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第28話「辞表」


「鵺の反応が途絶えた」


 全身を薄汚れたローブですっぽり覆った男は、淡々と言った。

 その言葉に先ほどまでの狂気はない。

 さりとて落胆や怒りなどの安っぽい感情も抱いていない。

 無。

 そこにあるのは奈落のごとし無であった。


「改良の余地有り……だな、なあにまだ手はある」


 男の像がブレる。

 そして次第に輪郭がぼやけていって、宵闇に溶け始めた。


「二千年前の雪辱、忘れはせん、次こそは殺す、八つ裂きにして、犬の餌にしてやるぞ、テンコ」


 男の呪詛は霧のように霧散し、男もまた夜の闇に消える。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



「……なんだよ、こりゃあ」


 やせぎすで浅黒い肌をした男――伝説級(レジェンド)パーティ“銀の舟”のリーダー、アイオンは眉をひそめた。

 テーブルの上に置かれたのは一通の簡素な封筒。

 封筒の中央には、力強い筆圧で記された「辞表」の二文字。


「見ての通りですわ」


 ミレイアは、さらりと答える。

 きっと、アイオンの右手に“指”があれば、激情に駆られ、その場でこれを破り捨てていたに違いない。


「ふざけてんのか?」


「私、冗談はあまり得意ではありませんの」


「ああ? おい、随分と偉くなったもんだな、お嬢様」


「おっしゃっている意味が分かりません」


 アイオンはたじろいだ。

 以前まではほんの少し低い声で睨みの一つでも利かせてやれば、たちまち萎縮し、こちらの言いなりになっていた彼女が、まるで別人のようになっていたからである。

 きわめて落ち着き払いながらも、その目には強い意志が宿っている。

 それはいかにも高潔な精神を持つ、一人の騎士を想起させた。


 ――虚勢だ、虚仮だ。

 こんな即席の仮面、すぐに引っぺがしてやる――


 アイオンはテーブルを蹴り上げる。

 しかし、どっ、と鈍い音がしただけだった。

 ミレイアがテーブルを上から押さえつけていたのだ。


「備品は大切にしませんと」


 ミレイアの一言に、アイオンはいよいよヒステリーを起こした。


「――テメエ! 労働舐めてんじゃねえぞ!? せっかく拾ってやった恩を仇で返しやがって!!」


「正当な対価を得られないコレを労働と? 労働を舐めているのはあなたじゃありませんこと?」


「ガキが分かったようなクチ利いてんじゃねえ!! いいか!? テメェはどこにも行けやしねえよ!」


 アイオンが“ある方の”指でミレイアを指して、口角泡を飛ばしながらまくし立てる。


「俺は今までお前みたいな甘ったれを何人も見てきた! そんなんじゃどこだって通用しねえんだよ! あぁ!? 分かるか!?」


「私のような若輩に貴重な御意見、感謝いたしますわ」


「……っ! 大体なぁ! タダで辞めさせるわけねえだろうがボケ!」


「と、言いますと」


「――違約金に決まってんだろうが!」


「へえ」


 ミレイアは感嘆の声を漏らした。

 皮肉ではなく本当に感心していたのだ。

 次から次へ、よくもまあ自分に都合のいい理論が展開できるものだ、と。


「まずはクソの役にも立たなかったテメェの教育に費やした時間、経費! それにお前のミスが原因で失敗したクエストで受け取るはずだった報酬!」


「はあ」


「そして昨日テメェが逃げ出して仕事に穴をあけたことに対する罰則金! そして俺の指への慰謝料だ!」


「……なるほど」


 あなたが敵の実力を見誤ったことが原因では? とは思っても言わなかった。

 ミレイアは大人なのである。


「――諸々概算してこれだ!」


 アイオンが“違約金”とやらの概算を突き付けてくる。

 ミレイアは重ねて彼に感心することとなった。

 今まで自分がもらってきた給料を全て合算しても遥かに届かない金額だ。

 一体、どんな計算式を用いればこのような数字が叩き出せるのだろう。


「これが払えねえ限りテメェのワガママは聞けねえな! さっさと仕事に戻れ、出来損ないが!!」


 ぺっ、とアイオンが唾を吐き捨て、粘着質なソレがミレイアの鎧に付着した。

 ミレイアは――聖母のごとき微笑を浮かべる。


「――分かりましたわ、きっちり耳を揃えて払ってさしあげます」


「は?」


 アイオンが間抜けな声を上げた、その刹那。

 ミレイアは机に身を乗り出し、構えた大槍の先端を、アイオンの鼻先に突き付ける。

 白銀の大槍を二色の螺旋が取り巻いていた。


 まさに早業。

 反応することすらままならず硬直していたアイオンの額から、とろりと脂汗が流れる。


「申し訳ございません、私、持ち合わせがございませんので、ここは物々交換といきましょう」


「おま、なにして……」


あなたの命(・・・・・)と交換です、御釣りはいりませんよ」


「じょ、冗談は大概に」


 そこまで言いかけて、アイオンは口をつぐむ。

 ――冗談では、ない。

 彼女の目を見れば分かる。

 もしも余計なことを口走れば、すぐにでも二重の螺旋が自らの額に穴をあける。


 ミレイアは、やはり優しげに微笑んで言うのだ。


「――馬に蹴られて、死にますか?」


 決着、アイオンの心が折れた。

 アイオンは情けない悲鳴をあげて、椅子から転がり落ち、四つん這いになって部屋から飛び出す。

 その際に勢いよく開け放たれた扉の向こう側には、アルマの姿があった。


「ひっ!?」


 おそらく部屋の外から聞き耳を立てていたのだろう。

 彼女はびくりと肩を震わせ、こわごわとミレイアの方を見る。

 ミレイアはゆっくりと歩き出した。

 アルマの目は、いっそ哀れなぐらい泳ぎまくっている。


「あ、あの、その……し、新人ちゃん、し、ししし仕事辞めるんだってね!」


 つかつかつか、ミレイアの靴音が響き渡る。


「い、いいい今までお疲れ様! なんだかんだいって、良い職場だったでしょ!? だ、だって伝説級(レジェンド)パーティに所属できるなんて、普通経験できることじゃ……」


 つかつかつか、ミレイアとアルマの距離が更に縮まる。


「い、いつも私が体調崩した時に代わってくれてありがとうね!? あ、あの時はミレイアちゃんを置いて逃げ出しちゃってごめんなさい! だって怖かったの、分かるでしょう!!?」


 つかつかつか、もはや手を伸ばせば届く距離だ。

 いよいよアルマは我慢できなくなって「ひっ!」と身を屈めた。

 しかし、アルマが予想していたようなことは起こらず、ミレイアは彼女の傍らをすり抜けて、部屋を出る。


「――どういたしまして、ですわ」


 それが彼女が“銀の舟”に残した最後の言葉であった。


 ちなみに、それから間もなくして銀の舟は解体されることとなるのだが、ここでは割愛する。

 別の機会に語られることも、また無い。


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