第9話「終止符級」
「――ここは世界の負債が最後に流れ着く場所、“最果て”と呼ばれておる」
一体いつこの細枝のような首をぺきりとへし折られるのかと走馬灯の用意をしていれば、前大家と呼ばれた狐耳の少女――テンコというらしい――は、例の邪竜が湧いて出た廃墟跡を指して言った。
「世界の負債……?」
私は恐る恐る問いかけた。
テンコ殿は「そうじゃ」と頷く。
「忌々しいことに、ここにはどこぞの無責任な英雄たちのツケが全て回ってくる、そういう場所なのじゃ」
「……意味が分からない」
困ったような私を見て、狐娘テンコは「こんこん」とやけに器用に笑った。
「そうさな、もう二千年も昔のことになるかのう、自らの狂気によってのみ神話級に達した邪悪な呪術師がおっての、ヤツ自体はさほど脅威でもなかったのじゃがな、厄介だったのはヤツがこの地に神殿を建て、これまた厄介な儀式をもって世界に干渉してしまったことじゃ」
「その儀式とは……?」
「無数に存在する平行世界にアクセスし、この地をあらゆる世界の果てとして再設定してしまったのじゃよ」
平行世界? あらゆる世界の果て?
彼女の言うことはあまりにスケールが大きすぎて理解できない。
それを見て取ったのか、テンコ殿は「そうさなぁ」と思い出すように言った。
「そうじゃの、あれじゃ、おぬしはかつてグランテシアの地を闇に包んだ偽神グロコリウスを知っているか」
「……寝物語に、聞いたことがある」
偽神、グロコリウス。
本来存在しないはずの無貌の神。
のちに暗黒時代と呼ばれる、神の愛がもっとも薄れた百年間。
大地は荒廃し、悪行の数々が蔓延り、人々が信仰心を忘れたその時、ソレは無より生まれ落ちた。
偽神は意思を持たず、知性を持たず、ただ目につくものを食らい、肥大化し、傲慢極まった数多の旧神を呑み込んで、やがてグランテシアさえも己の一部にしようとした。
しかし……
「神話級の聖剣使い、ヴァルハイトが神々より賜りし聖剣で、グロコリウスに未来永劫解けることのない封印を施し、世界に平和がもたらされた……そう聞いている」
「それ、三ヶ月ぐらい前に復活しおったぞ、この場所で」
「……は?」
「まぁ、復活して2分でオルゴが消滅させてしまったが」
「はぁ!?」
思わず声を荒げてしまう。
この反応がよほど面白かったのか、テンコ殿はからからと笑った。
「こんこん、驚いたじゃろう、しかしそういうことなのじゃ、最果てとはそういうことじゃ、ここにはいかな封印も届かない」
「ま、待て、待て待て待て! ではまさか世界の果てというのは……!?」
「――そう、ここでは何もかもが意味を成さない! 単刀直入に言おう! ここは古今東西、現世界から異世界まで! 人類の手に負えず封印するほかなかった災厄の化身どもが溢れ出す地なのじゃ!」
「なっ……!?」
もはや言葉も出なかった。
古今東西、加えて異世界?
そんな膨大な可能性の中から、人類の手に負えず封印されたモンスターたちのみが噴き出す地、だと――?
「……で、では大家殿は……!?」
「もちろん、それをいとも容易く倒してしまうあやつは、断じて空白級などではない。災厄を打ち倒す者、神話を終わらせる者――神話級の更に上、終止符級と呼ばれておる」
終止符級――
雲の上の話、どころではなかった。
あまりのスケールの大きさに思わずくらりときてしまったぐらいだ。
「ちなみにワシも終止符級じゃ、オルゴはワシが育てた」
いよいよ膝をついた。
私は今日この日まで伝説級の父以上に強い者など、目にしたことさえなかったのだ。
それが、世界すら滅ぼす神話級?
