのと盛り上がっていた時、彼の頭にあったのはルミナの事だった。彼女の生まれた日はいつなのだろうかと、ダグラスが知れば下らないと一蹴されるような事を考えていた。
両陛下や王太子は盛大なパーティーが開かれると言うが、あの王女を祝ってくれる者はいるのか、と。自業自得とはいえ、家族からも貴族からも煙たがられ、国民からは忘れ去られそうになっているルミナを、いったい誰が祝福してくれるのだろうか。
ついついそうやって、相手の窮状を慮ってしまうのが、ユストという男の気質だった。
「…我を通して、計画に綻びが生じる事はあってはならない。大勢を救う為に少数が犠牲になるというのは…可能なら避けたいが、やむを得ない場合もある」
「それはわかっていますけど…っ」
「……私はオルナンに一票だな」
「え?」
「祝ってもらえた方が嬉しいという意味だ」
「???」
一方、森をひとつ隔てた王城では、シャーラが小皿にのった焼き菓子をルミナに差し出していた。
「お誕生日おめでとうございます」
「毎年ありがとう、シャーラ。嬉しいわ」
「…ほんの少しばかりのお菓子しかご用意できず、申し訳ありません」
「わたくしの楽しみなのよ。謝るのはやめてちょうだい」
「……ありがとう、ございます」
ルミナの食事はすべてシャーラが作っている。コックや給仕にメイド、どこにカーラル女王の息のかかった者がいるかわからないからだ。厨房は貸してもらえない為、碌な品は作れず、ルミナは王族が食べるものとは思えない粗末な食事を摂っていた。
今、彼女が幸せそうに賞味している焼き菓子だって、シャーラが妹とお金を出し合って、街で買ってきた物だった。
そんな暮らしを強いられているのに、ルミナは『自室で落ち着いて食べられる方が良い』とか『シャーラの料理が好きだから』と言うだけで、愚痴の一つすら呟いた事は無い。
「妹からお祝いの手紙も預かっております。どうぞ」
「ありがとう。彼女にもお礼を伝えておいてね」
「はい。あと、例のものが出来上がりましたので、こちらもお渡しいたします」
シャーラがエプロンのポケットから取り出したのは、一枚の栞だった。それを受け取ると、ルミナは顔をぱっと輝かせた。
見られなくなって久しい、貴重な顔を目にしたシャーラの視界がぼやけていく。
栞に夢中なルミナは、侍女の様子には気付かず、いつになく明るい声で話し始めた。
「仕上げは任せて正解だったわ。わたくしがやっても上手くいかなかったに違いないから。やっぱりシャーラは器用ね。羨ましい」
「…そんな大層な腕ではございません。慣れがあるだけです。姫様だって初めてお作りになったのに、とても綺麗な押し花に仕上がっておりますわ」
「お世辞はいいわ。何本か失敗して、駄目にしてしまったでしょう」
ルミナはユストから貰った花を押し花にしたのだ。出来上がった押し花は、シャーラの手によって綺麗な栞に変身していた。ルドベキアの華やかな黄色がそのまま栞にとじこめられていて、思い出までもが色鮮やかに蘇ってきそうだ。
「…良かったですね、姫様」
「…ええ。適当に手折ったお花だったとしても、わたくしは嬉しいわ。何かをいただけるなんて思ってもみなかったから…」
「………」
「本当に、思い遣り深い方ね…『我儘姫』なんかに優しくしてくださるんだもの」
「…わたしは姫様こそ、真にお優しい方だと思っております」
「買い被りすぎよ」
栞をそっと両手で包み込むルミナは、困ったように微笑むのであった。




