第17話「伝説級の一日」
――ベルンハルト勇者大学の伝説級輩出率は1%を下回る。
年度によっては卒業生に一人の伝説級もいない、そういったことも往々にしてあった。
これは別段ベルンハルト勇者大学が他の教育機関に比べ劣っているというわけでは無い。
むしろ五百を超える卒業生の中から、たとえ二三人でも伝説級が出るのは快挙なのだ。
だからこそ由緒正しき騎士の家系、クリュオール家の次女にして、多重詠唱を使いこなす魔法騎士。
すなわち伝説級ミレイア・クリュオールには入学時から多大なる期待が寄せられていた。
ミレイアは物心ついた頃からありとあらゆる英才教育を施された。
全ては良い等級を手に入れ、クリュオール家の名前にふさわしい誇り高き職に就くため。
若きミレイアもまた、これを疑わなかった。
恋愛? 遊び? ――くだらない。
ただソレだけが至上の目的であり、この上ない幸福なのだ!
……そう思っていた。
実際に職に就くまでは……
「――は? 残業代が欲しいぃ?」
やせぎすで浅黒い肌をした男は苛立ちを露わに言った。
彼は、ミレイアが卒業後に加入した伝説級パーティ“銀の舟”のリーダー。
御伽噺級剣士アイオン――すなわち彼女の雇用主である。
彼のあまりに攻撃的な物言いに、ミレイアは思わずびくりと肩を震わせてしまう。
学生時代の居丈高な彼女を知る者が今の彼女を見れば、驚愕を禁じ得ないはずだ。
後ろでまとめあげられた金の頭髪は、ところどころが枝毛になっており、目の下にはべっとりと濃い隈が貼りついている。
ついでに言うと頬も少しこけていた。
「え、ええ……アイオンさん、不躾なお願いとは思いますが……私もう今月だいぶ厳しいんですの……」
それはとても抗議とは思えない、弱々しい声音だ。
見事に萎縮しきっている。
「私、ここ数か月は一日一食しか食べておりません……それもダンジョン内で、携帯用の干し肉を……最近立ちくらみまで出てきて、これではパーティでの活動に支障をきたしてしまいますわ……」
「はぁ……だからお嬢様をパーティに入れるなんて反対だったんだよ俺はッ!!」
アイオンが、おもむろに近くの机を蹴り上げる。
ミレイアは「ヒッ!?」と短い悲鳴をもらした。
「一日一食がなんだってんだ!? あぁ!? 新人様は飯食う暇があってうらやましいこって! 俺なんてもう三日はポーションしか飲んでねーんだ!? 分かるか!?」
「わ、分かります! 分かりますわ! アイオン様はいつもパーティのことを第一に身を粉にして働いていて……!」
「だったら二度と残業代とかふざけたこと抜かすな! 俺らのパーティがギリギリのとこでやってんの知ってんだろうが! むしろ働かせてやって金まで払ってることに感謝しろ!!」
「ご、ごもっともですわごもっともですわ……」
「これだから温室育ちは困るんだよ!」
ぺっ、とアイオンの吐いた唾が、彼女の鎧にかかる。
ミレイアは本心ではすぐにこれを拭き取りたかったが、努めて見て見ぬふりをした。
少しでも嫌そうな顔をすれば、余計に怒鳴られてしまうからだ。
「では……せめて休みをください……」
ぴたり、とアイオンが動きを止め、ミレイアを睨みつける。
その目のどろついた輝きはミレイアの心胆を寒からしめた。
再び怒声が飛んでくる前に、ミレイアは勇気を振り絞って言葉を紡ぐ。
「もうかれこれ二十連勤です……! 二十日前だって単休を挟んだだけで、その前は二十四連勤……! それに二十日前の単休にしたってまだ日の高い内に呼び出されて、結局……!」
ダァン!! と凄まじい音がして、ミレイアの言葉を遮った。
アイオンが机を蹴り倒したのだ。
「ヒィッ!?!」
「――あーあーあーあー! 休み!? 休みっつったか!? なんだそりゃ、テメー仕事に休みなんてもんがあるとでも思ってんのかよ!?」
「あ、あああああるはずですわ……! ギルドで定められた雇用法によると……というより“銀の舟”の求人情報には週休二日制と……!」
「それはあくまで仕事ができるヤツの話だ! 仕事もできねえくせに一丁前に権利ばっかり主張しやがって、あぁあん!?」
「し、しかし実際に私の等級は伝説級! パーティ内では一番の戦力で……!」
「……はぁ? 伝説級? ――だからなんだってんだ?」
「なっ……!?」
ミレイアは絶句した。
遊びや恋愛、他の者が享受するあらゆる幸せを寄せ付けず、努力した結果に勝ち取った伝説級の等級を「だからなんだ」と?
