第26話「少しだけ本気出す」
それはともすれば――いや、確実に俺のトラウマになるであろう光景であった。
あんなにも愛くるしいワンちゃんが、俺の一声で弾け飛んだ。
それはもう木っ端微塵に、跡形もなく。
どさどさどさ、と肉片が降り注ぐ。
俺はこんなショッキングな光景を前にして、さああああっ、と血の気が引くのを感じた。
「み、神話級モンスターを、声だけで……?」
ミレイアが何か言っていたが、俺の耳には届いていなかった。
だって、こんなの、あんまりだ。
「み、ミレイア……」
俺は助けを求めるように彼女を見やる。
「い、犬って思った以上にデリケートな生き物なんだな……俺、知らなくて……マジでごめん……」
「もうツッコミが追い付きませんわ……あなた本当に何者なんですの……」
ミレイアはふうと溜息。
ああ、間違いなく軽蔑されている!
そりゃあそうだ! だって動物虐待どころの話ではない!
粉々だ! 粉々!
「ああああ、どうしよう……せめて墓を作ろう……大学裏の小高い丘に……」
「ちょ!? 肉片を集めないでくださいまし! ばっちい!」
「止めないでくれ、これはせめてもの報いだ……」
「か、勝手にしてくださいまし!」
そうとも、これは俺一人の罪だ。
ああ、せめて安らかに眠ってくれと、肉片の一つを掴み上げようとしたところ。
『――学習完了、最適化を開始します』
「ん? ミレイア何か言ったか?」
「私は何も言ってませんのことよ……って」
ミレイアが、ある一点を見つめてぴしりと動きを止めた。
何事かと思って彼女の視線を追うと、信じがたいことに肉片が喋っていた。
正確には、砕けて半分になったワンちゃんの口が、ぱくぱく動いて言葉を発していたのだ。
――その直後、肉片はその一つ一つが意思を持っているかのように動き出し、集合し始めたではないか。
「うおお!? 犬の生命力ってすごいな!?」
「そ、そんなわけないでしょう!? こ、これは……!?」
集まった肉片が積み上がっていって、更に融合、一つの肉塊へと変貌し、そしてぐちょぐちょと蠢いて――
『肉体の再構成――完了』
――そこに一人の女性が、形作られる。
傾国の美女という言葉があるが、彼女はまさにそれだった。
煌びやかな衣装、豪奢な髪飾り。
美そのものを体現したかのごとき彼女は、白魚のような指を口元に添えて、くふふと笑う。
真っ赤な口紅の僅かに吊り上がるさまは妖艶の一言で、いっそ悪魔じみていた。
「モンスターが、人の姿に……?」
「……誰だお前」
俺は、ゆっくりと問いかける。
すると彼女は、何がおかしいのかくふふと笑ってこれに答える。
その際に――ぴょこんと、彼女の頭頂部から丸い狸耳が顔を出した。
「妾の名は亡国の鵺、……ところでさっき妾を粉々にしたのは、そなたよな?」
「……ぬえ? 粉々? お前もしかして妖怪変化の類――」
そこまで言いかけたところで、俺の言葉は中断される。
何故か?
