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今までの作品とは打って変わり、シリアスのみの物語になりますが悪しからず。
広大かつ肥沃な国土を有するテル・アゼカ王国に、その青年はいた。精悍な顔立ちの彼の名はユスト・アスンクリト。
眼前に広がる自然豊かな大地を、ユストは簡素な馬車から眺めていた。これから彼を待ち受けているのは、緑あふれる王国での穏やかな暮らしではない。敗戦国の皇子としての惨めな人質生活である。
三年前、ユストの祖国であるアスンクリト帝国は、テル・アゼカ王国との戦争に敗れた。以降、帝国は植民地として支配される立場となり、皇帝の息子であるユストはこのたび、和平の証として送り出されたのだ。とはいえ、和平など所詮は表向きの理由で、実際のところは帝国の反乱を恐れたが故の処置である。帝位継承権を持つユストを囲っておけば、手出しできないだろうと考えたに違いない。
(私に人質を命じた事を後悔すればいい)
彼の鮮やかな青色の瞳に宿るのは、私怨ではなく真っ直ぐな闘志だった。肩身の狭い人質となったユストだが、彼はこれを敵国を覆す好機とみなした。突き崩すならば内部からだと。不遇な扱いなど、どうでもいい。祖国の民達の方が、テル・アゼカ王国のバサノス王によっぽど困難な生活を強いられている。苦しみに喘いでいる民を思い、ユストは躊躇うことなく、敵国の要求を受け入れたのだ。
(諸悪の根源バサノス王。私は必ずお前を討ち滅ぼし、民の自由と安寧を取り戻す)
固い決意と共にユストが拳を握り締めた頃、王城では護送用の馬車を見下ろす、金色の瞳が在った。
「長旅、ご苦労であった。ユスト・アスンクリト皇子」
「まあ、麗しい皇子だこと」
「御慰労に感謝致します。バサノス・テル・アゼカ国王陛下、並びにカーラル女王陛下」
王城の謁見の間にて、ユストは両陛下の前に跪いていた。彼の整った顔立ちをひと目見たカーラル女王は、夫の隣で感嘆の吐息をもらす。暗い髪色のせいか、ユストの涼やかな目元がより強調されているように見え、二十代前半という若さも伴い、彼は非常に好ましい風貌の青年だった。
かける言葉だけはまともだが、国王の態度は慇懃無礼なものであった。明らかにユストを負け犬だと見下している。女王もまた、容姿は褒めてもユストの着ている衣装をせせら笑って眺めていた。金銀糸をふんだんに使用した王族の衣服に比べると、ユストのものは貧相だった。彼の祖国の経済事情からすれば、これでも立派な衣装なのだ。それを知った上で、敢えて笑い者にしているのだから性格が悪い。
「皇子には、かつて王家が管理していた別荘地で暮らしていただく。屋敷の内装はアスンクリト帝国の様式を模したものに改めた。気に入っていただけると良いが」
「陛下の恩情、しかと賜りました」
小馬鹿にしたような笑みを浮かべるバサノス王。改装と言えば聞こえは良いものの、その顔付きからして、碌なものではなさそうだ。まだ見てもいないが、改悪と表現した方が正しい気がした。
諸々の感情を押し留め、ユストが礼を言い終えた直後、断りもなく謁見の間の扉が開け放たれた。張り詰めていた空気を崩したのは、鈴が転がるような声であった。
「お父様、もううんざりですわっ…あら?お客様がいらしたのですか」
現れたのはたいそう美しい乙女だった。
長く癖のない黒髪に、ぬけるような白い肌の娘は、バサノス王の娘ルミナだ。ちらりとユストを見遣った瞳は、光に当たると金色に輝く、神秘的な色彩をしていた。ルミナは大事な接見の最中に乱入したにも関わらず、微塵も悪びれる様子が無い。
「ルミナ!場を弁えよ!」
「まあなんと嘆かわしい…!」
両陛下に叱責されたルミナの顔は、明らかに不服そうだった。
「お客様がいらっしゃるなんて、聞いていなかったものですから」
「お前には午後からの応対を任せてあっただろう!まさか抜け出してきたと言うのではあるまいな?」
「わたくし、大臣達のご機嫌取りは嫌だとお断りしたはずです」
「馬鹿者!すぐに戻れ!」
不承不承といった感じで引き下がるルミナを、横目で見ていたユストはこう思った。
───あれが悪名高い『我儘姫』か…と。
噂通りの方でしたね、とこっそり耳打ちしてきたのは、ユストの従者として帝国から随行しているオルナンだ。人懐っこい性格のオルナンはユストを心から尊敬しており、テル・アゼカ王国に行くと決まった時も、いち早く供をすると志願した。そんな彼をユストも信頼しており、何かと頼りにしている。
「…私語は慎んだ方が良い。ここはまだ城の中だ」
「…そうですね。すみません」
廊下を歩くユスト達を囲む衛兵もいる。私的な話は、別荘地へ移ってからとなるだろう。沈黙するユストだが彼も内心、あの親にしてこの子ありだと感じていた。しかし、あの我儘姫が登場したおかげで、苦痛な謁見がうやむやになり、予定より早く終わったのだけは有り難かった。
「趣味じゃありませんわね。お返しします」
「そう仰らずにどうかお納めください。ルミナ姫のために探して参りましたので」
「…まあいいですわ。シャーラ、買い手を見つけて、売っておいてちょうだい」
「なっ…!」
「どうかなさいまして?わたくし宛のものをどう扱おうが、わたくしの勝手でございましょう?」
少し開いた扉の隙間から、話題の姫の声が聴こえてきた。どうやら、自分への貢ぎ物が気に入らなかったらしい。それにしたって、贈り主を目の前にして換金を命じるなんて、どうかしている。優しさ以前に常識を欠いた行いだ。それとなく聞いていたユストは、誰にも見られぬよう眉を顰めた。
「姫様、それはあまりにも公爵に失礼では…」
「わたくしに口答えしないで!」
扉の前を通り過ぎた際、誰かの頰を打つ音が鳴った。恐らく、ルミナが自分の侍女を叩いたのだろう。正しい事を進言したはずの侍女は、小さな声で「申し訳ございません…」と言っていた。
無言で歩き続けるユストとオルナン。二人の表情はとても固いものだった。
(…これが、テル・アゼカ王国の実態か)
国の頂点に立つ者達の有り様を目の当たりにしたユストは、祖国と同様、この王国の民達も哀れでならなかった。
一気に登場人物が出てきたので、簡単にまとめておきます。
▷テル・アゼカ王国(勝戦国)
バサノス…王様
カーラル…バサノスの妻。女王様。
ルミナ…我儘姫と呼ばれている王女
シャーラ…ルミナの侍女
▷アスンクリト帝国(敗戦国)
ユスト…人質にとられた皇子
オルナン…ユストの従者




