第2話「大家さん式スパルタ試験対策」
「――は? 語り草級? 伝説級や神話級ではなく?」
危うく不味い茶を噴き出しかけた。
こんな素っ頓狂なことを言い出す彼女は、俺が今日からお世話になるアパート「イナリ荘」の大家さん。
落ち着いた和装と光り輝く金髪が思いのほかマッチしており、頭のてっぺんからはぴょこんと尖った狐耳が生えている。
恐らく、獣人だろう。
身長は俺の腰丈ほどしかないし顔つきも幼いが、獣人族は実年齢よりもずっと若く見えると聞いたことがある。
閑話休題。
「い、いきなりなんですか大家さん……遠回しに馬鹿にしてるんですか……?」
俺はひくりと顔を引きつらせる。
そりゃそうだ、引っ越しの挨拶に訪ねるなり
「茶飲み話の一つでも付き合え」
と、半ば無理やり部屋まで引きずられ、要望通り茶飲み話のさわりとして将来の夢を話した結果がこれなのだ。
不機嫌な顔にもなるだろう。
「い、いや馬鹿になどしておらんが、え、おぬしホントに語り草級でいいのか?」
「やっぱ馬鹿にしてるじゃないですか……それとも俺には最下等級の空白級がお似合いだと?」
「……待て、待て待て待て! もう一度確認しようではないか」
「はい」
「おぬしが今日からこのアパートに住み、ベルンハルト勇者大学に通うのは何故じゃ」
「そこそこ良い大学を卒業して公務員になるためですよ、年功序列で、定時退社で、完全週休二日制……って大家さん、何ですかその顔」
例えるなら生まれて初めて抜けた自らの乳歯を眺めるような。
もしくは人が机の角に足の小指をぶつける瞬間を偶然目撃してしまった時のような……あ、ダメだコレ、例えらんねえわ。
なんだ、その顔。
「語り草級で公務員じゃと……? それじゃあ困る……非常に困る……ワシの完璧な計画がパァではないか……」
「何をぶつぶつ言ってるんですか……俺そろそろ部屋に戻りますよ、荷解きしたいんで」
「ま、待て!」
「今度はなんですか……」
「えーと、その、あの……そうじゃ! おぬし公務員になりたいんじゃったよな!?」
「何度もそう言っているじゃないですか」
「で、あれば! で、あれば! ちょっと待っておれい!」
言うなり、大家さんは部屋の隅にあるタンスへぴゅーんと飛びつく。
そして引き出しを上から順に開けて、中をかき混ぜながら「あれでもないこれでもない」。
そんな彼女の小さな背中を眺めながら俺は一つ溜息を吐いた。
――勇者大学へ通うにあたって一人暮らしをすることになったものの、不動産屋を訪ねてみたら何故か大学周辺のアパートにただ一つとして空き部屋がなく、途方に暮れていた俺の目の前に現れたのが彼女だ。
名前は確か、テンコ? といったか。
珍しい名前だったので印象に残っている。
彼女は何故かこちらが事情を説明するよりも早く俺の状況を把握し、自らが大家を務めるアパート「イナリ荘」に偶然一室だけ空きがあるので、そこに住まないかと提案してくれたのだ。
大学からは少し遠かったが、その時、俺は彼女を救世主かなにかだと思ったほどだ。
しかし、もしや彼女は変な人なのではないか。
そう思いつつある自分もいる。
「お、おお! こんなところにあったか!」
そして彼女はとうとうお目当ての何かを見つけたらしい。
大家さんはタンスの底で眠っていたソレを引きずり出して、にやり口元を歪める。
「探し物は見つかりましたか」
「ああ、見つかったとも……これを見よ!」
「うん?」
大家さんが、なにやら小さなメダルのようなものをこちらへ突き付けてきた。
なんだこれ? 観光地の記念硬貨?
……などと思っていた俺は、数秒後驚愕に目を見開くこととなる。
「りゅ、竜と盾の紋章が刻まれたメダル……こ、これは!?」
「やはり知っているようじゃな! そうとも、これこそが国家に属することを表すメダル! すなわち――公務員の証じゃ!」
「じゃ、じゃあ大家さん! あなたは……いえ! あなた様は!?」
「おぬしが憧れてやまぬ公務員じゃよ」
「大家様!」
思わず平伏してしまった。
まさか公務員様とは露知らず、数々のご無礼お許しください、といった具合である。
狐耳の童顔大家さんはない胸を張って「こーんこんこん!」と高笑い。
すごく器用な笑い方するんすね、大家さん。
……て、待てよ。
「あれ? 大家さんって、大家さんですよね? 公務員じゃなくないですか?」
ぎくり、と大家さん。
「えーと、ほら、それはあの、昔……! そう、昔公務員で……!」
「……辞めたんですか?」
「て、定年退職じゃ! 公務員は退職金もウハウハで……って誰がババアじゃ!」
まだ何も言ってません、大家さん。
「と、とにかくワシは公務員だったのじゃ!」
「大家様!」
再び平伏。
偉大なる公務員様には逆らえない。
「ついては等級認定試験に向けて、ワシがおぬしを立派な語り草級に鍛え上げてやろう!」
「何故!?」
そりゃあ願ったり叶ったりだけども、純粋に何故!?
