第22話「白昼夢」
「――まるで幽霊みたいだね」
講義開始前にミレイア・クリュオールと言葉を交わした女学生の一団。
その内の一人、ボブショートの彼女がおもむろに言った。
女学生たちはそれがそもそも何に対してのコメントなのかも分からず、不思議そうに首を傾げる。
「何が?」
「ミレイア先輩のことに決まってるじゃん」
「……その心は?」
「だからさあ」
ボブの彼女は教えでも説いているつもりなのか、どこか得意げに人差し指をくるくる回しながら。
「ミレイア先輩に限らず、ウチってけっこー頻繁に卒業生が遊びに来るじゃない?」
「まあ、週に一度は誰かしら見るよねえ」
「ふつーに考えておかしいわよ、卒業した大学になんの用事もなく遊びにきて」
「たしかに、暇潰しにしてはちょっと多すぎるかも」
「皆それほど近くに住んでるわけでもないのにね」
「――きっとみんな仕事で上手くいってないのよ」
自信満々にそう主張すると、女学生のうち何人かは「ああ、なるほど!」と感心したような声を漏らした。
温めてきた持論の反応はおおむね良好。
彼女は更に得意になって続ける。
「結局のところ今が上手くいってないから過去に縋ろうとするんだよ、本当に今が絶好調ならこんなところ遊びに来る暇なんかないに決まってるじゃん!」
「はー、なるほどね」
「まぁ正直、皆あんまり上手くいってるようには見えないよね」
「ミレイア先輩もなんだかやつれてたし……」
うん、やつれてたやつれてた、と声をがあがる。
皆、声に出さねど気付いていたのだ。
偉大なる先輩、ミレイア・クリュオールの翳りに。
「ぶっちゃけ、迷惑だよねえ」
賛同を得て勢いづいたボブの彼女は、いよいよそんなことを言い始めた。
しかし女子間での“空気”の力と言うのはたいへん恐ろしいもので、彼女を咎める者はいない。
むしろ先ほどで本心からミレイアを慕っていた者たちまで、次第とそういう気分になってくる。
彼女たちの間でのミレイアは、“未だ過去の栄光に縋る迷惑な先輩”になりつつあった。
「自分たちが卒業したことにも気付かないでまだ学生のつもりなのよ、ほら、なんだか幽霊みたいじゃない?」
「じゃあウチはさしづめお化け屋敷だね」
「はは、こわーい」
女学生たちがくすくす笑う。
それは亡者を嘲る生者たちの姿そのものであった。
そんな時である。彼女らの進行方向に、話題の彼女の姿が――
「あ、噂をすればミレイア先輩」
「やっぱりまだうろうろしてたんだ」
「ちょっと、聞こえちゃうって」
「早く成仏したらいいのに、もうここには居場所なんか……」
ボブの彼女がそこまで言いかけて、しかし口をつぐむ。
他の者たちも同様だ。
口は固く閉じ、反対に目を大きく見開いていた。
何故か?
それは、ミレイアの隣に男の姿があったからである。
「――だから! そんなもの食べられるわけがありませんわ!」
「いや騙されたと思って食ってみろって芋虫パン! ウチの購買の名物なんだって!」
「食べ物につけるネーミングじゃありませんわ!」
「本当に芋虫使ってるわけじゃないから! 尻尾だけでいいから!」
「ひぃっ!? なんか先端から緑色のクリームが……グロすぎですの! 近付けないでくださいまし!」
椅子に腰をかけた二人の男女が、人目も憚らずにじゃれ合っていた。
いやにディティールにこだわった芋虫型のパンを押し付け合いながらはしゃぐ様は、いっそ微笑ましくすらあり。
そして彼女らはこの光景を前にして、一瞬で状況を理解した。
「……ミレイア先輩、彼氏に会いに来てたんだ」
この時のボブショートの彼女の複雑な表情とくれば、思わず皆が目を逸らしてしまったほどだという。
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「意外といけますわね!」
数分前の激しい攻防から一転。
ミレイアは尻尾だけに留まらず、芋虫そっくりのソレを腹のあたりまで齧って、両目をキラキラと輝かせた。
言うまでもなく、これを勧めたオルゴは「だろぉ?」とにんまり顔である。
「この緑色のクリーム……アシヘミの果実を使っているのですね! 濃厚でありながらしつこくなく、モヨルの乳との割合が絶妙ですわ!」
「なかなかやるな、自称グルメは伊達じゃないってか」
「ふ、ふん、あなたに褒められても別に嬉しくありませんわ」
オルゴがあまりにもストレートに褒めるものだから恥ずかしくなったのか、ミレイアはそっぽを向いてちびちびと芋虫パンを齧り始めた。
少し前のオルゴなら、この反応を見て彼女を「可愛くないヤツだな」と思っていたのかもしれない。
だが、彼にはそろそろミレイアのことが分かり始めていた。
彼女は、ただ少し人よりも素直でないだけなのだ。
「ミレイアはどこか行きたいところとかないのか?」
「えっ……」
ここで話を振られたのが意外だったのか、ミレイアは少し戸惑ったような反応を見せた。
口端に緑色のクリームがついている。
「どうして、そんないきなり……」
