第14話「彼女が笑うと」
シェスカ・ネリデルタ。
驚くべき低血圧の御伽噺級。
午前中は本来の十分の一程度の力しか発揮できず、ほとんどを寝て過ごしている。
ついた二つ名は午後の魔法使い。
この二つ名を耳にした者は、たいていが彼女に対して「自堕落」な印象を抱く。
だから午後の魔法使いという二つ名も、半分は蔑称である。
彼女自身これを訂正するつもりがないらしく、それは今日に至るまで続いているが――これはひどい勘違いだ。
彼女の欠点は、自堕落なことなどでは決してない。
「――お前の悪いところはそうやってすぐに頑張りすぎちゃうところだな」
俺は編み物を中断し、ふぅと溜息を吐く。
まったく、モンスターの出現を報せるベルが外れていたものだから、念のため編み物ついでに見回りに来てみればこんなことになっていたとは……
「シェスカ、ちょっと頭出せ」
「えっ、大家さん……!?」
おもむろにシェスカの大きな魔女帽子を外し、更に頭を押さえつけて彼女の黒髪を観察する。
うーん、暗くてよく見えない……
「お、おおお大家さん!? 一体何を……ひぁぁっ!?」
「悪いけど軽く触るぞ、ちょっとでも痛かったら言ってな」
俺はちょうど彼女の頭を撫で回すかのように、全体へ軽く触れる。
シェスカが恥ずかしさのあまりか顔を真っ赤に染めているが……うん。
「たんこぶはできてないみたいだな」
「たん……こぶ……?」
シェスカはまるでそれが初めて聞く単語であるかのように言った。
そう、たんこぶだよたんこぶ。
「じゃあ別に階段から落ちた時に頭を強く打ったとかじゃないのか……となるとストレスか? 顔色悪いし、鼻血も出てるし……」
「あ、あの、大家さん……何を言って……」
「ちょっと待ってろよ」
困惑する彼女を制して、俺はいつも通り懐から水筒を取り出した。
フタを外して、これをカップ代わりに水筒の中身を注いでいく。我ながら手慣れたものだ。
そして、湯気立つこれを彼女へ差し出し
「ハーブティー、飲め」
「は、ハーブティーって……大家さん、今そんな場合じゃ……」
「――ハーブティー!! 飲め!!!」
無理やりにカップを押し付けた。
それはもう、彼女のもちもちとした頬っぺたへ、物理的に。
「わ、わかりまひたから! のみまふ! のみまふっへ!!」
「よし!」
渋々とカップを受け取り、ハーブティーに口をつけるシェスカ。
彼女はこれを一口含んで飲み下すと――ほうと溜息を吐いた。
「おいしい……」
「当然、俺の手製だからな!」
アパートの裏庭でハーブから育てているのだ、美味しくなければ困る!
俺はふんすと鼻を鳴らして、自信満々に胸を張った。
「ハーブティーにはリラックス効果があるからな、これで少しは頭痛も和らぐだろ」
「…………ん?」
ちびちびとハーブティーを啜っていたシェスカが、ぴたりと動きを止めた。
なんだそのよく分からない顔は。
「いやだから頭痛だろ? ストレス性の。……まったく根詰めすぎだぞシェスカ、立てなくなるぐらいの頭痛起こすまで頑張るなっての」
「……えっ? ちょっと待ってください、頭痛? ストレス性の?」
「だって頭抱えて叫ぶぐらい痛がってたじゃん」
「い、いえ、それはそうなんですけど、度合いと言うか……私、頭が弾け飛んで死ぬ直前だったんですが……」
「あー分かる、俺も家計簿つけてる時とか頭弾け飛んで死にそうな気持になるわ」
貧乏大家さんはいつも真っ赤っかの家計簿に憤死寸前なのだ。
最近なんかもう金銭の話をするだけでちょっと頭痛くなるもんな……
そういうことだろシェスカ?
