反撃の決意
自らの身体のみで空を飛ぶという体験は、夢でしかできないと思っていた。
しかしこうして今、俺は自分の背中にある翼によって大地ではなく大空を突き進んでいる。
最初は恐る恐る、地上3~5メートル程度の高度を維持して感覚を掴んだ。
慣れてしまえば、一気に50メートルの高度まで上昇する。
高所恐怖症ならば失神していただろう。だがそうではない俺は、このスリリングかつ爽快な飛行を楽しんでいた。
離れようにも離れられずに、長い付き合いを続けてきた地面。それが今では遥か遠く。
風が荒々しく鳴り、そして全身を揺さぶる。だがその感覚は、むしろ心地よい。
どこまでも高く飛べそうだ。竜族最高。
しかし、見えない天井の如く檻が健在であることも忘れてはならない。
村から数キロの距離にある西エーテル・タワーだったが、あっという間に到着した。
地上と違って遮るものがなく、短いが快適な旅だったといえる。
翼を使って落下速度を殺しつつ、無事に着地。
竜族は人間よりも頑丈だとは分かっているが、つい人の感覚で慎重と安全を徹底してしまう。
後ろから俺を見守りつつ飛んできたアリルも、ゆっくりと陸へ降り立つ。
「特に問題はなさそうですね」
「そうだな。さすがにアリルのような機敏な動きは、到底できそうにないが」
できたら楽しそうではある。いや、酔うかもしれないが。
「私は、ずっと訓練していますからね。親衛隊に入って5年ほど経ちます。今は賢族討伐隊と名を変えていますが、常日頃から有事に備えて戦闘技術を磨いていますので」
「なるほどな。鍛えなければ、あの動きはできそうにない。ところでなぜ、親衛隊から賢族討伐隊へと名を変えた?」
軽く話を広げるつもりで質問をしたが、アリルの表情が曇る。
「我々元親衛隊は先代の王・フラニス様をお守りすることができず、その結果、隊の総意で親衛隊の名を捨てたのです。我々に残ったのはアルゴーシュを始めとする賢族への怒りや、仇を討ちたいという思いがで、それにより賢族討伐隊へと名を改めました」
そういえば、まだこれまでの戦いを俺は知らない。
「……その時の状況を聞かせてくれないか。俺の父は、どのようにして命を絶たれたのかを知っておきたい」
愉快な話では決してないだろう。胸の締め付けられるような内容であることは間違いないが、それでも知らないままでいるというのは、ありえない。
そんな俺の意思を感じ取ってか、アリルも真剣な顔つきで話を始めた。
「ラド村周辺に檻が発生し、フラニス様や当時親衛隊を名乗っていた我々は、なんとかして檻を突破、もしくは破壊しようと試みました。しかし檻は我々の攻撃ではどうすることもできず、竜化したフラニス様のエーテル・ブレスですら効き目がありませんでした」
不意にエーテル・タワーを見上げたアリルの眼差しは、弱々しく見えた。
どんなに手を尽くしても檻から出られないというのは、絶望を感じるだろう。飢える未来がちらついて、平然としてはいられない。
「……その、エーテル・ブレスというのは?」
「エーテル・ブレスというのは、口から炎を吐く竜族特有の遠距離攻撃手段です。竜族は完全に竜化した場合のみ、炎の力を自在に扱うことができるようになります。そして王族は他の竜族と違って黒炎を扱い、その黒炎によるエーテル・ブレスは本来どのような生物でも耐えることができない程の威力なのですが、その黒炎でも檻には通じず……」
俺が檻に直接触れた際、弾力と伸縮性のある膜を確認した。あれは物理的な衝撃を吸収するようにできているのだろう。
物理が駄目ならばと、エーテル・ブレスによる炎攻撃だが、これも通じなかったらしい。
「フラニス様は最終手段として、命懸けで強引な突破を試みました。竜化し黒竜となったフラニス様は誰よりも頑丈で、最も檻を通過できる可能性が高かったからです」
もう、それしかなかったのだろう。
