プロローグ
最期に人として、良い事をしようと思った。
そう思ったのが先か、はたまた身体が無意識に動いたのが先かは分からないが、とにかく俺は赤信号の横断歩道に飛び込んでいた。
なぜかって、そこにいる赤の他人を助けるためだ。
両親を亡くし、彼女も友人も満足におらず、ただ職場と自宅のボロアパートを往復するだけの毎日。
自分で言うのも悲しい話だが、つまらない人生だったと思う。
だからだろうか。
そんな俺は、きっとこの人生をぶっ壊したかったのかもしれない。
あるいは意味を、あるいは功績みたいなものを求めていたのか。
俺が今この瞬間突き飛ばした見知らぬ少女。
誰だか知らないが、スマホに夢中で信号無視とは良くないな。
馬鹿みたいにうるさい、大型トラックのクラクションと急ブレーキの音が右側から迫って。
俺はその鉄塊の暴力に容易く打ち負かされた。
人間の身体ってのは、やっぱり脆い。
生を終える直前、宙を舞う俺の視界に夕焼けの空が映る。
綺麗だ。
そんな事を思っている場合じゃないというのに。
しかしもう取り返しのつかない全身の痛みすら忘れ、このコンクリートの建物たちや電線でごちゃごちゃした人間社会の上には、確かに綺麗なこの星の姿があった。
現実に忙殺され、空を眺めることなんて忘れていた。
もう見ることができないなら、もっと見ておけば良かったな。
アスファルトの上に落ちた俺に、人が集まって何やら声をかけてくるが、耳が機能していないのか、聞こえない。
ただ、そこに悪意の目はなかった。
今この瞬間だけは、俺を取り囲む空気が心地良い。
そしてその中に、俺が助けた少女の姿もあった。
良かった、無事だったか。
俺の事は気にするな。
お前は、俺のヒーローごっこに利用させてもらっただけだからな。
そう伝えようにも、うまく声に出せない。
終わりだろう。
つまらない毎日だったが、今日は久しぶりに良い気分だ。
俺は、満足げに目を閉じた。
良い事をした。
ああ神様、少しでもこんな俺に情が移ったのならば、どうか願いを一つ聞いてはもらえないだろうか。
急な話で申し訳ないが、残念ながら俺には時間がもうない。
死後の世界で会いたい奴がいるんだ。
意識が、もう保たない。
話の続きは、あの世で......。