第4話「ようこそイナリ荘へ!」
俺が空白級の等級を与えられ、イナリ荘の大家さんに任命されてから、早いことに今日で丸二年になる。
先日、ベルンハルト勇者大学の卒業式があったのだが、式の当日、我らの学友は見事二つのグループに分かたれた。
一つは、二年次に行われた等級認定試験で手に入れた等級をもって滞りなく就活を終え、希望を胸に学び舎を旅立つ勝ち組グループ。
もう一つは言わずもがな、試験も就活も散々な結果に終わり、挙句社会へと放り出された負け組グループだ。
俺? もちろん前者に決まっている!
何故なら俺は、このイナリ荘の大家さんなのだから!
「ふ、ふふふ……」
今この瞬間も、世間一般の人々はあくせくダンジョンに潜り、薬草を摘んだり鉱石を採取したり、あまつさえモンスターを討伐したりして、日銭を稼いでいる。
そんなことを考えると自然と笑みもこぼれてしまう。
そうとも! 真の勝ち組とは今、窓辺で自家製のハーブティーを嗜みながら季節の花を眺めるこの俺のことだ!
……と、言いたいところだが、そう美味い話でもない。
「――大家さん、いますよね、開けてください」
とんとんとん、とドアがノックされる。
この無感情な声音は……
「ちょっと待って、もう少しでこれ飲み終わるから……」
「早急に開けてください、さもなくばこの薄っぺらい板きれが吹き飛ぶことになります」
「やめて!?」
俺は飲みかけのハーブティーを置き去りに、ドアを開け放つ。
ドアの向こうには案の定、魔女帽子をかぶった黒髪の女性の姿が。
「御機嫌よう大家さん、良い朝ですね」
「……シェスカちゃん、いい加減、脅してドアを開けさせるのやめてくれない?」
「善処します」
例のごとく気の無い返事をする彼女の名はシェスカ・ネルデリタという。
全身を黒装束で固めた、細身で色白の彼女は見た目の通りの魔法使い。
先日の等級認定試験では御伽噺級に認定されたらしい。
なにより昼寝が好きで、そうでなくとも一日中ぼけーっとしてる低血圧な彼女だが、人は見かけによらないとはこのことだ。
閑話休題。
「……で、今日は何の用だ?」
「私の部屋の前の照明魔具が切れかけています、このままでは暗がりで転倒してしまうことはもはや明白、早急に対応を」
「ああ、あれか……」
気付いてはいた。
夜中彼女の部屋の前だけ照明がちらついているので、いずれ交換しなければと思っていたのだが、とうとう寿命を迎えたか。
彼女の部屋は二階だ。
確かにどこか鈍臭い彼女が、万が一にでも蹴つまずいて階段から転がり落ちてしまえば一大事だろう。
「分かった、日が暮れるまでに代わりの照明魔具を調達してくる」
そう答えて、俺は再び部屋の奥へ引っ込もうとする。
……袖口を掴まれた。
「……何故引き止める?」
「早急に対応を」
「分かったって、まだ日も高いから少し待て」
「早急に」
「……もしや別の要件があるな?」
シェスタは貼り付けたような無表情のまま、しかしどこか気恥ずかしげに、こくりと頷いた。
俺は、ふうと溜息をつく。
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203号室。すなわちシェスカの部屋の前にて。
俺は足下でころころと転がる一匹の虫の存在に気が付いた。
一体どこから迷い込んだのだろう、鉄甲虫の幼体である。
「こいつか……」
俺はこれを摘まみ上げる。
幼体とはいえ、さすがの硬度だ。
これから数十回と脱皮を繰り返し、彼は立派な成虫となるのだろう。
ほどほどに大きくなれよ。
そう願いを込めて、奥の林へ放り投げた。
「これでいいか? シェスカ」
「おかげで心置きなく部屋に戻ってお昼寝ができるというものです」
そう言って、虫嫌いのシェスカはほっと胸を撫で下ろし――たりはしない。
そんなにも分かりやすい感情表現をする子ではないのだ。
その無感動な様子ときたら、実は人形か何かではないのかと疑ってしまうほどである。
「……って、これから寝るって、まだ10時にもなってないぞ」
「まだ調子が出ませんゆえ」
……以前、ベルンハルト勇者大学でシェスカが「午後の魔法使い」と呼ばれていることを知った。
言い得て妙、というよりそのままの意味である。
彼女は驚異的な低血圧により、午前中は普段の十分の一程度の力しか出せないのだとか。
今は春休みだからいいものの、果たして彼女は無事卒業できるのだろうか?
