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第6話「厄竜パンデア」


 ――ドラゴンとは、古来より宝の護り手とされてきた。

 その原則はより強大なドラゴンにこそ当てはまる。

 ゆえに、ワイバーンやドレイクなどのドラゴンもどきに、守る宝はない。

 時として、僅かに混じった竜の血がそうさせるのか、こまごまとした宝石類を集める個体もいるが、ほとんどは単なる破壊の獣として圧倒的暴力を振るうのみである。

 要するにドラゴンとは、守るべき宝があって初めて生み出されるのだ。


 しかし――彼は違った。

 彼は非常に強大な力を持つ竜でありながら、守るべき宝を与えられなかった。

 加えて、その影響か、彼の翼は生まれてこの方一度も開いたことがなかった。


 何故だ? 我は何故生まれたのか?


 竜は、暗い穴蔵の奥底で考えた。

 ただ一つの生命も奪わず、苔を食みながら思索に耽った。

 守るべきものが分かるまでは不殺を貫こうと、自ら決めていたのだ。


 自分はどうしてこの世に生を受けたのか?

 守るべき宝はどこにもないというのに、自らは竜と呼べるのか?

 そも、宝とは何か?


 竜には強靭な牙と爪だけでなく、溢れんばかりの知性も兼ね備えていた。

 朝も夜もなく、彼は悠久の時を哲学的思索に費やした。

 全身が苔で覆われ、爪も牙も錆びつき、自らが穴蔵の一部と化すほど。


 しかし答えは出なかった。

 なので、彼はやり方を変えた。


 ――自分一人で分からないのであれば、誰かに聞けばいいのだ!


 そうして、黒竜はこの世に生まれ落ちてから二千年の刻を経て、初めて穴蔵を脱した。


 生まれて初めて目にする外の世界。

 とりわけ人の作り出した文明というものに――彼はいたく感動した。


 これは驚くべきことだ!

 あれも、これも、それも! 全部人間という種が創り出したのか!?

 なんたる芸術! なんたる偉業!

 これぞ至宝である!


 しかし、感動したのもつかの間。

 人間は優れた文明を創り出すが、同時にこの素晴らしい芸術を変容させ、破壊させる性質をも持っていたのだ。


 どれだけ素晴らしい建築物でも、彼らはいとも簡単に打ち壊してしまう。

 どれだけ美しい言葉でも、彼らは時流とともにこれを歪め、忘れ去ってしまう。


 名もなき竜は嘆いた。

 どうすれば、この芸術を永久に保存できるのか。

 考えに考え抜いた結果――竜は一つの解答を見出した。


 そうだ、人間を殺してしまえば人間の作り出した芸術は永遠に残るではないか!


 竜は長い時を費やしてついぞ解けなかった己の疑問に、唯一にして無二の答えを導き出した。


 そうだ! そうに違いない!

 我が守るべきはこの“世界”!

 世界を侵す人間どもを滅ぼすことこそ、我をドラゴンたらしめる使命なのだ!


 その時、黒竜は生まれて初めて、その翼ではばたいた。

 そのはばたきは周囲一帯に黒い霧をもたらし、そして、たちまち一つの国を滅ぼした。

 人の作り出した芸術品には一切傷をつけず、ただ人だけを――滅ぼしたのだ。

 彼は殺した、あらゆる生命を殺し尽くした。

 二千年の遅れを取り返すように、殺戮を繰り返した。


 かくして、とある神話級(ミソロジー)のドラゴンスレイヤーが自らの命と引き換えに彼に封印を施すまで、竜は四つの国を滅ぼした。

 破壊ではなく、暴力でもなく、生命を奪うことだけに特化した最凶最悪の竜。

 人々は神話にて彼を語り、そして畏怖を込めて彼をこう呼ぶ。


 神話級(ミソロジー)

 ――厄竜パンデア。



 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 ルシルの中を流れる竜の血が、彼女に警告する。


 構えるな。

 今すぐ剣を捨て、降伏の意を示すのだ。

 アレは立ち向かうようなものではない。


 逃げようなどとも考えるな。

 アレは息をするようにお前の命を刈り取る――


 彼女はこの声を、なんとか振り払おうとした。

 しかし足が震える、目の前のソレを直視できない。

 指がちぎれそうなほどに強く、剣の柄を握りしめる。


 なんというプレッシャーだろう。

 まるで心臓を直接鷲掴みにされるような感覚。

 ただそこに在るというだけで、満足に呼吸もできない。


『それは恐れか? 人間』


「だ……ま、れ……!」


 窒息しそうな緊張の中、かろうじて声を絞り出す。

 昔、一度だけ伝説級(レジェンド)のモンスターと相対したことがあるが、そんなものとはまるで比較にもならない。

 これは、この世にいてはならないもの。

 国さえ滅ぼしかねない、災厄の化身だ!