アイオンがゆっくりとこちらへにじり寄ってくる。
まるでゴミでも見るような目で、ミレイアを見下しながら。
「いいかいお嬢さん、アンタがいかに学生時代持て囃されてようがな、社会じゃそんなの通用しねえんだよ、分かる? 分かりまちゅか?」
とんとん、と胸の板金を小突かれる。
やがて、アイオンはミレイアの豊満な胸の形に合わせて加工された板金を指でなぞり始めた。
実際に胸に触れているわけでは無いが、これは最大級の屈辱である。
しかし、ミレイアは言い返さない。否、言い返せない。
「このパーティに入ってもう二年だからそろそろ分かるよなぁ、社会人に大事なのは“和”だ、間違っても個人の力じゃねえんだよ、な? はい、ウチのパーティの行動理念三番、復唱ォ」
「……我々はともに手を取り合い、いかなる苦境にも屈しません」
「そーだよなぁ、ともに手を取り合うべきだよなぁ」
アイオンは、ぱしん、と胸の板金に平手打ち。
「だったらお前だけワガママ言うわけにはいかねえよなぁ、あ? 新・人・さん」
それだけ言うと、アイオンはミレイアに背を向けた。
「あ、あとお前くだらない用事で貴重な労働時間削ったんだからペナルティな、今日のギルドの掃除当番、一人でやっとけよ」
「………………はい、失礼いたしました」
ぺこりと頭を下げ、ミレイアは部屋を後にする。
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「お、姉ちゃんこれも捨てといてくれや」
ミレイアが雑巾片手に一人だだっ広いギルドの床を磨いていると、目の前に鶏の骨が落ちてきた。
唾液に濡れたソレが、べちゃりと床に貼りつく。
ミレイアはきっと睨みつけたが、これを捨てた男はすでにこちらなど意識の外。仲間たちとの馬鹿話に戻っている。
「……」
ミレイアは速やかにこれを処理し、再び掃除に戻った。
「でよぉ、言ってやったわけよ!」
「ぎゃははは! そりゃ傑作だな!」
がん! と誰かの足が、ミレイアの脇腹を蹴り飛ばす。
「うっ……!?」
「あ、わりーな姉ちゃん、……でさぁ! 更に言ってやったわけよ!」
「ぎゃはははは、それもまた傑作だ……!」
ミレイアはおもむろに立ち上がり、雑巾を握りしめたまま、ギルドを飛び出した。
男たちの馬鹿笑いを聞いていると、なんだか謎の吐き気がこみ上げてきて、耐えきれなくなったのだ。
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「あ、いたいたミレイアちゃん、探したわよ」
ミレイアが外の風にあたって、胸のムカつきを宥めていると、彼女のもとへ一人の女性が駆け寄ってきた。
ミレイアは彼女を知っている。
冒険者にあるまじき厚化粧で顔面を固めた彼女は、ミレイアと同じく"銀の舟"に所属するパーティメンバー、御伽噺級魔法使いのアルマである。
「あ、アルマさんお疲れ様ですわ……」
「ミレイアちゃん、明日休みよね?」
挨拶も返さず、開口一番の休日確認。
嫌な予感がミレイアの脳裏をよぎる。
「え、ええ、一応、お休みということに……」
「良かった、アタシなんだか今日朝起きてからずっと喉痛くてさぁ、なんとなくだるい感じするし、明日休むかもだから、先に言っておこうと思って」
「ま、またですの!?」
ミレイアが思わず声を上げる。
「もう、今月に入って四度目ですのよ!? しかも私の休日を狙ったように……!」
「……なに? アタシが意地悪してるって言いたいの?」
「そ、そういうわけでは」
ある、あるが、正直に言うわけにもいかない。
「ねえ、アタシちゃんと言ったよね? アタシ生まれつき身体が弱いの、それなのに無理やり働かせようってこと?」
「い、いえ……」
「だったら分かるよね? ホラ、銀の舟の行動理念三番にもあるでしょ?」
「……わ、我々はともに手を取り合い、いかなる苦境にも屈しません……」
「だよね? じゃあ返事は?」
「………………お大事に」
「はいどうも、じゃあアイオンにちゃんと言っておいてね、新人さん」
最後にそう言い残して、アルマは踵を返す。
ミレイアの三十連勤が確定した瞬間であった。
遠ざかる彼女の背中を見つめていると、とうとう吐き気が限界までこみ上げてきて、ミレイアは裏の茂みへ駆け込み、吐いた。
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ミレイアは知っている。
以前、銀の舟にはシルヴァという名の伝説級剣士と、ミスリィという名の伝説級僧侶がいたことを。
ミレイアは知っている。
パーティリーダーのアイオンはミスリィに対して好意を抱いていたが、ミスリィはシルヴァを好いていた。
そもそも自らより上の等級を持つシルヴァにあまり良い感情を持っていなかったアイオンは、適当に理由をこじつけてシルヴァをパーティから追放してしまった。
そうすればミスリィの気持ちも自分に傾くのではないかと。
ミレイアは知っている。
結果として作戦は大失敗、なんとシルヴァの後を追いかけるようにミスリィまでパーティを抜けてしまった。
これにより、銀の舟は一気に二人の伝説級を失い、もはや伝説級パーティと呼べるような状態ではなくなってしまったことに。
今のパーティの惨状は、全てリーダーであるアイオンの招いたことなのだ。
これのどこが誇り高い仕事なのだろう。
誰かのためでなく、自分たちの潰れかけのパーティを維持するためにクエストを受ける毎日。
休日はおろか、給金すらマトモに支払われず、昼も夜もなく働かされ。
こんなのはもはや奴隷、いや奴隷以下……
自分は、こんなものを手に入れるために、今まであれだけの努力を……?
「限界、ですわ……」
気がつくと、ミレイアはベルンハルト勇者大学行きの馬車を取っていた。
この時、彼女が何を考えていたのか。それは本人でさえ分からない。
もしかすると輝かしき大学時代の栄光を取り戻したくなったのかもしれない。
そして、馬車に揺られながら、ミレイアは実に36時間ぶりに眠った。
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