あまつさえそれを容易く滅する未知の等級、終止符級が、二人?
――どうなっているのだ、あのアパートは!?
「オルゴはイナリ荘をただのオンボロアパートと思っておるようじゃが、あれは仮の姿、本当は国が作り出した対神話級前線基地じゃ、すなわちワシは大家であり同時に公務員であったということじゃの! こーんこんこん!」
も、もう何がなんだか……
「しかしまぁ、さすがに二千年もこんなことを続けていればうんざりもする……だからワシは後継者を探した! 最も終止符級に近い者を! そして見つかったのがあやつ! オルゴ・ノクテルだったのじゃ!」
「大家殿が……?」
「そう! あやつは千年に一度の逸材じゃった! これでワシも馬鹿げた責務から解放されると歓喜に打ち震え、根回しに奔走した! ……じゃが、一つだけ誤算があった」
テンコ殿は、苦虫でも噛み潰したような表情で言った。
「――ヤツはあれだけの潜在能力を持ちながら、語り草級になって公務員ライフを送りたいなどとほざきおったのだ! 分かるか!? ヤツにはないのじゃ! これっぽっちも! 英雄願望というやつが!」
一体、どんな育ち方をすればああなるのじゃ!
そう言って、テンコ殿は地団太を踏む。
「だからこそワシがヤツを育てた、これは公務員になるために必要なことなのじゃと神話級でさえ裸足で逃げ出す地獄の稽古をつけてやった。その結果が今のオルゴじゃ! 自らを空白級と信じて疑わず、虫でも払うように神話の化け物共を滅する世界最強の終止符級! それがあやつなのじゃ!」
そして、今までで一番大きな「こーんこんこん」の高笑い。
なんと……なんとバカげた話なのだ!
救世の力を持ちながら、自らはそれに気付かず、世界を救い続ける彼が、こんなバカげた方法で作られただなんて!?
私が思わず言葉を失っていると、おもむろに、テンコ殿が顔を寄せてきた。
見上げんばかりの巨人が、その指先で私の細い首をつまむような、そんなビジョンが脳裏をよぎる。
「――そこで万に一つでもヤツのおめでたい勘違いが解けてみよ、ヤツのことだ、世界を救うなんてごめんだと逃げ出すに違いない、そうなるとワシはひじょーーーーーに困る、いや、それだけではない、今まで騙されていたと知って怒り狂ったオルゴがワシを殺しにきたとしよう、終止符級同士の殺し合いじゃ、その時おぬしは世界の終焉をその目に焼き付けることとなろう、……分かるな?」
「は、はひ……」
もはや、肯定以外の選択肢など持ち合わせてはいなかった。
世界の命運をかけた肯定である。
要するに、あれだ。
もしも何かのきっかけで大家殿の面白おかしい勘違いが解けたら――その時、世界が終わる。
「と、いうわけで頼むぞ、ルシル・シルイット」
ぽん、と肩を叩かれる。
この時、私は自らの肩に世界そのものがのしかかってくるかのような錯覚を覚えた。
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前大家さんのご要望に応え、ハーブティーを淹れるためのお湯を沸かしていると、ちょうど二人が帰ってきた。
「ただいまなのじゃ!」
「ただいま帰った……」
なんだか二人のテンションに大きな開きが見られるが……
まぁ、いいか。
「おかえり、はい前大家さん、ハーブティーですよ」
「やっぱりワシ緑茶が飲みたい」
「滅茶苦茶だなアンタ!? じゃあもうこれはルシルさんにあげるからな!」
前大家さんに突っ返されたティーカップを、そのままルシルへ差し出す。
ルシルはどこか逡巡するような間を作って、これを受け取ると
「ありがとう………………ありがとう」
「なんで二回?」
「……三回目は今度に取っておこうと思ってな」
「うん? どういう意味?」
「……なんでもないさ」
そう言って、彼女は柔らかに微笑み、ハーブティーを啜った。
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