 なんで、よりにもよって今日この時、私の前にこんなものが――

 自らの運命を呪う、しかし、どうにもならない。

 この絶対的な力の前では、全てが無意味だ。


 戦意など、とうの昔に喪失していた。


『……ふむ、次に我が顕現する時、いかな強者が我の前に立ちはだかるのかといささか期待していたのだが、どうやらアテが外れたようだ』


 黒竜が、ふんと鼻を鳴らす。

 ただそれだけで、僅かに世界が揺らいだ。

 そして


『――まぁ良い、此度ようやく現世に降り立つことが叶ったのだ、我は我の使命を果たすとしよう』


 黒竜が、ゆっくりと翼を開く。

 ――その瞬間、私は無意識の内に盾を構えていた。


『さらばだ、罪深き命よ』


 黒竜はそう言って、ただ一度はばたいた。

 これにより竜の翼から黒くて、微細な、無数の、何か鱗粉のようなものが舞い上がり、周囲一帯へ拡散される。

 それはさながら津波のごとく押し寄せる黒い霧。


 黒い霧は一瞬にして廃墟跡を駆け抜け、そして――あらゆる生命を奪った。


 空をはばたく鳥たちが次々と地に落ちる。

 地を這う虫たちが音もなく息を引き取る。


 そして死の霧は、私にも例外なく降り掛かる。


「っ……!?」


 たちまち全身から力が抜ける。

 身体が鉛のように重くなる。

 遅れてやってくる激痛、悪心、頭痛、眩暈、痺れ。

 ありとあらゆる苦痛が私の身体を支配する。


 気が付いた時、すでに私は地面に倒れ伏していた。


「っ……! っぁ……!」


 私は苦痛に悶え、何度も声にならない悲鳴を漏らした。


 ――おそらく反射的に盾を構えなければ今頃私は自分に何が起きたのかさえ分からずに死んでいたことだろう。

 それはかつて伝説級(レジェンド)の神官が加護を授けたという、あらゆる魔を退けるシルイット家秘伝の盾。

 だが……


『ほう? まさか我が死の霧に触れて生き延びるとは……これは不幸であるぞ人間』


 黒竜がころころと喉を鳴らして笑う。

 そう、確かに私の盾は竜の攻撃を凌いだ。

 しかし、凌いだだけだ。


『所詮、苦痛が長引いただけだ、あと数分で貴様は確実に死に至る』


「……」


 灼けるように熱かった身体から、徐々に熱が引いていく。

 寒い、暗い……私は、こんなところで……


『――さて、次は少し本気ではばたくとしよう、景気づけだ、まずはこの国の命を全て奪う、そしてこの素晴らしき芸術を、永遠に我が手の内で……』


 黒竜が、先ほどよりひときわ大きく翼を広げる。

 薄れゆく意識の中で私が視たソレは、まさしく終末の光景であった。


 ――最期の瞬間、私は憧れのあの人を思い浮かべる。

 モンスターに襲われていた私を颯爽と助けてくれた英雄。

 頭巾をかぶって、口元を布で覆い、ただの棒切れで私を救ってくれた彼。


 願わくば、あの人の素顔が見たかった。

 願わくば、あの人にお礼が言いたかった。


 でも叶わない。

 なんせ私は、彼の名前さえ知らないのだから。

 だから彼の名を叫んで助けを呼ぶことも、私には……


『さらばだ、罪深き命よ』


 黒竜が今まさにはばたかんと翼に力を込めた。

 ああ、これで終わりだ、何もかも。


 どうやら意識が混濁を始めたらしい。

 地面に倒れ伏し、世界が終わるさまを眺める私の視界に彼の背中が映った。


 頭巾をかぶって、口元を布で覆い、ただの棒切れを構えた憧れの彼が。

 ああ、この期に及んでなんと女々しい夢を見るのだ、私は。

 まぁ最期くらいは、いいか……


 幸せな幻の中で、彼はすさまじい速さで黒竜の下まで駆けつけると、天高く飛び上がった。

 高く、高く、それこそ見上げんばかりの黒竜の頭上まで。


『え?』


 黒竜がそこで初めて彼の存在に気が付き、間抜けな声をあげた。

 一方で彼は、空中で棒切れを振りかぶる。


 ……ん? 幻覚にしてはやけにリアルな……


 私がそう思った直後のことだった。

 彼の振りかぶった得物が、きらんと光を放った。

 それは単なる棒切れが光速を超えた合図。


 光の尾を引いて振り下ろされたそれは、さながら流星のごとく黒竜の眉間へ。

 そして次の瞬間、彼は叫んだのだ。


「――近所迷惑だろうがこの野郎!!」


『エ゛ンッ゛!?』


 ――それは、単なる棒切れとは思えないほどの凄まじい爆音と衝撃をもって、黒竜を叩き伏せた。

 黒竜のもたげた首が引きちぎれんばかりに伸びきって、そのまま地面へとめり込む。

 再び、世界がひっくり返るほどの衝撃。


「――っ!?!」


 私は咄嗟に顔を覆う。

 この時の衝撃波で吹き飛ばされた成人男性ほどもある瓦礫の一つ一つが、私の頭上を飛び越えていった。

 更にこれを受けて、周囲の木々が文字通り根こそぎ倒れる。

 最後――信じがたいことに衝撃の余波が直上の雲を円形にくりぬいてしまった。


 魔法でもない、伝説の剣でもない。

 ただの棒切れによる一撃が、魔竜を打ち倒し、空に穴をあけてしまったのだ――


 まるで、夢のような光景。

 しかし夢ではない、幻でもない。

 ルシルは自らの身体を蝕む死の病の苦痛さえ忘れて、彼の背中を目で追っていた。

 彼は、何事もなかったかのように着地すると、まるで一仕事終えたようにぱんぱんと手を払う。


「……ったく、鬱陶しい蛾だな、洗濯物干してるんだからやめろよ」


 ぴくりとも動かなくなった黒竜を見下ろして、彼は面倒くさそうに言う。

 頭に巻き付けた白頭巾、口に巻いたバンダナ。

 そしてエプロンを身に着けた彼が――


「あ、あなたは……」


 私は最後の力を振り絞って、彼を呼びかける。

 彼は、ゆっくりとこちらに振り返り、先端に“クモの巣”の絡みついた竹箒を携えて、こちらへ歩み寄ってくる。


 そしてその場にしゃがみこむと、湯気の立ち上る水筒を差し出して優しく尋ねかけてくるのだ。


「ルシルさんなんか具合悪そうだな、ハーブティー飲むか?」


 ああ、憧れの人はあなただったんですね……


 ルシルはその時、初めて誰かの前で涙を流した。


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