それは、鵺と名乗る彼女が音を置き去りにして俺の懐に潜り込んできたからだ。
「うおっ!?」
俺は咄嗟に防御の姿勢をとる。
しかし向こうはそれを読んでいたのか、前蹴りを食らわせてきた。
俺の身体が吹き飛ぶ。
足で地面を掴み、数十メートルほど石畳を削ることでなんとか踏ん張った。
俺が蹴り飛ばされたことにミレイアが気付いたのはそれからしばらく経ってのことである。
「……え? い、今なにが……」
「くふふ、少し黙っておれ」
鵺が自らの口にチャックでも閉めるような仕草をとった。
すると、ミレイアの唇がぴったり閉ざされ、もはや一言も発することができなくなってしまう。
「……っ!? っ……!」
ミレイアは自らの口を掻き毟りながら、パニック状態に陥る。
そんな様子を見て、鵺は嘲笑した。
「くふふふ、感謝するぞえオルゴとやら、そなたのおかげで妾はこんなにも強くなれた」
「……どういう意味だよ」
「妾は敵を学習し、それを上回るように強くなる、そういう風に作られておるのよ」
「意味が分からん」
「ふん、そなた腕っぷしはなかなかじゃが阿呆よのう、阿呆な男は嫌いじゃ」
くん、と鵺が人差し指を立てる。
すると、まるで見えない何者かに顔面を殴られたかのような衝撃が走った。
鼻からつううと温かい物が滴る。
「……」
「当然、手加減しておるのよ、もはや妾の目的は達成したも同然じゃが、すぐに死なれてはつまらんからのう、それに……」
鵺が指先で、ミレイアの頬をなぞる。
口を塞がれたショックからか、ミレイアの瞳には明らかな怯えの色があった。
「ちょうどいいところに面白い玩具がある――さあ娘、妾の目を見よ」
「……っ!?」
鵺が、無理やりにミレイアの目を覗き込んだ。
彼女の目は妖しげな光をたたえており、ミレイアは目を閉じることも、抵抗することもままならない。
「……おい、何してんだお前」
「むろん、この娘の胸の内を覗いておる、……ほほう、これはこれは妾好みの混沌、くだらぬ葛藤、煩悶が渦巻いておるわ」
「……っ!? ……っ!!」
「ミレイアから離れろ」
「おお、怖い怖い、一つ良いことを教えてやるから、そんなに怒らんでくれるかえ?」
「すぐに離れろ!」
「――この娘、そなたのことを好いておるわ」
「――」
その時、ミレイアの目から一粒の雫が零れ落ちた。
冷たいソレが頬を伝い、ぱたりと地面に落ちる。
俺は、自らの頭の中で何かが切れる音を聞いた。
「浅はかよのう小娘、傷心中に優しくされてころりと恋に落ちてしまったのか? よもや運命などと勘違いして? くふふ、いじらしいいじらしい、まるで生娘――いや、違う、本当に男を知らぬのじゃな! いじらしい! まるで人形よ!」
ころころ笑う鵺に、ミレイアが何度も何度もかぶりを振った。
それは否定の意なのか、拒絶の意なのか、俺には分からない。
だが、彼女の両の瞳から絶えずこぼれる雫を見ていたら、もはや我慢などできようはずもなかった。
「忠告、したからな」
俺は鵺に向かってずんずんと歩き出す。
「おお、怖い怖い、しかし妾は今この娘で遊んでおるのじゃ、さあ無粋な男は放っておいて、おぼこらしくお人形遊びでも続けようではないかえ?」
鵺がミレイアの手をとって、ほれほれとわざとらしく無茶な方向に動かす。
ミレイアは苦痛に顔を歪めていた。
……いや、痛みは身体だけではない。
俺は更に一歩、また一歩と歩を進める。
「哀れな哀れなお人形さん♪ 帰る故郷はすでになく、かつて抱いた理想は忘却の彼方♪ 阿呆にもなれず、さりとてさほど聡いわけでもなく、そなたはなんじゃ♪」
ヘタクソな歌を歌いながら、鵺がミレイアの手足を動かす。
その時、ミレイアと目が合った。
彼女はその潤んだ眼で確かに訴えかけてきていた。
――助けてくれ、と。
「……少し本気出すわ、歯食いしばれ」
「くふふ! 阿呆な男は嫌いじゃ! 妾はそなたを学習して強くなったのだと言ったじゃろう!」
鵺がミレイアを無造作に投げ捨て、構えをとった。
好都合だ、と俺は身体をねじり、足を前後に開いて、弓でも引くように拳を構える。
――そして、拳を解き放った。
「分からんヤツよ!」
鵺がすかさず手のひらを突き出し、俺の放った拳を受け止めた。
にやり、と鵺が勝ち誇った笑みを浮かべる。
だが、それは早計だ。
「……えっ?」
拳の勢いは死んでいない。
振りかざした拳は、鵺のガードを突き抜けて、彼女の手のひらを押し返す。
「ちょ、ちょちょちょ……! これぶっ!?」
そして彼女の手のひらを巻き込んだまま――俺の拳が鵺の顔面に突き刺さった。
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