第23話「神話級」
『汝、狐なりや?』
こちらが固まっていると、異形の怪物は先ほどと全く同じ語調でその問いを繰り返した。
まるで無機物のような、抑揚のない声。
猿の口が、まるで痙攣するかのようにガチガチと歯を鳴らしている。
両目は別々の方向を向き、呼吸のリズムはおおよそ普通の生き物のそれではない。
アイオンは忌々しげに舌を打った。
「……ゾンビの類か? クソッ、金にならねえ仕事なんざしたくねえってのに……」
「なによ、やるの?」と、心底面倒臭そうにアルマ。
「こんなとこどうなろうが知ったこっちゃないが、やっこさん俺たちに用があるみてえだぜ」
『汝、狐なりや?』
「ほらな」
「うえぇ、気持ち悪いわね、なによナンジキツネナリヤって」
「大方人間の真似してるだけだろ、意味なんてねえよ、こんな畜生どもの言葉に」
そう言って、アイオンが剣を低く構える。
道行く学生たちが、ちらほらとこちらの騒ぎに気付いて足を止めた。
「え、あのオジサンなんで剣抜いてんの?」
「ちょっと待て! モンスターがいるぞ!?」
「気色悪! なんでこんなところに!?」
という具合である。
「チッ……ガキどもはうるさくて嫌いだ、さっさと終わらそう」
「しょうがないわねえ」
渋々アルマが杖を掲げて詠唱を開始する。
ターゲットは言わずもがな窓越しにこちらを覗き込む異形の怪物。
いつも通りならばアイオンが一番に切り込み、アルマが呪文で後方支援、そして巨大な盾でパーティを守るのがミレイアの役割である。
だが――ミレイアは武器を構えなかった。
「おい新人! なにボサッとしてんだ!? さっさと構えろ!」
「ったく、本当にトロいわね!」
アイオンとアルマの二人が棒立ちのミレイアへ罵声を浴びせかけてくる。
しかしミレイアは構えなかった。
――否、構えることができなかったのだ。
「……り……すの」
「あぁ!?」
「無理……ですの……」
「チッ……! この役立たずがぁっ!」
アイオンが怒声混じりに剣を振るう。
それは魔法剣――アイオンの剣に付与された炎魔法が、斬撃のイメージに乗せて放たれる。
すなわち、飛び、燃える斬撃。
窓ガラスが粉々に割れて、斬撃は怪物の眉間へ命中した。
ところどころから甲高い悲鳴が上がる。
「ちょっと! 合図ぐらいちゃんとしてよ!」
アルマが杖を高く掲げて空中に巨大な氷柱を作り上げた。
研ぎ澄まされたソレは、間髪入れずに怪物を射抜く。
二人は腐っても御伽噺級の冒険者である。
大抵の場合はこれで蹴りがつく。
仕留めきれずとも確実に致命傷は与えられるのだ。
実際、偶然通りかかった学生たちでさえ、それを疑ってはいなかった。
あれだけの攻撃を食らって無事で済むはずがない。
皆がそう思っていたのだ。
ただ一人、ミレイアを除き。
「はい、おしまい」
「……無駄な時間をとった、帰るぞ新人」
アイオンとアルマが踵を返す。
それは、決着を信じて疑わない者の無防備な姿であった。
だからこそ――ミレイアは叫ぶ。
「逃げてくださいまし!!」
「あん?」
アイオンが訝しげに眉をひそめる。アルマもまた同様だ。
その背後で、例の怪物が音もなく笑っていることにも気が付かず。
『汝、 狐 なり や?』
「なっ!?」
アイオンとアルマが、咄嗟に後ろへ飛びのいた。
そんな彼らを睥睨して、怪物がげたげた笑う。
――驚くべきことに、御伽噺級冒険者、アイオンとアルマの全力をマトモに受けたにも拘わらず、怪物は無傷なのである。
「う、嘘だろコイツ……全然効いてねえ!?」
「まさかあのナリで伝説級だとでもいうの!? ……ああ、もう仕方ないわねっ!」
アルマがヒステリックに叫び、懐から半球状の物体が二つ収まった透明なカプセルを取り出す。
名を“火竜の心臓”。