「っ……! っ……!」
「……なんだその顔は」
シェスカはまるでフグのように頬をぷくうっと膨らませて、ぷるぷると震えていた。
それはおそらく「言いたいことが山ほどあるのに言葉が出てこなくてどうしようもない時」の顔だ。
俺はごほんと一つ咳払いをした。
「まぁ、なんにせよ災難だったな、まさか頭痛で悶えてるところを不審者に絡まれるなんてさ」
「……不審者?」
ぎゅっ、とシェスカの眉間にシワが寄った。
なんだかその目で見つめられると、責め立てられているようだ。
俺は慌ててこれに応える。
「だ、だって、どう見ても不審者だろあの獣人! 変な喋り方だし、妙な格好してるし、挙句頭痛で悶えるシェスカちゃんの前でなんか一人でべらべら喋ってるし! ぜってー噂になってた不審者だって!」
「………………」
ぎゅっっっ、とシェスカの眉間に刻まれたシワが記録的深度を達成する。
彼女はたっぷり、たっぷりと時間をかけて、言葉を選び、そしてゆっくりと口を開いた。
「……噂の不審者は、男性という話では?」
「あ、そうだっけ? ……じゃあ新手か!」
やっぱり春の浮かれた陽気は、人々の頭の中にも花畑を作り上げてしまうのだろうか!
学生を多く抱えるイナリ荘の大家さんとしては、なんともはた迷惑な話である!
――と、そんな時にシェスカがぷっと噴き出した。
ところで彼女が午後の魔法使いと呼ばれ、蔑まれる理由の一つとして彼女の感情表現の希薄さが挙げられる。
いつも無感動な調子で淡々と話すので、彼女には感情と呼べるものが存在しないのではないかと考える者までいるとか、いないとか。
……なんと勿体ない。
彼らは知らないのだ。
シェスカが笑うと、たいへん可愛らしいのだと。
「言いたいことは色々とあります……でも一つ、大家さんは、どんな時でも大家さんなんですね……」
「? 当たり前だろ? 俺はイナリ荘がある限り、ずっと大家さんだよ」
「……だから私は大家さんが好きなんです」
シェスカが消え入りそうな声でぼそりと呟いた。
振り返ると、シェスカがカップ代わりの水筒のフタで顔を隠している。
フタで隠し切れなかったほとんどの部分が、まるでリンゴか何かのように真っ赤に染まっているのが見えた。
……はっ! 危ない! 危うく勘違いしてしまうところだった!
俺も一昨年大学を卒業したばかりとはいえ、現役女子大生の社交辞令にマジになってどうすんだよ!
だが、まぁ、それがたとえ社交辞令でも……
「ありがとうな、嬉しいよシェスカちゃん、じゃあそろそろ帰ろうか」
地べたに座り込むシェスカへ手を差し伸べる。
すると彼女はか細い声で「……はい」と答え、手を伸ばす。
依然水筒のフタで顔を隠したまま。
まったく、誰よりも努力家なのにシャイなんだからな……
そう思って、彼女の手を取ろうとすると――ふいに、背後から何かの飛来してくる気配を感じた。
「お――大家さんっ!!?」
遅れてこれに気付いたシェスカが驚愕の声を上げる。
はぁ……
「しつこい不審者だな」
俺は振り返りざまに右手をかざし、飛んできたソレを受け止める。
受け止めた時の衝撃で五本の指がソレにめり込み、風が巻き起こった。
ソレは俺よりも三回りは巨大な岩石だ。
「か、片手で……!?」
せっかく立ち上がりかけたシェスカが、へなへなと崩れ落ちてしまった。
どうやら突然のことにびっくりしてしまったようだ。
「まったく、なんてもの投げつけてくるんだよ……当たり所が悪かったら怪我してるぞ!」
「ど、どこに当たっても殺せるように飛ばしたんですけど……?」
巨岩の飛んできた先、そちらへ目をやると、案の定ユウリ? とかいう不審者女の姿があった。
