39 剣神サラティガ
今でこそ剣神、英雄の名で呼ばれ人々から尊敬と畏怖の念を集めるサラティガだが、その出生は実にありふれた平凡なものだった。
ガスターク帝国の片隅にある寂れた農村育ちの三男坊の彼は、実は10になるまで剣を握ったことさえなかった。
転機となったのは、ただの偶然からだ。
先代の剣聖が偶々村へと立ち寄った際、滞在の謝礼代わりに村人たちへ剣舞を披露して見せた。
その光景を見ていたサラティガは、棒切れを手に見よう見まねで再現しようとする。
「良い動きだな小僧よ。剣を習っておるのか?」
それを目にした剣聖がそう声を掛ける。
「そ、そんなっ……おら剣なんて握ったことも……」
まさかの剣聖直々の声かけに、幼いサラティガはしどろもどろになる。
「ほぉ……面白いの。ははっ、気に入ったぞ。某の弟子としようではないか!」
酒に酔っていた先代の剣聖は、そうして勢いのままサラティガを弟子にした。
きっかけはただの気紛れに過ぎなかったが、そこからサラティガは天性の才を覚醒させた。
彼が持つギフトも大きく影響し、目を見張る速度でぐんぐんと成長を果たしていく。
そしてわずか10年ほどで師匠へ追いつき追い越し、サラティガは帝国最強の剣士となった。
「サラティガよ。お主に剣聖の称号を譲ろう」
「……ありがたく」
20を超えて、身体を大きく成長させたサラティガだったが、精神の方はそれほどでもなかった。
表に出さない分別こそ身に着けていたが、その心中は弟子入りした時と大差ない。
周囲から褒められたい、それだけが剣を振るう理由だった。
「……お、某は愚かだ」
だが彼の師匠は違った。
純粋に剣の道だけを追い求め、そのためならば後進へと譲る潔さを持ち合わせていた。
剣技では確かに超えたのかもしれない。
しかし人としてはまるで及ばないと考えたサラティガは、師匠の真似をすることにした。
彼が自らのことを「某」と呼び始めたのはそれからだ。
誰だって最初は形から入るモノで、最初は違和感があったその振舞いも徐々に馴染んでいく。
そのうちに周囲からも名実ともに剣聖として認められ、彼は人生の絶頂期を迎えた。
そんな時だ。
彼がフォルティスと出会ったのは。
「あなたが剣聖サラティガ殿ですね? 僕の名はフォルティス。良ければ一つお相手願えませんか?」
「ほぉ、貴殿が王国最強と名高い勇者か。構わぬ、いつでも掛かって来るが良い」
いつもの達人然とした態度で、フォルティスの挑戦を受けるサラティガ。
勇者フォルティスの噂は彼も聞いていた。
魔王イエオネスの弟子であり、正気を失い暴走した魔王竜ジルニトラをたった二人で打ち倒した英傑だとも。
魔王といえば、卓越した魔法の使い手として有名だ。
ならばこの短い距離で負けるはずが無い。
しかし、そんなサラティガの思惑は外れ、フォルティスは剣技においても彼に劣らぬ実力を見せつけた。
「さすがは剣聖殿です……っ! 簡単には勝たせてくれそうもありませんねっ!」
「ふははっ! このように心踊る戦いはいつぶりか!」
二人の剣の腕前はほぼ互角だった。
結局、その戦いは日が暮れるまで続き、引き分けに終わった。
「楽しかったぞフォルティス殿! 出来ればまた手合わせ願いたいものだな」
「ええ、僕もですよ」
師匠の真似をし続けたことで、すっかり剣の道にのめり込んでいたサラティガは、久しぶりの強敵の到来を歓迎した。
しかし、ここ最近の彼は伸び悩んでいた。
師を超えたことで、目標を見失っていたからだ。
より上を目指すには、競い合えるライバルの存在が必要不可欠であり、それがフォルティスであると。
彼はそう考えるようになっていた。
それから程なくして魔王討伐隊が結成され、フォルティスとの再会を果たす。
「フォルティス殿! お相手願おうか!」
「ええ、もちろんです」
フォルティスの方も、本気を出しても倒せないサラティガの存在を歓迎していた。
共に過ごす中で、二人はやがて互いを親友と呼び合う仲となる。
そこに嘘は無かったが、その関係にも徐々にヒビが入り始める。
二人の実力が徐々に開き始めたせいだった。
競い合う中で、サラティガは目覚ましい成長を遂げていた。
師に追いつこうと必死だった頃よりも、より早く。
だがフォルティスはそんな彼よりも、更に早く成長した。
そう。フォルティスは彼以上の天才だったのだ。
心の奥底に眠っていた想いがまた蘇る。
剣において、一番の名声を受けるのは自分でなければならない。
そんな感情に囚われたサラティガは、フォルティスの才能に嫉妬し始めた。
時を経るごとにその感情は肥大し、それが裏切りへと繋がった。
「あの男を殺したのはやはり間違いであったな……」
フォルティスが死んだことで、彼は今度こそ名実ともに最強の剣士となった。
そのことに調子に乗り剣神などと名乗りもしたが、その心は晴れないまま。
どころか自慢の剣の腕前の成長までもが、ハタと止まってしまう。
ライバルを――いや彼の前を歩き導いてくれる存在を失った彼は、また進めなくなっていたのだ。
師匠から受け継いだ剣を極める欲求は、彼にとってもはや呪いとなっていた。
自己顕示欲と求道心、どちらも半端にしか持ち合わせていなかった彼の行動は、いつだってチグハグな結果ばかりを生み出していく。