第16話「帰路へ」
どろんと白煙が立ち、俺は変化を解く。
目線は元の高さに戻り、そして俺の足元には
「ぽん……ぽこ……」
ちょうど足跡型に凹んだ地面の中心で、狸耳をぴくぴくと震わせながら目を回すユウリの姿が。
「化け比べでも俺の勝ちなわけだけど……まだやるか?」
「ま、参りました……」
ようやくの降伏宣言だ。
俺はふうと溜息を吐き、肩の力を抜く。
まったく、大家さんの朝は早いのだ。さっさと後始末をしてしまおう。
俺はゆっくりと彼女に歩み寄る。
「……アハッ、YU-RIにトドメを刺すんだね、いいよ、煮るなり焼くなり、なんでもどうぞ☆」
「威勢がいいな」
「だってYU-RI、妖怪だから死なないもん」
にやりと、勝ち誇ったようにユウリが口元を吊り上げる。
「妖怪って言うのは現象なの、自然に発生するものなの、つまりここで殺されたところで、また時間が経てば復活できるもん、百年先か二百年先か……少なくともキミは生きていないよね☆」
「まぁ、そうだな」
「だったら問題ないもん、次こそはもっとうまくやってこの世界を手に入れてやるんだから☆」
誇大妄想がすごいなこの狸。
空白級の俺にさえ負けるのに、世界とか無理に決まってんだろ。
ほら、シェスカも忌々しそうに顔を歪めているじゃないか。
でもまぁ、彼女は大きな勘違いをしている。
俺は彼女の近くに腰を下ろして、言った。
「期待しているところ悪いけど、お前は殺さないよ」
「……えっ?」
ユウリが不思議そうな顔でこちらを見つめてくる。
「……昔、前大家さんに言われたんだ、狸だけは殺すなって、だからお前も殺さない」
「そ、それは……YU-RIを見逃がしてくれるってこと……?」
ユウリは驚いたように言う。
それは安堵と期待の入り混じったような、そんな表情で――
「――いや、別に生かしもしないけど」
「えっ?」
ユウリが素っ頓狂な声をあげた。
俺は前大家さんの言葉をしみじみと思い出す。
――いいかオルゴよ、ワシの故郷には狸とかいう薄汚い畜生がいての、こんな感じの見た目じゃ。
――間抜けで、どうしようもない色惚け、日がな一日中腹太鼓を叩くせいでうるさくて敵わんかったわい。
――時に我が故郷には「赤い狐と緑の狸」という言葉があり、要するにこれは、優秀なる狐に殺され冷たくなった狸と、狸の返り血を浴びて全身を真っ赤に染めた狐のことを指しているわけじゃが……
――まぁ結局何が言いたいのかというと、もしも今後狸と関わる機会があれば殺すな、されど生かすな。
――最も屈辱的な方法で苦しめるとよい。
「……ってさ」
「ゆ、YU-RIお腹叩いたりしないもん!!」
よく分からない箇所を否定するユウリであったが、ややあって自らの状況に気付いたらしく、目を泳がせた。
「……え、待って? もしかしてこれからYU-RIにひどいことするつもり?」
「見方によってはそうだな、ひどいかもしれん」
「こ、降参してるのに……?」
「狸はずるがしこい上にプライドもないから、ピンチになるとすぐ腹を見せて降参したフリをするって前大家さんが」
「そ、そそそそそんなことないもんっ☆」
「まぁとにかく、そういうことだから」
俺は懐から一枚の御札を取り出す。
「な、なにかなその御札……! YU-RI初めて見たんですけど……!?」
「そりゃそうさ、俺手製の呪符だもの」
昔、大家さんに教わった呪符製作の技法を応用して作り上げた大家さんオリジナルの御札。
俺は、これをゆっくりとユウリに近付けていく。
「ま、待って待って待って! 分かった! YU-RIお金あげるから! 一生使いきれないぐらいのお金!!」
「“追い詰められるとそう言って木の葉を変化させた金を渡してくるまでがあいつらの手口じゃ”……って前大家さんが」
「じゃ、じゃじゃじゃじゃじゃあ! 大家さんに名誉をあげる! YU-RIの手にかかれば、大家さんを出世させることなんて簡単なんだから!」
「“更に追い詰められるとこんなことを言い出すが、これは全くの嘘っぱち、すぐに舌を出して逃げ出すぞ”……って前大家さんが」
「ぜ、前大家さん何者!? じゃ――じゃあ分かった!! YU-RIの身体をあげる!!」
「身体?」
俺はぴたりと動きを止める。
ユウリは「これならいける」と思ったのか、妖艶な笑みを浮かべた。
「そ、そうだよ、YU-RIはなんにだって化けられちゃうんだから☆ 大家さんの想い人でも、庶民には手の届かないやんごとなき娘でも、はたまた犯罪スレスレの子にだって! それに……」