真っ白だった衣服を砂埃に汚し、ひきつった笑みを浮かべている。
「あれぇ? おっかしいなぁ……YU-RIの術、間違いなく発動したはずなんだけどなぁ?」
「何を訳の分からないことを言ってるんだお前は」
俺はそこでようやく指のめり込ませた大岩を、そのへんに投げ捨てた。
ずずうん……と鈍い音がして、世界が揺れる。
「ふ、ふふ……さっきのパンチといい、どうやら大家さんは怪力が自慢みたいだね☆」
「大家業は身体が資本だからな」
荷解きの手伝いとか屋根の修繕とか、それなりに力仕事には自信がある。
まぁ、怪力ってのはさすがに言いすぎだけど。
そんなことを考えていたら、ユウリは怒りのせいかわなわなと震える指をこちらへ向け、言った。
「だったら問題ないもん! YU-RI野蛮な男の人って嫌~~い☆ 頭弾け飛んで、死んじゃえ! ――はい! ぽんぽこりん☆」
「大家さんっ!! 逃げてください! この技はっ……!」
シェスカが叫ぶ。
それと同時に、ユウリの妖しく輝く瞳が俺を捉えた。
直後、耳の奥の方で「きぃぃぃぃん」と一度音がして――
それだけだった。
「……え? あれ? なんでなんともないの?」
「……なんか耳鳴りがした」
「み、耳鳴りィ!?」
耳鳴り程度なのに、ユウリが大袈裟なリアクションをとる。
ああもう、付き合ってられん。
しかしこんないきなり耳鳴りがするなんて……
俺も知らず知らずの内に大家業のストレスとかが溜まっているんだろうか、とハーブティーを啜る。
あー……やっぱり美味いな、身体の疲れが芯から癒されていくようだ……
「お、おかしいな……ハハ、じゃあ両足もげちゃえ! ぽんぽこりん☆」
「ん? なんか今一瞬膝の関節に痛みが……」
「ぽ、ぽんぽこりん!! 両腕千切れちゃえ!」
「嘘だろ……肩凝りまで……」
さああああっ、と青ざめた。
突発性の耳鳴り、関節痛、肩凝り……間違いない! これは加齢の初期症状!
嘘だろ!? 20代半ばにして!?
確かに最近若白髪が増えたなとは思ってたけど、もしかして俺ってもうおじさんに……!?
もはや向こうでぎゃあぎゃあと何かを喚いているユウリのことなんて、意識の外であった。
あんなのより、こっちの方がよっぽど深刻な問題だ!
「お、大家さん、大丈夫なのですか……!?」
シェスカが心配そうな表情で尋ねかけてくる。
大丈夫じゃない、全然。
心に深い傷を負った……せめて、せめて……
「……なあ、シェスカちゃん、俺ってもしかして、その、なんか臭ったりとか、したり……?」
「――ぽんぽこりん!! ぽんぽこりんぽんぽこりんっ!!」
ぶちん、と堪忍袋の緒が切れた。
俺はおもむろに近くにあった小石を拾い上げ、振りかぶる。
そして
「――今大事な話してんだろうがキ〇ガイ女!!」
怒声とともに、ソレを投げ放った。
「なっ――!?」
シェスカとユウリが、同時に驚愕の声をあげる。
飛来する石は、音の壁を突き破り、衝撃波を発生させながら進んでいく。
そして次の瞬間には、間抜け面を晒すユウリの額に直撃。
「ぎゃっ!!?」
ばかーんと硬い木の実の殻が割れるような、そんな小気味の良い音があって、ユウリは大きく仰け反りダウンする。
ふん、これで少しは静かになっただろ。
なんだぽんぽこりんって、ふざけてんのか。
「……で、シェスカちゃん実際どう? 正直な感想でも、その俺はなんとも思わないから」
「え、と……大家さんはいつも、ハーブの香りがします、よ……?」
「っしゃあ!!」
俺はガッツポーズを作って、歓喜に打ち震えた。
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