もう一度
竜化の訓練を終える頃には、日が傾き始めていた。
涼しい気候とはいえ、軽く汗をかいた。そして握った拳を見つめながら、確かな手応えを実感する。
あとは覚悟だ。
戦いになる以上、相手をこの手で殺めることは避けられない。
他の者達はその覚悟ができているのに、王である自分が躊躇している場合ではない。
ここは元の世界とは違う。だからそれが免罪符になるということもないが、とにかく人間の頃の考えは改める必要があった。
やってやるさ……。
妙な高揚感は、夜が近付くにつれ徐々にその主張を強めつつあった。
「そういえば、何か悩み事でもあるのか? たまにだが、考え事をしているように見えたんだが」
村に戻る前に、俺はアリルに訊ねることにした。
噴水前で俺を待っている時、そして訓練中にもふと気が緩む瞬間があり、どこか上の空といった顔を見せるのだった。思えば森でまじまじと見つめ合った時も様子が妙だったが。
「……気付かれていましたか。実はリムド様が私の知っている男の子と似ていたので、思い出していました。考えないようにしていても、リムド様を見ていると思い浮かべてしまって……」
「俺に、似ていた?」
ラド村の子供だろうか。
「ええ。しかし私の思い違いですので、聞き流してください」
「気になるな。思い違いかどうかはさておき、とりあえず話を聞かせてくれ」
そう言われては断ることもできず、アリルは躊躇いがちに、ゆっくりと口を開く。
「……その男の子は好奇心旺盛で、何か思いつくと、それを確かめないと気が済まない性格でした。そのため平然と無茶なことをして、いつも帰った後周りの大人に怒られていました。ですが、それでも満足そうにしていた顔が今でも記憶に残っています」
くす、と笑うアリルは、遠い過去を懐かしむように話す。
「……その男の子というのは、今どうしているんだ?」
「どうなんでしょう。もう、10年近く会っていないんです。大人になった姿というのも、なんだか想像できませんね」
10年?
まさかと、ある考えがよぎる。
いやしかし、それでは辻褄が合わない。
だがアリルの口ぶりからすると、その男の子はラド村の人間ではない。
10年会っていないとなれば、賢族領に取り残された竜族でもない。
「まだリムド様にはお伝えしていなかったのですが、私にも別の世界で生きてきた記憶があります。私はその世界で普通の人間として10年間過ごし、そして事故に遭って死んでしまった後、気が付けばラド村の外れで目覚めました。この場所です」
アリルは手を広げ、この平原を示す。
「それが10年前の話で、私は親もいない孤児でした。その点がリムド様とは異なります。しかし、ラド村の人々は皆優しく私を迎え入れてくれました」
そうなると辻褄が合う。
しかし、そんな偶然……いや、奇跡が……。
「最初はツノが生えていることや翼を使って空を飛ぶこと、そして竜になることに戸惑いましたが、すぐに慣れました。私は、私を喜んで受け入れてくれたフラニス様やイザリア様、そして村の人達に恩を返すため、ヴァルゴ隊長の下で親衛隊として生きて行くことにしたのです」
イゼンが言うように俺やアリルの記憶は全て夢だったという可能性は、完全には否定できない。
だが賢族がゲートという魔法で異世界から持ち帰った品々には、俺の記憶にある世界の物、メイド服があった。メイド服なんて他の世界にも存在するかもしれないが、それでも。
それでも、これは。
「……何もかも、奇遇だな。俺は前の世界で子供だった頃、アリルの言う男の子のような事をしてきた。そして俺が毎日遊ぶメンバーの中には、いつも幼馴染の女の子がいたんだ。そいつはどこか、アリルと雰囲気が似ていた」
家が近所ということもあり、家族同士の交流も多かった。
田舎町に住んでいた俺は自然の中で育ち、近所の山を探検しに行くことが大好きだった。そこで無茶をしては怪我して帰り、親に怒られていたことはよく覚えている。
