36 再会は突然に
紺碧の騎士服の三人に続き視界を横切ったのは、ゆったりとした黒地の着物を纏った男だった。
背に大太刀を背負い、渋みと顎髭を蓄えた顔に、酷く見覚えがあった。
『……覚えているぞ、その顔! 忘れてなどいない。忘れられる訳がない! サラティガぁぁ!!』
少なくとも15年以上の歳月を経ての再会のはずだが、それでも一瞬で理解する。
理解してしまう。
何の因果なのだろうか。
こんな何もない森の中で、偶然にも復讐相手と邂逅を果たした俺の心は、怒りと憎しみと破壊衝動によって真っ黒に染まった。
『アロン! それ以上は危険だ! 抑えろ!』
エルナが必死に制止の叫びをあげていたが、今の俺に届くことはない。
後から思い返せば、この時、念話に切り替えていて正解であった。でなければ俺は大声を発し、奴ら全員に気付かれていたはずだ。
だが自身に向けられた殺気を見逃す程、サラティガは甘い男ではなかった。
視界の中のその横顔が、正面へと向けられる。
視線が交差し、奴が肉食獣のような笑みを浮かべた。
次の瞬間――
「な!? 消えた!?」
さっきまでそこに居たはずの男の姿が、影も形も無くなっていた。
何が起きたのか、それを詮索するより前に声が届く。
「ははは! なんという気迫か、小僧!」
いつの間にか、すぐ上の方にサラティガの姿があった。
鍛え抜かれた脚で地を蹴り、一足飛びでこちらへと迫っていたのだ。
「サラティガァァァ!!」
「ふむぅ。一体どこで恨みを買ったかは知らぬが……そのように心地よい殺気を向けられては、斬らずにはいられぬなっ!」
渋みを湛え落ち着いた、しかしどこか楽し気な声でそう呟いたサラティガは、背から大太刀を引き抜き、俺へと向ける。
その余裕面が気に食わない!
英雄気取りのすかした態度も気に食わない!
奴の何もかもが気に食わない!
存在そのものが認められない!!
「殺す殺す殺す! 絶対に殺すっ! 殺してやるっ!!」
「おいっ! 落ち着け、アロン!! くそっ!」
半ば本能的に迎撃体勢を取ろうとした俺だが、アロンの肉体は、余りに早すぎたその動きについて来れず、剣を取りこぼしてしまう。
「サラティガァァ!!」
死が――奴の大太刀が間近へと迫る。
しかし俺に恐怖はなく、ただ怒りだけがあった。
アルテナを殺したお前たちは、絶対に許さない!!
そんな強い想いとは裏腹に、俺の命運は尽きようとしていた。
だが、そこに待ったをかける少女がいた。
「アロン!」
必死な叫びと共に、俺と大太刀との間にか細い体が滑り込んでくる。
「くはぁっ!?」
身に着けていたボロのローブはバラバラに千切れ飛び、その下の少女を守る黒のドレスまでも無残に引き裂かれた。
「ズシャッ」と肉を切り裂く音が耳に届き、血飛沫が舞っていく。
身代わりとなった少女の肉体が、前のめりにゆっくりと倒れていく。
「……エルナ?」
頬に違和感を覚え、手を伸ばす。
そこにはまだ温かくも、ぬるっとした赤が多く付着していた。
ほとばしる感情の熱はあっさりと霧散し、血塗られた現実へとようやく俺は気が付く。
「ぁ、ぁぁ……」
言葉になり切れなかった声が、俺の口から溢れ出ていく。
エルナはその身を挺して俺の命を守ってくれた。
ずっと主張していた通り、みとしての仕事をきちんと果たしてくれた。
対して今の俺はどうだ?
勇者としての経験に胡坐をかき、上から目線で彼女にあれこれと言いながらも、いざという場面で心を乱し、やらかした。
これは内側に抱えていた闇を甘く見ていた結果であるのだろう。
だがそれは何の言い訳にもならない。
まったく何が復讐心の制御だ。全くできていないじゃないか!
自分のバカさ加減に、ただただ呆れかえる思いだ。
こんなだから前世で大切な人を――アルテナを守れなかったというのに、また俺は……。
「ふぅむ。これは失敗したかな? 稀に見る気迫ゆえに騙されたが、良く見ればお主、一山いくらの凡人に過ぎぬようだ」
激しく揺れ動く俺の心情など一顧だにすることなく、淡々と告げてくる。
それから奴は、エルナの方を一瞥した。
「それに対し、その娘子のまこと素晴らしきことよ。本気では無かったとはいえ、某の剣閃に割り込むとは……。まったく惜しいことをした」
エルナの小さな身体は、そこから流れ出た血溜まりへと沈んでいる。
うつ伏せであるため表情こそ見えないが、死へ至るに十分な血量であるのは明白だ。
他人事のようなサラティガの言葉を耳にし、俺はキッと奴を睨み付ける。
「その殺意の強さだけは買ってもよい。だがすまぬが某は力の無き者に興味を持てぬ性質なのだ。早々にこの場から立ち去るがいい。今ならば五体満足で帰れるぞ?」
それはきっと本心から出た言葉なのだろう。
先程の楽し気な表情はすっかり消え失せており、やる気の無さがありありと伝わって来る。
くそっ!
俺なんか放置していても、どうとでもなるってことか!
だがそれはあながち間違いとも言えない。
どれだけ隙をつこうとも、今の俺では奴に触れる事さえ敵わない。
可能性があるとすれば、やはり右目の力だが……。
あんな遠方からの殺気にさえ目敏く気付く奴のことだ。
悪意を――能力を行使しようとすれば、即座に一刀両断されてしまうことは目に見えていた。
この状況ではどうやっても勝ち目は無い。
俺一人の力では……。