というより、社会で生きていけるのだろうか?
甚だ疑問である。
「その時は大家さんに養ってもらいますゆえ」
「自覚があるなら改善してくれ」
「こればかりはどうしようもありません、大家さんも一緒にお昼寝しますか?」
「……そういう冗談はあんま良くないと思うぞ」
「いえ、冗談ではありません」
そう言って彼女は自らの胸を両手で持ち上げた。
これにより二つの弾力ある双丘が浮き彫りとなる。
……彼女、細身な上着痩せするタイプで、実は結構な隠れ巨乳だ。
「私は大家さんをゆーわくしております」
「……朝飯ぐらい食ってから寝ろよ」
付き合ってられるか、と踵を返した。
彼女はどうも自らの無表情を利用して、こちらをからかっているような節がある。
「……私はどうも感情表現に乏しいようですので直接的にアプローチしましたのに、何故でしょう」
背後でシェスカが何か言っていたが、無視だ無視。
大家業は思いのほか忙しいのだ。
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俺は自室に戻るなり、ハーブティーの残りを啜りながら、苦い顔をした。
別に冷めた茶に不満があったわけではない。
この切迫した状況に、自然とそういう顔になってしまったのだ。
「また出費か……」
俺はぱちぱちと算盤を弾く。
……やはり何度計算しても、今月も厳しい。
「そろそろ修繕したいんだけどなぁ」
俺は一人でぼやいて、ちらと壁を見やる。
経年劣化のせいか亀裂が走っていて、夜になると隙間風に身体を震えさせる羽目になる。
だが、こんなのは序の口だ。
学生時代はさして気にならなかったのだが、大家さんになってみて痛感した。
このイナリ荘は、大分ガタがきている。
しょっちゅう雨漏りを起こして住人からクレームが入るわ、壁の隙間から虫が侵入してきてクレームが入るわ、腐った床板が抜けてクレームが入るわ……
極め付けはこのイナリ荘の見た目。
築100年と言われてもうっかり信じてしまいそうだ。
近隣住人の中には、本気でこれを廃墟だと信じている者もいるらしく、気味悪がって近づかないのだとか。
「それもこれも家賃収入の少ないせいだよな……」
そう、主たる収入源である家賃収入の少なさが全ての元凶。
大学から遠く、坂の上にあるという最悪の立地に加えて築100年(実際は知らないが)。
こんな悪条件では家賃も破格にせざるを得ない、というのもあるが……一番の問題は住人の少なさだ!
そりゃそうさ!
こんな廃墟まがいの怪アパート、誰が好んで住みたいと思うのか!
……とはいえ、金がなくては修繕できないという悪循環である。
「くそ……なにが不労所得だ……」
めちゃくちゃ忙しいじゃないか。
元大家さんは、あんなに毎日のんべんだらりと暮らしているように見えたのに……
ちなみに元大家さんは俺にアパートを任せるなり「では旅行に行ってくるのじゃ」と、の言葉を残して姿を消してしまった。
もっとこう、引き継ぎとかちゃんとしてもらえばよかった……
だがそんな苦悩も、今日をもって少しは緩和されることだろう!
なんせ今日は新しい住人の――!
「失礼する」
こんこんと、ドアがノックされる。
聞いたことのない声だ。
「はい!」
俺はすかさず駆け寄って、ドアを開け放つ。
そこには鎧を身にまとった、凛とした顔立ちの少女が――
「今日からここで世話になる戦士ルシル・シルイットだ、よろしく頼む」
「……お待ちしておりました、ようこそイナリ荘へ!」
俺はお決まりの文句を口に、どこかつんけんした彼女を歓迎した。
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