第5話「新たな住人」
白状しよう。
ルシル・シルイットと名乗る彼女の登場に、俺は面食らっていた。
何故ならば、見るからに彼女がエリートだったからだ。
エリート、うん、我ながらこの表現がしっくりくる。
なんせ彼女は研ぎ澄まされていた。
頬のあたりに浮かび上がった竜鱗と頭側部から生えた角を見るに、恐らく竜の血が混ざっている。
褐色の肌に、肩口で揃えられた白に近い銀髪。
眼光は鷹のように鋭く、顔立ちは凛として。
その身体には贅肉はもちろん、無駄な筋肉さえ一切なく、引き締まっているといった表現が正しい。
そして得物は――ロングソードか。
鞘に収まってはいるが、恐らく相当の業物だろう。
だが、俺が何よりも気になったのは彼女が腰に提げた、一見簡素に見えるラウンドシールドだ。
「お、珍しいな、加護つきか」
元大家さんとの修行の名残か。
俺はこういったものを目にすると、つい口に出してしまう。
ルシルは少しだけ目を丸くした。
「……驚いたな、この盾の加護に気付くのか、初対面では皆が私の容姿やこの剣について触れるのだが」
「昔似たような物を見たことがあったんだ。……あ、悪い、自己紹介もまだなのに」
「いやいい、貴君がこのアパートの大家殿なのだろう?」
「ああ、オルゴ・ノクテル、改めて歓迎するよ」
俺は握手を求めようと右手を差し出す。
しかし彼女はこれに応えず、その代わりに問いを投げてきた。
「――等級は?」
ぐっと顔を歪める。
この子、俺が一番触れてほしくない部分に……
「……空白級だよ」
「空白級……」
彼女は露骨にがっかりしたような調子だ。
「そうか、分かった……部屋を案内してもらってもいいか?」
「そ、そうだよな、早く新居を見たいよな、じゃあこっちに、ルシルちゃんの部屋は……」
「ちゃん付けはよしてくれ、私はもう大人だ」
「……ルシルさんの部屋は一階の102号室です」
彼女の有無を言わせぬ物言いに萎縮してしまう。
……結局、握手は返してもらえなかった。
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「――はい、ここが102号室だよ」
俺は今日から彼女の拠点となるその部屋を、彼女に紹介した。
当然のことだが、部屋の中はがらんのどうだ。
例にもれず時代の流れを感じさせる部屋だが、前の住人が出て行ってから毎日欠かさず俺が掃除していた甲斐もあって、清潔感だけはある。
「ここが私の部屋……」
ふふん、お高くとまった彼女も、さすがに感動しているのだろう。
なんせ埃一つ落ちていないのだ。
それに、前日に俺の自家栽培ハーブから作ったフレグランスを少しばかりふっておいた。
なんとも胸のすくような香りがするじゃないか。
「窓は二つ、キッチンとトイレ付、あとはクローゼットが一つ、で、鍵はこれ」
スペアキーを含めた三本の鍵を、彼女に手渡す。
彼女は無言でこれを受け取った。
その表情は、どこか暗く沈んでいる。
「家賃の回収は基本的に月初め、大体このぐらい」
「……破格だな」
「荷物は確か後でまとめて騎竜宅配業者が送ってくるんだったよね、荷解きくらいなら手伝うけど」
「……お気遣い、痛み入る」
「へ、部屋は気に入った?」
「……良い部屋、だと思う」
絶対に思ってないじゃないか……
「ああ、いくら家賃が安いとはいえ、なんでこんなボロ家を選んでしまったのだろう……」
それは、そういう顔だ。
確かに、彼女は今までそれなりに良い環境で育ってきたように見える。
きっと本来は、こんな推定築100年アパートなどにいていい存在ではないのだ。
だからこそ、純粋に気になった。
「ルシルさん、いくつ?」
「……今年で19になる」
「ってことは、やっぱりベルンハルト勇者大学に入学するんだよね」
「そうなるな」
「なんでウチのアパートを選んだの?」
大学からは徒歩圏内――とはいえ、決して近いわけではない。
アパート前の坂は「心臓破り」と呼ばれるぐらいの急勾配で、立地は最悪。
ぶっちゃけ家賃の安さぐらいしか取り柄がないのだ。
大学周辺には、ここよりも条件が良くて、お洒落なアパートが山ほどある。
それなのに、何故――
「……憧れの人が、このアパートの名を口にしていた」
「憧れの人?」
予想外の返答に、俺は思わず反復する。
ルシルは、こくりと頷いた。
「……去年の夏のことだ、私はベルンハルト勇者大学のオープンキャンパスに参加するため、この地を訪れた」