夏は町の奥にある入道雲を目指して、アスファルトを駆けた。
あの虹まで行ってみよう。雨上がりにそう言って、買ってもらったばかりの自転車をひたすら漕いだ。
そこにはいつだって男友達の中に混ざり、アイツもいた。
「あの頃は楽しかったな……」
その言葉に嘘はない。
「だが俺の幼馴染は、交通事故で命を落とした。突然だった。それが10年前のことだ」
俺はそれを目にした。
当時10歳の俺には『死』というものの受け止め方がよく分からず、ただ俺からアイツを取り上げた世界の仕組みに納得がいかなかった。
なんでもう会えないんだ。そう言って泣き喚き、周りの大人を困らせたものだ。
「10年前……?」
アリルは、はっとする。
恐らく、俺と同じ事を考えているのだろう。
「そんな俺も交通事故で死んだ。ただその女の子とは違って、俺は自分から飛び出したんだが」
俺は笑い話のように語る。後悔はしていないことを、口調で伝えた。
「何故、そのようなことを……」
「轢かれそうになっていた奴がいたからだ。それに、一度目は助けられなかったからな。まあ、それとは別に、正直に言うと……つまらない世界から、逃げ出したかったというのもある」
俺は自ら幕を引いた。それを敗北と呼ぶかは、人それぞれだろう。
俺の場合。最期に人助けをして幸福を得たので勝ったと言いたい。胸は張れずとも。
「俺は死ぬ間際、神様に願い事をしたんだ。あの世に行ったら会わせてほしい相手がいるってな」
自然と、元の言葉遣いになっていた。リムドではなく、境竜一として喋っている。
「名前は白坂茜。俺の幼馴染の女の子だ。女の子って言っても、あれから10年経ってるから今頃は大人になってるはずなんだが」
アリルは目を見開き、口元を手で覆う。
「もしかして……竜一……ですか?」
ああ、やっぱり。
それにしても、こんなことあるんだな。神様、ありがとうございます。
「……ああ、なんというか、久しぶり。それと、敬語なんて使わなくていいぞ。俺の知っている茜は、俺に敬語なんて使ったことないだろ?」
確信を持つと、感動よりも先に照れがやって来た。
さっきまでお互い堅苦しい言葉遣いで会話をしてきたのに、戻すのも変というか、やりにくいものがあるからだ。王様ごっこもやったが、それはそれだ。
しかしその照れを塗り潰すように溢れてくるのは、やっぱり再会が叶ったという嬉しさだった。
ありえないことが実現するのならば、それは奇跡だ。
目の前のクールな副隊長、もとい幼馴染は目に大粒の涙を浮かべて俺を見ていた。
「そうやって、すぐ泣くところは変わってないな」
あの頃のように茜をからかう。
「……うるさいバカ」
当時の再現ともいうべき記憶通りの反応に、俺まで涙が溢れそうになった。
「積もる話もあるけど、いや、あるが、一度戻るぞ。再会を喜びたいところだが、夜の決戦に向けて皆と作戦会議をしなければ」
話し方をリムドに戻しつつ、そして涙を引っ込めつつ、俺は言う。
さすがにの他の竜族の前で竜一と茜でいるわけにもいかないだろう。
「……はい。今、我々がすべきことを優先しましょう」
茜もアリルの口調に戻し、俺に従う。しかし、まだ若干ながら涙声だった。
俺と違ってしっかり泣いていたので、涙が引くまで時間を要する。村に戻るまでには、赤くなった目の周りも元通りになるだろう。
さて戻ろうと、遠く見えるラド村のランドマークである我が城を見る。
「ちょっと待て、何だアレは……」
まるで蓋をするかのように、巨大な白い魔法陣が城の上空に展開されている。
そんなありえない光景が広がっていた。
「……あれは恐らく賢族の魔法、神の裁きです!」
アリルがそう伝えてくる、その直後。
魔法陣が一瞬フラッシュし、城に無数の光が降り注いだ。
照らされながら城はその形を光に削られ、そして砕かれる。そうして瞬く間に崩れていった。
村が、襲撃されている。
そう考えるよりも先に、俺もアリルも村に向け飛び立っていた。