「な、何かの縁じゃよ、どちらにせよワシは暇を持て余しておるからの、こーんこんこん」
目を糸のように細く吊り上げて、器用な高笑い。
先ほど俺は彼女のことを変人と評したが、なんと軽率な。
――彼女はただ、前途ある若者の輝かしい未来を願う、善良な人間じゃないか!
「お願いいたします!」
俺はびしっと90度のお辞儀を決める。
頭上からの「こーんこんこん」の笑い声を聞きながら、俺は希望に胸を膨らませた。
これで俺の将来は安泰、ホワイトカラーの未来が待っている!
……などと考えていたこの頃の俺は、徹頭徹尾社会と言うものを舐め腐っていたと言わざるを得ない。
この後、俺は身をもって知ることとなる。
公務員を目指すということは、すなわち地獄の門をくぐり修羅の道を通るに等しい行為であると……
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日を改めて、再び大家さんの自室。
「公務員になるには一にも二にも勉強じゃ!」
どかん! とありえない音を立てて目の前に魔術書の山が積み上げられる。
うずたかく積まれたそれは、もう少しで天井に届きそうだが……
「大家さん!? これ全部等級認定試験に必要なんですか!?」
「も、勿論じゃとも! こーんこんこん」
大家さんは糸のように目を細めて、例の高笑い。
あまりに膨大すぎる情報量に心が折れかけるが――決めたのだ! 俺は公務員になると!
意を決して、山から一冊本を抜き取ってページをめくる。
「大家さん! 前書きからいきなり訳分かりません! なんですかこのフィラクルススの法則って!」
「初歩中の初歩じゃ! そこで躓いていては公務員など夢のまた夢!」
「大家さん! こっちの本はそもそも文章が解読不能なんですが!」
「古代の魔術書や異世界の魔術書も混ざっておるからな! しかしそれしきで躓くようでは公務員など務まらん!」
「大家さん!? この魔術書、なんか中から変な声が聞こえてくるんですけど!?」
「あ、やば、禁呪の書が混ざっておった、今のおぬしが読むと気がふれるぞソレ」
「何故そんなヤバいものが!?」
「こ、公務員の愛読書だからに決まっておるじゃろう」
「すげえ!」
確かにアイツらなんか頭よさそうな本を読んでいるイメージがあるが、まさかここまでとは!
さて、どれから手を付けたものかと逡巡していると――ふいに、天井にとりつけられたベルがリンリンと鳴り始めた。
これは……?
「ああ、また湧きおったか、二日前に駆除したばかりじゃろうが、まったく……」
「……駆除?」
「イナリ荘の裏山には定期的にモンスターが湧くのじゃ、これはその出現の前兆を知らせるベルでな、大家はこれを駆除する義務がある」
「へえ、大家さんっていうのはそんなことまでしないといけないんですね」
「そうなんじゃよ、まったく……」
がしっ、と襟首をつかまれる。
え、なに?
「おぬしもついてこい、モンスターとの戦闘経験も公務員になるためには必須じゃからの、お勉強はその後じゃ」
「ちょ、なんで俺まで……って力強っ!?」
あえなく椅子から引っぺがされて、裏山まで連行された。
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更に日を改めて、今度はアパート前の坂道。
「公務員になるには体力作りも必須なのじゃ!」
……ふむ、俺が志望しているのは肉体労働ではなく頭脳労働なのだが、まぁ、元公務員の大家さんが言うなら間違いはないだろう。
ただ、そうだな、一つだけ言わせてもらえるとするなら。
「……大家さん、これなんですか?」
目の前にそびえたつ巨大な鉄の塊を見上げて、俺はなんだか胸騒ぎが抑え切れない。
「脱皮したフルメタルドラゴンの抜け殻じゃが?」
「これをどうしろと」
「背負え」
「背負え!?」
どう見ても人が背負える重さじゃないんですけど!?