「だってせっかく遠路はるばる帰ってきたのに、俺が案内するばっかりじゃ勿体ないだろ? ないのか? ミレイアには思い出の場所とか」
「私の、思い出の場所……」
ミレイアは逡巡した。
実のところ、ミレイアにはそれがあった。
彼女にとっての思い出の場所が。
ミレイアは一瞬、窓の外へ目をやり――
「……いえ、ありませんわ」
そう言って、かぶりを振った。
「ん? なにその反応?」
「なんでもありませんわよ」
「本当は行きたいところがあるんじゃ……」
「――だから、なんでもありませんわ!」
ミレイアは語調を強めて、これを否定した。
それはミレイア本人にとっても予想外の行動だったのだろう。
彼女はややあって我に返り、咄嗟にオルゴの表情を窺った。
オルゴは特に驚くでもなく咎めるわけでもなく、ただ静かにミレイアを見据えている。
その目で見つめられると、途端に耐え切れなくなって、ミレイアはとうとう席を立った。
「……ごめんあそばせ、ちょっとお手洗いに」
「そうか、ちょうどよかった」
オルゴは「よっこらせ」とどこからともなく編み棒と毛糸玉を取り出す。
「まだまだ外で作業するには肌寒いからな、手袋でも編もうと思ってたんだ、多少長くなってもいいぞ」
「……そうですの、では」
ミレイアはそれだけ言い残して、その場を後にした。
そして十分距離をとると、彼女は誰にも見えないよう密かに涙を流した。
――彼は、さりげない気遣いというやつが下手すぎる。
「惨めですの……」
ぼろぼろと大粒の涙が頬を伝った。
これ以上自分を嫌いになりたくはないと、必死で涙を堪えようとするのだが、これがどうにも止め処がない。
――ああ、何故、どうして自分はこんなにも不自由なのだ。
くだらない意地やプライドに振り回されて、結局何一つ上手くいかない。
こんな可愛げのない私を気にかけてくれるオルゴ・ノクテルーー彼には本当に感謝しているのだ。
なのに、べっとりと身体にこびりついたそれらが、私を素直にさせてくれない。
あまつさえそんな彼を怒鳴るなんて、まるで子どもではないか。
……いや、子ども以下だろう。
「ありがとう」と「ごめんなさい」
こんな簡単な二語も口にできないようでは。
「いっそ消えてしまえば全部楽になるのかもしれないですわね……」
そんな暗い考えが、彼女の脳裏をよぎる。
どうせ居場所なんてどこにもない。
無暗やたらに周りへ迷惑をかけるだけの自分ならば、消えてしまった方がよっぽど世のため人のためではないか。
……ああ、でも明日は仕事だった。
戻ろう、このまま馬車に乗って、銀の舟に。
これ以上誰かに迷惑をかける自分がここにいるという事実が、耐えられない――
「――やっと見つけたぜ、新人」
そして背後から聞こえてくる、どこか神経質そうな男の声。
……迎えがきたようだ。
ミレイアはゆっくりと後ろに振り返る。
そこには、醜く顔をひきつらせた二人の男女の姿があった。
言うまでもない。
伝説級パーティ“銀の舟”――すなわちアイオンとアルマの二人だ。
「ふふ、心配したわよ新人さん、急に消えちゃうんだもん」
「……よくここが分かりましたね」
「ちょうどオマエが馬車に乗り込むところを見てたヤツがいてよ、慌てて追いかけてきたってわけさ」
アイオンが大仰に肩をすくめて「やれやれ」とでもいった風なポーズを作りながら、ミレイアに詰め寄る。
ミレイアは逃げる素振りも、抵抗する素振りも見せない。
もう、どうでもよかったのだ。
アイオンの顔が鼻先の触れ合う距離にまで迫る。
「お前のせいで俺たちの貴重な時間が潰れた、ここまでの馬車代に今日一日分の損失、加えて迷惑料……今月はタダ働きだな、新人さん」
「……はい」
ミレイアは生気の抜けた声で応える。
もう余計なことは考えたくなかった。
今日の出来事は、全て白昼夢のようなもの。
結局のところ、自分は擦り切れるまで働くしかないのだ――
そんな時である。
「……なにあれ」
「あん?」
おもむろにアルマが窓の外を眺めて言った。
遅れてアイオンがアルマの視線を追う。
そして最後、ミレイアが虚ろな瞳を横へずらして――ソレを見た。
窓の外、こちらを覗き込んで不気味な笑みを浮かべる異形を。
「趣味の悪いオブジェね、ホント学生の考えることは分かんないわ」
「……いや待て、生きてるぞ、アレ」
「え?」
猿の頭に狸の胴体、虎の脚に竜の尾。
生物として明らかに無理のあるフォルム。
継ぎ接ぎだらけの奇怪なソレは、しかしながら生きていた。
猿の顔がにたりと醜く歪み、そしてヤツは問う。
『――汝、狐なりや?』
いっそ職場に神話級モンスターでも襲撃してきてくれたら。
何故か、ミレイアはかつて自らの発した独り言を唐突に思い出したという。
長い間更新空けてしまって申し訳ございません! 実は重大発表があります……詳細はまた追って!
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