カプセルの破壊と同時に起動し、周囲のモノをことごとく消し飛ばす魔導兵器――平たく言えば爆弾だ。
「アルマ! オマエこんな屋内でまさか!?」
「そのまさかよ! ケダモノに喰い殺されるよりはずっとマシでしょ!?」
「チィッ!」
アイオンは咄嗟に魔法を唱え、自らの周囲に結界を張る。
その直後、アルマが魔法をもって火竜の心臓を射出した。
火竜の心臓は、怪物の口内めがけて一直線に飛んで行って――
「――皆さま! 伏せてくださいまし!」
ミレイアは反射的に叫び、我を忘れて駆け出していた。
彼女はその重装備からは考えられないほどのスピードで怪物へ肉薄。
そして火竜の心臓が怪物の口中へ飛び込んだのを見るや否や、ミレイアはその巨大な盾で怪物の下顎にアッパーカットを食らわせ、強制的に口を閉じさせた。
直後、怪物の口より目も眩まんばかりの閃光が溢れ出し――爆発する。
その時の衝撃とくれば、遠巻きにこれを眺めて呆然としていた野次馬たちが一斉に転倒してしまったほどだ。
しかしこんなのは可愛いものである。
もし、ミレイアが咄嗟に走り出していなければ、少なからず爆発の余波による死傷者が出ていたはずなのだから――
「貴重な火竜の心臓をよくもまあ簡単に……」
「なによアイオン、文句でもあるの? いつか私の英断に感謝する時がくるわ」
「……金食い虫が」
アイオンとアルマの二人は、何事もなかったかのように悪態を吐き合う。
その表情には確かな安堵の色が宿っていた。
今度こそ、今度こそ終わったのだ。
そう信じて疑わなかった。
『――汝 狐な りや ?』
――自分たちの背後から、その問いがかけられるまで。
「……は?」
アイオンとアルマが、間抜けな声をあげてほとんど同時に振り返る。
そこには醜く吊り上げた口端から黒煙を漏らし、げたげた笑う怪物の姿が。
彼らは目の前のソレが現実の光景と信じられない。
何故ならダンジョンの壁さえ砕く火竜の心臓。
それを体内で炸裂させたにも拘わらず――怪物に一切のダメージが見られなかったからだ。
「こ、こいつっ――!」
アイオンがすかさず剣を横薙ぎに振り抜いた。
狙うは眼球。
いかな化け物とはいえ、ここは鍛えようがない。
しかし――ぴんっ、と張り詰めた弦を弾くような、そんな甲高い音が一度。
次の瞬間、刀身が丸ごと消えた。
「えっ……」
『――汝、狐に在らず』
どうやら剣の刀身は、目にも止まらぬ速度で振るわれた虎の爪によって、へし折られてしまったようで。
アイオンがそれを理解した次の瞬間、なにやらぽとりと小さな音がして、遅れて手の内から剣の柄が滑り落ちた。
彼は、ゆっくりと足下へ視線を落とす。
そこには、切り離された四本の指が……
「――ああああああああああああっ!!!!」
アイオンは悲痛な叫びをあげて、うずくまる。
アルマは短い悲鳴をあげて顔を青ざめさせ。
遅れて状況を理解した野次馬たちもまた、半狂乱になって叫び出した。
しかし、この中で真に事態の深刻さを理解していたのはただ一人――伝説級、ミレイア・クリュオールだけであった。
ミレイアには見えなかったのだ。
あの怪物の巨体がアイオンとエルマの背後へ回り込む瞬間が。
そしてなにより、あの怪物の振るった爪の動きが。
ゆえに、ミレイアは思う。
アレは伝説級なでどはない。
本当に伝説級であれば、私の本能が警告してくることもないはずだ。
――“下手に武器を構えるよりも、万に一つ、彼がその気まぐれによって自らを見逃す方が生き残る確率が高い”などと。
「神話級……」
ミレイアはげたげた笑う異形の怪物を前にして、今度こそ自らの死を悟った。
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