オープンキャンパス。
それは年に二度行われる大学主催のイベントだ。
大学を一般開放して、各学科の学生が研究成果を発表したり、はたまた屋台を出店したり……
まぁざっくり言えば大学のPRイベントである。
「大学の個人的な評価としては……並だと思った、さほど心は動かされなかった。なにせ私が目指すのは伝説級だ」
「……そりゃあ、まぁな」
ベルンハルト勇者大学の伝説級輩出率は、確か1%を切っていたはず。
すなわち年に一人いるかいないかだ。
つまり認定試験でのミレイア嬢は稀有な存在だったと言える。
一つ下の御伽噺級でさえ相当珍しく。
たいていは語り草級か空白級である。
「失望というほどではないが、それなりに落胆して帰路についた。そしたら、その、見知らぬ土地と言うこともあり、道に迷ってしまってな……」
「このへん入り組んでるからな」
「……まぁそのような調子でこのあたりをうろついていたら、見慣れない、虫型のモンスターに遭遇した」
「このへんよく湧くからな」
主にウチのアパートの裏山から。
「……私は剣を抜きモンスターと相対した、正式に等級は与えられていないが、私は御伽噺級相当の力を持っている」
「そりゃすごいな」
竜人は竜の膂力を受け継ぐ。
それに彼女自身も戦い慣れているようだし、その評価も納得だ。
「たいていのモンスターは問題なく倒せる、まして群れからはぐれた虫風情には後れをとるはずもない、そう思っていたのだが……」
「だが?」
「……まるで歯が立たなかった」
「マジか!?」
御伽噺級で歯が立たないモンスターが、こんな町のはずれに?
なんとも物騒な話だ。
しかし、そんなものがこの近辺で出現したとしたら、俺の耳に入っていてもよさそうなものだが……
いや、まずは彼女の話を聞こう。
「……窮地に追いやられ、私はここで終わるのだと確信した。――そんな時にあの人が現れたのだ」
「例の、憧れの人……か?」
彼女はこくりと頷く。
きっと語りながら当時のことを思い出しているのだろう。
その目は、まるで少女が夢でも見るかのように輝いている。
「そうだ、颯爽と現れた彼は、私の剣をもってしても傷一つつけられなかったモンスターを――なんと何の変哲もないただの棒切れで、あっという間に仕留めてしまったのだ」
「なんとまあ……」
それは、確かに夢のような話だ。
まるで御伽噺に語られる英雄ではないか。
「彼は名を名乗らなかった、それどころか私が感謝の言葉を告げるよりも早く、こちらの身を案じて貴重なポーションまで……」
「そいつは一体?」
彼女はかぶりを振る。
「……分からないんだ、何も。彼は頭巾をかぶって口元を布で覆っていた……あれだけの猛者だ、おそらくは伝説級、きっと正体を隠していたのだろう」
「で、その憧れの人がイナリ荘の名前を?」
「ああ、言っていた“早くイナリ荘に戻らなくては”と、……だからベルンハルト勇者大学に入学し、ここで住めば、今一度あの人に会えるかと少し期待していたのは事実だ」
なるほど、そういう事情か、納得した。
……しかし、頭巾をかぶって口元を布で覆い、なおかつただの棒切れで御伽噺級モンスターを仕留めるような男?
彼女には悪いが……
「……ごめん、俺がここで大家を始めてもう2年になるけど、そういうヤツに心当たりはない」
「そうか……」
彼女はあからさまにしゅんとしてしまう。
自分のせいではないといえ、女の子にそういった表情をさせてしまうのは心苦しい。
そんな時だった。
つつー、と天井から何かが下りてきて、彼女の目の前にとどまった。
それは小指の先ほどのサイズの、小さな、緑色のクモである。
「ひゃっ!?」
ルシルが実に可愛らしい悲鳴をあげて飛びのいた。
げっ……あれは!
俺は咄嗟に頭上を見上げる。
すると、そこには――なんということだ! 草むら蜘蛛が天井の一角に立派な巣を張っているではないか!
「ぐっ……! 昨日掃除したばっかりなのに……ごめんルシルさん!」
「い、いや、こちらこそ見苦しいところを……」
先ほどの悲鳴を聞かれたのが恥ずかしかったのか、彼女は慌てて取り繕う。
なんと空気の読めないクモだ!
草むら蜘蛛は人間には無害だ。
しかしいたいけな女子の住む部屋に初日からクモの巣があっては大家の名折れ! 早急に対処しなければならない!
えーと確か部屋に竹箒があったよな……!
そんな時である。
りんりん、とベルの鳴る音が聞こえた。
ああ、もうこのタイミングかよ!