どうしようもない状況で、それでも何とかしたい時。死に物狂いになるしかない。
「結果的に、フラニス様は檻を突破されました」
おお、と思わず感嘆の声を漏らしそうになったが、アリルの晴れない顔を見て言葉が喉元で止まる。
「フラニス様の後に続けと我々も突入しましたが、すぐに檻に阻まれました。結局外に出られたのはフラニス様のみでしたが、檻によるダメージで既に満身創痍の状態でした」
檻を生み出しているエーテル・タワーを破壊しなければ、檻の膜を破ったとしても、その空いた大穴は即座に修復してしまうということか。
「そして奴が……アルゴーシュが、四賢者という側近と大勢の過激派賢族を連れて現れたのです。フラニス様は奴らの魔法によって身体を浮かされ、エーテル・タワーから引き離されました。そしてそのまま空中で魔法の集中砲火を浴び、やめろと叫ぶ事しかできない我々の目の前で、命を奪われたのです」
「弱ったところを袋叩きとはな……待ち伏せでもしていたのか。檻の外から攻撃してもよかったが、それだと途中で撤退される可能性がある。だからこそ、檻の外に出て逃げる力も残っていない状態になるのを待ったのか」
俺の予想に、アリルは静かに頷く。
「フラニス様に止めを刺したのは、四賢者による合体魔法です。奴らはそれを『神の裁き』と呼称していました。天にとても大きな魔法陣が出現し、そこから膨大な量の光の槍が降り注ぐというものです。リムド様、特にこの神の裁きという魔法には注意してください。奴らの口ぶりからすると、アルゴーシュはこの魔法を一人でも発動できるようです」
アルゴーシュや四賢者と戦う際、頭上に魔法陣が展開したらすぐにその場から退避するべきだな。
「分かった、気を付けるとしよう。話を戻すが、父は檻の外で亡くなったということか。なら、亡骸はどうしたんだ? 持ち帰り、埋葬は……」
「……フラニス様は神の裁きによって殆ど形を保っていませんでしたが、それでも一番大きなツノの欠片だけは村に持ち帰ることができました。そうするために親衛隊はプライドを捨てて奴らに懇願し、その姿を賢族どもは嘲笑しました。そして下っ端と思われる一人が、畏敬の念もなくフラニス様のツノを放り投げたのです。ツノは檻に弾かれることなく通過し、ヴァルゴ隊長がそれをキャッチしました。そうしてただフラニス様を失っただけの我々は村に戻り、持ち帰ったフラニス様のツノは先程の墓に、イザリア様と共に在ります」
当時を思い出したことで、アリルの表情には隠しきれない怒りが見て取れた。
「そうか……だが、父を取り戻してくれたことには礼を言わせてくれ。よくやってくれた、ありがとう」
「いえ……」
アリルの返事は消え入るように小さく、目には僅かに涙が浮かんでいるように見えた。悟られないようにするためか、顔を背けてしまう。
気丈な印象を受ける彼女だが、それでも堪えられない経験だったようだ。
悔しかったのだろう。そして、憎んだのだろう。
それは賢族たちに対してでもあり、何もできなかった自分達の非力さに対してでもあった。
だからこそ彼らは親衛隊の名を自ら捨て、賢族を討伐するという決意を掲げ名を改めたのだ。
ここまで、敗北ばかりを重ねてきた竜族。
「……もういいだろう。そろそろ、俺たちの反撃といこうじゃないか」
だって、そうだろう?
閉じ込められて、負けて、馬鹿にされる。
そんなの誰だって悔しいに決まっているんだ。
勝ちたいんだ。
そして、笑いたい。
「よしアリル、次は竜化を教えてくれ! 俺にも黒炎とエーテル・ブレスが扱えるんだろう? それを使いこなし、この忌々しい檻を生み出すエーテル・タワーを木端微塵にしてやろうじゃないか!」
胸の前で拳を手のひらに叩き込み、溢れるやる気をアピールして笑ってみせる。
彼女の溢れそうだった涙は止まり、やがて自然な笑顔となった。