「公務員は毎日これを背負って通勤しておるぞ!」
「何故!?」
「け、健康のためじゃ!」
「なるほど!」
納得した。
確かに一日中デスクワークでは体力も落ちてしまうだろう。
いかに頭脳労働といえ、何事も身体が資本だ。
というわけでこれを背負ってみたのだが……
「ぐ……も……」
重すぎて変な声が出てしまった。
というかそれ以上の声が出ない。
足がぶるぶると震え、全身が熱を帯びていくのを感じる。
あまりの重さに前へ一歩も踏み出せないというのは、初めての経験であった。
にも拘わらず。
「ま、初日じゃし、今日は軽くそれを背負ったままこの坂を上って、裏山まで行くぞい」
その場に膝から崩れ落ちかけた。
しかしこの状態のそれはマジでシャレにならないので、なんとか堪える。
……正直、俺は公務員を舐めていた。
ましてこれは俺が立派な語り草級になるための特訓。
つまり語り草級である父さんは、人知れずこれに近い努力をしていたということになる。
父さん、すげえな……
「言い忘れておったが、この時期、この坂道は鉄甲虫が群れで転がってくるから、ぼーっと突っ立っておると撥ね飛ばされるぞ」
「げぶぅっ!?」
時すでに遅し。
裏山から転がってきたのであろう、俺の身長ほどもある黒光りするダンゴムシのような生物に為すすべなく撥ね飛ばされた。
そしてそのまま鉄甲虫と一緒に坂を転がる。
遠くから、リンリン、とベルの鳴る音が聞こえた。
「オルゴーーー! 一通り満足したら裏山の頂上まで登ってくるのじゃぞーーー! いつものモンスター駆除じゃーーー!」
ああ、助けてはくれない感じなんですね。
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更に更に日を改めて、今度は裏山のてっぺん。
「公務員には、当然実戦経験も必須なのじゃ!」
「本当ですか!? 本当に必須なんですか!?」
「そ、そじゃよ~、こーんこんこん」
いつものごとく狐顔で、狐笑い。
俺はなんだか、彼女がこの笑い方をするシチュエーションになんらかの共通点があるのではないかと睨んでいるのだが……
まぁ、細かいことは良い! 次は何をやらされるんだ?
「鬼ごっこじゃ」
「鬼ごっこ?」
なんと随分と可愛らしい響きだ、拍子抜けしてしまった。
まぁ良い、鬼ごっこなら危険もないはず……
「果たしてそれはどうかのう」
大家さんがにやりと不敵に笑って、ある物を取り出す。
そ、それは!
「ここに、おぬしの部屋の鍵がある」
「なっ!? ちゃんとしまっておいたはずなのに!」
一体いつ抜き取られた!?
「逃げ回るワシを捕まえて鍵を取り返せばおぬしの勝ちじゃ、取り返せない場合は……ふむ、悲しいことだが野宿になるのう」
「アパートの大家が持ち出して言い条件じゃねえ!?」
「たわけ! 公務員志望が文句を言うでないわ!」
公務員志望には発言権すらないのか!?
しかし公務員という単語をちらつかされると、何も言えなくなってしまうのもまた事実!
「分かった! すぐに捕まえてやるぜ大家さん!」
「威勢がいいのは良いことじゃ、おぬしはさぞ立派な公務員になれるじゃろう」
そう言って、大家さんは分身した。
まったく寸分違わぬ一分の一スケール大家さんが四体、
これには俺も「は?」と間抜けな声を漏らさずにはいられない。
「では、鬼ごっこを始めるのじゃ、あ、あとワシ鍵を奪われそうになったら全力で抵抗するから、そこんとこよろしく頼むのじゃ」
「ちょ、分身なんて聞いてな……って速っ!!?」
あっという間に、五体の大家さんが方々へ消えて行ってしまった。
もはや影も形もない。
しかし途方に暮れている暇なんかない! 俺は公務員になるんだ!
と、その時再びリンリンとベルの音。
見ると、すぐ近くからモンスター出現の前兆が。
「ああ、畜生こんなタイミングで! 俺はさっさと大家さん捕まえないといけないんだよ!」
俺はモンスターとの交戦準備に入る。
ああ、なんだってまあこの裏山にはこんなにもモンスターが湧くんだ!
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公務員になるための、地獄のような特訓の日々。
血反吐も吐いたし、全身は絶えず生傷だらけ、眠れない夜もあった。
そんな日常が始まって――はや二年。
「くふふ、腕を上げたのうオルゴ」
「……大家さんのおかげですよ」
俺は、にやりと口元を歪める。
とうとう、とうとう俺は大家さんから“鍵”を奪い取ることが叶ったのだ。
「ワシから教えられることはもうない、あとは試験の日を待つだけじゃの」
「ありがとうございます大家さん……いや、師匠……!」
「ふふ、気が早いのう、油断して等級認定試験でヘマをするでないぞ、全力じゃ、間違いなく全力を出し切るのじゃぞ」
「ええ、ええ! 分かってます!」
そんなミスを犯すはずもない。
なんせ俺はもう夢の目前に立っている。
誰もが羨む公務員ライフ! その門前に!
りんりんとベルが鳴る、またも裏山にモンスターが湧いたらしい。
「師匠! ここは俺が!」
「おうおう、熱心なことじゃのう」
「少しでも恩返しがしたいんです! 今日はいつもより調子がいい! 3分で片づけてきますよ!」
「くふふ、頼もしいことじゃ」
「じゃあ行ってきます!」
俺は抑えきれない喜びに身を任せて、坂道を駆けのぼり始めた。
もちろん、フルメタルドラゴンの抜け殻を背負ったまま。
さあ輝かしきホワイトカラーの未来が、俺を待っている!
「……こーんこんこん、計画通りじゃ」
大家テンコは、神風のごとく坂道を駆けあがるオルゴの背中を見送りながら、にたりと口元を歪めた。
――そして物語は冒頭へと戻る。
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