「大家殿、この鈴の音は……?」
「ああ! これはモンスター出現の合図だよ! うちのアパートの裏山にはよくモンスターが湧いてね! これを始末するのも大家の仕事なんだ!」
「なるほど、モンスターか……」
「ごめん、俺今から裏山に向かわないとだから、クモはちょっと後回しになっちゃうけどいいかな!?」
「あっ……い、いや! モンスター駆除なら私が行こう!」
「えっ?」
彼女の提案に俺は一瞬驚いたが――なるほど、彼女はクモが苦手なのだ。
まずはクモの巣を早急にどうにかしてほしいのだろう。
「い、いいのか?」
「ああ、鬱憤晴らしにはちょうどいい! それに」
そう言って、彼女は腰鞘から剣を抜いた。
その剣は側面に血管にも似た紅い筋が無数に走っている。
……火竜の器官を加工した炎の剣か。
「――私は御伽噺級の戦士だ、そのへんのモンスターには不覚をとらん」
「なるほど……」
裏山から湧くのは、えてして空白級の俺ですら倒せる低級モンスターばかりだ。
彼女からすれば問題にすらならないだろう。
なら
「……じゃあお言葉に甘えようかな」
「承知した!」
彼女は高らかに言って、102号室を飛び出す。
「――坂をまっすぐ上っていくと大浴場の跡地がある! たいていはそこに湧くからなーー!」
彼女の背中を見送ったのち、俺は天井を見上げる。
さて……俺はさっさとこれを片付けないとな。
「うーん、ついでだし天井の埃も落としとくか」
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女戦士ルシル・シルイット。
彼女は裏山へと続く坂道を駆け上がりながら、ひそかに泣いていた。
モンスターの駆除を買って出たのは、なによりその涙を誰かに見られたくなかったからである。
袖口で目元を拭う。
「……何を泣いているルシル・シルイット、こんなの、分かり切っていたことではないか」
彼女は自らに言い聞かせるように呟く。
そう、分かり切っていたことだった。
名前も顔も知らない彼と奇跡的に再会し、あの時のお礼を言うことなど無理な話だと。
でも、少なからず期待はしていたのだ。
そんな奇跡を、運命的な出会いを。
女々しいな、と自分でも思う。
坂道を進めば進むほど、人気がなくなってきた。
ちょうどいい、今の女々しい自分を誰にも見られたくはない。
竜の血を引く、誇り高きシルイット家の家名を汚すわけにはいかない。
私はなんとしてでも伝説級にならなくてはいけないのだ。
誰よりも強く、誰よりも気高く。
女であることさえ捨てて――
そして、間もなく目的地に到達する。
「ここは……」
大家オルゴ・ノクテルは、坂道を上っていくと大浴場跡地があり、そこにモンスターが湧くと言っていた。
しかしこれは、大浴場というよりは……
「神殿……?」
屋根や壁の類はすでに崩れ落ちてしまっているらしく、瓦礫の中で巨大な柱が数本突き出している。
瓦礫の中には、恐ろしげな悪魔の像なども混じっていた。
これを大浴場跡地というには随分と禍々しく……
――その時だった。
「……きたか」
廃墟の中央に、なんらかの気配を感じた。
十中八九モンスターが出現しようとしているのだ。
あの鈴の精度は大したものだ、まさかモンスターが出現する前兆を報せるとは。
「さっさと終わらせてアパートに戻ろう」
ルシルは愛剣“火竜の息吹”を構える。
盾は必要ないだろう。
空白級でも問題なく対処できるモンスター。
ゴブリンか、スライムか……
いずれにせよ、この盾を汚すほどではない。
一太刀くれてやって、それで終わりだ。
途端、大気がぐにゃりと歪む。
黒い靄のような何かが、形を成す。
さあ、一体どんなモンスター……が……?
『――嗚呼、我が恋焦がれた世界よ、我はひどくつまらぬ虚無の中で実に千年の刻を過ごした、今日まで変わらず美しくあってくれて、感謝しよう』
「え……?」
彼女の目の前に現れ、流暢に人の言葉を語るソレは、ゴブリンでもスライムでもなかった。
巨大な、途轍もなく巨大な――黒い竜であった。
『人の作りし物を我は愛する、しかし同時に我は人を嫌悪する、この美しき芸術に人間は不要だ。――そう思うだろう? 取るに足らぬ小娘よ』
黒き竜がルシルを見下ろしてにたりと笑う。
邪悪な、ひどく邪悪な笑みであった。
ルシルはその瞬間、自らが逃れえぬ死の最中にいるのだと確信する。
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