更にユウリは、むにっと自らの胸を寄せてこちらを誘惑してくる。
「私自身だって、結構いい身体してるんだから☆」
「あ、それは別にいいです」
問答無用、ユウリの額に御札を貼り付けた。
彼女の瞳に、じわりと涙がにじむ。
「え、普通にショックなんですけど……」
――刹那、彼女の全身が光に包まれる。
光の粒子が、まるで泡のようにまとわりつき、そして逆行させてゆく。
彼女が積み重ねてきた化生としての年月を。
すなわち、力を剥ぎ取ってゆく――
「な、なにこれ!? YU-RIの溜め込んだ力が、四百万のYU-RIが……あああああああああああああ!」
彼女の絶叫とともに光は最高潮に達する。
そして最後――ぽんっ、というどこか気の抜けた音とともに、光が消えた。
効力を失った呪符が、はらりと落ちる。
「へ……あれ、なんか視界が……」
ユウリがそう言って、自らの頬をぺたぺたと触る。
そしてそののち、自らの手のひらのあまりの小ささに、驚愕の表情を浮かべた。
「ん!? あれ!?」
手だけでなく、全身をくまなく見渡すユウリ。
その場でくるりと回ってみたり、叩いてみたり、ぷるぷるのほっぺをつねってみたり。
……ふむ、術は成功したようだ。
「――ゆーり、ちっちゃくなってるんですけど!?」
そうともさ。
そこにあるのは妙齢の女性の姿――などではなく、狸耳の幼女である。
余談だが、隣でこの様子を見ていたシェスカが小さく「……可愛い」と呟いていた。
「そうともお前は若返った、ちょうど100歳を少し過ぎたぐらいか? なりたての化け狸ってことだ、もう人を騙すこともできないだろ」
「時間遡行の呪符なんて、そんな、そんな高等なもの神話級の陰陽師だって……!!」
ユウリが小さな肩をわなわなと震わせ、やがて……
「こ、この恨みは忘れないから!! ぜ、絶対にいつか仕返ししてあげる!!」
「百年後か、二百年後か……気の遠くなるような話だが、まぁ頑張れ、俺はその頃もういないけど」
「うわあああああああん!! ばああああか!! ばああああか……!!!」
こうしてユウリはわんわんと泣きながら、ボロボロになった服を抱きしめ、夜の闇へと消えていった。
きっと、狸らしく山へ帰るのだろう……
俺は彼女の小さな背中を見送りつつ、しみじみとそう思った。
まぁ、なんにせよ。
「――帰ろっか、シェスカちゃん」
俺は振り返って、彼女に微笑みかけた。
シェスカはまるで夢でも見ているかのように、呆け切った顔を晒している。
「大家さん……あなたは一体何者なんです……?」
「? おかしなこと聞くなぁ、大家さんは大家さんですよ……っと」
「わふ」
彼女の首元にようやく出来上がったそれを押し付ける。
ソレは――大家さんの手編みマフラーだ。
それなりに上等な毛糸を使った、自慢の一品である。
「これは……?」
「マフラー、シェスカ低血圧だから夜は夜で身体冷えると思って」
「私の……ために……」
シェスカがマフラーを抱き寄せ、頬を染める。
作ってる最中「よくよく考えたらいい年した男が女子大生に手編みのマフラーを送るとかキモがられたりしないかな?」などと不安になったりもしたが、どうやら気に入ってくれたようでなにより。
「で、シェスカちゃんこれからどうする? まだ夜練続ける?」
「……いえ」
シェスカはマフラーに顔をうずめながら、小さく、本当に小さく首を横に振った。
「今日は、もうイナリ荘に帰りたいです、その、大家さんと一緒に……」
珍しいこともあるものだ。
そう思っていると、彼女は柔らかに微笑んで
「――明日、倍頑張ればいいだけですから」
「頑張り屋さんだなぁシェスカちゃんは、――じゃあ、帰ろうか!」
俺もまた彼女に微笑み返して、満天の星空の下、揃って帰路についた。
これで本当に、大家さんの一日が終わる。
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「あと二体……もう間もなく、我が悲願が成就する……」
イナリ荘裏山廃墟跡。
頭からすっぽりとローブをかぶった男は、ここで起こった一部始終を見届けると、にやりと口元を歪めて、ひとりごちた。
「次こそ殺してやるぞ――天狐」
男の狂ったような笑い声が、廃墟跡にこだました。
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